洋16-66

「すれ違いのダイアリーズ」
    

            2016(平成28)年5月12日鑑賞<ビジュアルアーツ大阪試写室>

監督・脚本:ニティワット・タラトーン
ソーン(ビー)(新米ダメ教師)/スクリット・ウィセートケーオ
エーン(プローイ)(新任の女性教師)/チャーマーン・ブンヤサック
ヌイ(ウィア)(エーンの恋人)/スコラワット・カナロット
ジージー(エーンの同僚の女教師)/マニーラット・シーチャルーン
2014年・タイ映画・110分
配給/ムヴィオラ

<タイ映画に「学校もの」の秀作が登場!>
 近時、日本では『マダム・イン・ニューヨーク』(12年)(『シネマルーム33』38頁参照)、『めぐり逢わせのお弁当』(13年)(『シネマルーム33』45頁参照)、『チェイス!』(13年)(『シネマルーム35』120頁参照)、『女神は二度微笑む』(12年)(『シネマルーム35』127頁参照)等のインド映画の秀作が次々と公開されているが、タイ映画はまだまだ日本ではなじみが薄い。もっとも、2009年に鑑賞した「CGなし、ワイヤーなし、スタントなし」のアクションを売りモノにし、タイの天才少女“ジージャー”ヤーニン・ウィサミタナンが主演した『チョコレート・ファイター』(08年)はメチャ面白い映画だった。本編もそうだったが、ジャッキー・チェン映画と同じように、本編終了後に見せてくれる撮影の舞台裏には、「爆笑、爆笑また爆笑」だった(『シネマルーム22』173頁参照)。
 『愛しのゴースト』(12年)(『シネマルーム35』未掲載)は『アナと雪の女王』(13年)(『シネマルーム33』未掲載)の約10倍の観客を動員し、『アバター』(09年)(『シネマルーム24』10頁参照)や『タイタニック』(97年)を超え、タイの歴代興行収入No.1のメガヒット作品になったそうだが、ハッキリ言ってイマイチだった。そんなタイ映画に「学校もの」の秀作が登場!

<中国映画には「学校もの」の名作がいっぱい!>
 教師と生徒(子供)たちとの心の交流を描いた「学校もの」の邦画の代表作は、何といっても『二十四の瞳』(54年)だが、中国映画には「学校もの」の名作が多い。それは、『子供たちの王様(孩子王)』(87年)(『シネマルーム5』267頁参照)、『草ぶきの学校(草房子)』(99年)(『シネマルーム3』43頁参照)、『思い出の夏(王首先的夏天)』(01年)(『シネマルーム5』273頁参照)等だ。また、13歳の代用教員を主人公として登場させた、張藝謀(チャン・イーモウ)監督の『あの子を探して(一個都不能少)』(99年)も感動作だった(『シネマルーム3』56頁参照)。
 『草ぶきの学校』の舞台となったのは、中国江蘇省蘇州の太湖のほとりの美しい農村にある油麻地(ヨウマーテイ)小学校。これは、邦題どおりの「草ぶき」の建物だったが、その評論で私は次のように書いた。すなわち、

 太湖に浮かぶ小島につくられたというこの「草ぶき」の学校のセットは、貧しい村とはいえ、南の国の豊かな水と豊かな自然に恵まれた美しい村の中にある。また、油麻地小学校は、生徒数も多く、運動会や演芸大会も盛ん。この点、張藝謀(チャン・イーモウ)監督の『あの子を探して』に描かれている河北省赤城県チェンニンパオ村の生徒数28人の水泉(シュイチアン)小学校よりはだいぶん豊かなようだ。

 それに対して、本作が描くタイの水上小学校は?

