洋17-28

「ブラインド・マッサージ(推拿)」
    

                  2017(平成29)年2月19日鑑賞<シネマート心斎橋>

監督:婁燁(ロウ・イエ)
原作:畢飛宇(ビー・フェイユイ)『ブラインド・マッサージ』(白水社刊)
小馬(シャオマー)(マッサージ院で働く盲人の青年)/黄軒(ホアン・シュエン)
沙復明(シャー・フーミン)(沙宗琪マッサージ院の共同経営者)/秦昊(チン・ハオ)
王大夫(ワン・ダイフ)(沙の同級生、小孔の恋人)/郭暁冬(グオ・シャオトン)
張宗琪(チャン・ソンギ)(沙宗琪マッサージ院の共同経営者)/王志华(ワン・ジーファ)
都紅(ドゥ・ホン)(美人と評判の全盲のマッサージ師)/梅婷(メイ・ティン)
小蠻(シャオ・マン)(風俗嬢、小馬の恋人)/黄璐(ホアン・ルー)
小孔(シャオ・コン)(王の恋人)/張磊(チャン・レイ)
2014年・中国、フランス映画・115分
配給/アップリンク

<ロウ・イエ監督作品は必見!久々に有料で鑑賞>
 私が婁燁(ロウ・イエ)監督の名前を明確に意識したのは、2007年に『パープル・バタフライ(紫蝴蝶/PURPLE BUTTERFLY)』(03年)を観たとき。同作は章子怡(チャン・ツィイー)が『HERO(英雄)』(02年)(『シネマルーム3』29頁参照)と『LOVERS』(04年)(『シネマルーム5』353頁参照)の谷間に(?)抗日活動組織の活動家というすごい役に挑戦した映画で、日本からは仲村トオルが共演した、ものすごい問題提起作だった(『シネマルーム17』220頁参照)。同監督の前作『ふたりの人魚』(00年)が美人女優・周迅(ジョウ・シュン)を一人二役で起用したファンタジー色あふれる美しい映画だった(『シネマルーム5』253頁参照)だけに、その対比にびっくりしたものだ。
 その後も、同監督の映画は『天安門、恋人たち(頣和園/Summer Palace)』(06年)(『シネマルーム21』259頁参照)、『スプリング・フィーバー(春風沈酔的晩上)』(09年)(『シネマルーム26』73頁参照)、『パリ、ただよう花(Love and Bruises)』(11年)(『シネマルーム32』136頁参照)、二重生活(浮城謎事/Mystery)』(12年)(『シネマルーム35』152頁参照)と問題提起作が続いていたので私はすべて鑑賞していたが、本作はなかなか日本公開されなかったため、iPadの中国映画サイトで少し見ていただけだった。ところが、今般やっとシネマート心斎橋で公開されることになったため、こりゃ必見!久しぶりにシニア料金を払って鑑賞することに。

<盲人たちの青春群像劇は超異色!>
 映画には「群像劇」というジャンルがある。ハリウッドの『オーシャンズ11』(01年)(『シネマルーム1』32頁参照)、『オーシャンズ12』(04年)(『シネマルーム7』140頁参照)、『オーシャンズ13』(07年)(『シネマルーム15』28頁参照)も一種の群像劇だし、ロードムービーでもあった中国映画『グォさんの仮装大賞(飛越老人院/FULL CIRCLE)』(12年)は老人の群像劇でもあった(『シネマルーム32』62頁参照)。
 しかし、群像劇として圧倒的に多いのは青春群像劇だ。古くは日本の『青い山脈』(49年)がその典型だし、台湾映画・中国映画では、『九月に降る風(九降風)』(08年)(『シネマルーム23』138頁参照)、『あの頃、君を追いかけた(那些年,我們一起追的女孩)』(11年)(『シネマルーム34』377頁参照)、『南風』(14年)(『シネマルーム34』381頁参照)、『So Young~過ぎ去りし青春に捧ぐ~(致我們終將逝去的青春)』(13年)(『シネマルーム34』385頁参照)等がすべてそれだ。この4作を見てもわかるとおり、「青春群像劇」と言えば美男美女を主役とした明るく前向きのものが多い。ところが、ロウ・イエ監督の本作は南京にある沙宗琪(シャー・ソンギ)マッサージ院を舞台とした盲人たちの青春群像劇だから、超異色!
 盲人の観客(?)を意識しているためか、本作は冒頭の字幕によるキャスト紹介にもナレーションが入る異色ぶり。全編を通じてストーリーの軸となるのは、幼い頃に交通事故のために視力を失った青年・小馬(シャオマー)(黄軒(ホアン・シュエン))。ある時「いつか回復する」という医師の診断がインチキだったことを知った彼は自殺を試みたが、それに失敗した後はやっと盲人として生きる道を選び、鍼灸師の免許をとり、今は晴れて沙宗琪マッサージ院で仕事を始めることに。沙宗琪マッサージ院は張宗琪(チャン・ソンギ)(王志华(ワン・ジーファ))と沙復明(シャー・フーミン)(秦昊(チン・ハオ))の2人が共同経営しており、そこで働くマッサージ師は全員盲人だが、小馬のような後天的な盲人と沙復明のような先天的な盲人とは大きくその意識が違うらしい。そういう点を含めて、登場人物が全員盲人という超異色の青春群像劇たる本作をタップリ堪能したい。

