第10 太宰府天満宮・定遠館視察旅行
                
  2010(平成22)年3月2日〜3日


視察旅行の動機]
1.あなたは清国北洋艦隊の旗艦、定遠を知ってる?満載排水量7333トン、全長94.5m、全幅18.4mの大きさ、そして305mmの主砲、150mmの副砲、57mmの速射機関砲を備えた定遠は、2009年11〜12月に放映されたNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』でも、秋山真之らがその威容にビックリするシーンの中で登場した。もっとも、定遠の主砲に洗濯物を干している姿を見て、東郷平八郎が「艦は立派だが、兵の士気は低い」と見抜いたのはさすが。定遠は日清戦争(1894〜95年)の黄海海戦後威海衛で防備に当たっていたが、1895年2月5日雷撃を受けて擱座。砲台として戦闘を継続したが、陸上からの攻撃を受け損傷。日本軍による捕獲を避けるため自沈することになった。

2.海の底に沈んだ定遠の備品を引き揚げ、太宰府天満宮に定遠館をつくったのは、元福岡藩士の小野隆助。その詳細は『太宰府天満宮の定遠館 遠の朝廷から日清戦争まで』(浦辺登著・2009年・弦書房)に詳しいが、現在の定遠館には門扉の装甲板や桁として使用しているボートのオールなどが残っているらしい。そんな話を聞いたのは、09年の忘年会の時。話を切り出したのは、私の『取景中国』をプロデュースしてくれた毛丹青さん。09年11月に毛さんは新華僑新聞の薩蘇さんと一緒に福岡の太宰府天満宮にある定遠記念館を見学したが、他方威海には定遠艦景区がある。定遠艦景区は、2004年に5000万元(約70億円)をかけて建造された定遠号を中心としたテーマパークで、年間60万人の観光客が訪れる大施設だ。

3.薩さんが太宰府天満宮の定遠記念館のことを威海北洋水師旅遊発展有限公司の社長である姜培旗さん宛ての手紙に書いたところ、姜培旗さんからは是非威海にある定遠艦景区の見学に来てもらいたい旨の回答が来た。そのため、大連での毛さんとの合同講演会の他、威海の定遠艦景区見学を目的とした大連・威海・青島旅行の日程が急速に現実化してきた。威海の定遠艦景区の見学をより意義あるものにするためには、私もしっかり福岡の太宰府天満宮を見学しておかなくちゃ。

4.そこで決定したのが、丸1日かけての太宰府天満宮の視察。日帰りでも可能だが、せっかくだから、3月2日、3日と一泊泊まりで行くことに。

[1日目]・・・3月2日(火曜日)
1 のぞみ35 新大阪(16:45)→博多(19:13)

2 夕食 やき鳥一升(20:30〜22:00)
 ある顧問会社の福岡支店の人から、博多駅の近くでおいしくて安い店をいくつか紹介してもらっていたが、その中でも一番安くておいしいと紹介された「やき鳥一升」で夕食。ホントに安くておいしかったので、大満足。

3 博多グリーンホテル宿泊、シャワー・就寝
 駅から徒歩1分の超便利なビジネスホテル「博多グリーンホテル」で一泊。

[2日目]・・・3月3日(水)
                                写真2ー@〜33

1 起床、朝食
 7時30分起床。近くのモスバーガーで朝食。

2 JR博多駅(9:19)→JR二日市駅(9:30着)。タクシーで西鉄太宰府駅
  へ(10:00着)。
  観光案内所でパンフレットなどをもらった後、参道を約10分間歩いて
  定遠館(昭和玉手箱)へ


3 定遠館(昭和玉手箱)見学(10:10〜11:00)
(1)観光案内所でもらった「門前町ご案内図」を見ると、西鉄太宰府駅から参道を約10分まっすぐ東へ進むと、正面に総合案内所があり、そのすぐ前に「東風吹かばの碑」がある。その左側に太宰府天満宮の本殿があり、その周辺には菅公歴史館や宝物殿などがある。しかして、定遠館はどこに?
 それは、案内図ではNO88「昭和玉手箱/定遠館」と表示されている。総合案内所の前を本殿方向とは逆の右側(南側)に曲がり、約20〜30m進むと「昭和玉手箱/定遠館」があった。写真2−@は西鉄太宰府駅前、写真2−Aは参道、写真2−Bは太宰府天満宮本殿入口、そして写真2−Cが総合案内所前にあった「昭和玉手箱/定遠館」の立て看板だ。

