第2 ゴルフ


1.ゴルフに対するスタンス

 弁護士になってからも、基本的には仕事人間であり、ゴルフは特に好きではありませんでした。また仕事優先の生活で運動不足による体力低下のため、ゴルフに行ってもしんどいばかりで、楽しくなく、イヤイヤながらお付き合いで出かける程度でした。
 @運動不足、A過重な仕事、B食事のとり過ぎ、という、「三悪」により、体重が毎年増加して、70kgを超えるようになりました。
 また、1985(昭和60)年(36才)頃から高血圧や不整脈の症状が現れはじめ、薬を飲むようになりました。そのため、運動の必要性を実感し、1990(平成2)年3月に南海サウスタワーホテルのフィットネスクラブ(ソサエティ21クラブ)に入会し、少しずつ運動をはじめました。これにより歩くことが嫌でなくなり、ゴルフも楽しくなりはじめて、1995(平成7)年頃からは、よくゴルフにも行くようになりました。

 1995(平成7)年頃からは、週1回のペースで毎年40回から50回位行くようになりました。また、土・日は宿泊し、連チャンで行くようにもなりました。
 しかし、練習は嫌いで、あくまで自己流のゴルフに終始したためスコアはのびず、スコアはせいぜいハーフ45〜50程度でした。
 またフォームもバラバラで格好悪く、ハンディは20〜25程度を推移していました。私の持ち球は、フェードボールとはとてもいえませんが、スライスボールとまではひどくなく、「バナナボール」といわれています。


2.ホールインワン達成!

 1998(平成10)年1月4日、富士スタジアムゴルフ倶楽部にて初めてホールインワンを達成しました。そして、1998(平成10)年3月28日、ホールインワン記念コンペを開催し、同時に富士スタジアムゴルフ倶楽部のメンバーとなりました(ホールインワン達成の報告とホールインワンコンペのご案内は別掲)。     報告書・案内状

 この時の私の挨拶は次のようなものでした。すなわち、私はゴルフへのスタンスを3通りに分類しています。
 第1は、「サラリーマンゴルフ」。これは、せいぜい月1回のゴルフのくせに、「俺はタイガーウッズの打ち方を覚えたよ」とか「ドロー球を打つには手首をこう返して....」とか講釈ばかりたれて、「やっぱりダメだった」と「反省」しながら、それ自体を楽しんでいる、罪のないゴルフ。

 第2は、「ゴルフ道追求のゴルフ」。これはもう毎週3〜4回は打球場に通い、車の中はいろいろなクラブがいっぱい。常にゴルフ雑誌を読んで研究し、あくまで向上心をもってゴルフに取り組んでいる人。

 そして、第3は、下手は下手なりに適切なハンディ設定のうえで、ゴルフでの勝ち負けにこだわる勝負型。これは勝負がかかっているため、ムリな勝負はせず、常に安全に勝ちを求めてスコアにこだわっていく、私流のもの、名づけて「セコセコゴルフ」です。

 この3通りのゴルフのパターンに分類した上、私は今後も練習などには行かず、あくまで「セコセコゴルフ」に徹することを宣言したのです。そしてその宣言通り、今も「セコセコゴルフ」に徹しています。


3.私がよく行ったゴルフ場

(1)法隆寺カントリークラブ
 私は、法隆寺に住んでいた時の1986(昭和61)年6月、家からすぐ車で10分程で行ける「法隆寺カントリークラブ」へ入会しました。ここでは、地元の町長やロータリークラブの友人などが入っている「いかるが会」というゴルフ同好のクラブがあったため、そこへの入会を勧められたことがきっかけとなりました。ここは、自宅から近かったのでよく利用しました。また、いかるが会へも大体出席していました。しかし、1990(平成2)年に、法隆寺からさつき野へ住居を移転してからは行くことがほとんどなくなりました。

(2)月ヶ瀬カントリークラブ
 ここは「西名阪沿い」にあり、法隆寺インターから1時間弱で、いけます。そして梅のきれいなところです。梅狩りなども含めて何回か行きました。

(3)白山ヴィレッジゴルフ倶楽部
 これは三重県の榊原温泉にある宿泊施設や室内プールなどのレジャー施設が充実している、いわゆるリゾート型のゴルフ場です。1990(平成2)年に入会しましたが、以後、連チャンゴルフなどでよく利用しました。
 また、事務所旅行などでも数回利用したし、ファミリーや友人同士でもよく利用しました。今も、何かのイベントの時は、利用しています。

(4)グロワールゴルフ倶楽部(旧かつらぎCC)
 これは大阪の南部、千早赤坂村にあるゴルフ場。松原市方面の多くの友人がよく利用していたので、よく一緒に行きました。

