洋16-65

「レヴェナント 蘇えりし者」
    

               2016(平成28)年5月4日鑑賞<TOHOシネマズ西宮OS>

監督:アレハンドロ・G・イニャリトゥ
ヒュー・グラス(現地ガイド)/レオナルド・ディカプリオ
ジョン・フィッツジェラルド(毛皮ハンターの一員)/トム・ハーディ
アンドリュー・ヘンリー(毛皮ハンターの隊長)/ドーナル・グリーソン
ジム・ブリジャー(グラスを慕っている隊員)/ウィル・ポールター
ホーク(グラスの息子)/フォレスト・グッドラック
エルク・ドッグ(アリカラ族の族長)/デュアン・ハワード
アンダーソン(毛皮猟師)/ポール・アンダーソン
マーフィー(毛皮猟師)/クリストッフェル・ヨーネル
スタッビー・ビル(毛皮猟師)/ジョシュア・バージ
ジョーンズ(毛皮猟師)/ルーカス・ハース
フライマン(毛皮猟師)/ブレンダン・フレッチャー
ハイカック(戦士)/アーサー・レッドクラウド
ヒュー・グラスの妻/グレイス・ドーヴ
ポワカ/メラウ・ナケコ
ジョニー/ブラッド・カーター
2015年・アメリカ映画・157分
配給/20世紀フォックス映画

<ディカプリオの主演男優賞らしい熱演に注目!>
 本作では何よりも、1997年の『タイタニック』の大ヒットにもかかわらず、アカデミー賞主演男優賞の受賞を逃し、以降も『アビエイター』(04年)(『シネマルーム7』12頁参照)、『ブラッド・ダイヤモンド』(06年)(『シネマルーム14』116頁参照)、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(13年)(『シネマルーム32』38頁参照)等でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされながらずっと受賞できなかったレオナルド・ディカプリオの熱演に注目!タイトルの「レヴェナント」とは「黄泉の国から戻った者」という意味。本作でディカプリオは、そんなタイトルどおり、アメリカの西部開拓時代の初期に死の淵から生還し、伝説となった実在の罠猟師ヒュー・グラスを熱演することによって、念願の第88回アカデミー賞主演男優賞に輝いた。
 『タイタニック』を代表として、若き日のディカプリオは東映時代の若き日の中村錦之助と同じように、『ロミオ&ジュリエット』(96年)、『仮面の男』(98年)、『ザ・ビーチ』(00年)、『アビエイター』等、キレイな顔に対応して「キレイな役」を演じることが多かった。しかし、『ディパーテッド』(06年)(『シネマルーム14』57頁参照)や『ブラッド・ダイヤモンド』あたりからは意識的に汚れ役に挑戦し、『ジャンゴ 繋がれざる者』(12年)(『シネマルーム30』41頁参照)ではやっと汚れ役も板についてきていた。そして前作『華麗なるギャツビー』(13年)(『シネマルーム31』76頁参照)では再びキレイ役に復帰したが、本作ではアメリカ西部の極寒の未開拓地を舞台として、グラスという伝説上の人物のある時期の、ある復讐物語のみに焦点をあてた157分の大作の中で、徹底した汚れ役に挑戦している。
 ディカプリオの熱演は、①アリカラ族からの逃避行の中でのハイイログマとの死闘、②瀕死の重傷を負っていながらも、復讐のためのサバイバルな歩み、③人馬一体となっての谷底への転落とそこからの復活、④生き抜くための生肉食らい等への挑戦、等々によく表れているので、本作ではそれらあたりの演技(熱演)に注目!

