制度疲労を起こしている都市計画法制の再構築と「官with民」によるまちづくりのあり方

018 | 201804 | 特集:プロジェクトと「疲労」

第1:はじめに

今回の特集は、私以外は主にソフト面からのまちづくりの専門家。彼らに共通するのは、研究者でありながら現場主義に徹した実践家であることだ。今回の企画者である榊原充大氏は1984年生まれだから、1960年代の「日本列島改造(論)」をキーワードとした「官vs民」の時代は知らず、中曽根民活・規制緩和時代の申し子。その時代を「官feat.民」と名付けたのは達見だ。

そして、それが小泉改革における「官から民へ」の流れの中で「官with民」に変容していったことは重要だ。また、この場合の「民」の内容が、「官vs民」時代の市民(住民)から「民=産(企業)」に変わり、さらに小泉改革と共に急発展した「都市再生特別措置法」以降は、「民=大企業」に変容していったことも重要だ。そもそも建築やまちづくりにおける「これまで」と「これから」を論じるについて、「疲労」という比喩を用いたところが、いかにもソフト面からまちづくりに従事してきた人の発想らしい。

『まちづくりの法律がわかる本』(17年・学芸出版社)

拙著『まちづくりの法律がわかる本』(17年・学芸出版社)が榊原氏の目に留まったことからこの企画に参加した私はただ一人の法律家(弁護士)だが、法律家には「疲労」という比喩(概念)から物事を論ずる発想はなく、その訓練もしていない。しかし、本企画を契機に、私が研究し実践している「都市法」の視点から考えてみると、たしかに都市計画法制自体が「制度疲労」を起こしているという問題意識がある。後述のとおり、「都市法」は、五十嵐敬喜著『都市法』(87年・ぎょうせい)から始まり、少しずつ体系化していった学問領域だが、私は拙著の中で、1945年の戦後復興以降、今日(2017年)までの歴代内閣を中心とする時代区分とまちづくり法との関係を分析した。

しかし、都市計画の「制度疲労」というテーマから都市法の「これまで」と「今後あるべき方向」を考えるについては、その時代だけでは不十分で、もう少し時代(視野)を広げる必要がある。本稿では、そんな視点から都市計画法制の「制度疲労」を考え、その改善の方向性を示したい。

第2:都市法とは?都市計画法とは?その変化・改革の重要性

1. 都市法とは?都市計画法とは?
1949年生まれの私が「司法試験用」の法律の勉強をして弁護士登録したのは1974年。以降、一般民事・刑事事件の他、公害訴訟に全力を傾けたが、都市問題に関与したのは1984年の大阪駅前第2ビル再開発問題研究会以降だ。そこで、はじめて市街地再開発事業の「権利変換」なるシステムを知り、その縁で大阪の阿倍野再開発訴訟を提起した。市街地再開発事業とは、駅前等の建物が建て込んでいる一定の区域で、駅前広場等の公共施設を整備しつつ新たに高層建物を建築する事業のこと。そこでは、元の土地・建物の所有権を敷地の持分+建物の区分所有権等に強制的に権利変換する。それによって一方では従前の土地・建物の権利者に「権利床」を与え、他方では「保留床」を売却することによって事業費に充てるという、「打ち出の小槌」のようなシステムの事業だ。

また、五十嵐『都市法』を読んではじめて「都市法」なる学問を知り、それまでの民法、商法、刑法等の法的紛争処理のための法律ではなく、国土政策、都市住宅政策を担う法律のあり方やその運用に興味を持った。その中核にあるのが「母なる法」としての都市計画法だった。私が勉強したのは1968年法(昭和43年法)だが、時代が変化する中、平成4年改正、平成12年改正、平成14年改正と、「母なる法」が変化、改革していくダイナミズムに驚いた。

土地バブルが始まった1980年代は、「借地借家法」における借地人・借家人保護の視点から、多くの弁護士は市民(弱者)救済の立場でまちづくり=高層ビル化=市民の追い出し=悪のように捉えていたが、私は森ビル(=民の大資本)によるアークヒルズのまちづくりを見学して、これはすばらしいと実感した。アークヒルズは1970年に制定された都市再開発法に基づく民間の市街地再開発事業として当時としては最大級の規模のもの。多数の住民(従前権利者)との折衝と合意形成に約20年を要したが、広い敷地の高低差をうまく活用し、緑をふんだんに取り入れつつ、アーク森ビルやサントリーホール等の巨大建物を出現させた新しいまちに私は驚き感銘を受けた。

