洋17-29

「エリザのために」
    

                 2017(平成29)年2月23日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督・脚本・製作:クリスティアン・ムンジウ
ロメオ・アルデア(エリザの父、警察病院の外科医)/アドリアン・ティティエニ
エリザ(ロメオの娘)/マリア・ドラグシ
マグダ(ロメオの妻、エリザの母親)/リア・ブグナル
サンドラ(35才の英語教師、ロメオの愛人)/マリナ・マノヴィッチ
警察署長(ロメオの友人)/ヴラド・イヴァノフ
シェルバン(試験委員会の委員長)/ジェル・コルチャグ
マリウス(エリザの恋人)/ラレシュ・アンドリチ
ブライ(副市長)/ペトレ・チュボタル
ロメオの母/アレクサンドラ・ダビデスク
イヴァスク(検察官)/エマヌエル・パーヴ
アルブ・マリアン(検察官)/ルチアン・イフリム
ジェル(似顔絵担当)/アドリアン・ヴァンチーカ
2016年・ルーマニア、フランス、ベルギー映画・128分
配給/ファインフィルムズ

<「ルーマニアン・ニューウェーブ」に注目!>
 1980年代中盤以降、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『黄色い大地(黄土地)』(84年)(『シネマルーム4』12頁参照)、張藝謀(チャン・イーモウ) 監督の『紅いコーリャン(紅高梁)』(87年)(『シネマルーム4』16頁参照)を代表として世界に羽ばたいた中国映画は「中国ニューウェーブ」と呼ばれ、世界各地の映画祭を席巻しさまざまな賞を受賞した。これは1966年から77年まで約10年間続いた文化大革命が終わり、翌78年に再開された北京電影学院の第1期生として、1982年に「第5世代」と呼ばれるチェン・カイコーやチャン・イーモウらが精力的な映画製作を展開したことによるものだ。そしてそれは、たちまち「香港ニューウェーブ」にも広がっていった。
 そんな、今やアメリカと肩を並べるほどの超大国となった中国に比べると、ソ連の西側にあるルーマニアはちっぽけな国。しかし今、その映画界では「ルーマニアン・ニューウェーブ」が起きているらしい。それをリードするのは、2007年の長編第2作『4ヶ月、3週と2日』(07年)(『シネマルーム18』334頁参照)で、チャウシェスク独裁政権末期1987年のルーマニアを舞台に、妊娠をしたルームメイトの違法な中絶を助けようと駆け回る主人公の1日を描き、2007年の第60回カンヌ国際映画祭でルーマニアに初の最高賞パルムドールをもたらしたクリスティアン・ムンジウ監督だ。それに続いて、2013年の第63回ベルリン映画祭ではカリン・ペーター・ネッツアー監督が『私の、息子』(13年)(『シネマルーム33』175頁参照)で金熊賞(最高賞)を受賞したから、ルーマニア勢の勢いはすごい。さらに、クリスティアン・ムンジウ監督は『汚れなき祈り』(12年)(『シネマルーム30』未掲載)で2012年の第65回カンヌ映画祭の女優賞、脚本賞をW受賞し、本作で2016年の第69回カンヌ映画祭で監督賞を受賞したからさらにすごい。この一連の流れを「ルーマニアン・ニューウェーブ」と呼んでいるわけだ。
 もっとも、中国は1980年代後半以降の鄧小平による「改革開放政策」で経済発展(国力増強)につとめたから、中国映画も一大勢力になっていったが、本作で主人公のロメオ・アルデア(アドリアン・ティティエニ)が再三強調しているように、民主化に失敗したルーマニアは「今やどうしようもない国」になっているらしい。すると、映画は国力の発展と共に発展するものだとすれば、「ルーマニアン・ニューウェーブ」は今後どうなっていくの?ルーマニアの「どうしようもない国」化が進み、国力が衰退していけば、「ルーマニアン・ニューウェーブ」も同時に衰退していくの?

<東欧革命とは?ルーマニアも民主国家に!>
 1989年という年は、①東西冷戦の象徴となっていた「ベルリンの壁の崩壊」、②中国で「天安門事件」が発生、という世界史を揺るがす「二大事件」が起きた年。その1989年には、1985年にソ連邦の新指導者となったミハイル・ゴルバチョフが始めたソ連型社会主義の範囲内での自由化・民主化(ペレストロイカ)の影響を受けた「東欧革命」が起き、その中の1つであったルーマニアも唯一武力によって共産党政権が打倒された国になった。
 私たちもその名前を知っているルーマニアのチャウシェスク大統領は、国軍が民主化デモを援護し、治安部隊との武力衝突に陥る中で逮捕され、特別軍事法廷によって「大量虐殺と不正蓄財の罪」で死刑判決を受け、即日銃殺刑が執行された。そしてその後1990年5月の自由選挙によって、民主的なルーマニアが築かれていくことになった。ルーマニア以外の東欧諸国では、自由選挙の下でも多かれ少なかれ旧共産党が議席を獲得したが、ルーマニアではゼロ。共産党そのものが一時非合法にされたらしい。
 その後、大統領も民主的選挙によって選ばれたから、民主国家・ルーマニアの将来は万々歳!

