ミュ−ジカル、演劇、落語会について


〔ミュージカル・演劇〕

1.中学・高校時代

 中学、高校時代は本物のミュ−ジカルや演劇を観るチャンスはありませんでしたが、映画でのミュ−ジカルは覚えやすくて、きれいな音楽が多く、大好きでした。
 最初に感動したものは何といっても、あの『ウェストサイドストーリー』。レナード・バーンスタイン作曲の何とも刺激的な音楽、そして対立するシャーク団とジェット団の集団的ダンス、ジョージ・チャキリスも格好よかったし、あの時のナタリーウッドは本当にきれいでした。
 ナタリーウッドがリチャードベイマーと歌う『Tonight』や集団的ヴォーカルの『アメリカ』などはLPレコードで何回も聴いて今でも完全に耳に残っています。
 またサウンド オブ ミュ−ジックの『サウンド オブ ミュ−ジック』、『ドレミの歌』、『エ−デルワイス』、『私は17才』などもLPレコードを何回も聴いて、英語で覚えました。
 また、オードリー・ヘップバ−ンの『マイ フェア レディ』やジュリ−アンドリュ−スの『メリ−ポピンズ』、そしてもっと昔の『南太平洋』や『王様と私』など、歌と踊りとスト−リ−が微妙に合体したミュ−ジカルは大好きで、いつか本物を観たいと思っていました。
 大学時代は値段が高すぎて、本場の劇場でメジャ−のものを観るチャンスはなかったものの、マイナ−な演劇はいくつか観ました。ちょっと思想がかったものが多かったですが・・・。


2.弁護士になってから


 弁護士になってからは,お金のゆとりができたため、1回1万円前後という料金を気にすることなく、その時々のミュ−ジカルや演劇を観ました。
 中でも強烈だったのは、今から約15年前に、大阪駅前のキャッツ・シアタ−で最初に観た『キャッツ』。その歌と踊りの華やかさ、そして『メモリ−』のメロディ−の美しさに感動しました。『キャッツ』は日本で3回と、1988(昭和63)年にヨ−ロッパへ都市問題の視察旅行に出かけた際、オランダでも観ました。
 大好きで3回も観たミュ−ジカルが『レ・ミセラブル』です。この中で、フランス革命を目指して何回も歌われる行進曲風の歌は、自然に口ずさむようになりました。野口五郎もカッコよかったですね。

 また1999(平成11)年7月に観た『ライオンキング』では、舞台だけではなく客席からも登場してくるキリン、シマウマ、チ−タなどの動物たちに、どぎもを抜かれました。スト−リ−はわりと単純なものでしたが、ハイエナをはじめとする動物たちの精巧な小道具や衣装には本当に感心しました。
 さらに 大阪城ホ−ルで2回観たアイリッシュダンスの『ロード・オブ・ザ・ダンス』。上半身を使わず、タップだけで踊るダンスのすごさとバイオリンを弾きながら踊り回る姿に本当に感動し、これはもう興奮のるつぼとなりました。
 日本と中国の微妙な関係を描いた『李香蘭』も大好きで2回観ました。

 また「劉備玄徳は女であった」、という大胆な仮説の下に、劉備玄徳と関羽との恋を基調として『三国志』を描いた、ス−パ−歌舞伎の『新・三国志』は、はじめて観た時、全く歌舞伎とは思えず、そのミュ−ジカルと同様の楽しさにびっくりし、たちまちそのファンになりました。「宙づり」が最大の売り物ですが、別にそれだけではなく、中国の京劇団のものすごい立ち回りや、水しぶきをあびての関羽の息子「関平」の斗いぶりなどにも感動しました。劉備玄徳亡き後の、諸葛孔明が、蜀の国と劉備の息子劉禅を守り、最後、五丈原で死ぬまでを描くス−パ−歌舞伎の「新・三国志IIー孔明篇」は近々観る予定です。楽しみでワクワクしています。


3、東京でも


 昔、東京の帝国劇場でやっていた『ミス・サイゴン』(本田美奈子が出ていたやつ)は観たかったけれど、結局観るチャンスがありませんでしたが、劇団四季が『李香蘭』に続いて発表する『異国の丘』は、2001(平成13)年10月から東京で初上演されます。
 ちょうど2001(平成13)年11月19日の月曜日の朝10時から、東京でコ−ディネ−タ−協会の第3回有識者懇談会の会議が入っているため、前日の18日の日曜日、東京の四季劇場でこれを観ることとし、チケットを買いました。
 よくしたもので、これを決めたあと、コ−ディネ−タ−協会の有識者懇談会のメンバ−の一人から電話があり、「1度東京にきた時、時間をみつけて食事でも・・」と誘われましたので、ちょうどミュ−ジカルを見終わったあと、食事をする予定もバッチリと決まりました。そして何とこの日は『異国の丘』の最終日千秋楽です。


〔落語会〕

1.桂小春さんとの出会い

 人物交遊録で書いたように、1995(平成7)年の阪神大震災の後、震災復興まちづくりのため私が「まちづくり協議会」の顧問となって活動した芦屋の西法寺の上原照子副住職の紹介で桂小春(現・桂小春団治)さんと出会いました。
 さらに1997年(平成9)年2月26日小春さんの後援会としての「コハリストクラブ」発足のパーティーが、そして1997(平成9)年4月12日に小春さんの第1回独演会が開かれました。
 これらのつき合いの中で、次第に交友が広がりました。
 そして以降
 @ 毎年9月の第1土曜、日曜に大阪の生國魂(いくたま)神社で行われる「彦八まつり」
 A 年1回の小春さんの独演会
 B その他もろもろの落語会
への出席とチケット販売が続いています。
 さらに特筆すべきは
 @ 1998(平成10)年4月28日および30日のサンケイ新聞夕刊での交友録の掲載と
 A 1999(平成11)年4月23日の三代目桂小春団治への襲名披露落語会
の2つです。
 毎年のいろんな落語会に向けてのうちあわせやその後のうちあげでの飲み会・カラオケなども定着しています。


2.交友の広がり

 小春さんの落語会のファンは多く、愛光学園同窓会関西支部でも2000(平成12)年7月と2001(平成13)年5月の2回、小春さんを呼んで、ミニ落語会を開催しました。
 また小春さんがはじめてチャレンジした2000(平成12)年8月の「エジンバラフェスティバル」では壮行落語会と報告会が開かれました。今年2001(平成13)年はエジンバラから更にヨ−ロッパへとその活動を拡大しています。
 そのエネルギ−と何でもやってやろうというチヤレンジ精神はものすごいもので、これからも小春さんの落語会はどんどん応援していくし、できるだけ出席するつもりです。
 来年はエジンバラにも行きたいなあと考えています。