そもそも弁護士は法律はどうあるべきかという立法論を担うことはなく、与えられた法律を(ある意味で永久に変わらないものとして)理解、解釈、運用していく仕事であるため、法律の変化に慣れていない人種だ。しかし、私は日本国が所得倍増計画、高度経済成長、日本列島改造と成長・拡大の方向で変化していく中、都市計画法と都市法全体の変化と改革の重要性を学んだ。

2. 人間の寿命は?都市計画法制の寿命は?
日本は世界第2位の長寿国。その平均寿命は男性80.98歳、女性87.14歳だ。織田信長の時代(16世紀)に「人間50年」と言われていたことに比べれば隔世の感がある。しかも、今重視されているのは単なる寿命ではなく健康寿命(健康で生きられる寿命)のこと。ベッドで寝たきり、パイプでつながれての寿命は意味がない。そんな視点で考えれば、都市計画法制の「制度疲労」がよくわかる。

日本は戦後復興から高度経済成長路線をひた走り、オリンピックを成功させ、新幹線を走らせた。その中で、1968年の新都市計画法を軸とした「近代都市法」を完成させたが、その都市計画法制にも寿命があるわけだ。山崎貴監督の『ALWAYS』3部作や山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズに代表される「昭和の良き時代」は永遠に続くものではなく、1989年のバブル崩壊と共にそれは終わった。以降、「失われた10年」「失われた20年」が続き、30年間続いた「平成」も2019年3月に終わる。1968年には若さと活気にあふれ、燦然と輝いていた近代都市法も、50年を経た2018年の今は寿命が迫っているわけだ。

1868年の明治維新から50年後の1919年(大正8年)に旧都市計画法と市街地建築物法が制定され、はじめて日本の都市計画制度が確立された。そして、1968年の都市計画法はその50年後、NHK大河ドラマで『西郷どん』が放映されている明治150年にあたる2018年はさらにその50年後だ。こう考えると、50年毎に大きな区切り(寿命)があることがわかる。

そこで、都市計画法制の疲労を考える本稿では、次の私流の「4つの50年」を提示したい。

・1868年(明治維新)から1919年(旧都市計画法)までの50年=富国強兵、近代化、工業化の50年
・1919年(旧都市計画法)から1968年(昭和43年法=近代都市法)までの50年=大正・昭和の50年、敗戦と戦後復興から高度経済成長の50年
・1968年(昭和43年法)から2018年までの50年=近代都市法による成長からピークへ、そして挫折の50年=人口増の50年=昭和+平成の50年
・2018年以降の「??の50年」=少子高齢化による人口減の時代への未知への対応=コンパクトシティ建設、地方都市消滅の50年

ちなみに、中国では、2017年10月に開催された中国共産党第19回大会で習近平国家主席が唱えた中国の「2つの100年」がある。

・1922年の中国共産党結党からの100年=2022年。そこでは胡錦濤主席が「小康社会」を達成
・1949年の中華人民共和国建国からの100年=2049年。そこでは米国を超えた強国に(その中間目標を2035年に設定)(習近平はそこまでリーダーに)

中国での100年レベルの発想は興味深いが、日本では50年レベルの大きな(長期的)視点で、都市計画法制を考える必要がある。

第3 :制度疲労を起こしている都市法の分析とその改正の方向

1. 都市法の疲労(都市計画法制の限界)を指摘した中井論文
都市計画法制の制度疲労を指摘・分析し、改善の方向を示す意欲的な論文として、中井検裕氏の「現行都市計画制度の課題と改正試論」(『新世代法政策研究』第16号・2012年6月)に注目したい。同論文は、「もとより筆者は法律の専門家ではない。したがって本稿の試論も、法律の専門家から見れば慎重な議論を要する点も多々あろう。しかし都市計画制度の改正には、筆者のような都市計画技術を専門とする者と、法律を専門とする者の協働作業が不可欠である。」と謙遜しているが、これは逆に法律家に疲労という発想から都市法改善の必要性を指摘する人が少ないことを物語っている。

2. 中井論文が指摘する「2つの50年」
私が中井論文でまず注目したのは、①1919年法から1968年法までの50年、②1968年法から2018年までの50年の2つに分け、「1つの都市計画制度の寿命が約50年とすると、現行法から新たな制度への改正は2018年が1つの区切りとなる。そこで本稿では、2018年を念頭に置き、必要とされる新たな都市計画制度について試論を展開することとしたい。」としたこと。その前提で、中井論文は現行制度の課題を、「都市計画の範囲」、「分権と広域調整」、「長期未着手施設」、「開発と建築のコントロール」、の4点に整理して論旨を展開する。その要点は次のとおりで、私は全面的に賛成だ。