(5)花屋敷ゴルフ倶楽部 
 ここは顧問会社の役員が何名か入会していたので、バブルの前からよく連れて行ってもらっていました。当時は、高嶺の花だったのですが、1995(平成7)年の阪神大震災後、入会しました。このゴルフ場は、よく利用しています。

(6)富士スタジアムゴルフ倶楽部
 1998(平成10)年1月4日、ホールインワンを達成し、ホールインワンコンペを開催したというお付き合いの中で、入会し、その後もよく利用しています。
 社長や支配人とは、仕事上及び個人的な付き合いもあり、カラオケ合戦も数回ご一緒させていただいています。  


4 「ゴルフ尾崎兄弟・飯合に挑戦」に出場〜1999(平成11)年7月14日(水)
                                      写真
             
 1999(平成10)年1月4日、ホ-ルインワンを達成した私は、その富士スタジアムゴルフクラブ南コ−スで3月28日ホ-ルインワンコンペを開催.。そしてそのまま富士スタジアムのメンバ−となりました。
 そんな縁で、翌年の2001年7月14日、富士スタジアム北コ−スでビデオ収録される「ゴルフ尾崎兄弟・飯合に挑戦」に出場してください、との連絡が支配人から入りました。
 「ゴルフ尾崎兄弟・飯合に挑戦」の番組は時々見ていましたが、出演者は素人ながら概ねうまい人が多い。時々下手な人も出ているものの、全国放送のテレビで、私の格好悪いゴルフを見せるのもどうかな・・と思い、かなり迷いました。しかし、「上手下手は関係ない」、「楽しんでもらえたらいいから」、との勧誘に乗って、結局OKしてしまいました。

 飯合プロらは、13日に南コ−スをプレイして4組分(1ケ月分)収録して宿泊。そして翌14日北コ−スをプレイして4組分(1ケ月分)を収録するという日程です。つまり、あの番組では、飯合プロは「1週間のごぶさた・・」のような言い方をしていますが、実は同じ日に3ホ−ルずつ4ケ月分を回って、1ケ月分のまとめ録りをする訳です。
 私のパ−ティ−は飯合プロと私の他、N氏とS氏の2人。N氏はシングルの人でハンディは3。S氏は公認会計士でハンディは18の人。
 朝、ゴルフ場のレストランで顔合わせの後、順番が発表され、私たちのグル−プは4番目と決まりました。従って飯合プロが3組分を回り終わった後、私たちが16番17番18番の3ホ−ルでプロに挑戦することになりました。従って、打ち合わせ終了後、私たちはこの3つのホ−ルだけで練習をしながら順番待ちをしました。

 そしていよいよ本番、テレビカメラが回る中での16番ミドルホ−ルのティショット、すごい緊張感です。トップバッタ−のS氏は緊張のためかティショットをヘマ。 しかし2番目の私は自分なりにベストに近いティショットを打てました。
 17番、197ヤ−ドのショ−トホ−ルは、グリ−ン手前が大きな池、グリ−ンの奥はバンカ−。私の腕では、ドライバ−を目いっぱい振ってベストショットすれば、やっと池を越えるという、「弱い者泣かせ」のホ−ルです。そして私のドライバ−ショットはこれもベスト。しかし、ちょっと方向が右にずれたため、池を越えず、残念ながら数メ−トルの不足で池ポチャ。池手前からの打ち直しはナイスオンしたものの涙を飲みました。
 18番ミドルホ−ルも適当に失敗しながら、自分なりにはまぁこんなもの。
 3ホ−ルでの勝負は、結局、飯合プロの勝ちとなりましたが、下手は下手なりに、カメラを意識しながら十分楽しむことができました。
 もっとも、後で送られてきたビデオで、改めて自分のフォ−ムを見ると、何と不細工な!と思いますが・・。

