カラオケ
〔私のカラオケについてのスタンス〕

1.幼児期
 歌は小さい時から好きでした。道後温泉に自転車で通う時、父親から聞いた「鉄道唱歌」、また、小さい時に父親が集めた「ソノシート」から聞いていた軍歌や歌謡曲など、いつも歌がそばにありました。


2.幼・小学校時代


 幼稚園・小学校時代、本当はピアノを弾きたかったのですが、ピアノなど当時はぜいたくの極致でした。そこで、バイオリンとか木琴、笛などを母親からマネごとのような形で教えられ、また学校では鼓笛隊の指揮をしたり、音楽に関することはなんでも好きでやっていました。
 小学4年生からはコーラス部に入り、「優秀なボーイソプラノ」(?)を誇り、小学校の団体での合唱コンクールにも出場しました(但し、いつも予選敗退)。


3.中学・高校時代

 中学・高校は受験校で、音楽をバカにする風潮が強かったため、それまで好きだった音楽の勉強は最低限しかしませんでした。今から考えると、これが残念でなりません。理論的なこともある程度までは勉強しましたが、それ以上は進みませんでした。
 しかし学校での勉強や大学の受験勉強については、私はいわゆる「ながら族」で、常にラジオを聴きながら勉強をしていました。
 当時のラジオ番組『全国歌謡ベストテン』をはじめ、夕方から晩のラジオの歌番組はいつも聴いていました。三橋美智也の『星屑の町』や橋幸夫の『白い制服』など、長期にわたってトップワンを飾った曲はよく覚えています(当時はFMはまだありませんでした)。また日曜日は『ロッテ歌のアルバム』(玉置宏の名司会)で当時の橋幸夫、舟木一夫をはじめ西郷輝彦、三田明など歴代御三家の歌などをいつも聴いていました。


4.大学時代


 1967(昭和42)年に大学に入学しましたが、当時はフォーク全盛の時代でした。高校時代にも、ウクレレやギタ−などを少し練習していましたので、すぐにギターを購入し、フォークの歌ばかり下宿に集まってやっていました(彼女と2人で・・・というのも時々ありました)。
 当時は、『ABCヤングリクエスト』(いわゆるヤンリク)の時代で、夜の11時から明け方3時頃までいつも聴いていました。従って、歌は、ナツメロ、軍歌からフォーク、演歌、GSなんでもよく知っているし、好きです。黛ジュンの『天使の誘惑』がレコード大賞をとった1968(昭和43)年、彼女のバラードの名曲『夕月』をギターで弾きながら、よく歌ったことを覚えています。
 この当時の歌は2、3回聴けばすぐに覚えられました。


5.司法試験受験〜弁護士登録

 司法試験の受験勉強をしていた1973〜1974(昭和48〜49)年だけは、歌を全く知りません。それだけ司法試験の勉強に没頭していた訳です。本当に全く歌を知りません。修習生の時代も、弁護士になるに向けての青法協(青年法律家協会)の活動などが忙しく、あまり歌には興味はありませんでした。弁護士になってからも、事務所の事件処理、大阪空港弁護団、西淀川弁護団などで忙しく、また当時は酒も弱くて飲みに行くのも好きではなかったし、またカラオケもあまりなかったので、歌っていませんでした。


6.事務所開設

 しかし1979年(昭和54年)に独立して、自分の事務所を構えてからは、時々、自分で仲間や若い連中を連れて飲みにいくようになりました。またカラオケを置く店も多くなりました。このため次第にカラオケで歌うチャンスが多くなり、歌をどんどん覚えていきました。
 カラオケの定番曲や、当時の新曲を若い人たちが歌うのを聞いて、これらを次々とマスターしていきました。

