洋17-11

「ザ・コンサルタント」
    

               2017(平成29)年1月22日鑑賞<TOHOシネマズ西宮OS>

監督・製作総指揮:ギャビン・オコナー
製作総指揮:ジェイミー・パトリコフ、マーティ・P・ユーイング
クリスチャン・ウルフ(会計士、殺し屋)/ベン・アフレック
デイナ・カミングス(リビング・ロボ社の会計士補)/アナ・ケンドリック
レイモンド・キング(財務省犯罪捜査部局長)/J・K・シモンズ
ブラクストン(クリスチャンの弟、殺し屋)/ジョン・バーンサル
ラマー・ブラックバーン(リビング・ロボ社の創立者)/ジョン・リスゴー
メリーベス・メディナ(財務省犯罪捜査部分析官)/シンシア・アダイ=ロビンソン
フランシス・シルバーバーグ(マフィア・ガンヴィーノ家の会計士)/ジェフリー・タンバー
リタ・ブラックバーン(ラマーの妻)/ジーン・スマート
2016年・アメリカ映画・128分
配給/ワーナー・ブラザース映画

<マット・デイモンに負けじと、新キャラに挑戦!>
 2013年のアカデミー賞7部門にノミネートされ、作品賞をはじめ3部門受賞に輝いた『アルゴ』(12年)で監督と主演を務め(『シネマルーム30』10頁参照)、『ゴーン・ガール』(14年)でもいい味を見せていた(『シネマルーム35』159頁参照)ベン・アフレックが、本作では「表の顔」はイリノイ州シカゴ近郊の田舎町に小さな公認会計士事務所を構える会計士ながら、「裏の顔」はマフィアの会計士でさらに腕利きの殺し屋という複雑なキャラの主人公クリスチャン・ウルフ役に挑戦!
 ベン・アフレックは『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(97年)で共同脚本を書いたマット・デイモンと「盟友」だが、マット・デイモンは『ボーン』シリーズの大ヒットによって今や演技派かつアクション俳優としてハリウッドを代表する俳優に成長しているから、ベン・アフレックも負けてはいられない。そこで「こんなキャラならシリーズ化も可能・・・」と考えたかどうかは知らないが、かなり突出した変なキャラの本作の主人公クリスチャン・ウルフ役に挑戦!さて、その成否は・・・?

<なぜ邦題をコンサルタントに?こりゃ明白な誤訳では?>
 本作の邦題は『ザ・コンサルタント』だが、原題は『THE ACCOUNTANT』。「THE ACCOUNTANT」=「会計士」だから、この原題がなぜ邦題では「コンサルタント」になるの?これは明白な誤訳では?
 都市問題をライフワークとしている弁護士の私は、その関係の仕事では「コンサル」=「コンサルタント」と一緒に仕事をする機会が多いが、「THE ACCOUNTANT」=「会計士」と一緒にする仕事は、私が監査役をしている某一部上場企業の監査関係の仕事だけだ。私はそこだけで税理士とは全く仕事内容が異なる日本の会計士の仕事内容に触れているが、アメリカではホントにクリスチャンのような会計士がいるの?その答えは明らかに否で、クリスチャンのような会計士がいるはずがない。したがって、本作はまるでマンガの世界、劇画の世界を映画にしたようなものになる。
 将棋の世界を真正面から描いた『聖の青春』(16年)はすばらしかったが、近々公開される『3月のライオン』(17年)はマンガの世界で有名になった将棋ドラマを映画化(実写化)したものらしい。それはそれで独自の世界観にもとづく面白さがあるのだろうが、さて本作は?