(2)定遠館の入口には「定遠館 昭和玉手箱」の看板があり(写真2−D、E)、一歩中に入ると「明治28年2月、日清戦争の威海衛の海戦で、連合艦隊が大破自沈させた清国北洋艦隊旗艦『定遠』を翌年に引揚げ、その艦材をもって建築されたもの。鉄製の門扉の大小の孔は、砲弾の命中の痕跡である」と書かれた「定遠館」の看板がある(写真2−F)。入口には一部破損した鉄の門扉があるが、これが定遠号を覆っていた装甲板だ(写真2−G、H)

(3)館内に入ると、庭は駐車場にされていたが、奥には美空ひばりらを描いた懐かしい看板が飾られた木造平屋建ての建物があった(写真2−I)。これが昭和玉手箱らしい。今日は水曜日で、月曜日ではないから閉館日ではないはずだが、誰もいないし、建物は鍵がかかっていて入れない。また、玄関屋根の内側には昔のSPレコードのジャケットが飾られており、そこにはまさに昭和30年代、40年代、50年代を懐かしく思い出す歌手たちの若かりし日の姿の数々が並べてあった(写真2−J)

(4)昭和玉手箱の周りを巡ると、南側と西側の縁の下には定遠艦のボートのオールが使われていた(写真2−K、L)。また、真正面の建物の屋根の三角形の頂部にも中国風の細かい飾り(写真2−M)があり、右手玄関にも定遠で使われていたと思われる中国風の木製の装飾品があった(写真2−N)

(5)このように昭和玉手箱の周りで写真を撮っていると、お隣さんが帰ってきたので少し話をうかがうことに。それによると、@土地と建物の管理者は太宰府天満宮で、ある人がこの建物を借りて昭和玉手箱をやっている、A庭は現在太宰府天満宮が駐車場として貸している、B庭では時々フリーマーケットをやっている、C昭和玉手箱は月曜日が定休日と書いているが、休みの日が多く、最近はあまり開いていない、とのことだった。

4 太宰府天満宮本殿を見学(11:00〜12:30)
(1)以上で定遠館(と昭和玉手箱の外観)の見学を終え、次は太宰府天満宮本殿の見学へ。総合案内所で聞くと、案内してくれる無料ガイドがあるとのことなのでお願いし、しばらく待つとおばさんがやってきた。ガイドの説明を聞きながら最初に見たのが、有名な「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」の歌碑(写真2−O)。その周りには梅の花があったが、残念ながら既に梅の見頃は過ぎていた(写真2−P)

(2)「五卿落ちの石碑」と「神牛」
 三条実美ら攘夷派5人の公家たちが蛤御門の変によって都を追われ、都落ちしてきたのが、ここ太宰府天満宮の延寿王院。ここには五卿落ちの石碑があった(写真2−Q)
 次に、ガイドさんの説明を聞きながら見たのが、太宰府天満宮名物の神牛。天神サマと牛とは切っても切れない仲だが、それはナゼ?その第1の理由は、菅原道真公が生まれたのが845年乙丑の年だったことだが、それ以上に有名な言い伝えがある。それは、自ら「自分の遺骸を牛にのせて人にひかせずに、その牛の行くところにとどめよ」と遺言したところ、その牛は黙々と東に歩いて安楽寺四堂のほとりで動かなくなったため、そこを御墓所と定めたという言い伝えで、『菅家聖廟略伝』に書かれているらしい。『菅家聖廟略伝』にはこの他にも、天神サマと牛との関わりについて書かれているらしい。要するに、菅原道真公は牛が大好きだったということだ。
 また、自分と牛の同じ部分を互いに撫でさすると病気が全快すると言われ、神牛の頭をさすると知恵が付くという信仰があるらしい。写真2−R、Sはその様子だ。

(3)中世の鳥居
 太宰府天満宮の入口には、「中世の鳥居」がある(写真2−21)。これは花崗岩でつくられた高さ6.17mの鳥居で、南北朝から室町時代につくられたらしい。