<今のルーマニアでは、娘の将来は留学が唯一の希望!>
 今は警察病院に勤める外科医になっているが、若き日の1989年にルーマニアの民主化運動に参加し、民主的選挙で大統領を選んだ当時のロメオは、「民主国家ルーマニアの将来は万々歳!」と確信していたはずだ。しかし、妻マグダ(リア・ブグナル)との間に生まれた一人娘エリザ(マリア・ドラグシ)の留学を目前に控えている2016年の今、ロメオはそんな期待が完全に幻影だったことにハッキリと気付いていた。いや、自分たちの力でいい国をつくりあげるという夢が幻想にすぎなかったことは、エリザが生まれた時点でロメオはハッキリわかっていたようだ。そのため、ロメオは自分たち夫婦はこのままルーマニアで朽ち果てても仕方ないが、娘だけは広い世界で自由に生きさせたい。そんな思いでロメオはエリザに英語の家庭教師をつけて勉強させ、イギリスのケンブリッジ大学への留学を目指してきた。
 そんな話を聞くと、ロメオの願いは中国共産党の幹部や政府の高官たちが自分の息子や娘を外国の一流大学に入学させたいと強く願っているのと全く同じだ。もっとも、中国の場合は、自分たちの特権を我が子に引き継がせたいとか、財産を国外に移転しておきたい等の不純な動機によるものが多い。それに比べると、ロメオの場合は娘のイギリスへの留学を唯一の希望としてきたのは娘の幸せを願う親としての純粋な動機だが、そのためにはもちろん金と本人の努力が必要だ。そしてロメオの場合は医師としてそれなりの収入があったし、小さい時から英才教育を受けてきたエリザの成績も順調に伸びていたから、明日から始まる大学受験資格を兼ねる卒業試験さえ普通に実力を出し切って乗り切れば留学はOK。そう思っていたが、スクリーン上では冒頭からあっと驚く大事件が・・・。

<仕事も真面目、娘の教育も熱心。しかし家庭は・・・?>
 クリスティアン・ムンジウ監督の映画は、『4ヶ月、3週と2日』を観ても『汚れなき祈り』を観ても、そのストーリー展開は時系列に沿ったオーソドックスなもので奇をてらったところが一切ないからわかりやすい。その点は『Mommy/マミー』(14年)(『シネマルーム36』256頁参照)で2014年カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞し、『たかが世界の終わり』(16年)で2016年カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した、若きカナダの天才グザヴィエ・ドラン監督の作品が、どちらかと言うと説明不足で難解なのと好対照だ。
 もっとも、本作冒頭はロメオの住む家の中に石が投げ込まれ、窓ガラスが割られるシーンから始まり、中盤ではロメオの車のフロントガラスも割られるが、その犯人は一向に明らかにされないから何となく不気味。また、体調の悪い妻に代わって娘に朝食の準備をし、通勤途中とはいえ娘を車に乗せて学校まで連れて行く姿を見ると、ロメオは仕事にも家事にも娘の教育にも熱心な満点パパ・・・?一瞬そう思ったが、次のシーンでは若い女性とベッドの中でネチネチと愛を交わすシーンが登場してくるからアレレ・・・。
 この女性は35才になる英語教師のサンドラ(マリナ・マノヴィッチ)。ロメオがこのサンドラと不倫関係にあることは妻のマグダには知られており、既に夫婦関係が破綻していることは中盤になるとわかってくる。しかし、もちろん娘のエリザにはそのことは内緒だ。そんな出勤前のちょっとした不倫のいい時間(?)に携帯が鳴ったためロメオがやむなく電話口に出ると、何とエリザが暴漢に襲われたとの報告が!ロメオが急いで病院にかけつけて、友人である警察署長(ヴラド・イヴァノフ)から事情を聞くと、幸いなことにレイプまでには至らず右腕にケガをしただけだったが、エリザの精神的ショックは大きく、これでは明日の卒業試験をまともに受けられるかどうか心配だ。娘を車から降ろした後、あなたは一体どこにいたの?と問いただすマグダに対して、「話しは後だ」とはぐらかしたものの、娘をちゃんと校門の前で降ろさず愛人の元へ駆けつけたことを、その後ロメオは妻にどう説明するの?さらに、ショックを受けたエリザの明日の卒業試験をエリザにどう乗り切らせるの?

