洋17-40

「楊貴妃 Lady Of The Dynasty(王朝的女人・杨贵妃)」
                                    
                  2017(平成29)年3月15日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督:張藝謀(チャン・イーモウ)、田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)、十慶(シーチン)
脚本:陳汗(チェン・ハン)
玉環(楊貴妃)/范冰冰(ファン・ビンビン)
玄宗(皇帝)/黎明(レオン・ライ)
寿王(18番目の皇子)/呉尊(ウー・ズン)
武恵妃(皇后)/陳冲(ジョアン・チェン)
2015年・中国、韓国、日本合作映画・122分
配給/AMGエンタテインメント

<中国映画のこの歴史大作がなぜ一般公開されないの?>
 シネリーブル梅田では毎年「未体験ゾーンの映画たち」を開催しているが、2017年の今年は、その上映数が「史上最多!63本」となり、本作もその一貫として3月に計4回上映された。その監督として、張藝謀(チャン・イーモウ)、田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)、十慶(シーチン)の3人の名前が並んでいるが、それは一体なぜ?
 また、本作は今や中国映画界のトップ女優ともいえる范冰冰(ファン・ビンビン)が楊貴妃役で主演し、製作費も21億円をかけたもの。そのため、チラシには「『王妃の紋章』『LOVERS』『HERO英雄』チャン・イーモウが放つ壮大な歴史スぺクタクル!!」「アジアを代表するアカデミー賞スタッフが贈る壮大な王宮スペクタクル最新作!」とうたわれた日中韓合作映画だ。それなのに、なぜ本作はシネコンで長期ロードされず、「未体験ゾーンの映画たち2017」で計4回だけの上映に留まったの?

<歴史をメインに?それとも楊貴妃をメインに?>
 「三国志」や「始皇帝」は何度も映画にされたし、テレビドラマにもされているので、私はそれらをたくさん観ている。多くの映画やテレビドラマが作られているのは、「水滸伝」や「岳飛伝」さらに現在放映中の中国ドラマ『武則天-The Empress-』も同じだ。それらと同じように、「楊貴妃」もこれまで何度も映画化、テレビドラマ化されているが、残念ながら私はそれを全然観ていない。もっとも、その描き方は「三国志」や「始皇帝もの」と同じで、歴史をメインにするものと、楊貴妃の美しさやそのキャラをメインにするものに大別できるはずだ。
 私はどちらかというと後者より前者の方が好きだから、「三国志もの」では、『レッドクリフPartⅠ(赤壁)』(08年)(『シネマルーム21』34頁参照)や『レッドクリフPartⅡ(赤壁 決戦天下)』(09年)(『シネマルーム22』178頁参照)よりは『三国志』(08年)(『シネマルーム22』184頁参照)や『三国志英傑伝 関羽(関雲長)』(11年)(『シネマルーム28』109頁参照)』の方が好き。また、「始皇帝もの」では、『HERO(英雄)』(02年)(『シネマルーム3』29頁参照)よりは『始皇帝暗殺』(98年)(『シネマルーム5』127頁参照)が好きだ。また、いわゆるハリウッド大作として豪華絢爛な『HERO(英雄)』や『LOVERS(十面埋伏)』(04年)(『シネマルーム5』353頁参照)よりは、リアルな「歴史もの」としての『項羽と劉邦ーその愛と興亡 完全版』(94年)(『シネマルーム5』140頁参照)や『始皇帝暗殺』の方が好きだ。しかして、本作はどっち?

<ファン・ビンビンの美しさを全面に!>
 残念ながら(?)本作は後者で、楊貴妃の美しさをメインに描いている。したがって、冒頭に登場するのは玉環(後の楊貴妃)(范冰冰(ファン・ビンビン))の美しい舞い。玄宗皇帝(黎明(レオン・ライ))の妻・武恵妃(陳冲(ジョアン・チェン))は、玉環を18代皇子・寿王(呉尊(ウー・ズン))の嫁にするべく宮廷に入れるが、それがその後のさまざまなドラマを生んでいくことに・・・。
 もっとも、冒頭のこのシーンは半分史実で半分史実に即していないようだ。つまり、私がネット情報で勉強したところでは、玄宗皇帝の妻・武恵妃によって玉環が寿王の妃になったのは紀元735年で、玄宗が玉環を見初めたのは740年。同年、玉環は長安の東にある温泉宮にて一時的に女冠となったが、それは玄宗が息子の寿王から妻を奪う形になるのを避けるためで、実質は玄宗とは内縁関係にあった。その後、玉環は宮中の太真宮に移り住み、玄宗の後宮に入って皇后と同じ扱いを受け、745年に貴妃に冊立された、というのが歴史的事実らしい。これは、いわば父親が息子のキレイな嫁を奪い取ったようなものだからハチャメチャだが当時、世界一の都・長安を誇る唐帝国の皇帝ともなれば、それくらいのことは朝飯前・・・?
 ちなみに、はじめての玄宗との謁見の際、霓裳羽衣の曲が演奏され、玄宗は「得宝子」という新曲を作曲したそうだが、ファン・ビンビンの美しさを全面に押し出した本作では、そこらあたりの描写が「売り」だから、その美しさをしっかり鑑賞したい。