<2年連続の監督賞らしい演出に注目!>
 メキシコ出身の鬼才アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督は、前作『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(14年)に続いて、本作で2年連続のアカデミー賞監督賞受賞の快挙を成し遂げた。一瞬「バットマン」かと錯覚するようなタイトルの前作では、落ちぶれた中年男の「内なる声」が注目点だったし、「無知がもたらす予期せぬ奇跡」というカッコ書きのサブタイトルも、意味シンで何のことかよくわからないところがミソだった(『シネマルーム35』10頁参照)。そんな「変化球」だらけだった前作に比べると、本作はまさに剛速球勝負の映画で、ディカプリオ演じるグラスの圧倒的な存在感をこれでもかこれでもかと打ち出すこと(のみ)によって、2時間37分の物語を演出しているからすごい。ちなみに、猛吹雪の中、死んでしまった馬の内臓を引き出し、その中で眠れば凍死を免れることを私は『馬々と人間たち』(13年)で学んだ(『シネマルーム35』未掲載)が、本作でアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督はハリウッドの大スター、ディカプリオにそれをやらせているから、それもすごい。
 他方、グラスの敵役として登場するジョン・フィッツジェラルドを演じたトム・ハーディは『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15年)でシャーリーズ・セロンと共に狂気の世界を生き抜く主役を務めたハリウッドスター(『シネマルーム36』232頁参照)。しかし、アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督はそんなトム・ハーディを、本作ではあくまでディカプリオの「引き立て役」として徹底させているから、それもすごい。
 もっとも、前半から後半までずっと続く緊張感やドキドキ感は、グラスが砦に生還した後は少し単調になってしまう。しかし、それでもその後のグラスと毛皮ハンターの隊長であるアンドリュー・ヘンリー(ドーナル・グリーソン)の2人によるフィッツジェラルド追跡劇の中で、グラスはフィッツジェラルドを欺くための「ある仕掛け」を用意しているので、それに注目!これにはビックリさせられることまちがいなしだ。
 ちなみに、日本経済新聞夕刊の映画批評で映画評論家の宇田川幸洋氏は「その一方で、ドラマのほうは、おるすになりがち。グラスが、ただ苦しんでいるだけの抽象的存在になってしまい、どういう人間なのか、よくわからない。娯楽アクションでなく体感性を芸術的な方向にもっていこうとしているのだが、中途半端だ。」と批判しているが、これに対してアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督はどのように反論するのだろうか?私はむしろ、「娯楽アクションでなく体感性を芸術的な方向にもっていく」という宇田川氏の指摘がよくわからないのだが・・・。

<撮影賞らしい撮影にも注目!>
 カメラでの撮影に興味を持ち少し勉強すると、美しく撮影するためには、何よりも光(明るさ)が大切なことがわかってくる。その場合、もちろん逆光になってはダメだが、明るい太陽を浴びたターゲットを撮影すれば、写真はとにかくキレイに撮れるわけだ。そのため、自然光だけでは明るさが不足している場合は、モデルたちの撮影やコマーシャルの撮影風景や結婚式の記念撮影等でよく使われるライト当て係が活躍することになる。もっとも、映画の撮影はターゲットをキレイに撮ることだけを目指しているのではないから、あえて逆光で撮ったり、2月18日に観た『サウルの息子』(15年)のように、主人公サウルだけに焦点を当て、あえてその周辺をぼやかして撮ったり、いろいろなテクニックが必要になってくる。
 しかして、本作でアカデミー賞の撮影賞を受賞したエマニュエル・ルベツキが、アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督と共に何よりもこだわったのは、すべてを太陽光と火による自然光だけを使って撮影すること。黒澤明監督は、『姿三四郎』(65年)の最後の決闘シーンでは台風に近いすごい風が吹くのを待ち続け、『乱』(85年)の撮影でも台風が近づいてくるのを待ち続けたという逸話が伝えられている。俳優はもちろんスタッフもさぞ大変だったことだろう。本作の撮影についても、自然光だけですべてを撮影しようとすれば、日照時間が短い時は大変。したがって、冬のカルガリーで行われた原野でのロングショットの撮影は大変だったらしい。つまり、撮影は短時間に限られ、「我々はすべてのビートとリズムを振り付け、ちょうどよいタイミングをはかり、天候が変わらないことを祈らなければならなかった」らしい。
 本作におけるそんな撮影の苦労はパンフレットの「PRODUCTION NOTES」の中で語られているが、パンフレットにある芝山幹郎氏(評論家)の「水辺の林と遠くの雪崩」を読めば、本作冒頭のグラスや毛皮ハンターの一団を率いるヘンリー隊長たちとアリカラ族との戦いをリアルに撮影するために、いかに苦労したのかということがよくわかる。また、ラスト近くになって、フィッツジェラルドを追うヘンリー隊長の鉄砲から弾丸が発射されるのと同時に、その背後で起きる雪崩の風景についても、その撮影の苦労がよくわかるので、これは必読だ。