<マッサージ院の経営は?技術は?待遇は?>
 私は2000年の夏休みから中国旅行に頻繁に行き始めたが、中国旅行では足つぼマッサージに行くのが恒例のお楽しみになった。中国式足つぼマッサージは最高!日本では梅田にある「大東洋」で中国人留学生がバイトで本場の中国式足つぼマッサージをやっていたので何年間も通っていたものだ。北京や上海では設備の豪華な高級マッサージ店が多く、値段も高いが技術はイマイチ。逆に雲南省などの田舎では、本作のような盲人のマッサージ師の店に行くと、1時間40元(約800円)と安いうえ技術が良く、心から満足できる店が多かった。しかして、張宗琪と沙復明が共同経営している南京にある沙宗琪マッサージ院の経営は?技術は?待遇は?
 経営面はスクリーン上では語られないからよくわからないが、少なくともボロもうけしていることはないようだ。技術面では次々と客が入ってくる姿を見ていると、客は結構満足している様子だ。他方、マッサージ師の待遇を見ると、この店のマッサージ師は全員寮住まいだが、個室ではなく2段ベッドの大部屋だから決して良いとは言えない。もちろん男女は別々の部屋だが、何と友人の沙復明を頼ってやってきた王大夫(ワン・ダイフ)(郭暁冬(グオ・シャオトン))と恋人の小孔(シャオ・コン)(張磊(チャン・レイ))の2人が働くことになると、2人の待遇は?さすがに2人で1つのベッドということはないが、若い恋人同士が愛を交わすベッドがどこになるのかというとさて・・・?院長の沙復明も王大夫と小孔をセットで雇い入れるのなら、それくらいの配慮はすべきだと思うのだが・・・。

<盲人の男女にとっての美とは?美人とは?>
 「美人」という言葉は普通見た目の女性の美しさを表現する言葉だから、盲人の男女にとってそれはどこまで意味があるの?そんなことは普通考えたこともないが、本作では沙宗琪マッサージ院No.1の美人だと言われている都紅(ドゥ・ホン)(梅婷(メイ・ティン))をめぐって、そんなテーマを考えざるをえなくなる。男がクラブやバーに通うのはお目当てのホステス狙いだし、風俗店に通うのもお目当ての風俗嬢がいるためだ。しかし、マッサージ店に通うのはマッサージ嬢の美人度ではなくマッサージの技量に期待しているはず。少なくとも私はそう思うのだが、本作を見ていると必ずしもそうでもないことがよくわかる。
 沙宗琪マッサージ院を共同経営している張宗琪は仕事一筋の男。しかし、もう一人の共同経営者である沙復明は結婚を夢見て見合いをくり返していたが、視覚障害者であることが理由ですべて破談していた。彼は先天性の全盲だからもともと美という概念を理解できないが、そのため逆に美人だと評判が高い都紅への興味が尽きないらしい。そのため彼はさかんに都紅に対してモーションをかけ続けたがさて都紅の方は?
 都紅も先天性の全盲だから、都紅にとってはいくら美人だと言われても意味がないらしい。『ふたりの人魚』で一人二役を演じた「中国四大名旦」の一人である周迅は丸顔の可愛い系の美人だが、周迅と同じく「中国四大名旦」の一人である徐静蕾(シュー・ジンレイ)は細面の正統派美人。そして私が思うに、本作で都紅を演じた梅婷は徐静蕾に良く似た正統派美人だ。もっとも、それは沙宗琪マッサージ院に通う健常者の男たちが都紅を見て言うことで、都紅自身は目、鼻、口等の「つくり」を自分の手でなぞり、美人とはどんなものかをイメージしなければならないが、それが極めて難しいのは仕方ない。したがって、健常者の女性なら男たちから美人だ美人だと言われる言葉は毎日いくら聞いても聞き飽きることはないだろうが、都紅にとっては、美人だという男たちの言葉はほとんど意味を持たなかったらしい。このように、何の意味ももたない「美」や「美人」という言葉に嫌気がさしている都紅は、美人に興味を持ち、さかんにちょっかいを出してくる沙復明にどのように対応するの?ロウ・イエ監督は男だが、本作ではそこらの都紅の気持ちを見事に表現しているのでそれに注目!