<「水上小学校」での教育は?生活は?>
 このように、中国映画『草ぶきの学校』に見た油麻地小学校は草ぶきの建物ながらかなりリッチだったが、本作の舞台となる水上小学校は、学校とは名ばかりの小さなボートハウス。電気もガスもなく、トイレもぽっちゃん方式。交通手段はボートしかないし、ケータイも通じない中、そこに赴任した教師は授業だけではなく、毎日の生活もそのボートハウスの中でしなければならないから大変だ。生徒は1年生から6年生まであわせても数名で、月曜日から金曜日まではボートハウスの中で先生と共同生活を送り、週末には自宅に帰るというくり返しらしい。
 私は02年にタイ旅行に行ったことがあるが、「微笑みの国」タイの首都であるバンコクはもちろん、チェンマイも近代的な大都会だった。本作にも登場するチェンマイの小学校は近代的だが、本作の舞台となる水上小学校はそれとは大違いだし、生徒たちの父親は全員、湖での漁で生計を立てている貧乏な村だ。したがって、「将来何になりたい?」との質問に対する男の子たちの答えは全員「漁師!」。最年長ながら算数が苦手な子供チョーンに至っては、「自分は漁師になるのだから算数なんか勉強しても仕方がない」と答える始末だ。こんな教育レベル、生活レベルの水上小学校に、一体どんな教師がやってくるのだろうか?

<2人の教師がすれ違いで水上小学校に!>
 本作の邦題は絶妙だが、映画を鑑賞するまでその意味がわからないだろう。また、タイのアカデミー賞であるスパンナホン賞に最多ノミネートされるとともに、米アカデミー賞のタイ代表作品に選ばれ、首都バンコクのみで100万人を動員したという本作の脚本は、あえて時間軸をずらして2人の教師の1年間の「すれ違い」を強調しているから、最初はストーリー展開が読みにくい。しかし、本作導入部で紹介される、①はじめて水上小学校に赴任してくる新米のダメ教師ソーン(スクリット・ウィセートケーオ)の物語と、②チェンマイの小学校からこの水上小学校に左遷されてくる意地っ張りの女性教師エーン(チャーマーン・ブンヤサック)の物語を見れば、それだけでその後のストーリー展開への期待が高まってくるはずだ。
 生活レベルも教育レベルも低い水上小学校でも、レスリングしか取り柄がなく、教師も未経験のソーンにとっては、そこに勤務先が見つかるだけでありがたかったらしい。しかし、もう一方の主人公エーンは、腕に小さなタトゥーをしていることを校長にとがめられたにもかかわらず頑なにそれを消すことを拒否したため、その報復として水上小学校に左遷されてきたのは不本意だったはずだ。もっとも、エーンの赴任は同僚の女性教師ジージーと一緒だったから、まだマシだった。ところがジージーはヤモリの出現に失神しかけたばかりか、ダム湖の中からトイレの底に流れ着いた死体の処理までせざるをえなくなった中、「もう限界」と泣きながら辞めてしまったから、結局エーンは一人ぼっちに。
 そんな中、エーンが水上小学校での教育と生活について、赴任以来書き続けてきた「ダイアリー」の内容は・・・?水上小学校に赴任してきたにもかかわらず、誰も生徒がやってこないことに疑問を持ち、エーンのダイアリーを読んでいるソーンの姿を見ていると、なるほど、この2人の赴任には1年間のすれ違いがあったことがわかってくる。そして、それがわかってくると、更にその後のストーリー展開への期待が高まることに。