<時代背景は?西部開拓史のどの時代?どの部分?>
 ジョン・ウェイン全盛期のハリウッドの西部劇では、必ずインディアンが登場していたので、日本人でもアパッチ族やコマンチ族等の名前はよく知っている。また、『西部開拓史』(62年)をはじめとする壮大な西部開拓の歴史の中には、当然白人VS先住民(=インディアン)の対立という要素がたくさん入っていた。しかし、近時ハリウッドでも西部劇は極端に少なくなっているし、西部開拓時代を扱った映画も少なくなっている。そんな中、今や伝説となっているヒュー・グラスのストーリーを知ったアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督は、あの時代の猟師たちが残した日記を読み、「これはアメリカの歴史上でも非常に興味深い時代の話だ」ということがわかったらしい。「あの時代」は未だ写真がなかったうえ、「あの時代」を正確に捉えた話も残っていなかったから、すべては言い伝えとして残されているもの。したがって、そのリサーチは大変だったらしい。
 本作冒頭、グラスがガイド役を務める毛皮ハンターの一団がアリカラ族に襲われるシーンが登場する。そこからの逃避行の道順をめぐって、山沿いを主張するグラスと川沿いを主張するジョン・フィッツジェラルドが対立するが、その対立の一因はやっと獲得した毛皮を持ち帰れるのかどうかにあった。つまり、川沿いに船で進むなら毛皮のお持ち帰りは可能だが、山沿いに歩くとなると、それはとてもムリ。しかし、それでは長い間厳しい状況下で毛皮獲得のために働いた意味がなくなってしまう。それがフィッツジェラルドの主張だったわけだ。
 また、この一団をしつこく追ってくるアリカラ族の族長エルク・ドッグ(デュアン・ハワード)が他の白人たちとの交渉で、強く「馬5頭をよこせ」と迫るやりとりを見ていると、やはり、白人=侵入者、原住民=犠牲者という構図は否定できないから、あながちグラスたちを襲うアリカラ族を非難することはできないこともよくわかる。現に、エルクの娘は白人たちに誘拐されてしまった被害者そのものなのだから。
 このように、西部開拓史の時代と言っても、それではあまりに幅が広すぎるから、本作の時代背景は西部開拓史のどの時代?どの部分?それをストーリーの中からあるいは鑑賞後の勉強でしっかり押さえておきたい。

<グラスの出自は?妻は?子供は?職業は?>
 本作前半はまさにタイトルどおりのグラスのサバイバル物語だし、後半はグラスをひどい目にあわせたフィッツジェラルドに対する復讐物語になる。その前半と後半をつなぐうえで大きな役割を果たすのが、グラスが愛してやまない一人息子ホーク(フォレスト・グッドラック)だ。グラスの妻(グレイス・ドーヴ)はストーリー展開の中には一切登場しないが、生死の境をさまようグラスの目には再三愛妻の姿が登場するらしい。グラスは白人だが、その妻は原住民。したがって、その一人息子たるホークは混血児ということになる。
 グラスがいつ、どこで、妻と知り合って結婚し、妻がホークを産んだのか?原住民と結婚し息子までもうけたグラスがその後、どんな風に生計を立て、白人たち、原住民たちとの交流を形成してきたのか?そこらあたりの全体像はわからないが、本作のストーリー展開の中で断片的にはグラスの出自をめぐる状況は見えてくるので、そこらもしっかり押さえておきたい。

