洋17-6

「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」
 

                  2017(平成29)年1月14日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督・脚本:ラース・クラウメ
脚本:オリヴィエ・グエズ
フリッツ・バウアー(ヘッセン州検察庁検事長)/ブルクハルト・クラウスナー
カール・アンガーマン(ヘッセン州検察庁検事)/ロナルト・ツェアフェルト
ヴィクトリア(クラブ歌手)/リリト・シュタンゲンベルク
パウル・ゲープハルト(連邦刑事局、元親衛隊少尉)/イェルク・シュットアウフ
ウルリヒ・クライトラー(上席検事、元親衛隊)/セバスチャン・ブロムベルク
アドルフ・アイヒマン/ミヒャエル シェンク
ハインツ・マーラー(運転手)/ルーディガー・クリンク
シュット嬢(秘書)/ローラ・トンケ
ゲオルク=アウグスト・ツィン(ヘッセン州首相)/ゲッツ・シューベルト
フリードリヒ・モアラッハ(フリージャーナリスト)/パウルス・マンカー
シャルロッテ・アンガーマン(カールの妻)/コルネリア・グレーシェル
イサー・ハレル(モサド長官)/ティロ・ヴェルナー
ハイム・コーン(イスラエルの法務長官)/ダニー・レヴィ
ハンス・ヤスパー(シャルロッテの父)/ロバート・アトツォルン
ツヴィ・アハロニ(イスラエルの情報機関モサドの諜報部員)/マティアス・ヴァイデンヘーファー
2015年・ドイツ映画・105分
配給/クロックワークス、アルバトロス・フィルム

<日本で公開が相次ぐ主なナチス関連映画!>
 2017年1月11日付朝日新聞の「文化・文芸」は、「ナチス映画 多様に問う」「消えたタブー、せめぎあう反省と本音」の見出しで、「ナチスやヒトラーを題材にした映画が近年相次ぎ、日本でもその多くが上映されている。」ことを特集した。そこでは、「埋もれたキーマンに光を当てる人間ドラマから、ヒトラーを現代によみがえらせるブラックコメディーまで、切り口は様々。そこから見えてくるものとは―。」という問いかけで、日本で公開が相次ぐ主なナチス関連映画として、次の作品を掲げている。

 2015年8月
      10月
       〃
   16年1月
       4月

       6月
       8月

      10月
      12月
   17年1月
       2月
       夏
『ふたつの名前を持つ少年』(13年)(『シネマルーム36』49頁参照)
『顔のないヒトラーたち』(14年)(『シネマルーム36』43頁参照)
『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(15年)(『シネマルーム36』36頁参照)
『サウルの息子』(15年)(『シネマルーム37』152頁参照)
『アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』(15年)(『シネマルーム38』150頁参照)
『帰ってきたヒトラー』(15年)(『シネマルーム38』155頁参照)
『栄光のランナー/1936ベルリン』(16年)(『シネマルーム38』165頁参照)
『手紙は憶えている』(15年)
『ヒトラーの忘れもの』(15年)
『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』(15年)
『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』(15年)
『Anthropoid(原題)』(16年)

<「アイヒマン3部作」もしくは「アウシュヴィッツ3部作」の完成>
 東京裁判とニュルンベルク裁判は有名だが、これは両者とも戦勝国(連合国)が敗戦国(日本、ドイツ)の戦争犯罪を裁いた裁判。それに対して「アウシュヴィッツ裁判」は、ドイツ人自らがナチス・ドイツを裁いた裁判だ。そのことを私は、『ハンナ・アーレント』(12年)(『シネマルーム32』215頁参照)と『顔のないヒトラーたち』(14年)(『シネマルーム36』43頁参照)を観てはじめて知ったが、私にとって、元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンの犯罪を裁いた「アウシュヴィッツ裁判」の姿を詳しく描いたこの両作は衝撃的なものだった。
 それに対して本作は、アウシュヴィッツ裁判でアイヒマン攻撃の先鋒となるフリッツ・バウアー検事長(ブルクハルト・クラウスナー)が多くの「抵抗」の中で「執務室を一歩出れば敵だらけ」と言いながら、アイヒマンの追及に執念を燃やす姿を描くもの。つまり、「バットマン」映画が既にたくさんあった中、『バットマン ビギンズ』(05年)がバットマンの誕生物語だった(『シネマルーム8』127頁参照)のと同じように、本作は『ハンナ・アーレント』と『顔のないヒトラーたち』で描かれたアイヒマンを裁く「アウシュヴィッツ裁判」の誕生物語だ。『顔のないヒトラーたち』は邦題からは何の映画かわからなかったが、本作は『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』という邦題だけで何の映画かハッキリわかる。そういう意味では、本作の原題は『Der Staat gegen Fritz Bauer』(『国家対フリッツ・バウアー』)だが、邦題はそれよりベターかも・・・。
 アイヒマンを追う映画や「アウシュヴィッツ裁判」を描く映画が今後どの程度作られるかわからないが、とりあえず2017年初頭の今、私は本作と『ハンナ・アーレント』、『顔のないヒトラーたち』の3作を、「アイヒマン3部作」もしくは「アウシュヴィッツ裁判3部作」と呼びたい。