7.近年

 今から10年前頃の1990年代は、自分でもよくCDを買って覚えました。特にゴルフに行くようになってからは車の中でこれを聴き覚えました。CDはこの頃は全部自分で買っていましたが、たまる一方なので、最近は自分で買うのをやめて、友人や飲み屋の女の子にテープ、CD、MDを頼んで録音してもらっています。それを車の中はもちろん、新幹線での出張の時やフィットネスクラブでのランニングの時にウォークマンやMDで聴いて覚えています。
 最近は、パソコンで歌詞カードがすぐにプリントアウトできるため、それを見ながら覚えています。
 ZARD 安室奈美恵、スピード、宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、小柳ゆき、倉木麻衣、モー娘、矢井田瞳、kiroro、hitomi、鬼束ちひろからUA、Misia、つんく、スピッツ、KinKi Kids・・まで何でも好きです(B'zとMr.Childrenは苦手)。傾向としては女性歌手のバラードに好きなものが多いようです。


8 坂和流「カラオケ点数当てゲーム」大会

 忘年会とか親しい友達が集まった時によくやるのが、「坂和流カラオケ点数当てゲーム大会」です。これは、
   @歌う毎に点数の表示されるカラオケ装置が不可欠。
   Aコインを準備し、1人20〜30枚ずつ持つ。また、自分の名前を書いたメモ用紙を
    20〜30枚持つ。そして、まん中に大きなお皿を用意する。
   B1人ずつ順番に歌う。
   C参加者は、その人が歌い終わる前に、メモ用紙に、その人の歌の予想される点数を
    書き、これをコイン1枚と一緒に、お皿に入れる。
   Dカラオケに点数が発表されると、参加者のうち、その点数に最も近い人がコインをも
    らう(ニヤピン賞)(同点の場合は分ける)。 
   E別にジャスト賞を設け、ピッタリの点数を当てた人には、参加者がコインをもう1枚渡
    す。

というル−ルです。 
 このル−ルのいいところは、歌がうまく、高い点数の出る人が勝つとは限らないため、誰でも参加できることです。是非、皆さん1度やってみて下さい。最初はとまどいますが、カラオケの点数の出し方や、各人の歌の歌い方のクセや傾向を、それぞれがつかんでくるため、参加者がひと回り歌い終わる頃には、1点、2点を争う接戦となってきます。更には、わざわざ間違えて歌ったり、変に音程を狂わせたりする「テクニック」も身につけてきます。
 そうすると、歌をラストまで歌っていると、曲の回りが遅くなので、「1番だけで打ち切って勝負!」「ハイ、また次の人!」という形で、夢中になることうけあいです。


9.ハングル語の歌との出会い

 1995(平成7)年頃、友人のY氏らと韓国のソウルへゴルフ旅行をしました。Y氏は韓国女性と結婚し、ハングルの歌ばかりを歌うのですが、彼から、私が好きなハングルの曲のテープをもらい、またハングル文字とカタカナで歌詞を書いてもらって、ゴルフに向かう車の中で聴いて覚えました。
 覚えたのは名曲ばかりです。なかでも以下の曲はバッチリです。チャンスがあれば是非聴いて下さい。

 「エモ(愛慕)」(キムスヒ)
 「ナムハムニダ」(あんまりです)(キムスヒ)
 「アパトウ(アパート)」(尹秀一)
 「サラン(愛)」、「ムシロ」、「カルムリ」(羅勲児=ナフナ)
 「ネマウムタンシンキョトゥロ(流されて)」(民恵京)


 このようにとにかく歌は何でも好きで、また覚えるためには、真面目にあらゆる努力をしています。
 そして、古いものから新しいものまで何でも覚えています。コンサートに行くのも大好きです。BSで最近やっているコンサートは大体観ています。先日(2001(平成13)年8月末)、フィットネスで運動しながらテレビで観た、「ヤイコ」こと矢井田瞳の横浜アリーナでのコンサートは感激しました。

 私の努力の結晶は、得意曲一覧表をご覧下さい。
 なおこれはホンの一例であることをお忘れなく!
                          得意曲一覧表
                                 2001年9月記
                                 2001年10月記