(4)心字池・太鼓橋
 鳥居をくぐると、太鼓橋、平橋、太鼓橋という3本の橋がある。これは手前から過去・現在・未来を現し、三世一念の仏教思想を残したものと言われている。太鼓橋(写真2−22)は急な勾配で、反り橋とも呼ばれている。この橋を渡ると心身ともに清められると言われているから、是非私も心を清めなければ。

(5)志賀社
 次にガイドから聞いたのが、国の重要文化財となっている志賀社(写真2−23)。これは太宰府天満宮の末社として、海の神綿津見三神が奉祀されているらしい。精巧なつくりと変化のある屋根が特徴らしいが、その価値は正直よくわからなかった。

(6)麒麟と鷽(うそ)の像
 楼門の右手前には「鷽(うそ)」と「麒麟」と「牛」の銅像がある。「鷽」は幸運を運ぶ天満宮の守り鳥らしい。そして、この鳥は毎年1月7日に1年中のウソを天神サマの誠心と取り替えてくれるらしいから、ありがたい(写真2−24)。また、キリンビールで有名な麒麟は中国で生まれた架空の動物で、聖人が現れ王道が行われる時に出現すると伝えられているらしい(写真2−25)

(7)楼門、本殿
 本殿の入口には、檜皮葺きの二重門である楼門があった(写真2−26)
 菅公の御霊代を祀る本殿(写真2−27)は、五間社流造り、檜皮葺きで、正面には唐破風状の向拝が付く、荘厳華麗な様式の建物。そして、右には飛梅が、左には皇后梅が配置されている。

(8)菅公歴史館(12:30〜12:50)
 菅原道真を奉った天満宮はここ福岡の太宰府天満宮だけではなく、北野天満宮など全国にたくさんある。また、大阪天満宮は私の事務所のすぐ近くにあるから、私のお正月の「初詣」はいつもそこ。大阪天満宮でも菅公の一生をパノラマ風に見せてくれるが、それは簡単なもの。それに比べると、太宰府天満宮の菅公歴史館はさすがに立派で、ここでは菅原道真の一生が絵巻物風によくまとめられている(写真2−28)

(9)宝物殿(12:50〜13:20)
 菅公歴史館の次に行ったのが宝物館(写真2−29)。三条実美ら五卿落ちした公家たちを訪ねて、西郷隆盛、坂本龍馬、高杉晋作ら勤皇の志士たちがここを訪れてきたことや、現在NHK大河ドラマ『龍馬伝』が放映されているため、宝物館の入口には坂本龍馬のパネルが立っていた。そこで私はちゃっかりと坂本龍馬とのツーショットを(写真2−30)
 宝物館を見学した後、案内係の女性や太宰府天満宮文化研究員の平岡蓉子さんと定遠館のことをいろいろ話すことができた。それによって、『太宰府百科事典 太宰府天満宮編』を見せてもらうとともに、太宰府天満宮発行の機関紙『さいふまいり』で定遠館について取り上げた記事をもらうことができたのは、大きな収穫。

5 九州国立博物館見学(13:30〜14:30)
 太宰府天満宮の本殿の山手には九州国立博物館があるというので、長い坂をエスカレーターで上っていくと、巨大な博物館があった。中国では北京の故宮博物館、西安の陝西歴史博物館などバカでかい博物館があるのに対し、日本の博物館はチャチ。私はそんなイメージを持っていたが、この九州国立博物館の巨大さにはビックリ(写真2−31、32)。いつ造られたのかは知らないが、この巨大なハコモノもきっと国の財政悪化の1つの原因になっているはず。そんなことを考えながら、文化交流展示室に展示されていた「海の道、アジアの路」をじっくりと見学(写真2−33)

6 参道を歩いて西鉄太宰府駅へ(14:30〜14:40)
 博物館見学後は、再び参道を歩いて西鉄太宰府駅へ。

7 西鉄太宰府駅前のラーメン店「暖暮」で昼食(14:40〜15:10)
 ちょうどお腹がすいてきたので、駅前で見つけたおいしそうなラーメン店「暖暮」でめんたいこご飯とラーメンのセット、そして餃子を注文し、おいしくいただいた。

8 タクシーでJR二日市駅へ、JR二日市駅(15:26)→博多駅(15:41)

9 駅構内散策、おみやげ購入

10 のぞみ48号 博多(16:30)→新大阪(18:58)