<華清池で見た楊貴妃像は?美人度の判定は?>
 古代中国の四代美人は楊貴妃・西施・王昭君・貂蝉の4人とされている。しかし、美女の基準は時代によって異なっている。近時はスリムであることが絶対条件だが、唐の時代ではふくよかで豊満な肢体の女性が理想とされていた。私は2001年の夏に西安旅行に行き、玄宗皇帝と楊貴妃が毎年10月に行って冬を過ごしたと言われる「華清池」を見学したが、そこに立つ楊貴妃の像は顔も身体もふくよか(豊満)だった。
 さらに、楊貴妃が玄宗皇帝と一緒に入ったとされている巨大な浴槽も見学したが、きめ細やかだったという楊貴妃の美しい肌はその温泉の中で磨かれたのだろう。私の目には豊満でふっくらした顔立ちの楊貴妃像よりも、本作で楊貴妃(玉環)役を演じたファン・ビンビンの方がよほど美人に思えたが、さて美人度についてのあなたの判定は・・・?

<安史の乱とは?>
 玄宗皇帝の前半の治世は「開元の治」と称され、唐の絶頂期と評価されている。ところが、天下泰平の中で玄宗が政治に倦み始め、楊貴妃に溺れ始めたのは紀元740年、彼が55歳の時だった。それは、長恨歌にも「これより皇帝は朝早くには朝廷に出てこないようになった」と歌われているそうだ。そんな中、政治の実権を巡って権力闘争が起きたのは当然で、玄宗の代わりに政治を運営したのは宰相の李林甫だった。
 そして、李林甫の死後実権を握ったのが、楊貴妃の従兄の楊国忠と節度使の安禄山の二人だった。この両者は激しい権力闘争を繰り広げ、755年に楊国忠が安禄山の事を玄宗に讒言したしたことが契機となって、自身の立場に危機感を覚えた安禄山は唐に対して反乱を起こした。これが「安史の乱」(安禄山の乱)だ。ちなみに、2001年の西安旅行で私が訪れた華清池にも、安禄山の乱の爪痕が残されていた。

<権力闘争の末、楊貴妃の運命は?>
 私は「歴史もの」が大好きだから、当時の「節度使」というシステムや楊国忠と安禄山との権力闘争の背景、その実態を本作からしっかり学びたかったが、残念ながら本作のその点の描き方は不十分で、サラリとしたものになっている。楊貴妃の最期を描くについては、楊国忠と安禄山との権力闘争に玄宗皇帝の后である楊貴妃がいかなるスタンスをとったのかが最大の焦点になるはずだが、本作でのその描き方は、終始「私はノータッチ」ということになっている。しかし、歴史上の真実は・・・?
 結果として、安史の乱によって楊国忠は殺害され、逃走中の玄宗皇帝に対して「楊貴妃を殺せ」との兵士達の声が強くなると、玄宗皇帝は・・・?唐の全盛時代を築いた玄宗皇帝は立派だったのだろうし、息子の美しい嫁を奪ったところも道義的にはいかがなものだが、反面勇ましいもだった。しかし、安史の乱への対応や、安史の乱終了後、半軟禁状態とされて762年に崩御するまでの彼の晩年はいかにもみじめだった。そんな落ち目の皇帝の后だった楊貴妃が、みじめな最期を迎えたのは仕方ないのかもしれないが、エリザベス・テイラー、レックス・ハリソン、リチャード・バートンの3人が共演した『クレオパトラ』(63年)で観たように、ローマの将軍アントニーと結婚したエジプトの女王クレオパトラはローマ帝国の将軍シーザーとの対決に敗れたものの、女王として誇らしい最期を遂げていた。それに比べると、楊貴妃の晩年はいささか悲惨すぎる。
 とにかく楊貴妃を描くについては、楊貴妃と安史の乱の関係を含めて、権力闘争との絡みを突っ込んで欲しかったというのが私の正直な感想だが・・・。  
                                   2017(平成29)年3月24日記