洋16-79

「復活(RISEN)」
    

                  2016(平成28)年5月30日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督・脚本:ケヴィン・レイノルズ
クラヴィス(ローマ帝国百人隊司令官)/ジョセフ・ファインズ
ルシウス(クラヴィスの腹心の部下)/トム・フェルトン
ピラト総督(ユダヤの行政長官)/ピーター・ファース
イェシュア(イエスキリスト)/クリフ・カーティス
マグダラのマリア/マリア・ボット
ヨセフ/ルイス・カイェホ
アリマタヤのヨセフ/アントニオ・ヒル
ペテロ/スチュワート・スキューダモア
バルトロマイ(イエスの弟子)/ステファン・ハゲン
ヨハネ/ミッシュ・ボイコ
トマス/ジャン・コルネット
シモン/ジョー・マンソン
タダイ/ペペ・ジョレンテ
ポリュビオス/リチャード・アトウィル
アントニウス/マーク・キリーン
クィントゥス/アンディー・ガザーグッド
2016年・アメリカ映画・107分
配給/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

<『パッション』から12年。今なぜイエスの復活が?>
 中学・高校時代に学校推薦だった『十戒』(56年)、『キング・オブ・キングス』(61年)、『偉大な生涯の物語』(65年)などの「キリスト教映画」をすべて鑑賞し、さらに『ベン・ハー』(59年)、『バラバ』(61年)等で描かれたキリスト像を見てきた私には、キリストの「復活」をテーマにした本作は必見!ユダの密告によって捕えられ、「裁き」の結果むち打ちの刑に処せられ、さらに十字架を自ら背負わされて刑場に向かい、ついに磔によって「死亡」するという、キリストの12時間の受難のサマを生々しく描いたメル・ギブソン監督の『パッション』(04年)は、全世界にセンセーションを巻き起こし、興行的にも大成功したそうだ(『シネマルーム4』261頁参照)。それから12年後の今、なぜキリストの「復活」に焦点をあてた本作が?

<クリスチャン映画3作品が連続公開!!>
 私は日本人には珍しく「キリスト教映画」が大好きだが、本作は「心揺さぶるクリスチャン映画 3作品連続公開!!」の第1弾として、全米に続いて日本でも公開されたもの。一昨年から『神は死んだのか』(14年)(『シネマルーム35』309頁参照)、『天国は、ほんとうにある』(14年)(『シネマルーム35』314頁参照)、『サン・オブ・ゴッド』(14年)(『シネマルーム35』296頁参照)等の神サマについて考える映画が次々と公開されてきたが、そんな流れの中で「心揺さぶるクリスチャン映画 3作品連続公開!!」が構想されたらしい。
 そんな視点でネットを調べてみると、「恵介の映画あれこれ」というブログがあった。そこでは、①アメリカの大都会NYやLAなどでは見向きもされないが、「バイブルベルト」と呼ばれる中西部から南東部にかけて複数の州にまたがる広い地域で、プロテスタント、キリスト教原理主義、南部バプテスト連盟、福音派などが熱心に信仰される地域文化の一部となっていること、②この「バイブルベルト」に向けて、低予算の信仰映画を、『スパイダーマン』以外は成績のパッとしない、そして北朝鮮を怒らせてサイバー攻撃の的になり散々な目に会ったソニー映画(SPE)が制作に乗り出していること、③第1弾となる「復活」(原題:Risen)は2月19日(金)に全米で公開され、興行収入第3位を記録し、3月末で50億円を超え、未だバイブルベルトで上映されていること、等が書かれていた。なるほど、なるほど。
 そういえば日本でも、昔は創価学会絡みの『人間革命』(00年)、『続人間革命』(00年)が公開されていた。また幸福の科学では大川隆法総裁の総指揮の下、1994年の『ノストラダムス戦慄の啓示』を第1弾として、以降『太陽の法』(00年)、『黄金の法』(03年)、『永遠の法』(06年)等が公開されてきたし、直近では『天使に“アイム・ファイン”』(16年)が公開された。日本でのこれらの宗教絡みの映画は「普通の人」はあまり観ないが、キリスト教信者が多い西欧諸国とりわけアメリカのバイブルベルトでは、キリスト教映画は一定の観客が見込まれるらしい。なるほど、なるほど。