<バウアー検事長役の俳優に注目!>
 前述したように、近時は「ナチスもの」「ヒトラーもの」の映画が多い。本作のパンフレットにあるラース・クラウメ監督のインタビューによれば、ブルクハルト・クラウスナーが主役のフリッツ・バウアー役に起用されたのは、「キャスティング担当者が推薦してくれたんだ。彼はオーディションを受けた俳優の中で一番よかっただけでなく、最適だった。」ためらしいが、そりゃそうだろう。だって、私と同じ1949年にドイツのベルリンで生まれたブルクハルト・クラウスナーは、『GOOD BYE LENIN!(グッバイ、レーニン!)』(03年)(『シネマルーム4』212頁参照)、『白いリボン』(09年)(『シネマルーム26』200頁参照)、『愛を読むひと』(08年)(『シネマルーム22』36頁参照)、『コッホ先生と僕らの革命』(11年)(『シネマルーム29』112頁参照)、『リスボンに誘われて』(12年)(『シネマルーム33』10頁参照)、『パリよ、永遠に』(14年)(『シネマルーム35』273頁参照)、『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(15年)(『シネマルーム36』36頁参照)、『ブリッジ・オブ・スパイ』(15年)(『シネマルーム37』20頁参照)等で名演を見せているベテラン俳優なのだから。
 そんなブルクハルト・クラウスナー演じるバウアーが本作冒頭では間一髪、もし発見が少しでも遅れれば「バスタブの中であわや死亡」というシーンで登場するので、それに注目!これは酒と睡眠薬による自殺?そんな噂も流れたが、何の何の。これはちょっとしたミスによるもので、バウアーのアイヒマン(ミヒャエル シェンク)を追う気力はやる気満々だ!そのことは、ストーリー中盤に見るヘッセン州首相のゲオルク=アウグスト・ツィン(ゲッツ・シューベルト)に対して、バウアーが「私は銃を持ってる。死ぬならそれでやる。噂も立たん」と語るシーンからも明らかだ。

<若手のアンガーマン検事役の俳優にも注目!>
 他方、本作に「師弟もの」の色彩を持たせる役柄で登場するのが、バウアーの信頼を得てアイヒマンを追うべく共に闘う若手検事カール・アンガーマン(ロナルト・ツェアフェルト)だ。実在の人物たるバウアーに対してこちらは架空の人物で、本作を単純な「伝記もの」とせず、スリリングな物語性を持たせるためのラース・クラウメ監督の工夫だ。ちなみに、昨今はLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)という言葉が完全に市民権を得ているが、ドイツには男性同士の同性愛を禁止した1871年制定のドイツ刑法175条があり、ナチ党政権はこれを根拠として多くの同性愛者を強制収容所に送ったそうだ(1994年に廃止)。
 なぜこんなことを書くのかというと、面白いことに、アウシュヴィッツ裁判の功績によって戦後の西ドイツの良心を代表する存在のようになったバウアーは同性愛者であったらしいためだ。去る1月11日に行われた当選後はじめての記者会見で、トランプ次期大統領はアメリカの大手メディアのCNNやネットメディアのバズフィードが流した「ロシア当局がトランプ氏の不名誉な個人情報や財産の情報を握っている疑いがある」としたニュースは完全な「FAKE」だと攻撃したが、さてその真偽は?それと同じように(?)、もしバウアーが同性愛者であることの証拠が得られれば、バウアーを検事長職から失脚させるのは容易だ。しかして、その真偽は?さらに、本作を見れば何と何と、若き検事アンガーマンも、ひょっとして同性愛者・・・?そんな驚くべき、かつスリリングな展開が見られるのでそれに注目したい。
 ちなみに、本作でアンガーマンを演じたロナルト・ツェアフェルトも、『東ベルリンから来た女』(12年)(『シネマルーム30』96頁参照)、『あの日のように抱きしめて』(14年)(『シネマルーム36』53頁参照)という2本のナチス映画に出演している俳優だから、アイヒマンを追うのに熱心なのはあたり前・・・?

