再び実況中継によせて

 坂和弁護士が、『実況中継 まちづくりの法と政策』のパートUを出すことになった。前著は、同氏が一九九九年愛媛大学で実施した集中講義「都市法政策」のテープをおこし、それをもとに編集したものであった。この本は、幸いに好評を博し、日本都市計画学会の「石川賞」および日本不動産学会の「実務著作賞」のダブル受賞の栄に浴した。それから二年後、愛媛大学では再び「都市法政策」を集中講義形式で行うことになり、今度も同弁護士に講義をお願いした。氏は、前回にもまして熱心に四日間の講義をして下さった。そして、講義のすべてをテープに録音し、それをおこしたのが、パートUたる本書というわけである。

 パートUということになると、えてして「柳の下のどじょう」とか「二番煎じ」という言葉が念頭に浮かぶけれども、本書は決してそのような類いのものではないと断言できる。なぜなら、新たに今日的テーマを中心に据え、講義内容も大幅にスケール・アップしているからである。今回の中心的テーマは「破綻する駅前再開発−再開発の行方」である。氏は、弁護士業の傍ら都市問題をライフワークとして研究しておられるが、そのそもそものとっかかりが再開発問題(大阪駅前および阿倍野再開発)であったことは、ご自身が述べておられる。この駅前再開発が、バブルの崩壊と時期を同じくして全国いたるところで暗礁に乗り上げ、にっちもさっちもいかなくなってきた。この問題を俎上に据え、その原因と発生のメカニズム、そして問題解決の処方箋を呈示しようというのが、今回の集中講義そして本書の目論見とみた。

 ところで、講義の一部を拝聴し、また本書のゲラを通読して感じたのは、いかにも実務家らしい問題の切り口と語り口である。それは、第一に、問題設定が自分の実体験から発想しているということである。われわれ研究者は、実態をよく知らず、ひたすら頭の中だけで考えているようなところがあるから、現実から離れて行ってしまうということがないとはいえない。その点、氏は、訴訟活動にたずさわったり、まちづくり協議会に参加したり、豊富な体験を持っているから、問題設定が上滑りすることがないのである。第二は、問題の絞り方であるが、これが徹頭徹尾実践的なのである。われわれ研究者は、「そもそも論」から出発し、遠回りしてなかなか問題のポイントに到達しない、というかポイントの論点に到達するころには消耗して、結局最後のほうはお座なりになってしまうということが往々にしてある。これに対して弁護士はじめ実務家は、事案への関心は一にかかって勝つか負けるか、あるいは別の方法でもって依頼者に満足を得させることができるかどうかにある。したがって、勝敗を分ける(と思われる)ポイントを抽出することに関心を集中する。無駄な努力を極力避けるのである。そして、第三に、絞られた問題の処理方法の提起も、これまた実践的である。もちろん氏の講義に理論的考察、歴史的考察がないというわけではない。これらへの目配りもおさおさ怠っていない。しかし氏が何より重視しているのは、焦眉の現実問題(たとえば駅前再開発の破綻) に対して小田原評定をくり返すのではなく、実現性のある解決策を提示し、当該問題に責任のある主体に決断を迫るということである。この問題解決の主体には、行政当局はもとより市民も含まれる。われわれ一般市民に対しても、単なる傍観者にとどまるのではなく、行動主体とならなければいけないと、氏はくり返し求めている。

 以上のような実務家の思考や問題処理方法の特徴については、最近のロースクール(法科大学院)の設置問題に関連して、私もこのところ弁護士さんたちとの接触が多くなって、感じる機会が多かった。坂和弁護士による「都市法政策」の講義も、このような特徴をいかんなく発揮しているのみならず、その中でも傑出した出来といえるだろう。

 ともあれ、本書はきわめて読みやすい本である。この点は太鼓判を押せる。法の側面からみた都市問題の概要を掴みたいという人には、格好の導入となろう。と同時に本講義は、狭い意味の都市問題だけでなく、小泉改革の成否や歴史の節目についての語りが加わるなど、いわば「坂和節」とでもいおうか、縦横の展開をみせている。このあたりになると、氏の考えに全面的に賛成とはいかないという人もいるかもしれない。しかしそのような重要な問題について賛否が分かれるのは、民主主義の社会では当然である。本書は、受講した学生諸君だけでなく、広く市民の皆さんにも考えるきっかけを提供する。そして質問があれば、是非氏にぶつけていただきたい。氏はディベートを歓迎するだろう。

二〇〇二(平成一四)年五月二七日
                            愛媛大学法文学部教授 矢野 達雄