<探偵調の切り口に注目!>
 『世界ふしぎ発見!』は1986年からTBS系で放送されている人気長寿番組だが、さすがにキリストの「復活」についての「ふしぎ発見」は放送されていないはずだ。また、近時シャーロック・ホームズの「探偵もの」がたくさん公開されたが、さすがにシャーロック・ホームズもキリストの「復活」がホントにあったのか否かについての推理や調査はしていないはず。そんな中本作では、キリストの磔に立ち会い、キリストの死亡を確認した(はずの)ローマ帝国百人隊司令官のクラヴィス(ジョセフ・ファインズ)が、探偵役としてキリストの「復活」の有無について調べることになるので、まずはそんな切り口に注目!
 ユダヤの権力を握っていたユダヤ人の司教たちが、ローマからユダヤに派遣されていた行政長官たるピラト総督(ピーター・ファース)に対して、キリストを磔の刑に処することを要請したうえ、さらに死亡したキリストの遺体が盗まれないよう厳重に警備することを要請したのは、万一キリストの遺体がなくなれば「死の3日後に復活するとの予言が実現した」「イエス・キリストこそメシア(救世主)だ」とキリストの支持者たちが民衆を煽動して取り返しのつかないことになると恐れたため。そこで、ピラト総督からキリストの遺体を警備するよう命令されたクラヴィスは石墓に入れられたキリストの死体を封印し、見張りの兵士2人を置いたが、何とその3日後にはキリストの遺体が消えてしまったから、大変!クラヴィスがピラト総督から「見損なった」と罵倒され、「ローマ皇帝が視察にやってくるまでに必ずキリストの遺体を捜し出せ」と厳命されたのは当然だ。
 さあそこからはじまった、クラヴィスの百人隊司令官としての名誉のすべてを賭けたキリストの遺体の調査は?そしてその発見は?

<弟子たちの逮捕、尋問の成果は?>
 
クラヴィスはれっきとしたローマ人。しかもエリート軍人でピラト総督の信頼も厚く、上昇志向の人間であることもハッキリ読み取れる。したがって、キリストの遺体を失うという大失態の中、一方では持てる権限のすべてを使って関係者を逮捕し、他方では真実を聞き出すため、やたら拷問に頼るのではなく、合理的・理性的な尋問に終始しているクラヴィスの姿には好感が持てる。
 三谷幸喜原作・脚本の『笑の大学』(04年)は、検閲官を演ずる役所広司と劇団「笑の大学」の座付作家を演ずる稲垣吾郎の「取調べ」の場を舞台とした面白い「二人芝居」だったが、そこではいつしか「取調べ」の場は、よい台本作りの作業の場に変化していくのが面白かった(『シネマルーム4』249頁参照)。それに比べると、本作に見るクラヴィスの「取調べ」は全然進展がない。すなわち、キリストの弟子の一人であるバルトロマイ(ステファン・ハゲン)をクラヴィスが逮捕して尋問しても、彼はキリストはメシアであると信じていることをうれしそうに認めるばかりだったからどうしようもなし。また、マグダラのマリア(マリア・ボット)を逮捕し尋問しても彼女はまさに確信犯だったし、言っていることにウソ偽りがないこと明らかだったから、これもどうしようもなし。さらに、警備を命じられたにもかかわらず、クラヴィスが約束した食料品が届かなかったためブドウ酒を飲んで眠ってしまうという重大な規律違反を犯した2人の兵士のうちの1人を尋問すると、彼は飲酒は認めたものの、目の眩むような光と共に墓の中から人影が現れたという「バカバカしい言い分」を真剣に話すだけだから、これもどうしようもなしだ。
 このように弟子たちの逮捕、弟子たちや部下の尋問によって何の成果も挙げられないクラヴィスは、やむをえず最近処刑された遺体の中から、腐敗と損傷のため身元が判断できなくなっているものをキリストの遺体だと言ってピラト総督のもとへ差し出したが、そんな小手先の細工でごまかせるほどローマ帝国は甘いの?