<戦後の経済復興を優先?バウアーの地位・権限は?>
 日本の戦後復興を主導したのは、吉田茂首相とその後を継いだ岸信介首相。そのポイントは、軽武装(日米安保条約)と経済復興優先政策だ。それと同じように第二次世界大戦後、東西に分断されたドイツでも、キリスト教民主同盟(CDU)を率いた西ドイツ(ドイツ連邦共和国)のアデナウアー首相は、ナチスの戦争犯罪追及は「二の次」とし、何よりも戦後の経済復興を優先させた。日本では戦争に加担した多くのリーダーたちが戦犯として「追放」されたが、さて(西)ドイツでは?
 本作は、1950年代後半、西ドイツのフランクフルトことフランクフルト・アム・マインにあるヘッセン州検察庁の検事長であるバウアーが、ナチスによる戦争犯罪の告発に執念を燃やしながら、なかなかそれが進まないことに苛立ちを募らせているシークエンスからスタートする。ユダヤ人であったため1936年にデンマークへ亡命したものの、デンマークがドイツに占領された後は、デンマークの収容所に入れられる体験を経てスウェーデンに逃げ、スウェーデンでナチス・ドイツへの抵抗運動を続けたバウアーは、1949年に西ドイツに帰国し、その後ヘッセン州で検事長に就任したそうだが、そこで彼が目指したものは?また、その地位・権限は?

<なぜ「執務室を一歩出れば敵だらけ」なの?>
 バウアーが苛立ちを見せるのは、部下である上席検事のウルリヒ・クライトラー(セバスチャン・ブロムベルク)や連邦刑事局のパウル・ゲープハルト(イェルク・シュットアウフ)らが、同じ「元親衛隊」のよしみのため「アイヒマンの追跡」について何ら目ぼしい成果も挙げていないこと。しかもそれは、努力して成果があがらないのではなく、捜査機関や政府中枢にナチの残党が多数入り込んでいる現状では、本気でナチを追及するつもりがないためだから、タチが悪い。
 戦後10年経っても、アデナウアー首相は戦後の経済復興を優先させ、ナチスの追及は二の次らしい。しかし、バウアーが信頼する州首相のゲオルクに対して語る言葉によると、「アイヒマンを裁けば(アデナウアー首相の)お仲間の名前が出る。グロプケ官房長官の名前も出るだろう」という状況らしい。したがって、クライトラーもゲープハルトもバウアーに対しては面従腹背して、本音はバウアーの失脚を画策しているわけだ。そんな状況に照らせばバウアーが口癖のように言っている「執務室を一歩出れば敵だらけ」の言葉は冗談やモノのたとえではなく、現実そのものなのだ。
 私は『顔のないヒトラーたち』を観てはじめてそのことがわかったが、本作では冒頭からそんな現実の圧迫感の生々しさがひしひしと・・・。

<モサドへの情報提供の可否は?リスクの大きさは?>
 アイヒマンの追及が遅々として進まないことにイライラしていたバウアーが喜んだのは、ある日、アルゼンチンのブエノスアイレスに住むローター・ヘルマンという亡命ユダヤ人からの手紙で、元親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンが偽名を使ってブエノスアイレスに潜伏中だという情報がもたらされたこと。この手の情報はガセネタも多いはずだが、この手紙を読んで、さあバウアーはどう動くの?そこでのバウアーの決断は、ドイツの捜査機関は信用できないため、この手紙をイスラエルの情報機関モサドに流すということだからすごい。
 本作では、バウアーがそんな決断をヘッセン州首相ゲオルクに打ち明けるシーンが登場するが、そこではゲオルク=アウグスト・ツィンの執務室にローザ・ルクセンブルクの肖像が飾られているところがミソ。それを見たバウアーは「当局ににらまれるぞ」と心配するが、その意味のわかる人は?また、それに対するゲオルクの回答は?このシーンを見れば、バウアーとゲオルクの信頼関係がいかに強いかがハッキリわかるはずだ。
 他方、そんなバウアーの決断に対してゲオルクが「国家反逆罪に問われ、刑務所送りになるぞ」と警告したが、バウアーはそんな警告を無視して一人イスラエルへ飛び、エルサレム近郊の某所にあるモサド本部でイサー・ハレル長官(ティロ・ヴェルナー)と会見。しかしそこでは、「部下をアラブとの戦いの方に投入したい」と述べるハレルの協力を得るためには、アイヒマンがアルゼンチンにいるという「第二の証拠」が必要だと告げられることに。ブエノスアイレスからの手紙をモサドに情報提供するだけでも「国家反逆罪」のリスクを負っていたのに、アイヒマン追及のためにブエノスアイレスまで手を伸ばすには「第二の証拠」が必要と言われると、バウアーはお手上げ。そう思わざるをえなかったが・・・。