<メールではなく、手書きの日記帳から伝わるものは?>
 2016年5月14日付朝日新聞は「1973年11月の曲」を取り上げたが、そこでは「読者のベスト15」のトップも「当時のオリコントップ10」のトップも南こうせつとかぐや姫の『神田川』だった。その記事は「聴けば広がる昭和の光景」「手書きの手紙の時代」という見出しを掲げ、「下宿、同棲、横丁の風呂屋・・・・・・。耳を傾ければ広がる昭和のイメージ。南こうせつとかぐや姫が歌う『神田川』には聴き手の心をゆさぶる何かがあります。その秘密を掘り下げました。」という書き出しから始めている。
 エーンが水上小学校の黒板の上に残していった日記帳を、ソーンが勝手に開いて読むのは厳密に言えばルール違反。そもそも、エーンが大切な日記帳を忘れていくはずはないから、その点では脚本の作り方自体に問題ありだが、それはその後の展開の面白さに免じて大目に見ておこう。そんな中で読むエーンの日記のひと言ひと言が、少しずつソーンの心に触れてきたのは当然。エーンにとってもこんな水上小学校で7人の生徒と向き合う経験ははじめてだったはずだが、その日記には当初の戸惑いから次第に子供たちとの共同生活や教育に喜びと生きがいを見い出していくエーンの姿が読み取れたから、この日記がソーンの大きな心の支えになったのは当然だ。水上小学校を襲った嵐に対して、子供たちと共に必死で立ち向かうソーン。漁師になるのだから学校など行かなくていいというチョーンの両親に対して、自分が週末に漁を手伝うからチョーンを学校に行かせてくれと訴えるソーン。本作中盤に見るそんなソーンの変身ぶりに注目!
 まさに『神田川』の曲が私たち団塊世代の若者の心に届き、それぞれの生き方を選ぶ指針となったように、エーンの日記帳がソーンにとって水上小学校における新米教師としての生き方の指針になったわけだ。

<エーンの日記帳から、どんな元気を?>
 エーンが赴任した時にエーンには7人の生徒がいたそうだが、1年後にソーンが赴任した時の生徒はゼロ。その事情を探る中でソーンの下にはやっと4人の生徒が集まったが、ソーンは一体どうやって、学年もバラバラの、能力もバラバラのこの子供たちを教育すればいいの?また、水アレルギーのため、腕に疱瘡症状が表れて苦労したエーンに比べればソーンは水は平気だが、自分でボートを運転したときのミスで左手を骨折してしまったソーンの日常生活にはいろいろと不便が。さらに、週末の休みに町に戻って恋人の元を訪れると、何と彼女は新しい男を連れ込んでいたから、ソーンにとっては最悪だ。
 エーンの日記帳は、当然ながら他人に読まれることを想定していない。そのため、その中にはこんな僻地の小学校で教師をすることの厳しさと苦しみ、またその反面としての楽しさと喜び、さらにチェンマイの学校で副学長をしている恋人ヌイ(スコラワット・カナロット)との恋をめぐるさまざまな悩みも赤裸々に書かれてあった。エーンの日記に書かれてあったそんな悩みは、男と女の違いこそあれまさにソーンと同じ。エーンに比べれば頭の悪い、特に算数に弱い自分は、子供たちに対してどうやればうまく算数を教えることができるの?逆にチョーンやその父親に対してエーンは無力だったが、自分なら何かできるのでは?エーンの日記を日々読み返し指針にしていく中で、ソーンは次第に教師としての自覚と自信を深めていくことに・・・。
 そして、ある日水上小学校を襲った台風に対して、子供たちと共に全力で立ち向かった結果、日記帳は湖の中に流れ落ちてしまったものの、ソーンと4人の子供たちの間には固い絆が!

