がんばったで!40年 ナニワのオッチャン弁護士
              評論 ・コラム集
が出版されました!
                   (2013(平成25)年12月1日出版)
    
                          
◆1974年4月に大阪弁護士会に登録した私は、2014年3月末をもって弁護士生活40年間を過ごしたことになる。1967年4月に大阪大学法学部に入学した早々から学生運動に身を投じ、大学3回生の途中までは法学部の授業など見向きもしなかった私は、思うところあって21歳の誕生日である1970年1月26日に我妻榮『債権総論』を購入して司法試験の勉強を一人ぼっちで始めた。何の羅針盤もない中、一人で教材を探し、一人で勉強方法を工夫しながらの受験勉強だったが、学生運動時代に培った①ガリ版によるビラ執筆の訓練、②マイクを持ってのアジ演説の訓練のおかげ(?)で、1971年10月司法試験に合格することができた。この間、中野貞一郎先生の民事訴訟法の授業とゼミだけは出席したが、それ以外はすべて孤独の中での自己流の短期・集中型の受験勉強だった。しかし、勉強の仕方はどうであれ、試験に合格して第26期司法修習生になると、いきなり貧乏学生から国家公務員並みの給料をもらいながら2年間の司法修習を受ける身になれたのだから、そりゃすばらしいものだった。

◆2年間の司法修習の間は当然のように青年法律家協会(青法協)に入会するとともに、当時最大の社会問題であった公害問題に首を突っ込み、大阪での弁護修習の時は大阪国際空港公害訴訟の弁護団長を務めていた12期の故木村保男弁護士(堂島法律事務所)が指導教官だったこともあり、司法修習生の立場ながら弁護団活動のお手伝いをすることもできた。1974年4月に大阪弁護士会に登録した私は堂島法律事務所にイソ弁として入り、5年半の間、事務所事件はもとより大阪国際空港公害訴訟の弁護団活動にも一生懸命取り組んだ。またこの間、青法協大阪支部の事務局長も経験した。1979年7月に独立して坂和章平法律事務所を設立した私は、大阪国際空港公害訴訟の他、西淀川公害訴訟の弁護団にも参加。さらに、宮本憲一先生のお手伝いとして日本環境会議の事務局の役割も担った。そして、個人的に受任したはじめての大規模行政訴訟として1982年には大阪モノレール訴訟を受任した。さらに、1984年5月には大阪駅前第二ビル問題研究会に参加し、以降都市問題が私のライフワークとなった。

◆バブルの時代に突入した1980年代の私の弁護士活動は①一般民事事件、②破産管財事件、③交通事故事件の三本柱を中心に多忙を極めたが、1990年代には都市問題での活動も広がった。1992(平成4)年には阿倍野再開発訴訟で画期的な最高裁判決を獲得し、1995(平成7)年1月17日の阪神・淡路大震災後では芦屋中央地区まちづくり協議会の顧問弁護士としての活動を開始した。そして、1999年からは2年に一度、愛媛大学法文学部での「都市法政策」の集中講義を4回担当し、2001年にはその講義をまとめた『実況中継 まちづくりの法と政策』によって社団法人日本都市計画学会で「石川賞」を、社団法人日本不動産学会で「実務著作賞」を受賞した。さらに、2002(平成14)年からは、津山市中央街区第一種市街地再開発事業での賦課金をめぐる総会決議無効確認訴訟、破産申立など日本初の事例に取り組み、次々と新判例を獲得していった。

◆その間1988年12月には事務所の名称を坂和総合法律事務所に改称し、さらに2001年4月からは事務所を自社ビルである西天満コートビル3階に移転した。映画評論家としての活動を開始したのは、事務所移転とともに立ち上げたホームページの趣味のページに映画評論を掲載したのが契機である。2002年に『シネマルームⅠ』を出版すると、以降それが毎年の行事になるとともに、年間2、3冊に拡大し、2013年7月には計30冊に達することになった。そこで評論した映画の本数は約2500本にのぼっている。

◆私の出版物は膨大な数にのぼっているが、『がんばったで!31年 ナニワのオッチャン弁護士 評論・コラム集』(05年)は、弁護士生活31年の中で新聞や雑誌に掲載された私のコラムや評論をまとめたものである。同書のメインは、あくまで私のライフワークであるまちづくり、都市計画についてのコラム・評論(第1章)で、もう一つのテーマが、法曹界の話題や旅行そして私の大好きな映画ネタをまとめたものであった。そこからさらに弁護士生活9年が過ぎ、区切りの40年となった。そこで今回はそれを記念して『がんばったで!40年 ナニワのオッチャン弁護士 評論・コラム集』を出版することにした。

◆本書に収録したのは、第1編が『がんばったで!31年』以降の活動の中で新聞や雑誌に掲載された私のコラムや評論。そこでは、34回にわたる産経新聞掲載の映画評論と、111回にわたる大阪日日新聞掲載の映画評論が大きなウエイトを占めている。第2編は弁護士としての本業編だが、都市問題での活動はもとより、その他もユニークなものが多いと自負している。そして第3編は、事務所だより(第1号~第21号)に掲載したコラムや旅行記、交遊録である。これは、コートビルへの移転を契機として従来の年賀状、暑中見舞いのハガキに代えてつくり始めたものだが、そこには面白いニュースが満載。そこで、この際これも『がんばったで!40年』の中にまとめれば、と考えたわけだ。

◆『がんばったで!40年』は『がんばったで!31年』と同じように、頭から順序立てて読む必要はなく、まず目次を見て、これは面白そうだと思ったものからピックアップして頂ければ結構。とにかく身構えないで、気楽にコーヒーを飲みながら味わってもらいたい。そして、読者の皆様からたくさんのご意見やさまざまな視点からの批評を頂くことができれば、私にとって望外の幸せである。
                                             以 上