洋17-22

「ショコラ 〜君がいて、僕がいる〜」
    

                      2017(平成29)年2月8日鑑賞<テアトル梅田>

監督:ロシュディ・ゼム
原案:ジェラール・ノワリエル『ショコラ―歴史から消し去られたある黒人芸人の数奇な生涯』(集英社インターナショナル刊)
ショコラ(ラファエル・パディーヤ)(黒人芸人)/オマール・シー
ジョルジュ・フティット(白人芸人)/ジェームス・ティエレ
マリー・グリマルディ(看護師、後にショコラの妻)/クロチルド・エム
ジョゼフ・オレール(ヌーヴォー・シルクの座長)/オリヴィエ・グルメ
デルヴォー(デルヴォー座の座長)/フレデリック・ピエロ
デルヴォーの妻/ノエミ・ルボフスキー
カミーユ(デルヴォー座の踊り子、ショコラの恋人)/アリス・ドゥ・ランクザン
ジェミエ(アントワーヌ劇場の座長)/オリヴィエ・ラブルダン
ヴィクトール(黒人の政治的思想犯)/アレックス・デスカス
2015年・フランス映画・119分
配給/東北新社、STAR CHANNEL MOVIES

<白人と黒人の伝説的コンビが映画に!>
 日本では落語の歴史は古いが、漫才の歴史は比較的新しい。漫才の伝説的なコンビは古くは「エンタツ・アチャコ」(横山エンタツと花菱アチャコ)、新しくは「やすきよ」(横山やすしと西川きよし)だがフランスでは?日本で明治政府が成立したのは1886年だが、その前には幕末の殺伐とした殺し合いの時代があった。ところが、その幕末の政治闘争の時代、1855年と1867年に万国博覧会が開かれたパリは、世界の文化の中心として花開いていた。
 そんな時代のそんなパリでは、サーカス(シルク)がもっとも庶民の人気を集める娯楽の1つだった。伝統的な曲馬芸を中心とした格式高いステージと、趣向を凝らしたパントマイム劇や道化芸が人々を楽しませていたわけだ。そして、上流階層向けの豪華なサーカス座として1886年にパリの一等地で開業したヌーヴォー・シルクの劇場では、白人と黒人のコンビ「フティット&ショコラ」が爆発的な人気を集めていた。
 アメリカの南北戦争は1861年~1865年。その真っただ中の1862年にリンカーンが「奴隷解放宣言」をしたことによってアメリカでは奴隷制が廃止されたが、ヨーロッパ大陸では奴隷制は法的には廃止されていたものの、家事使用人という名目で奴隷状態に置かれていたそうだ。そんな時代のフランスのパリで、なぜ「フティット&ショコラ」のコンビが爆発的人気を得たの?

<大ヒット作『最強のふたり』における2人の出会いは?>
 2012年の第84回アカデミー賞では、フランス初の無声映画『アーティスト』(11年)(『シネマルーム28』10頁参照)が席巻したが、本場のフランスで『アーティスト』を押しのけてセザール賞の主演男優賞を受賞したのは、『最強のふたり』(11年)(『シネマルーム29』213頁参照)のオマール・シー。また『最強のふたり』はフランスで公開後10週連続興行収入第1位を続けた他、フランス人の3人に1人が観たという大ヒットになった。
 首から下が麻痺した大富豪と、スラム育ちの黒人青年のコンビを主人公として、悪貨が良貨を駆逐するのではなく、「本音」が「建前」を駆逐していく人生ドラマとそこから生まれる「爽快感」を描いた同作は、まさにその年におけるフランス「最強の映画」になったわけだ。
 同作における大富豪と黒人青年の出会いは、不採用の通知を3枚もらえば失業手当が支給されるという、いかにもフランスらしい制度(?)の下での設定だから、「採用」は想定外だった。それに対して、本作に見る白人と黒人のコンビ「フティット&ショコラ」の登場はなぜ?

