洋17-36

「哭声/コクソン」
    

                  2017(平成29)年3月11日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督・脚本:ナ・ホンジン
ジョング(警察官)/クァク・ドウォン
イルグァン(祈祷師)/ファン・ジョンミン
山の中の男(よそ者)/國村隼
ムミョン(目撃者、謎の女)/チョン・ウヒ
ヒョジン(ジョングの娘)/キム・ファニ
ソンボク(ジョングの後輩の警察官)/ソン・カングク
イサム(ソンボクの甥、助祭)/キム・ドユン
ジョングの妻/チャン・ソヨン
ジョングの妻の母/ホ・ジン
2016年・韓国映画・156分
配給/クロックワークス

<政治は大混乱だが、映画は春の快作が次々と!>
 去る3月10日の憲法裁判所の弾劾裁判で「罷免」を宣告されたパク・クネ(朴槿恵)大統領は、失意のうちに3月12日大統領府(青瓦台)を退去した。これによって5月9日に予想されている大統領選挙が事実上始まったが、①ミサイル発射を続ける北朝鮮との関係、②「米軍の地上配備型ミサイル迎撃システム(THAAD)」の配備をめぐる米韓および中国との関係、③慰安婦をめぐって2015年12月に締結された「日韓合意」をめぐる日本との関係、という3つの論点はすべて重大。さて、韓国の政治の混乱は、いつどのように収拾するの?それとも、ますます混迷度を深めていくの?
 そんな2017年の春、韓国映画は『哭声/コクソン』(16年)、『アシュラ』(16年)、『お嬢さん』(16年)と快作の公開が続いている。3月10日付朝日新聞夕刊は「後味カラ~イ 韓流最新作」という見出しで3人の監督の「語り」を特集した他、『キネマ旬報』3月上旬号はこの3作について「この春、韓国映画の刺激に酔う」と題して34頁から53頁にわたる特集をしているのでこりゃ必読!
 韓国では2012年から毎年、国民の5分の1にあたる1000万人動員映画が登場しており、私が観た韓国映画だけでも『王になった男』(12年)(『シネマルーム30』89頁参照)、『弁護人』(13年)、『国際市場で逢いましょう』(14年)(『シネマルーム36』58頁参照)、『暗殺』(15年)(『シネマルーム38』176頁参照)とラインナップされるからすごい。また『哭声/コクソン』では、謎の日本人役であっと驚く快演を見せた日本人の個性派俳優・國村隼が、青龍映画賞の男優助演賞と人気スター賞を受賞したのも大きな話題だ。韓国の政治は大混乱したが、韓国の映画界は大活況!さあ、そんな2017年春の3つの韓国映画の快作のトップを切ってまずは本作を鑑賞!

<ナ・ホンジン監督は丸顔俳優がお好き?>
 私の頭の中にナ・ホンジン監督の名前はインプットされていなかったが、『チェイサー』(08年)の監督と聞けば「ああ、なるほど!」と納得。2008年に韓国アカデミー賞(大鐘賞)6部門を受賞した『チェイサー』は連続殺人鬼とそれを追う元刑事の「追跡劇」だが、恐ろしい映像が続く緊迫感にあふれたスタイリッシュなストーリー展開は刺激的で、手に汗を握る名作だった(『シネマルーム22』242頁参照)。
 ハリウッドやヨーロッパの「犯罪もの」映画では丸顔の俳優は少なく、アラン・ドロンをはじめとする細面のハンサムな俳優ばかり。ところが、韓国にはソン・ガンホをはじめとする丸顔の俳優が「君臨」しているうえ、『殺人の追憶』(03年)をはじめとする「刑事もの」で、本来あまり似合わないと考えられる「刑事役」に丸顔のソン・ガンホが堂々と挑戦し、すばらしい味を出していた(『シネマルーム4』240頁参照)。『チェイサー』の元刑事役で第45回韓国アカデミー賞(大鐘賞)主演男優賞を受賞したキム・ユンソクもそんな丸顔俳優の1人だったが、本作の主役として登場する田舎の警察官ジョング(クァク・ドウォン)も丸顔。その働きぶりを見ても、決してスマートとかシャープとかとは言えないタイプの警察官だ。そんな視点で『チェイサー』と本作を見れば、ナ・ホンジン監督はキム・ギドク監督やパク・チャヌク監督と違って丸顔がお好き?
 それはともかく、本作冒頭はある田舎の村で相次いで起きた残忍な死亡事件の現場にジョングが駆けつけるシークエンスから始まるが、こんな大事件をこんなドン臭そうな警察官ジョングの捜査で解明できるの・・・?