<敵を欺くにはまず味方から・・・>
 本作を観ていると、『007』シリーズをはじめとする「スパイもの」とは異質の、情報(の価値とその活用)をめぐる「神経戦」のしんどさがひしひしと伝わってくる。そんな「神経戦」にあえてアンガーマンが参入させたのが、カネで動くだけのフリージャーナリストの男フリードリヒ・モアラッハ(パウルス・マンカー)。そんな男はうまく使えば便利だが、いつ裏切るかわからないリスクをはらんでいるのは当然だ。しかし、モアラッハはアイヒマンがブエノスアイレスで記者のインタビューに答えたという肉声の録音テープを持ってきたから、アンガーマンはビックリ。さて、その真偽は?その価値は?
 他方、ナチスの元親衛隊はクライトラーやゲープハルトのように捜査機関や政府中枢で生き残っていたばかりでなく、メルセデス・ベンツのような有名な民間企業内でも生き残っていたらしい。モサドの調査資料から、アイヒマンの偽名の手がかりをつかんだバウアーとアンガーマンがシュトゥットガルトにあるメルセデス・ベンツの本部を訪れ、人事部にいる元親衛隊の男・シュナイダーに圧力をかけたところ、アイヒマンがリカルド・クレメントという偽名でアルゼンチンのメルセデス・ベンツに勤務していることを突き止めたからすごい。この2つの証拠をモサドに届ければ、モサドもアイヒマンがブエノスアイレスにいるという「第二の証拠」として認めてくれるはずだ。
 もっとも、そんな時こそ「敵を欺くにはまず味方から・・・」の教えが大切。これは大石内蔵助が吉良上野介の屋敷への討入りを心の中では決めながら、世間にはそんなことはありえないことを納得させるため、あえて昼行燈のように遊びほうけていた故事に由来する教えだ。しかして、再び訪れたイスラエルで、モサドの法務長官、ハイム・コーン(ダニー・レヴィ)から、アイヒマンの捕獲とドイツでのアイヒマン裁判のための身柄の引き渡しを確約してもらったバウアーは、「敵を欺くにはまず味方から・・・」の教え通り、記者会見では「アイヒマンはクウェートに潜伏中」とニセの情報を流したからえらい。これだけ油断させておけばブエノスアイレスに潜伏しているアイヒマンも、自分の身に危険が迫っているとは考えないから、モサドは容易にアイヒマンを逮捕できるのでは・・・?現実に味方を欺いていた大石内蔵助は油断していた吉良上野介を討ち取ることに成功したが、さてモサドのアイヒマン捕獲作戦の成否は?

<この美女は何者?ハニートラップの危険は?>
 『007』シリーズをはじめとして、「スパイもの活劇」には必ず美女が登場する。しかし「アイヒマンを追え」をテーマにした社会派作品には、必ずしも美女を登場させる必要はない。たしかにそれはそうだが、「映画はエンタメ」という(至上)命題のためには、本作にも美女を登場させた方がいいのでは?ラース・クラウメ監督がそう考えたかどうかは知らないが、本作中盤には本作本来のテーマにはおよそ似つかわしくない、クラブ歌手の美女・ヴィクトリア(リリト・シュタンゲンベルク)が登場するので、それに注目!
  シャルロッテ・アンガーマン(コルネリア・グレーシェル)というれっきとした妻を持つ、現役の若手検事たるアンガーマンが、売春宿のような場所に出入りするのはいかがなもの?そう考えるのは当然だが、かつて同性愛の罪に問われたある被告人に対してごく軽微な罰金刑を求刑するという冒険を犯したアンガーマンは、その被告人の事件を通じて知り合った美女・ヴィクトリアの店に魅せられるように入っていくことに・・・。
 デンマークに亡命中だったバウアーが男娼と一緒にいて逮捕されたことは、歴史上の事実としてデンマーク警察の調書に残っているそうだが、戦後ヘッセン州の検事長になって以降のバウアーはその方面の趣味(?)をどう処理していたの?さらに、ユダヤ人としての復讐のためではなく、正義のために闘おうとするバウアーの並々ならぬ勇気と熱意に心を動かされ、バウアーと共にアイヒマンを追うことに情熱を捧げていたアンガーマンが興味を示した美女・ヴィクトリアは、ホントに女?それとも・・・?日本の橋本龍太郎元首相はかつて中国流のハニートラップの罠にハマったそうだが、さてアンガーマンは・・・?
                                  2017(平成29)年1月18日記