レコード鑑賞とオーディオ


1.中学、高校時代

 この時代、レコードやオーディオ(ステレオ)は高価・高級なものでした。従って私には縁の無いものと考え、安物のラジオで我慢しており、またそれで充分満足していました。しかし、1歳上の兄が高校1年生頃から突如、オーディオとクラッシックのレコードに凝り始め、ガンガン鳴らし始めました。
 当時、私はそれをむしろ迷惑に感じ、よくケンカもしましたが、これによってクラッシック音楽への興味と知識は結構強いものになりました。


2.大学時代

 大学の下宿では、半分手づくりのステレオで、アルバイトで稼いだ小遣いで買ったスメタナの「わが祖国」など10数枚のレコード(LP)を何回も何回も聴きました。
 また、べートーベンの「運命」をカララン指揮のものとフルトベングラー指揮のもの、さらにブルーノ・ワルター指揮のものと聞き比べて、いっぱしの批評をしたりしました。また「新世界」「未完成」などのポピュラーなものはもとより、一般的なものはよく聴きました。
 最初だけ格好いいのがチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。第4楽章のメロディがきれいで覚えやすいのがブラームスの交響曲第1番、騒がしいけど何回聞いても引き込まれるのがベートーベンの交響曲第7番、等々、この当時のものはとにかく何回も何回も聞いているため、メロディが自然に出てくるくらい身体で覚えています。
 ショスターコーヴィチの交響曲第5番は、「ロシア革命と音楽」というテーマで大激論の対象にもなりました。


3.家庭教師のアルバイトのこと

 大学1回生の夏から家庭教師を始め、卒業するまでずっと1人の生徒(M君)を見てきました。弁護士になってからもずっとつき合いがあり、今でも時々食事をしたり飲みに行ったりしています。
 彼は結構、裕福な家庭の2人兄弟の長男で音楽が好きでした。当時はやっていたビートルズのレコードもたくさんもっていました。またクラッシックのレコードも、当時値段が高かったグラムフォンの新譜モノなど平気で買っていました。私はお金がなくてなかなか買えなかったので、彼の小遣いで買ったレコードを借りたりしてよく聞いていました。


4.弁護士になってから

 1974(昭和49)年、弁護士になって大阪弁護士会に登録。「堂島法律事務所」に入りました。この事務所は、私が修習生の時の弁護修習の指導弁護士であった、木村保男先生が同期の弁護士2人と共同経営している事務所でした。
 そこで修習している時、木村保男先生から、「坂和君、弁護士登録したら、うちの事務所にくるか?」と言われて、すぐに「ハイ。」と答えました。たったそれだけで、就職が決まったのです。

 1974(昭和49)年4月から、ピカピカのバッチを光らせながら、事務所の一般事件はもちろん、大阪国際空港弁護団の下準備など忙しい弁護士生活が始まりました。夏休みもとらず、ゴールデンウィークや連休は、大体空港弁護団の合宿と決まっており、長期休暇はおろか、2、3日の旅行も、1泊泊まりの旅行にも行ったことはないという状態でした。旅行といえば、毎年夏の事務所旅行だけでした。
 唯一、個人として旅行したのは、7月の月曜日か金曜日に、神戸地方裁判所洲本支部で事件が入っていたのにくっつけて、土、日曜日に家族で海水浴に行ったことだけです。堂島事務所に勤務していた約5年間、これ以外には、プライベートで旅行をしたことは1回もありません。

 しかし、堂島事務所には通称「ベンチャン」と呼ばれていた、事務能力抜群の男性事務員がおり、彼のオーディオ趣味、レコード鑑賞趣味、歌やギターの趣味が私と極めて似かよっていました。そのため、ベンチャンに教えてもらった日本橋の電気屋P店とレコード屋(堂島にあったW店)によく通いました。
 弁護士になれば、もらう給料は修習生時代と全く違います。また当時、個人事件での収入も少しずつ増えてきました。他方で、当時、私は酒をほとんど飲めなかったため、飲み屋通いなどは全くありませんでした。
 弁護士になって、仕事ばかりやっていて遊ぶ暇はなく、酒もあまり飲めないとなると、お金は自然にたまります。
 従って、ベンチャンと一緒にオーディオ屋に行って、「このスピーカー、いいなあ。」となると、「いくらや。」「10万円です。」「よっしゃ、そんなら買うわ。こっちのアンプも一緒に買うわ。」となります。

 当時、オーディオマニアのあこがれであったヤマハのアンプCA2000も購入しました。またプレイヤーは特注ものの重いヤツにデンオンのカートリッジをつけました。カセットデッキはダブルデッキの最高級のアカイの製品を、FMの受信機なども最高級のものを備えました。
 また、学生時代は、欲しいと思っても1枚、2500〜2800円という金額のためなかなか買えなかったレコードも、この時期になれば遠慮なく買えます。従って、レコード雑誌を見て、「これも、これも、またこれも」ということで、1回W堂に行ったら、10枚も20枚も買いました。
 当時、LPレコードを買った経験のある人はわかる筈ですが、レコードは重いのです。10枚ともなれば、紙袋が1枚ではダメで、2枚重ね。それを両手に持って、「メシ行こうか!」と言って「うどんすき」をよく食べにいったものです(今から考えると、それでも1人せいぜい3000円位の「豪遊」をしていたわけです)。

 こういう生活が続いたため、学生時代に集めていたレコードが10〜20枚であるのに対して、弁護士になるとLPレコードはみるみるうちに増えました。レコード収納のための棚を買い、それでも納まらなくって、スチールラックに入れ・・・と、どんどんコレクションは増えました。
 しかし、しかしです。せっかく一度にLPレコードを10枚、20枚と買っても、これを聞く暇がありません。たまに、日曜日に家で聞く位です。従って、この当時買ったレコードは、10枚のうち9枚は1回も針をおとしていないものばかりです。


5.最近は

 以降、今日までずっと仕事が忙しい生活が続いています。また、商品自体もLPレコードからCDへ。さらにそしてウォークマン全盛の時代へ。今はMDへ移行しました。どちらにしても、家でゆっくりレコード鑑賞をしながらブランデーを傾けてのんびりと・・・などという生活は、夢のまた夢です。また今はそういう生活を望んでいません。毎日の基本の仕事をこなしたうえで、フィットネスクラブに行って運動をして、映画を観て、時々は友人と食事をして、飲みに行って、カラオケを歌う、という生活に十分満足しています。

 2001(平成13)年4月、事務所をそれまでのアクセスビルから西天満コートビル3階に移しました。そしてこれに伴って、2001(平成13)年6月、さつき野の自宅を売却しました。従って、さつき野の自宅に置いていたオーディオ機器やLPレコードはすべてコートビルの4階に移しました。レコード1枚、1枚はそれぞれ思い出のあるものばかりです。
 弁護士の仕事をリタイヤすれば、コートビルでゆっくりと、自分で収集したLPレコードを1枚ずつゆっくり聴きたいなと、一方では考えています。しかし、他方で、そんな時は多分こないのではないかな、その方が自分にとって好ましいのではないかな、とも考えています。