<タイトルの意味は?テーマは?>
 本作のタイトルについて、前述した『キネマ旬報』の「ナ・ホンジン監督インタビュー」(39~41頁)で彼は「口が二つに犬って面白くないですか?」と語っているが、コクソン(谷城)とは地名らしい。しかし、彼は「韓国でもこんな単語は普段は使わないんです。」と語っている。では、本作はなぜそんなタイトルになったの?それについては、少し長くなるが、彼の説明を次のとおりそのまま引用しておきたい。

Q:さて、「哭声/コクソン」という珍しい邦題にも、監督の強い拘りがある。
A:「口が二つに犬がいる(哭)って面白いじゃないですか(笑)。韓国でもこんな単語は普段は使わないんです。コクソン(谷城)は地名です。母方の祖母の故郷で、子供の頃よく遊びに行きました。後に知って衝撃を受けたのは、朝鮮戦争中、ここの山には北のパルチザンが潜み、夜になると北の占領下になり、昼になると南の占領下におかれる。昼夜で主が代わり、どちらの味方についたとかで、住民が殺される毎日だった。この悲劇を映画に取り入れたいとは思いました。しかしクランクインの時、コクソン郡から、これは自分たちの町のことではない、タイトルを変えろと言われて、哭聲という字を当てたのです。でも映画の大ヒットで観光客が増え、今じゃ何事も無かったかのようですけどね(笑)」

そんな答えを聞いたうえでの塩田時敏氏の質問も次のように鋭いので、それも引用しておくと次のとおりだ。

 拘りを感じるのは“哭”。マーティン・スコセッシの「沈黙 -サイレンス-」が、神が黙する映画だとすれば、「哭声/コクソン」は神が哭く映画、と言えるのかもしれない。哭、すなわち大声で泣く、嘆く、痛恨の悲哀、無情は、まさに韓国独特の“恨”に通底していよう。これは単なる恨み、怨み節ではない、恨文化なくしては産み出し得ない映画なのだ。民族的に裏打ちされた、土俗的な宗教感が対峙する恐ろしいスリラーなのである。“父さんは警察官だ、父さんが解決する”と奔走するクァク・ドウォオン。何も謎を解けない、事件を解決できない警察の無力感。 

 このやりとりを読んだだけでも本作のテーマの難解さが明らかになるが、それは本作冒頭に示される「ルカによる福音書」のナレーションを聞けば更に増幅される。すなわち、

  “人々は恐れおののき霊を見ていると思った。そこでイエスは言った。なぜ心に疑いを持つのか。私の手や足を見よ。まさに私だ。触れてみよ。このとおり肉も骨もある。”(ルカによる福音書24章37-39節)

その他、この「ナ・ホンジン監督インタビューにおける監督と塩田時敏氏の「問答」は、本作を読み解く上で必読!

<韓国版エクソシスト?セブン?ゾンビ?>
 前述の「ナ・ホンジン監督インタビュー」の冒頭で、塩田時敏氏は次のように書いている。すなわち、

 何度見ても、どのように見ても謎が残る。パズルのラストピースがピタリと嵌まり、謎が解け、溜飲下がってカタルシスを得るようなタイプの映画ではない。だがしかし、だからこそ「哭声/コクソン」は面白いのである。のどかな田舎の村に謎の男が闖入する。以来、村では、悪霊に取り憑かれたかのような者が、家人を惨殺する事件が続発。捜査にあたった警察官の幼娘も悪霊に憑かれ、祈祷師が喚ばれるのだが・・・・・・。韓国版「エクソシスト」にも、「セブン」にも、はたまた「ゾンビ」にも見えるものの、しかし、そのいずれでもなく、単なるホラーでは括りにくい、見たことのない映画なのである。一朝一夕では解けぬ謎を孕んだ、哲学的な深淵さえ覗き見ることになる、重厚な作品なのだ。
 なかでも一番の謎は、何故、山の中の闖入者が國村隼で、何故パスポートまで提示して日本人と規定されているのか、である。

 まさにそのとおり。本作導入部では、國村隼扮する「よそ者」がほぼ裸の状態で登場し、四足歩行で獣のように走り、生肉を食するから、この男を見ているだけで「エクソシスト」的・・・?次に、のどかな田舎の村に次々と起きる猟奇殺人事件の風景は悪霊に取り憑かれた者の仕業としか思えないし、ジョングの娘ヒョジン(キム・ファニ)も悪霊に取り憑かれた症状を呈するから、その凄惨な被害状況を見ればまさに「セブン」的・・・?そして、後半になると山の中の「よそ者」は日本のパスポートを持った祈祷師だということが判明し、ひと安心(?)するものの、山の中に踏み込んだジョングたち一行を襲うバケモノのように凶暴化した人間(?)を見ていると、これぞまさにゾンビ的・・・?
 本作は基本的には「刑事もの」「犯罪もの」の範疇に属するが、悪霊がテーマとなってインチキっぽい祈祷師(?)が登場してくるから、本作は猟奇殺人映画、ホラー映画でもあるし、冒頭には韓国特有のキリスト教的問題提起も示唆されるから、極めてワケのわからない映画・・・。さらに、『哭声/コクソン』というタイトルも説明を聞くまでは何のことかさっぱりわからないが、それでも何となくわかるような・・・?