3. 中井論文にみる「新たな都市計画制度の試論」の要点
中井論文にみる「新たな都市計画制度の試論」の要点は、以下の5点に整理することができる。

1)マスタープラン
現行の2段階マスタープランを維持、修正

2)都市施設
① 自律的な計画更新の仕組みとしてのいわゆるPDCAの導入
② 整備済み施設も含めての内容の見直し
③ 既に整備された道路、公園、下水道などの膨大な社会資本ストックの維持管理への対応

3)土地利用規制
① 都市と農村はすでに事実上一体的なので、土地利用も一体的なコントロールが必要であり、対象地域を都市計画区域に限らず、国土全体に拡張すべき
② 将来的には全面的な授権法型への転換をにらみつつ、移行期の制度として、既に市街地として出来上がっている地域(既成市街地)と、森林や優良農地のように明らかに現在の土地利用を保全すべき地域については現行型の国の仕組みで対応し、残りの中間的な地域は、地域によって相当事情が異なるので基本的には自治体が条例でコントロールする仕組みを導入する
③ 現行土地利用規制は用途地域に代表されるゾーニングが基本となっているが、これに加えて、地区計画、さらには新たなイギリス型の計画許可制度を導入し、ゾーニングを徐々にこれらに置き換えていく
④ 時間軸に沿った土地利用規制としてのマネジメントの導入

4)事業制度
① いまだに正の開発利益があがる開発から、そうでない事業に利益を移転させるという考え方
② 緑地や農地の外部経済を取り込む考え方
③ 市民が総体として、負の開発利益を広く薄く平等に負担するという考え方

5)都市計画契約
イギリスの都市計画制度に規定されている106条計画義務を参考に構築。すなわち、建築協定や緑化協定のような法律に基づく協定を、自治体も含めて締結者になることができるイギリスのような形式に拡張する。

4. 中井論文の評価と坂和流コメント
本稿では中井論文の検討はしないが、改正の方向性はこれで十分だ。ただ、私のこれまでの実践(実戦?)から学んだ感覚として、次の3点をコメントしたい。

1)第1は、従来からお題目のように唱えられながらその実質・実態が不明瞭だった「住民参加」の実態分析の必要性とホンモノの地区計画の活用だ。大きくは、①大阪市における大阪都構想の住民投票の否決(2015年5月)、②イギリスの国民投票によるEU離脱の可決(2016年6月)、③スペインのカタルーニャ自治州の独立をめぐる住民投票の可決(2017年10月)とその後の混乱、等をみても、間接民主主義(代議制)を補完する有力な手法としての直接民主主義が容易に機能しないことが鮮明にされた。小さくは、①平成12年に都市計画法16条3項で地区計画等の申し出制度が創設されても、その活用例は少なかったうえ、②平成14年に21条の2で都市計画の提案制度が創設されても住民はそれを十分使いこなせず、一部企業が活用しているだけ、という情けない実態がある。

さらに1995年1月17日の阪神・淡路大震災を契機として、それまで10数件しかなかったまちづくり協議会が雨後の筍のように急速に100件以上に増え、かつ法定化・条例化され、それぞれ一定の役割を果たした。しかし、住民の結束状況や専門家の応援の程度等によってそのレベル差は顕著で、一部地域ではしっかりした提案や対案を示したが、一部では行政の言いなりになるだけの「御用まち協」も出現した。そもそも、まちづくりを日常的なテーマとした学習を経ていなければ、いきなり震災復興まちづくりを目指す提案をすることなど不可能なことは明白だ。

また、2011年3月11日の東日本大震災に伴う復興まちづくりはヒト・モノ・カネを総動員した高台移転と防潮堤建設がメインで、住民参加による「人が住み生活するためのあるべき復興まちづくり」とはほど遠い。これらは、18歳以上の若者に選挙権を与える等の「民主主義の拡大」にもかかわらず、投票率は概ね30%代という地方自治(の民主主義)の危機的状況と共通するものだ。