<瀕死のグラスを連れ戻す?それとも・・・?>
 本作導入部の見せ場がアリカラ族と毛皮ハンターの一団との弓矢と鉄砲での戦いなら、前半最大の見せ場は、グラスとハイイログマとの死闘。これは一体どうやって撮影したの?また、それによって瀕死の重傷を負ったグラスをどう取り扱うかが、前半のストーリー形成のポイントになる。ヘンリー隊長はグラスを担架に乗せて連れ戻すと主張したが、そんな状態で険しい山道を上り下りすることができるの?逃避ルートをめぐってグラスと対立していたフィッツジェラルドの本音を言えば、「どうせ死んでしまうグラスなんか、見捨ててしまえ」ということだが、さてヘンリー隊長の決断は?
  ヘンリー隊長は、原住民の女と結婚し現地に詳しいグラスをガイド役として信頼していたが、逆にそんなグラスを胡散臭そうな目で見ていたのがフィッツジェラルド。もっとも、逃避行のルートをめぐるグラスとフィッツジェラルドとの対立を見ても、ハイイログマに襲われ瀕死の状況に陥ったグラスを見捨てるべきか同行するべきかをめぐるフィッツジェラルドとヘンリー隊長との意見の対立を見ても、必ずしもフィッツジェラルドは不合理あるいは非人道的な主張をしているわけではない。現に、フィッツジェラルドはヘンリー隊長との間で多額の報酬と引き換えに、しばらく本隊から離れてグラスが死ぬまでグラスのそばで見守り、死んだ後埋葬するという契約を交わし、それを実行しようとするのだから、彼は決していい加減な男でも嘘つきでもない。
 また、そこに息子のホークが残ったのは当然だし、グラスを慕っている若手の隊員ジム・ブリジャー(ウィル・ポールター)が志願して残ったのも、ある意味当然だ。したがって、ほどほどに頑張ったうえでグラスが息を引き取ってくれれば、みんなでグラスを埋葬し、本隊を追いかけてアリカラ族から逃げのびることができるはず。それが大方の予想だったが、想定外だったのはグラスの生命力が強すぎたこと。なかなか死んでくれないのではフィッツジェラルドたちの予定が大幅に狂ってしまい、自分たちも危険にさらされてしまうということだ。そこで、やむなくフィッツジェラルドがとった行動は、アリカラ族がすぐそこに迫っているとブリジャーたちを騙したこと。これがウソだと気づきフィッツジェラルドに抵抗したホークを殺してしまったのは大きな計算外だったが、ブリジャーはまんまとフィッツジェラルドの計算どおり、グラスを見捨てて一緒に逃げていくことに。
 グラスに比べればいかにもか弱そうなホークがフィッツジェラルドに殺されてしまったのはかわいそうだが、ある意味仕方ない。他方、簡単にフィッツジェラルドに騙されてしまったブリジャーの方は、終盤に至ってグラスが砦に戻ってきた後、再び大きな存在感を示すことになる。ちなみに、前述の宇田川氏の新聞紙評でも、「見すてた2人のうちの1人、ジム・ブリジャーは、のちに開拓史上に多くの功績をのこす英雄となった。映画でもよくえがかれた。」と書かれているから、本作ではグラスだけでなく、このブリジャーにも注目したい。

<『許されざる者』との対比も一興かも?>
 とある店での謎解きのような「密室劇」が面白かったクエンティン・タランティーノ監督の『ヘイトフル・エイト』(15年)も、白銀の世界が全編を彩っていたが、1823年当時の西部の未開拓地を舞台とした本作も、全編を彩る風景は雪。あの雪の中でミズーリ川に飛び込んで流されたのでは、いつ凍死してもおかしくないが、それに耐えられるだけの体力がグラスにはあったらしい。そんな過酷な気候条件の中で肉弾をぶつけて演技をしたことによって、そのグラスを演じたディカプリオはアカデミー賞主演男優賞を受賞できたわけだ。
 そんな本作を観ながら私が思い出していたのは、渡辺謙が主演した李相日監督の『許されざる者』(13年)(『シネマルーム31』88頁参照)。同作も全編を貫く蝦夷地(北海道)の雪の風景がポイントだったし、同作では明治維新後の混乱期の中で、「人斬り十兵衛」と恐れられたかつての賞金稼ぎのちょっと時代遅れ気味の生きザマが興味深かった。
 本作の主人公・グラスは『許されざる者』の主人公・十兵衛ほどの強烈な個性とずば抜けた能力を持った男ではなく、単に家族を愛しサバイバル能力に長けた男というだけ。しかし、そのキャラの強さとストーリー展開の面白さは、さすがアカデミー賞監督賞と主演男優賞の受賞作だと納得できる。『許されざる者』では渡辺謙が演じた十兵衛は佐藤浩市演じる村長兼警察署長から顔を小刀で切り刻まれるという罰を受けていたが、そのことの復讐心が最後の反撃のエネルギーになったことはまちがいない。本作でグラスがフィッツジェラルドから受けた仕打ちは十兵衛以上の過酷なものだから、グラスのフィッツジェラルドに対する復讐心が十兵衛以上だったことは十分うなずける。無事にとりでへの生還を果たしたものの、未だ傷も癒えないグラスが、本作ラストでヘンリー隊長と共にフィッツジェラルドへの復讐に向かう心境やいかに?
 そこらあたりについては、全体の雰囲気が非常によく似た(?)『許されざる者』と対比しながら考えてみるのも一興かも?
                                  2016(平成28)年5月12日記