<死んだはずのあの男が目の前に!>   
 異臭が立ち込める中、ピラト総督もその遺体が「あの男」のものだという報告を信じざるをえなかったが、その直後にキリストの弟子たちを発見したとの報告が・・・。直ちに現場に急行し、マグダラのマリアが入っていった一軒家の中にクラヴィスが押し入ると、何とそこには弟子たちと談笑するキリストの姿が。その顔は、たしかにあの時クラヴィスが確認したあの男。また、釘で打ち付けられた手足の傷、槍で突き刺された脇腹の傷もそのままだったが、何とその男が今、にこやかに弟子たちに語りかけていたからクラヴィスは唖然。これをどう解釈すればいいの?ローマ帝国の百人隊の司令官である自分が、予言どおり「メシアの復活」をここで認めることなど到底できないが・・・。
 クラヴィスの目の前でくり広げられる驚愕の事実はさらに続き、弟子たちと談笑をしていたキリストの姿が急に消えてしまったから、クラヴィスはさらにビックリ!今までそこに座っていたあの男は一体どこに消えてしまったの?弟子たちも一瞬困惑したが、マグダラのマリアの言葉に従って彼らは確信を持って、キリストが姿を現す約束をしたというガラリヤへ向かうことに。
 さあクラヴィスはどうするの?とりあえず目の前にいる弟子たちを一網打尽に逮捕して、拷問を含む厳しい尋問を加えるの?それもたしかに一つの手段だが、今更そんなことをしてもきっとムダ・・・。気持ちがそんなふうに固まっていったクラヴィスは、腹心の部下ルシウス(トム・フェルトン)たちに帰るように命じ、自分は一人で弟子たちのガリラヤへの旅に付き添っていくことに。それを知ったピラト総督は烈火のごとく怒り、直ちにルシウスを司令官とする追討部隊を送り出したが・・・。

<「奇跡」のサマをいかなる映像で?>
 自分自身が死の3日後に生き返ったという「復活」はキリストが見せた最大の奇跡で、『新約聖書コリント人への手紙15:17』で、「もしキリストが復活しなかったのなら、信仰はむなしく、あなたがたは今も罪の中にいるのです。」と書かれている。しかし、それ以外にもキリストがいくつもの奇跡を行った(見せつけた)ことは、周知の事実だ。
 ちなみに、『ベン・ハー』では「あのお方」が重いライ病にかかっているベン・ハーの母と妹を抱きかかえて頬をなでると、たちまち病から回復していった。オウム真理教の麻原彰晃が「売りモノ」にした「空中浮遊」の奇跡はインチキだったことが明かにされたが、キリストが見せたライ病患者を治してやったり、大量の魚を弟子たちに振る舞ったりした奇跡はホンモノ?『サン・オブ・ゴッド』を観ればその奇跡のサマがそれらしい映像で撮影されていたので、それを信じる人も多いかもしれないが、そんな奇跡のサマを本作ではいかなる映像で?
 『サン・オブ・ゴッド』でキリストを演じたディオゴ・モルガドはイケメン過ぎるとの「批判」があったそうだが、本作でキリストを演じるクリフ・カーティスのイケメン度はホドホド。それまで映像化はタブーとされていたイエス・キリストの姿を『キング・オブ・キングス』のスクリーン上ではじめて見た時は大きな衝撃を受けたが、以降次々とキリスト映画が公開され、キリストを演ずる俳優が出てくると、それには慣れてくるもの。そんなクリフ・カーティス演ずるキリストによる奇跡のサマを、本作はいかなる映像で・・・?

<さあ、あなたはどう考える?>
 キリストが行った数々の奇跡など、オウム真理教の麻原彰晃と同じまやかし。そう考える人も多いだろうが、私は基本的に4つの福音書に書かれてある事実を信じている。本作が面白いのは、キリストにまつわる最大の奇跡である「復活」を、ローマ帝国の百人隊の司令官であるクラヴィスの目で調査させ、確認させたことだ。本作冒頭、百人隊の司令官として戦闘に従事するクラヴィスの姿と砂漠を一人さまよい歩くクラヴィスの姿が登場するが、これはどちらも本物のクラヴィスの姿。しかし、ホントに人間としての自分を悟ったクラヴィスの姿は、さてどっち・・・?
 本作ラストでは、光をふんだんに使った映像効果の中で、弟子たちの前から(天国へ)消えていくキリストが、「世界の果てまで私の教えを普及させなさい」と命ずる姿が登場する。クラヴィスがキリストの弟子たちとともにそれを聞いているという映像は本来違和感でいっぱいのはずだが、ここまで説得力あるキリストの姿を見せつけられると、観客もそんな映像に違和感がなくなってくる。もちろん、クラヴィスは架空の人物だから、クラヴィスの探偵調の目でキリストの「復活」を検証するという試み自体もインチキだが、さて本作を観たあなたは、キリストの「復活」をどう考える?別に、「クリスチャン映画3作品連続公開実行委員会」が意図したとおり、本作を観てキリスト教の信者になる必要はないが、真剣に考えるべきテーマであることは確かだと私は考えている。
                                 2016(平成28)年6月2日記