<コネと口利きの大展開に注目!日本や中国との比較は?>
 朝食時の何者かによる家の中への投石事件から始まる本作は、ロメオの5日間の動きが時系列に沿って描かれていく。しかして、本作中盤はそのコネと口利きの大展開にビックリ!ロメオは警察病院内では手術への謝礼も受け取らない高潔で優秀な医師として有名らしいが、レイプ事件、いや強姦未遂の傷害事件でショックを受けたエリザが、ちゃんとした状態で卒業試験を受けることができるようにするためなら、今はどんなコネの活用や口利きだって・・・。本作中盤では、そんな風に開き直ったロメオが①友人の警察署長、②肝硬変のためドナーを探している副市長のブライ(ペトレ・チュボタル)、③試験委員会の委員長シェルバン(ジェル・コルチャグ)を核として展開するコネの大活用と口利きの実態に注目!
 日本では現在、国会で安倍首相の妻・昭恵氏が名誉校長を勤めていた「森友学園」への豊中市にある国有地の「格安払下げ問題」を巡って疑惑の追及がなされているが、本作に見るロメオのコネの活用と口利きに比べれば、そんなものは小さい小さい・・・。逆に中国では、ここ数年「虎もハエもたたく!」をスローガンとした習近平国家主席による腐敗撲滅運動が続く中で共産党幹部や政府高官の腐敗が次々と摘発されてきたが、その規模の大きさに比べれば、スクリーン上でロメオが展開しているコネの活用や口利きなど小さい小さい・・・。
 それはともかく、今日まで真面目に外科医として働いてきたロメオは、今なぜそんな行動を?それを知ったエリザは、それをどう受け止めるの?試験で合格点をもらうためには、自分の答案用紙にある目印をつければいいだけ。エリザはロメオからそう説明されたが、さてエリザはどうするの?

<検察官の登場で万事休す!そう思ったが・・・>
 本作最大の「論点」は、ロメオのコネと口利きを最大限活用したエリザの受験対策の成否。しかし、ロメオがそれに奔走する5日間の中では、①ロメオの母親(アレクサンドラ・ダビデスク)が倒れて死亡する物語、②それを知らせにきたエリザに父親の不倫が発覚したため、ロメオとマグダが離婚と別居を決意する物語、さらに③口利きに大きな役割を果たした副市長のブライが、肝臓移植の前に別の手術を決めたにもかかわらず突然死亡してしまう物語、等々がテンコ盛りになるから、観客は2時間8分の間決して居眠りすることができない緊張感の中に置かれることになる。
 本作中盤の展開を見ていると、よくぞまあこんな人脈が!こんなコネが!こんな口利きのやり方が!そして最後に、よくまあこんな不正受験のやり方が!とビックリさせられる。その展開から浮かびあがってくる最大の焦点は、エリザがそんな不正受験を受け入れるのかどうかだが、本作後半はそれとは別に2人の検察官イヴァスク(エマヌエル・パーヴ)とアルブ・マリアン(ルチアン・イフリム)が登場してくるから、俄然別の緊張感が増してくる。そのきっかけは、『スノーデン』(16年)でも顕著だった携帯の盗聴と録音だ。検察官の説明がハッタリでなく、ロメオと副市長や試験委員会の委員長との携帯での会話が録音されていれば万事休す!いくら警察署長だって、もはやそのもみ消しはできないはずだ。
 スクリーン上でもロメオは虚しい抵抗はせず、検察官の出頭要請には逃げ隠れしないで応じると明確に答えていた。これは、元東京都知事・石原慎太郎氏が今般都議会に設置された「百条委員会」に逃げ隠れせず出頭すると言っているのと同じ対応だが、ロメオの供述如何では公職にある副市長の逮捕はもとより、場合によればロメオの逮捕も・・・?私はてっきりそう思ったが、さてスクリーン上の展開は?

<日本は平和で安心・安全な国!さてあなたなら?>
 日本では目下、文部科学省の役人の組織的「天下り問題」も国会で厳しく追及されている。しかし、2月10日のトランプ大統領との首脳会談を成功させた(?)安倍政権の支持率は高く、日本はアメリカやヨーロッパ、さらには激動を続けている中国に比べれば、平和で安心・安全な国。もちろん、1989年のルーマニア革命によって民主化されながら、ロメオが言うように、腐ってしまい、若者が自由な生き方が選べない今のルーマニアに比べれば日本はずっとずっとマシな国だ。
 近時、法科大学院の制度をめぐってさまざまな変化が起きているが、そこで起きた不正問題といえば、2015年に司法試験委員である明治大学法科大学院の青柳幸一教授が教え子の20代女性に司法試験の問題を漏えいしたという事件くらいで、それ以外の不正問題は起こっていない。つまり、日本はそれほど公正性、透明性が高く民主的で自由な国、そして頑張れば頑張るだけその努力が報われる国ということだ。少なくとも私は、そんな公正で透明性の高い自由競争社会の下で、自分の努力で現在の地位や財産を築いてきたと思っている。
 しかし、もし私がロメオの立場なら?私はどうする?そして、今の日本を生きる若者であるあなたがエリザの立場なら?あなたはどうする?本作ラストでは、ロメオが仕掛けたさまざまなコネと口利きの中でエリザがいかなる行動をとったのかが明らかにされるが、その結果、合格したのかどうかは明らかにされない。つまり、その結果はどうでもよく、それは観客一人一人が考えるべき問題なのだ。本作でクリスティアン・ムンジウ監督はきっとそう言いたかったのだろう。そんなクリスティアン・ムンジウ監督の思いを斟酌しながら、一人一人本作の結末をじっくり味わいかつ考えたい。
                                 2017(平成29)年2月27日記