<復元された日記帳から新たな恋心が・・・>
 男女の恋は毎日顔を合わせていれば自然に発生することもあれば、一度も顔を見ていなくても、日記帳を読む中で日々彼女の顔や性格を想像するだけで恋が発生することもあるから、不思議なもの。まさに、本作前半で描かれるエーンに対するソーンの恋心はそれだ。しかし、肝心の2人を結びつけるツールである日記帳が湖の中に消えてしまえば、自動的にソーンのエーンに対する恋心も消えてしまうことに・・・?もちろん、そんな可能性も大だが、それでは映画は面白くないので、本作中盤には湖の中に潜って日記帳を捜し出したソーンが丁寧にそれを復元していく姿が描かれる。何度も読んだ日記帳であっても、消えかけた文字を復元し、そこに自分の感想や体験を付記していけば、さらに日記帳の内容が頭の中に刻み込まれるとともにエーンとの絆も深まっていくはずだ。そして、もし退職するソーンに代わって再び水上小学校に赴任してきたエーンが、その復元され、ソーンの感想と体験記が付記された日記帳を読んだら・・・?今度はひょっとして、エーンの方もまだ見ぬソーンに対して新たな恋心が生まれてくるのでは・・・?
 そんな期待が高まるが、本作中盤からのストーリーは子供たちの成績が悪いままのソーンが遂に校長先生から「次に成果を出さなければクビだ」と言い渡されるという事態に進展していく。そんな失意の中、エーンがヌイとの結婚のためにチェンマイに引っ越し、チェンマイの小学校に勤務していると聞いたソーンは、手首にある星の刺青を頼りにエーンを捜しに出かけたものの、既にエーンはタトゥーを消していたため、会うこともできないまま・・・。他方、エーンの方も、結婚が決まったヌイが別の女性を妊娠させていたことを知って唖然。そんな失意の中、エーンは再び水上小学校への勤務を希望したから、校長先生にとってはまさに渡りに船。その結果、ソーンと交代する形でエーンが再び水上小学校に赴任し、4人の子供たちと待望の再会をすることに。
 なるほど、そういうストーリーか!そう納得する中、ある日エーンは黒板の上に自分が残していった日記帳を見つけたが、丁寧に復元されたその日記帳の中にはソーンのさまざまな感想や体験記が書かれてあったからエーンは大感動。その中でもエーンを特に感動させたのは、①自ら漁師を手伝うことによってチョーンを学校に復帰させたソーンの行動力と、②汽車を知らない湖の子供たちのために船で学校を引っ張るというソーンの教育方針。まさに、これこそ自分が求める教師像であり、自分の求める生き方だ。
 てなわけで、ソーンの手によって復元され付記された日記帳をエーンが読む中で、エーンのソーンに対する恋心が生まれ、次第に大きく膨れ上がっていくことに・・・。

<すれ違いはいつまで?価値観の一致が何よりも大切!>
 水上小学校には2人の教師は不要だから、一方が辞めれば一方が赴任。そのため、ずっとソーンとエーンの間の2人はすれ違いだった。また、星のタトゥーを頼りにソーンがエーンを捜しに行っても、エーンは見つからなかったし、逆に春休みに水上小学校にやってくるというソーンをエーンは心待ちにしていたが、それもすれ違いに。それは、その直前に心を入れ替えたというヌイが心から謝罪し、もう一度やり直そうとアピールしてきたからだ。そんな態度に女心は弱いもの。あっさり(?)それを受け入れたエーンはソーンと会うことを諦め、子供たちとも別れ、ヌイと共に車でチェンマイに帰っていくことに。このままでは2人は永久にすれ違いのままだが、このすれ違いは一体いつまで?
 本作の脚本が実によくできているのは、男女がホントに結びつくためには何よりも価値観の一致が大切なことを教えてくれること。車を遮断する列車の通過を待つ中、エーンはある新米教師が子供たちに汽車とはどんなものかを教えるために、ボートで水上小学校を引っ張って見せたというエピソードを説明し、「そんな教師をどう思う?」と聞くと、ヌイはそれをバッサリ!つまり、ヌイの価値観では、「そんな教師は情熱はあるものの、評価はできない」「もっと真剣に教えれば、子供たちの成績はあがったはずだ」ということだ。それを聞き、チェンマイの小学校で「浮力とは何か」を教えるために、子供たちをプールに入れて体験学習をさせていた自分のやり方を校長から批判されたことを思い出したエーンは、やはり自分の価値観とヌイの価値観とは全然一致しないことを再確認!
 そんな流れの中、本作は感動的なフィナーレになっていく。「学校もの」としてのすばらしさに、すれ違いの男女が最後に結びつくすばらしいラブストーリーとしてのすばらしさをプラスした本作の出来に拍手!
                                  2016(平成28)年5月18日記