日16-76 (ショートコメント)

「ディストラクション・ベイビーズ」
 

                      2016(平成28)年5月24日鑑賞テアトル梅田>

監督・脚本:真利子哲也
芦原泰良/柳楽優弥
北原裕也/菅田将暉
那奈(キャバ嬢)/小松菜奈
芦原将太(泰良の弟)/村上虹郎
三浦慎吾/池松壮亮
健児/北村匠海
河野淳平/三浦誠己
近藤和雄/でんでん
2016年・日本映画・108分
配給/東京テアトル

◆昭和24(1949)年に松山市で生まれ、高校3年生(昭和42(1967)年)まで松山に住んでいた私としては、本作の舞台が松山市と聞けば、こりゃ必見!しかも、本作の主人公・芦原泰良(柳楽優弥)は、松山から少し離れた小さな港町、三津浜出身の「ワル」と聞けば、三津浜にもいろいろな思い出がある私にとっては、必見!
 そう思って、ネット情報を集めてみると、本作は『誰も知らない(Nobody knows)』(04年)(『シネマルーム6』161頁参照)で第57回カンヌ国際映画祭の最優秀男優賞を受賞した柳楽優弥が26歳に成長した今、「楽しければええけん」と言いながら、とにかく暴れ回るだけの映画らしい。それを知って、「何じゃ、それ?」と、一瞬引いてしまったが・・・。

◆本作が長編商業映画デビュー作となる真利子哲也監督は、『キネマ旬報』2016年6月上旬号(122頁)でインタビューを受けるほど注目されている、東京芸大出身の俊英。「ディストラクション」とは「Distraction」(気晴らし、動揺)と「Destruction](破壊)という同じ発音の単語を合体させ、2つの意味を持つタイトルらしいが、そんな勝手な造語をタイトルにするのは、かなりの冒険。だって、世間がそれを「なるほど!」と理解し、「そりゃ面白い」と認知してくれれば、その言葉が定着し、映画もヒットするだろうが、タイトルだけを見て「何じゃ、それは?」と思う人も多いはず。私もむしろそうだったが、『キネマ旬報』の記事や新聞紙評を読んで、一応鑑賞しておくことに。

◆中学時代の私は優等生ではなく、むしろ成績は下位の方で、映画、将棋、サークル活動等に熱中していたが、決して劣等生や落ちこぼれには入らなかった。そして、高校2年生からはそれなりに大学受験の勉強をやり、それなりの成績でそれなりの大学に入ることができた。そんな中途半端な立ち位置だったから、私は「劣等生」の気持ちもわかるつもりだが、ハッキリ言って本作の主人公・泰良の気持ちはサッパリわからない。また、それを理解しようとか、近時の流行りのように、それに寄り添ってあげようという気持ちにはならない。
 ケンカして、殴ったり殴られたりするのが楽しい。そして、楽しければそれでいい。そんな価値観なら、それはそれとして好きにやればいいだろう。しかし、強い者にケンカを売って自分がボコボコにされるのはいいとしても、弱い者を無差別に殴ってケガをさせるのは明らかな犯罪。そんな生き方を選び、最後には指名手配され、逃亡生活を送ることになる泰良の人生を、映画で描く意味ってどこにあるの?
 アメリカン・ニューシネマの代表作として有名な『俺たちに明日はない』(67年)は大きなインパクトを与え、社会現象にまでなった。また、人間のキレイごとを描くのが映画ではないから、本作の視点のような映画があってもいいのかもしれないが、私には本作のような映画をつくる意味が???

◆当初は、泰良からボコボコにされるグループに属していながら、泰良が次第に強くなっていく姿を見て、「あんたすげぇな。おれとでっかいことしようや。四国巡業しようや」とその泰良の「腰ぎんちゃく」のような存在になっていくのが、北原裕也(菅田将暉)。若手ながら菅田将暉の演技力は抜群だから、ひたすら寡黙な泰良に対して、とにかくしゃべりまくる裕也の対比が本作では面白い。
 泰良が女への性的興味や欲望を全然見せないのは不思議だが、裕也の方はその方面もほどほどらしい。したがって、誘拐した(?)キャバ嬢の那奈(小松菜奈)に対する裕也のチョッカイ出しの姿は十分理解できる。しかし、松山の繁華街である大街道での泰良を後ろ盾にした裕也の乱暴狼藉はいかがなもの。これは、その直前に通りがかりの女を殴ったことで、裕也の心が解放されたためらしいが、裕也の「一度、女を殴ってみたかった」という欲望や感覚もいかがなもの。
 クライマックスで起きた某事件について、事情を聴かれるのは那奈だけだが、もし泰良や裕也が逮捕され、裁判の被告人になれば、精神鑑定を受けなければならないことは確実。弁護士の私としてはそんなところまで興味が発展するが、もしそうなれば、その精神鑑定の結果は?

◆本作はある取材で松山に訪れていた真利子監督が、ある飲み屋で自分と同年代の10代からひたすらケンカに明け暮れていたという男に出会い、話を聞くうちに魅了され、「すぐに言葉にならない、咀嚼できない暴力を題材に映画にしたい」と考えたところからスタートしたらしい。近時の少年の凶悪犯罪の増大ぶりは顕著で、ここ数日は東京・小金井市で発生した、27歳の男による女子大生アイドル刺傷事件が世間を騒がせている。
 そんな凶悪事件が発生するたびに、「その動機は?」「少年の心の動きは?」が注目されるが、本作全編で描かれるのも、泰良とそれを助長する裕也による凶悪犯罪。もちろん、すべての犯罪に動機があり、泰良や裕也がそんな犯罪に走ったことについては家庭環境その他の事情があるから、彼らの弁護人になった場合は、ひたすらそれを主張することになる。しかし、そんなことに一体どこまで意味があるの?
 そう考えると、本作のような映画を公開することの意味自体が私にはよくわからなくなってくる。ましてや、本作のような不条理な暴力だけを描いた映画がR指定されていないのは、一体なぜ?私には、それがサッパリわからないが・・・。
                                 2016(平成28)年5月26日記