<盲人の男にとっての香りは?小馬のターゲットは?>
 若い男にとって性の欲望や衝動はどうしようもないもの。それが犯罪に結びつくとヤバいが、本作の寮でも二段ベッドの上のベッドで恋人同士の王大夫と小孔が愛を交わしていると、いくら盲人だからその様子が見えないとはいえ、音や香りでその雰囲気が伝わってくるからかなりヤバい。盲人の青春群像劇たる本作の出演者は、プロの俳優は4人だけで、他はすべてホンモノの盲人のマッサージ師。そして、王大夫の恋人・小孔を演じた張磊は女優ではなく、ホンモノの全盲のマッサージ師だ。前述したとおり、都紅役の梅婷は中国四大女優の一人、徐静蕾によく似た美人で演技も達者だが、張磊の方はポッチャリ型でお世辞にも美人とはいえないうえ、演技は素人だということがミエミエ。しかし、素人娘が出演したAVが妙に男を興奮させるのと同じように、本作の小孔は王大夫とのベッドシーンで妙に男を興奮させる演技(?)を見せるので、それに注目!
 しかして、小孔の色香をすぐ身近に感じた小馬は、次第に小孔への想いを強めることになったからこりゃヤバい。同じ店の中でマッサージ師同士の三角関係がこじれてくると、一騒動起こることは確実だ。それを感じて、小馬に対して「小孔を諦めろ」と諭し、「風俗店にいい女がいるぞ」と誘った先輩の全盲マッサージ師は偉い。小馬は最初はイヤイヤその先輩について風俗店に入ったものの、そこで小蠻(シャオ・マン)(黄璐(ホアン・ルー))という美人の風俗嬢を紹介されサービスしてもらうと、以降やみつきになることに。しかして、本作全体のストーリーの軸となる小馬の恋愛劇は、中盤からそのターゲットが小孔から小蠻に変わり、後半の波乱のドラマが展開していくことになるのでそれに注目!

<雨の演出とカメラワークに注目!>
 ロウ・イエ監督と言えば、『ふたりの人魚』でも『パープル・バタフライ』でも雨のシーンが印象的だったが、さて本作では?また『スプリング・フィーバー』でも『パリ、ただよう花』でも、手持ちカメラによる不安定な揺れるスクリーンが印象的だった。しかして、さて本作に見るロウ・イエ監督特有のカメラワークは?
 ロウ・イエ監督の1つの特徴である雨の演出は、小馬が小蠻の客からボコボコに殴られるシークエンスで顕著になる。王大夫の恋人だと知りながら小孔にあれほど入れあげていた小馬が、小蠻を知った後は突如小蠻に方向転換!その理由は、いうまでもなくなかなかエッチさせてくれない小孔よりも、通うたびに有料ながら質のいいサービスを提供してくれる小蠻の方に若い男の性が傾いていったためだ。そんな場合に男がよく誤解するのは、自分が小蠻を好きになっていけばいくほど、小蠻も自分を好きになってくれていると思い込むこと。その実態は、風俗嬢の小蠻が盲人の小馬にも分け隔てなく平等に性的サービスを提供していただけなのだ。ところが、よくあるそんな男の誤解から、ある日小馬は小蠻の先客の男に対して文句をつけたから、さあ大変。その男が怒ったのは当然で、女たちが「盲人だから勘弁して!」といくら中に入ってもヤクザ風のその男は許してくれず、結局小馬は半殺し状態にされることに。すると、それを見ていた小蠻の気持ちは?そんな展開を受けて、本作ラストではロウ・イエ監督とは思えない(?)意外に常識的な展開になるのでそれに注目!
 他方、本作では全体を通じて盲人の目を意識したような、あえてカメラの焦点をぼやかした撮影が目立っているが、後半からはそんな本作特有のカメラワークが一層顕著になるのでそれにも注目!

<意外に優等生的なラスト(?)にビックリ!>
 本作後半には突然借金の取立屋(ヤクザ?)が王大夫を訪れ、王大夫の弟が借りたカネを返せ!とすごんでくる少し異質な物語が登場し、それをめぐる王大夫の「ある奮闘」の姿が描かれる。小孔との結婚資金として貯めこんでいたカネを弟のために泣く泣く使うのかなと思っていると、物語はいかにもロウ・イエ監督流の(?)意外な方向に進んでいくが、私はこの展開はあまり好きになれない。しかして、そんな風に王大夫の身の上に突然起きた不幸は、王大夫と小孔の恋人関係にいかなる影響を・・・?他方、小馬の方も小蠻の客だったヤクザ風の男にボコボコにされる大災難となったが、こちらは「雨降って地固まる」のことわざどおり(?)、これによって小馬と小蠻との間に強い心の絆が生まれたらしい。その結果、南京の沙宗琪マッサージ院を舞台にくり広げられた青春群像劇は、数年後「あるまとまり」を見せていくのでそれに注目!
 ウクライナ映画の『ザ・トライブ』(14年)はサイレント映画へのオマージュを表現したもので、「全編手話、字幕なし」という異色作だった。そこでは、ろうあ者専門の寄宿学校での売春を中心としたトライブ(族)たちの悪の営みと、その中での主人公の悩みと反逆のストーリーが展開されていたし、ラストでは驚愕の暴力的シーンが展開されていた。したがって、その暴力的結末にビックリし、私は「これぞまさにろうあ者の世界!」とまとめた(『シネマルーム36』246頁参照)が、それに比べるとロウ・イエ監督の出演者が全員盲人という本作は上記のとおり意外に優等生的なラストになる(?)のでそれに注目!
                                   2017(平成29)年2月24日記