洋17-8 (ショートコメント)

「彷徨える河」
    

                  2017(平成29)年1月14日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督・脚本:シーロ・ゲーラ
テオ(ドイツ人の民俗学者)/ヤン・ベイヴート
エヴァン(アメリカ人の植物学者)/ブリオン・デイビス
年老いたカラマカテ/アントニオ・ボリバル・サルバドール
若き日のカラマカテ/ニルビオ・トーレス
マンドゥカ(テオを案内する原住民)/ミゲル・ディオニシオ・ラモス
救世主/ニコラス・カンチーノ
2015年・コロンビア、ベネズエラ、アルゼンチン映画・124分
配給/トレノバ、ディレクターズ・ユニブ

◆シーロ・ゲーラ監督の3本目の長編作品たる本作は、第68回カンヌ国際映画祭監督週間で上映されてアートシネマアワードを受賞した他、第88回アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされる等多くの賞を受賞したらしい。また、シーロ・ゲーラ監督は、米エンターテインメント業界紙Varietyにおいて、『サウルの息子』(15年)(『シネマルーム37』152頁参照)のネメシュ・ラースロー監督、『エクス・マキナ』(15年)(『シネマルーム38』189頁参照)のアレックス・ガーランド監督、『裸足の季節』(15年)(『シネマルーム38』215頁参照)のデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督らと並んで「2016年もっとも注目すべき映画監督10人」に選出されたらしい。したがって、新聞紙評でも本作の評価は高い。
 そんな作品は必見!そう思って鑑賞したが、ハッキリ言って本作の評論を書くのはかなりしんどい・・・。

◆本作は、当然ながら冒頭からラストまで全編を通してアマゾン川とその流域の深いジャングルが舞台となる。そして、冒頭では若き日のカラマカテ(ニルビオ・トーレス)とドイツ人の民俗学者であるテオ(ヤン・ベイヴート)、テオを案内する原住民のマンドゥカ(ミゲル・ディオニシオ・ラモス)の3人が登場する。他方、いつの間にか年老いたカラマカテ(アントニオ・ボリバル・サルバドール)とアメリカ人の植物学者であるエヴァン(ブリオン・デイビス)が登場し、同時並行的に2つの物語が進行していく。
 しかし、ハッキリ言って事前情報がなければ、必要最小限の布だけ身に着けている原住民姿の男が、若き日のカラマカテと年老いたカラマカテの同一人物だとは容易にわからない。逆に、一見して白人の探検家だとわかるテオとエヴァンの2人が、時代も国も違う別個の人物だということも容易にわからない。さらに、テオもエヴァンも通訳なしでカラマカテの言葉や原住民たちの言葉を理解しているようだがなぜそんなことができるの?

◆本作のチラシには「20世紀初頭と中盤にアマゾンに足を踏み入れた二人の実在した白人探検家の手記に触発されて作られた本作は、一人の先住民を船頭にして二つの時代を往来する、マジックリアリズムに彩られた物語。」と書かれている。さらに「美しいモノクロームの映像、情感あふれる多層に重ねられた音、そして唯一無二の世界観が、失われた先住民の“記憶”をスクリーンに強烈に焼き付ける。」と書かれている。スクリーン上に見るシーンはまさにその連続だ。

◆本作は複雑なようでシンプル、シンプルなようで複雑だが、全編を通じるテーマとして登場するのは、重篤な病に侵されたテオの病を治す唯一の手段となるらしい、幻の聖なる植物ヤクルナだ。それは一体どこにあるの?本作では、それを求めてアマゾン奥地へと向かう、時代も国も異なる2人の白人と若き日のカラマカテ、年老いたカラマカテとの旅が描かれるわけだ。そのため、私たち観客も彼らと共に狂気、幻影、混沌が蔓延するアマゾンの深部を遡上することになるが、彼らが向かう闇の奥にあるものとは・・・?
 本作は言葉で語る映画ではなく自分の目で見て感じる映画だから、私の評論を読むよりもあなた自身の目でしっかりと。
                                   2017(平成29)年1月16日記