<あちらのコンビはたしかに最強!だが、こっちだって!>
 1897年、フランス北部を巡業中のサーカス「デルヴォー座」で「黒んぼの王カナンガ」として働いていた(くだらない芸を見せていた)黒人青年ラファエル・パディーヤ(オマール・シー)がジョルジュ・フティット(ジェームス・ティエレ)とコンビを組んだのは、フティットからの働きかけによるもの。つまり、当時既に落ち目になっていた道化師フティットが、座長のデルヴォー(フレデリック・ピエロ)から「20世紀に入る中、カネを払う観客に喜ばれる新しいネタを!」と罵倒される中、当時としては前代未聞の白人・黒人コンビによる大道人芸を思いついたわけだ。デルヴォーが試験的にこれを一座の演目に入れてみると、たちまち人気が人気を呼んだから面白い。カナンガは新たな芸名「ショコラ」となり、白人・黒人コンビの「フティット&ショコラ」はデルヴォー座の目玉商品となった。ショコラはデルヴォー座で曲馬芸をやっていた女性カミーユ(アリス・ドゥ・ランクザン)と懇ろになり、ショコラとフティットの生活もやっと安定することに。
 ショコラはその生活に充分満足していたが、そこに2人をスカウトにやってきたのが、ヌーヴォー・シルクの座長ジョゼフ・オレール(オリヴィエ・グルメ)。その条件(ギャラ)は破格のものだし、テントを張って各地を巡業する田舎のサーカス、デルヴォー座と、パリの一等地に自前の劇場を持つヌーヴォー・シルクとは根本的に格が違う。オレールがもたらしたそんな人生の一大飛躍のチャンスに、2人が燃えに燃えたのは当然だ。
 『最強のふたり』に見る2人と同じように、この時期におけるショコラとフティットのコンビは「最強のふたり」に見えたがさて・・・?

<人気が出ると、酒、女、バクチ・・・>
 現在はトップ芸人としてだけでなく、司会や映画監督としても大活躍しているビートたけし(北野武)もかつては「ツービート」として漫才をしていたし、暴力団関係者との「黒い交際」のため2011年に芸能界を引退した島田紳助も「紳助・竜介」として漫才をしていた。しかし、いつの頃からか2人とも相方との能力差が顕著になり、一方だけがトップ芸人になってしまった。それに対して、互いにその才能を認め合いながら、相方を酒とバクチのために(?)失ってしまったのが、「やすきよ」コンビの西川きよしだ。横山やすしの酒とバクチ好きは折り紙つきだったから、その世話(尻ふき)ばかりさせられていた相方の西川きよしはさぞ大変だったことだろう。
 本作中盤では、彼らと同じように(?)酒、女、バクチにのめり込むショコラの姿と、人気の急上昇にもかかわらずあくまで生真面目に自らの芸を磨くことに固執するフティットの対比が興味深い。参議院議員までつとめた西川きよしの家族思いと、生真面目な生きザマは有名だが、家族も持たず、カネも使わず、ただ芸のためのみに生きるフティットも西川きよしのようなもの・・・?もっとも、いくら酒、女、バクチにのめりこんでも舞台上の芸はしっかりやり、人気も上昇し続ければ問題はないが、いつしかショコラが「フティット&ショコラ」コンビにおける「白人に蹴られて客に笑いを呼ぶ黒人」という自分の役割に疑問を持ち始めると・・・。

<ショコラの思想の変革は?>
 『マルコムX』(92年)はすごい映画だったが、同作では刑務所に入れられたマルコムXが勉強に勉強を重ねてイスラム教徒に変わっていく姿が印象的だった。それと同じように、デルヴォーの妻(ノエミ・ルボフスキー)による「身分証を持っていない」とのタレこみによって警察に逮捕されたショコラは、「何をしても黒んぼは黒んぼ。身の程をしれ」とバカにされ、「白くしろ!」と言われながら衣服を剥がされ、ブラシで強く皮膚をこすられる拷問を受けることに。しかし獄中で、政治犯の黒人、ヴィクトール(アレックス・デスカス)から「表向きはみな自由で平等というが、何が光の都パリだ」という洗礼を受けると、少しずつショコラの思想も変革していくことに・・・。
 日本でも少年時代は、暴れん坊で「たけぞう」と呼ばれていた宮本武蔵は、沢庵和尚によって姫路城の天守閣にある「開かずの間」に3年間も幽閉される中、書物を読むことによって思想的に大変革を遂げたが、ヴィクトールから、ショコラが読んだことのあるシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」は白人のものだが「オセロ」は・・・?と聞かされると、がぜんショコラは自分の芸の分野でも変革を求めていくことに。その時点でショコラは、既に夫も子供もいる白人の看護師マリー・グリマルディ(クロチルド・エム)と懇ろになっていたが、マリーの紹介でアントワーヌ劇場の座長ジェミエ(オリヴィエ・ラブルダン)を紹介され、ジェミエからホンモノの黒人による「オセロ」の興行に本気で興味を示されると・・・。
 他方、フティットはあくまで「フティット&ショコラ」のコンビとして、日々新しいネタを探し観客のウケ狙いを模索し続けていたが、相方がこうも変わってしまうと、さてフティットは・・・?ある日、舞台でフティットの平手打ちをかわしたショコラが、逆にフティットの頬を打ったから、フティットはビックリ!ところが、そんな意外な展開に観客が笑い始めると、ショコラはフティットに対して「ほらな。これでも客は笑う。もう終わりだ」とつぶやいたから、これにて2人のコンビはジ・エンド・・・?