2)第2は、都市再生特別措置法を活用した東京都心部のまちづくりは大資本本位の超高層・大規模開発でOKだと容認したうえ、他方で、地方都市のコンパクトシティのあり方は江戸時代の藩のようなイメージが必要だし、そこではホンモノの「官with民」のまちづくりが必要だということだ。この前者には「大規模開発反対!」という「平和憲法を守れ!」と同じ種の「スローガン的民主主義」からの反論が予想されるが、後述する時代状況の中、あえて指摘しておきたい。

逆に後者は大多数が一致する方向性だが、問題はその仕掛け方だ。賃上げを核としたかつての労働運動も今や「労資対決」は消滅し、政府から資本への「3%の賃上げ要請」がなされ、経団連がそれを容認しようという時代状況の中、後述するコンパクトシティ建設をめぐる住民と資本そして官の調整に「対立」は不要だ。各種コンサルやコーディネーター、さらに私のようなまちづくり弁護士の活用も含めて、それぞれの立場からの本音をぶつけ合って調整し、あるべき「官with民」のまちづくりを目指したい。

3)ちなみに、去る1月21日に「自裁死」した西部邁氏は、自らの死を通して戦後の平和で安全そして豊かな日本国における「我々の生き方」を問う保守思想家だった。彼の大衆社会批判と(インチキ)知識人批判は現在の(かなり腐った)平和や民主主義に向けられていた。2月4日に投開票された沖縄県名護市長選挙での約2万票VS約1.6万票による新市長の誕生をみても、米国普天間飛行場の辺野古移転の賛否をはじめ、何が民意なのかの判断は難しい。「民意」は大切だが、「真の民意」を見定めるための知識とまっとうな議論を深めるテクニックを磨く必要がある。

第4:「人口減社会」に対応する新たな都市計画制度の構築

1. 人口増から人口減へ大転換
こうした制度疲労を起こした都市法改正の方向性は、今後、「立地適正化計画の充実」と「都市のスポンジ化対策」の2本柱に集約されるだろう。それはつまり、人口増から人口減の転換時代にどのように対応するのか、という問題でもある。

1919年法制定時の日本の総人口は約5,500万人(65歳以上の人口は5%強)だったが、1968年法制定時は1億人を突破した(前同7%弱)。そして、2016年は約1億2,600万人(前同27.3%)だが、2020年に1億2,400万人、2030年に1億1,600万人、2045年に1億200万人、2055年に9,100万人、2065年に8,100万人、2075年に7,000万人、2085年に6,100万人、2095年に5,300万人に減少していく。そんな人口増から人口減への時代の変化に対応した新たな都市計画制度の構築が今求められている。その最大のポイントは、現在進められているコンパクトシティ(都市再生特別措置法の立地適正化計画)だ。その方向は今後更に加速していくだろう。

2. 都市再生特別措置法の制定と改正
都市再生特別措置法の平成14年制定とその後の平成16年改正、平成17年改正、平成19年改正、平成21年改正、平成23年改正、平成24年改正の概要は表1のとおりだ。

表1

3. コンパクトシティ=立地適正化計画
更に同法の平成26年改正により、コンパクトシティの実現を目指す立地適正化計画制度が導入された(表2)。2018年3月9日現在、118市町が立地適正化計画を作成して公表している。

表2

4. 「都市のスポンジ化」を踏まえた都市法改正の方向
国土交通省・都市計画基本問題小委員会は、平成29年8月に中間とりまとめとして「『都市のスポンジ化』への対応」を公表した。「都市のスポンジ化」とは、「都市の内部において、空き地、空き家等の低未利用の空間が、小さな敷地単位で、時間的・空間的にランダム性をもって、相当程度の分量で発生する現象」だが、小委員会は、「コンパクトシティ政策をより一層強力に推進していく上で、都市のスポンジ化の現象の傾向や原因を分析し、正確に掴むことによって、有効な対処方策を精査することが可能となる」と認識し、その検討を最優先で進めた。本稿ではその内容に立ち入らないが、これは前記中井論文と一体のものと把握できる。

平成30年2月9日、政府は都市再生特別措置法等の更なる改正案を閣議決定した。これは、上記「中間とりまとめ」を集約したもので、そこでは、人口減少社会を迎えた我が国では、地方都市をはじめとした多くの都市において、空き地・空き家等の低未利用地が時間的・空間的にランダムに発生する「都市のスポンジ化」が進行し、生活利便性の低下、治安・景観の悪化、地域の魅力が失われる等の支障が生じているとの認識の上に、①低未利用地の集約等による利用の促進、②地域コミュニティによる身の回りの公共空間の創出、③都市機能のマネジメント等の施策を総合的に講じるものとしている(表3)。