<こんな話もあんな話も、どこまで信用していいの?>
 本作のパンフレットには、「『ザ・コンサルタント』の背景にあるアメリカ会計事情」と題して湯浅卓氏(国際弁護士)が本作のキーワードを解説しているが、それは当然真面目なもの。ところが、湯浅氏の紹介文の中には「武闘派会計士」というありえない言葉が出てくるし、湯浅氏の解説の中にも「この映画を観た日本の方々に第一に気がついていただきたいことは、腕利きの会計士こそ、アメリカ裏社会の巨大な闇組織には必須という事実です。」と、これまたどこまで信用していいのかわからないフレーズが出てくる。「凄腕の経営コンサルタントとしての一面も持つ」と紹介されている湯浅卓氏なら、武闘派会計士も知っており、アメリカ裏社会の巨大な闇組織もよく知っているの?多分そんなことはありえないはず。私はそう思うのだが・・・。
 私はどうしてもそう思ってしまうから、財務省犯罪捜査部のレイモンド・キング局長(J・K・シモンズ)が分析官のメリーベス・メディナ(シンシア・アダイ=ロビンソン)に対して、クリスチャンの正体を突き止めろと命令するストーリーをどこまで信用していいの?また、大手電子機器メーカーの“リビング・ロボ社”の経理担当のデイナ・カミングス(アナ・ケンドリック)から、使途不明金の調査依頼を引き受けたクリスチャンが、15年分の帳簿をたった1日で調べ上げ、巨額の不正金を生み出す仕組みを見つけ出すストーリーもどこまで信用していいの?
 本作はそんな導入部のどこまで信用していいのかがわからないストーリー(?)を前提としたうえで、せっかく不正金を暴く糸口を発見したのに、突然クリスチャンがリビング・ロボ社の創立者ラマー・ブラックバーン(ジョン・リスゴー)から調査の終了を告げられるストーリーに移行していくから、アレレ・・・。そして、本作はそこらあたりから複雑な本筋のストーリー(?)に入っていくからそれに注目だが、さてそれもどこまで信用してよいのやら・・・。

<回想シーンもかなり変!高機能自閉症の原因は?>
 映画では主人公の現在の人格や能力がいつどのように形成されたのかを観客に理解させるため、幼少時代や少年時代の主人公の姿を回想シーンで描き出す手法がある。例えばそこでは、かっぱらいをして少年院に入っていたとか、学校で同級生から手ひどいイジメを受けていたとか、逆に貧しいながらも幸せいっぱいの家庭生活を営んでいたとか、の回想シーンが登場してくるわけだ。
 本作に登場する少年時代の回想シーンは、厳格な軍人であった父親からクリスチャンが、自身が抱える高機能自閉症の障害を克服するために弟のブラクストン(ジョン・バーンサル)と共に厳しい武道の訓練を受けるシークエンス。今風に言えば、これは家庭教育の域を大きく超えた児童虐待に該当するレベルだから、これによってクリスチャンの自閉症が治癒しなかったのはもちろん、逆に悪化したのかも・・・?
 しかして、今は少なくとも外見上は立派に成長したクリスチャンだが、その口のきき方は少し変だし、服装も少し変。さらにクリスチャンはいつも書類カバンをたすきのように肩にかけているが、そのスタイルもどこか変。多分それはすべて今も治っていない高機能自閉症の表れなのだろうが、それが逆にデイナには気に入られたようで、デイナからあれこれと声をかけてきたから男女の仲はわからないものだ。私が見る限り、デイナはかなり積極的に2人の仲を進めよう、深めようとアプローチしているようだが、さて2人の「男女の仲」の進展は・・・?