<韓国では今でも祈祷師が大きな役割を?>
 日本でも、横溝正史原作の『八つ墓村』を映画化した角川映画が大ヒットした1977年当時は悪霊ブームが起き、「たたりじゃ!」が流行語にもなったが、日本では祈祷師なる職業はそれほどの正当性はなく、社会的尊敬も集めていない。しかし、本作後半から登場する『国際市場で逢いましょう』で熱演したファン・ジョンミン演じる祈祷師イルグァンのド派手な祈祷ぶりを見ていると、韓国では祈祷師の社会的地位が相当高いことがわかる。また、ジョングの娘ヒジョンの悪霊を退治すべく過酷な除霊の儀式を行うイルグァンに対抗するかのように、日本人の祈祷師であることが明らかにされた、あの「よそ者」も懸命に祈祷を行うのでその「祈祷合戦」に注目!
 私は本作に見る「祈祷行為」の効力を一切信じない。イルグァン祈祷師のド派手な除霊の儀式の中で大いに苦しむヒジョンの姿を見たジョングも、結局は私と同じだったようで、最後にはイルグァンに対して「もうやめろ!」と命令することに。もっとも、本作ラストに向けてはイルグァンが日本人の「よそ者」を犯人だと決め付けた過ちを認め、ターゲット(犯人)をジョングの前に現れた謎の女ムミョン(チョン・ウヒ)に絞ったため、ストーリーは新たな局面に移っていくことになる。少なくとも、そういう意味ではイルグァンの祈祷は大きな効果があったのかもしれないので、ジョングたち警察官の捜査とは別の道のりで進む祈祷の役割について、本作ではしっかり考えたい。

<黒澤明監督ばりの(?)撮影のリアリズムにも注目!>
 本作は2時間36分の長尺だが、次から次へと観客の興味と目を引き付けるシークエンスが登場してくるため、居眠りできる状況でないことはもちろん、一時も飽きさせることがなく緊張感が続いていく。緊張感が続くのは、エクソシスト的、セブン的、ゾンビ的なストーリー展開に引きずり込まれるためであることはもちろんだが、黒を基調とした暗い映像のリアリズムが黒澤明監督ばりに(?)本物であることも大きく影響している。
 パンフレットの「プロダクション・ノート」を読むと、「完璧なロケ地を求め、韓国全土で撮影」「雨も光も本物!驚嘆すべきリアリズム」「韓国映画界最高のスタッフが集結」とあるが、本作の映像を見ていると、まさに黒澤明監督ばりの撮影のリアリズムがよくわかる。基本的に暗いトーンで統一し、揺れ動くカメラで不安感を出したり、雨のシーンを多用するのは中国の婁燁(ロウ・イエ)監督の特徴だが、本作もそれと同じように暗いトーンで統一されているし雨のシーンも多い。もっとも、本作ではイルグァン祈祷師が松明の光を中心とした演出(?)の中で、ド派手な笛・太鼓の音をたてながら、ド派手に踊り回りながら祈祷をするシーンが数回映し出されるので、全体的な暗いトーンの撮影とこのド派手なシーンをしっかり対比させながら、黒澤明監督ばりの(?)撮影のリアリズムにも注目したい。

<結末は如何に?>
 エクソシスト的テイストの強い本作では、子役のヒョジンでも人間離れした目で両親を見据えながら大声で命令したり、食べ物を貪り食ったりと、悪霊に取り憑かれた姿を熱演しなければならないから大変。それに比べれば、導入部で「事件の目撃者」として登場し、ラストにはイルグァンから「悪霊はよそ者ではなく、あの女だった!」と断言されるムミョンは、静かな演技で全体の緊張感を高めていく「謎の女」だから演技は比較的楽・・・?いやいや、そんなことはないはずだ。他方、ジョングと共に「よそ者」退治のために山狩りに出かけたり、ゾンビのようになった化け物やよそ者が飼っている凶暴な狂犬と「対決」しなければならないジョングの後輩の警察官・ソンボク(ソン・カングク)やソンボクの甥で助祭をしているイサム(キム・ドユン)の演技も大変だ。本作のクライマックスに向けては、ジョングから多額の報酬を受けてヒョジンを悪霊から救うべく、「よそ者」に対して「殺を打った」のが間違いだったと悟った祈祷師イルグァンが、今度はターゲットをムミョンに切り替えていくから、少しテイストが変わるがさてその展開は・・・?
 本作のパンフレットには、小倉紀蔵氏の「霊が社会をつくる」というコラム(論文?)があり、そこでは韓国の映画やドラマに最も頻繁に出てくる「おまえは何者だ?」「おまえは一体誰なんだ?」というセリフをめぐって、西洋近代とは違う韓国的な悪霊についての小難しい理屈が展開されている。しかして本作の結末は如何に?
 前述した『キネマ旬報』の「ナ・ホンジン監督インタビュー」にもあったように、本作は「何度見ても、どのように見ても謎が残る。」「パズルのラストピースがピタリと嵌まり、謎が解け、溜飲下がってカタルシスを得るようなタイプの映画ではない」から、その結末をどう見るかはあなたの解釈次第だ。
                                  2017(平成29)年3月17日記