表3 :(平成30年2月9日閣議決定)

第5 :拙著の特徴(成果)とその限界

1. 拙著の特徴とその目指したもの その1
最後に、参考文献として拙著の紹介をして終わりたい。

拙著の第1の特徴は、戦後の歴代内閣を中心とした時代区分の中で都市法(の変遷)を分析したこと。「第5章 成立した時代でわかる!まちづくり法のポイント」は、①1期 戦災復興と国土づくりの時代(1945~61年)、②第2期 池田内閣と高度経済成長の時代(1962~69年)、③第3期 田中角栄と日本列島改造の時代(1969~77年)、④第4期 三全総と低成長の時代(1977~83年)、⑤第5期 中曽根アーバン・ルネッサンスの時代(1984~93年)、⑥第6期 細川連立政権と復興まちづくりの時代(1993~96年)、⑦第7期 橋本五大改革と土地政策大転換の時代(1996~01年)、⑧第8期 小泉改革と都市再生の始まりの時代(2001~06年)、⑨第9期 混迷政治と政権交代の時代(2006~12年)、⑩第10期 安倍長期政権と新たな都市再生の時代(2012年~)、の10期に分類した。それをさらに大分類すると、表4のとおり3つの時代区分になる。

表4 :戦後の都市政策から見た3つの時代区分

「天皇陛下の生前退位」という一大イベントの中で、平成の時代が終わろうとしている今、1960年代の田中角栄総理のあり方、日本列島改造論の時代が懐かしく報道されているのが興味深い。また、6月に天安門事件、11月にベルリンの壁が崩壊した1989年の1月7日に昭和天皇が崩御したため、昭和64年(=1989年)はわずか7日間で終わった。これは、横山秀夫の原作を映画化して大ヒットした『64-ロクヨン』(16年)で象徴的に描かれているが、日本も1989年は「バブル崩壊」の年=大きな転換、変革の年になった。拙著でのこのような時代区分は、五十嵐『都市法』を真似ただけだが、同書の出版は87年であるため、中曽根民活以降の時代区分は私のオリジナルになっている。平成から次の元号に移行しようとしている今は安倍一強与党、野党多弱体制で安定しているかにみえるが、その未来はわからない。今後は、1993年の細川護煕の八頭立ての馬車連立内閣、2009年8月30日の民主党への政権交代のような事態は起きにくいだろうが、それもわからない。時の政権を握る内閣が代われば都市法も変わる。民主党への政権交代の中で日本は苦い経験をしたが、今後も歴代内閣と都市法との分析は続けなければならない。

2. 拙著の特徴とその目指したもの その2
拙著の第2の特徴は、第6章で、「人口減少・巨大災害時代のまちづくり法の展開」を分析したこと。本稿では「巨大災害時代のまちづくり法」に触れないが、第6章の①国土総合開発法から国土形成計画法への大転換、②人口減少と巨大災害を見据えた国土のグランドデザイン2050、③大都市のリノベーションを目指す大都市戦略、④「コンパクト+ネットワーク」型の国土形成計画、⑤都市再生特別措置法の制定、⑥都市再生特別措置法の再三の改正による新たな都市再生の展開、⑦立地適正化計画と特定用途誘導地区(都市再生特別措置法H26年改正)、⑧国際競争力・防災機能強化とコンパクトなまちづくり(都市再生特別措置法H28年改正)、⑨都市再生特別措置法の最新の全体像と各制度の進捗状況は、今やまちづくりのメインになっている。2022年の生産緑地制度の改正も含めて、今や都市法は大きく変容していることがわかるし、その実態分析が不可欠だ。

3. 拙著の限界
法律家とりわけ弁護士の仕事は後追いが多い。つまり、時代の変化を先取りし、それに先駆け的に対応していくのは不得手だ。そのため、拙著も第6章でその分析まではできたが、その限界(つまり制度疲労)は分析できていない。その意味で、本稿は拙著の補完としたい。

第6 :まとめ

制度の疲労自体は仕方がないから、それを前提として改正(健康化)の方向を模索しなければならない。また、人口減は必ずしも悪いことではない。それにマッチした都市計画制度をつくればいいだけだ。都市計画法制が疲労し、50年単位でその再構築が求められる中、前述した住民参加の中身の充実と自律した住民(市民、国民)の確立が不可欠だが、民主主義の形骸化、教育レベルの低下が深刻化している今、それは難問だ。若い世代の積極的で前向き、かつ内容の充実した議論が求められる。

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