<一転して、後半は射撃、格闘映画に!>
 日本でも公認会計士の試験は司法試験と同じような難関だから、それを目指す男たちは頭はいいけれどもひ弱な奴ばかり・・・?それが常識だが、スーパーマンやスパイダーマンと同じような(?)キャラをひっさげて、シリーズ化を狙った(?)本作の主人公クリスチャンは、15年分の帳簿から不正の糸口を発見するという本作前半で見せた会計士本来の能力から一転して、後半からクライマックスにかけては、射撃と格闘技で抜群の能力を発揮するのでそれに注目!もっとも、いくらそんな能力を持っていても「能ある鷹は爪を隠す」ものだし、そもそもそんな能力を発揮する場面(シチュエーション)が登場しなければ、能力は宝の持ち腐れ。したがって、シリーズ化を狙う第1作たる本作の脚本を書き、演出するについては、必ずクライマックスでその特殊能力を最もカッコ良く見せつけてエンディングにもっていく必要がある。
 本作では、デイナ役のアナ・ケンドリックとメディナ役のシンシア・アダイ=ロビンソンという紅二点は「それなり」の役割を果たしている。他方『セッション』(14年)(『シネマルーム35』40頁参照)でフレッチャー教授役を怪演したJ・K・シモンズは、本作では財務省犯罪捜査部のキング局長役で登場して何ともいえない渋い存在感を見せているし、リビング・ロボ社の創立者のラマーを演じたジョン・リスゴーも謎めいた存在感を見せている。そんな中にあって私には、ラマーから雇われてクリスチャンの命を狙う「殺し屋」ブラクストンの存在感がイマイチだったが、この男は一体どんな役割を?少年時代に父親から武道を仕込まれていたのはクリスチャンだけではなく弟も一緒だったことをきっちり頭の中に入れておけば、後半からクライマックスにかけてクリスチャンが見せる格闘シーンの展開も「なるほど、なるほど」と納得できることになるから、そんな目で中盤ではいささか存在感の薄いジョン・バーンサル演じる殺し屋・ブラクストンにも注目!
 ちなみに「孤高の殺し屋」は昔から映画のネタで、『レオン』(94年)がその典型。日本にも『必殺仕事人』シリーズ等たくさんある。またハリウッド版の「必殺仕事人」がデンゼル・ワシントン主演の『イコライザー』(14年)(『シネマルーム33』未掲載)だったし、キアヌ・リーブス主演の『ジョン・ウィック』(14年)も殺し屋の美学が大きなテーマだった(『シネマルーム37』77頁参照)。しかして、本作のクライマックスでベン・アフレック演じるクリスチャンが見せる殺し屋ぶりもそれに負けず劣らずカッコ良いので、そんな男の美学にも注目!

<ラストには家族の絆も!少し詰め込みすぎ?>
 1月21日に観たグルジア(現ジョージア)出身のオタール・イオセリアーニ監督の『皆さま、ごきげんよう』(15年)は、さまざまな人間の生き方をノンシャランと笑い飛ばす人生讃歌の映画ながら、セリフのない詰め込みすぎの紙芝居のような映画だった。しかし、意外にもそれはすべて計算づくだったらしい。それに対して本作は、まず主人公の(奇妙な?)キャラを設定したうえで、主人公を取り巻く登場人物のキャラとストーリー構成をきっちり計算して、エンタメ的な要素をタップリ詰め込んだことがハッキリ読み取れる。それが、新聞紙評でも本作の賛否を大きく分けるところだ。ちなみに、『キネマ旬報』2017年2月上旬号では、3人の評論家が星4つ、4つ、3つをつけているうえ、「ハンディキャップを乗り越えた人々の物語である点も、感動的で励まされる」「登場人物のすべてにひねりが効いていて」「話は破天荒の極み。だが、主人公の抱える“ある障害”が狙撃を含む超人的戦闘力の習得に繋がっている設定は巧いし、納得もできる」等の三者三様の指摘を見れば、本作のごった煮的要素がよくわかる。
 本作中盤では、回想シーンの中で父親と自閉症の息子との確執が描かれるが、「家族の絆」という要素はどこにもなかった。ところが、失語症や自閉症を患っていたというモハメド・アリの肖像画を小道具としてチラリと見せたり、クライマックスでの兄弟のバトル(と仲直り?)を見せることによって、本作のエンディングでは「家族の絆」をタップリ見せつけることになる。表は天才的な会計士、裏ではマフィアの依頼で殺し屋稼業、そして射撃と格闘技にも天才的な能力を持つ男。そんなキャラだけでタップリお腹がいっぱいになるはずだから、本作ラストに見る「家族の絆」という要素はいくら何でも詰め込みすぎ・・・?そう思わざるをえないが、それもシリーズ化の第1作であるが故の(過剰)サービスだと割り切れば納得!さあ、2作目以降のシリーズ化は・・・?
                                  2017(平成29)年1月25日記