<ショコラもいいが、相方の俳優にも注目!>
 本作ラストには、私が映画検定の受験勉強をした時に『映画検定・公式テキストブック』(06年)で学んだリュミエール兄弟が撮ったというホンモノの「フティット&ショコラ」のシネマトグラフの映像が登場する。そこで動き回る、最初は「黒んぼ王カナンガ」としてサーカス芸をスタートさせたショコラが小男だったのは意外だが、リュミエール兄弟が大阪でも今から120年前の1897年2月15日に一般公開されたシネマトグラフによる「動く写真」に「フティット&ショコラ」を登場させたのは一体なぜ?それは言うまでもなく、当時の2人の人気がすごかったからだ。ところがパンフによると、本作でフティット役を演じたジェームス・ティエレはショコラのことを知らなかったというからアレレ・・・。
 両親は「ヌーヴォー・シルク(新しいサーカス)」と呼ばれるショーを催していたためジェームス・ティエレは子供の頃から伝統的なサーカス団たちと親交があったそうだが、ジェームス・ティエレはロシュディ・ゼム監督から聞くまで、フティットとショコラについては何も知らなかったそうだ。私は本作のチラシを見た時からジェームス・ティエレの風貌が喜劇王・チャップリンに似ていると思ったが、本作鑑賞後に調べてみるとジェームス・ティエレはチャップリンの孫。かつて『悲しみは星影とともに』(65年)や『ドクトル・ジバゴ』(65年)(『シネマルーム38』未掲載)に出演していたジェラルディン・チャップリンはチャップリンの娘として有名になったが、何とチャップリンの孫が現役のサーカス団員をしており、これまで15本の映画に出演していたとは・・・。
 もっとも、ジェームス・ティエレのインタビューによると、道化師の役はタブーに近かったらしい。そんな中ジェームス・ティエレがいかなる決意で本作に出演したかはインタビューを読めば明らかだが、本作でジェームス・ティエレは、映画俳優としてショコラ役にうまくはまり込んでいるオマール・シーとは全く違う、ホンモノの道化師像を見せてくれるのでそれに注目!そしてまた、俳優ジェームス・ティエレとしては酒、女、バクチにのめり込むショコラとやむなくコンビを解消する西川きよしと同じ悲哀を見事に演じているのでそれにも注目!
 栄光の時代が長く続かないのは世の習いだが、本作ラストでは第1次世界大戦終了直前の1917年、フティットの最期の床に姿を見せ、ふたりのイラストが載った「パラパラ漫画」のページをめくると動き出す「フティット&ショコラ」に声を出して笑いながら、やがて笑いが嗚咽にかわっていくジェームス・ティエレの演技が印象的なのでそれに注目!

<この監督、この俳優なればこそ、この傑作を!>
 「黒人差別をテーマにした映画」は『マルコムX』、『アミスタッド』(97年)(『シネマルーム1』43頁参照)、『ヘルプ ~心がつなぐストーリー~』(11年)(『シネマルーム28』42頁参照)、『グローリー ―明日への行進ー』(14年)(『シネマルーム36』162頁参照)等々たくさんあるが、本作がそんな系譜の映画の一本として19世紀末の黒人道化師ショコラに焦点をあてたことの意義は大きい。ショコラは世界の文化の中心だった光の都パリで「ヌーヴォー・シルクの花形道化師!」と呼ばれながら、一介の黒人芸人の記憶は記録として語り継がれなかったため、その存在はフランス芸能史から忘れ去られていた。そんなショコラの没後100年を迎える2017年に本作が製作・公開され、そのタイトルとしてまたその主人公としてショコラが蘇り、『最強のふたり』を超える「コンビもの」の大ヒットとなったのは大きな価値がある。
 そんな名作を監督したのは、スペイン男性とアフリカ女性の間に生まれた出自を持つ俳優兼監督のロシュディ・ゼム。他方、ショコラ役を演じたオマール・シーも今はフランス国籍を持ち『最強のふたり』でセザール賞を受賞するほどの大俳優に成長しているが、両親ともアフリカからの移民だから、褐色の肌と白い歯が印象的だ。本作のパンフレットそんな2人の出自と本作との関連性について突っ込んだインタビューをしていないのは残念だが、この監督、この俳優なればこそ、この傑作を!他方、思想犯ヴィクトールとショコラとの議論が中途半端なままで終わっている点がある意味では残念だが、本作がその点にウエイトを置くことを目的としていない以上、本作程度の描き方でやむなしだろう。
                                  2017(平成29)年2月10日記