 3ホ−ル終了後は、恒例の「コングに挑戦 一発勝負」です。これは、グリ−ン回りで飯合プロが適当に一発勝負のやり方を決め、挑戦者のアマチュアがプロに勝てば、「名誉」の他、伊東温泉のホテル宿泊券をペア−でもらえるというものです。
 18番ホ−ルのグリ−ン回りでの一発勝負は、バンカ−横の深いラフから、打ち上げのアプロ−チでのニアピン勝負です。グリ−ンのかなり手前に切ってあるピンに向けて、フワ−とした、やわらかい球を打たなければ、球はとまらず、ピンに絡ませることはできません。
 1番手のS氏はカチンとあててしまって大失敗。さあ2番手が私です。飛距離のない私は、もともとグリ−ン回りの小細工でスコアを稼いできたタイプ。その「ごまかしのテクニック」が私のゴルフの生命線です。緊張しながらも、そこは百戦錬磨(?)の実戦派(?)。得意のピッチングウェッジにうまくあたり、小手先で「しゃくった」ような変なスイングながらも、ボ−ルはグリ−ンギリギリの地点にフワ−と着地。
 飯合プロはじめ、みんなが「ああ、これはいいぞ!」「ベスト、ベスト!」とはやしたてます。打ち上げなのでピンは目で見えませんが、ベストアプロ−チの感覚があった私は、かけ足でホ−ルの見えるところまで。すると・・・。何と私のボ−ルは、ピン横約1mの地点にあったのです。これはひょっとしたら、プロに勝てるかも・・、の期待が広がりました。
 続くN氏もさすがにいいアプロ−チでしたが、ピン奥約2m。最後に飯合プロ。これもさすがプロ!というきれいなスイングで、ボ−ルはフワ−とグリ−ンにのりましたが、少し転がりすぎて、ピンから約1、5mのところへ。誰の目にも坂和ボ−ルが1番近いことがわかります。そして、飯合プロが「参りました!」と帽子をとって私に最敬礼することになったのです。
 予想もしなかった「ハプニング」が、この「コングに挑戦 一発勝負」のコ−ナ−でおこったのでした。

 後日、この「ゴルフ尾崎兄弟・飯合に挑戦」のビデオが送られてきました。2001(平成13)年4月14日の事務所移転の披露パ−ティ−では、皆様にこのビデオを楽しんでもらいました。皆一様に私のフォ−ムの悪さについて、言いたいことを言いたてていましたが、「コングに挑戦 一発勝負」での私のみごとな(?)勝利の姿を見ると、誉めざるをえませんので、「さすが実戦派!」、「勝負強い!」とちょっと斜に構えた誉め言葉を並べてくれました。私としてはそれだけで十分満足です。
 とにかく緊張しましたが、楽しいビデオ収録ゴルフの一日でした。

5.ゴルフについての考え方 その1(1992年頃〜2001年頃)


 1992(平成4)年頃から、別記のようにフィットネスクラブに入って運動を始めてから、ゴルフで歩くのがしんどくなくなって、楽しくなり、回数が増えました。その頃は全部日にちとスコア、同伴者をメモしています。ちなみに、年間毎のゴルフの回数をまとめると次のようになります。

@1995(平成7)年       68回
A1996(平成8)年       64回
B1997(平成9)年       49回
C1998(平成10)年      46回
D1999(平成11)年      34回
E2000(平成12)年      16回
F2001(平成13)年      10回 (9月現在)
 
 このように2000(平成12)年からは回数がガクンと減っています。これは、フィットネスクラブの項で述べているとおり、映画のウェイトが増え、日曜日はゴルフに行って1日つぶすよりも、朝からフィットネスクラブに行って運動し、夕方、映画館に行くというパターンが増え、この方が時間が有効に使え、かつ運動量も多いと思うようになったためです。したがって2000年〜2001年頃は、ゴルフは親しい友人や依頼者との月1回程度のものになりました。

6.ゴルフについての考え方 その2(2001年頃〜2012年頃)
 2001年4月に事務所をコートビルに移転、さらに2002年8月に自宅を朝日プラザに移転しました。法隆寺やさつき野に住んでいた時代は自宅から事務所への車通勤が習慣になっていましたが、自宅と事務所が隣接したため、車はほとんど使わなくなり自転車がメインになりました。しばらくはコートビルに車を置いていましたが、全然使わないため、2003年10月これを売却処分したため以降自転車のみの生活になりました。そういう生活スタイルの変更もあってますますプライベートではゴルフに行かなくなりました。
 もっとも顧問会社の大きなゴルフコンペなどには車に乗せてもらって参加していました。また、顧問会社の関係で東京や千葉、軽井沢などのゴルフ場に年1、2回行くようになりました。さらに羽佐間正雄さん主催のゴルフコンペ(毎年千葉県市原市のキングフィールズゴルフクラブで開催)に2006年から参加しています。2008年頃からはホントに年1、2回のゴルフになりました。

7.年1、2回でもスコアは大同小異
 しゃかりきにゴルフ場に通っていた1995年〜1999年頃のスコアは、良い時で90〜92、悪い時で100〜105、平均95〜97というところでした。それに対して、年数回のゴルフになってもスコアは100〜110、時として100を切ることもありました。年1、2回のゴルフになると、ホントに1年ぶりでクラブを取り出してスタートホールに立つこともありましたが、それでも何とかなるから不思議なものです。羽佐間正雄さんのコンペはプロゴルファー、野球選手らの有名人を含む100名以上が参加する大コンペですが、2011年10月31日のコンペでは1年ぶりに振ったクラブで見事ニアピン賞を獲得という離れワザも。ホントにゴルフとは不思議なスポーツで、年1、2回でもスコアは大同小異!