洋16-58

「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」
    

                  2016(平成28)年4月29日鑑賞<テアトル梅田>

監督:ポール・アンドリュー・ウィリアムズ
ミルトン・フルックマン(米国人TVプロデューサー)/マーティン・フリーマン
レオ・フルヴィッツ(米国人のドキュメンタリー監督)/アンソニー・ラパリア
ミセス・ランドー(宿の女主人)/レベッカ・フロント
エヴァ・フルックマン/ゾラ・ビショップ
デイヴィッド・ランダー/アンディ・ナイマン
ヤコブ・ジョニロウィッツ/ニコラス・ウッドソン
アラン・ローゼンター/ルベン・ロイド・ヒューズ
ロン・ハンツマン/ベン・アディス
ロイ・セドウェル/ディラン・エドワーズ
2015年・イギリス映画・96分
配給/ポニーキャニオン

<『ハンナ・アーレント』と合わせての鑑賞をお薦め!>
 『ハンナ・アーレント』(12年)を鑑賞するまでの私は、「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万人の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担ったアドルフ・アイヒマンの名前は知っていても、ナチス・ドイツの強制収容所から脱出してアメリカに亡命し、『全体主義の起源』をはじめとする多くの著書を書いた女性哲学者ハンナ・アーレントは、その名前すら知らなかった。しかし、2014年1月に同作を鑑賞した後は、「アイヒマン裁判」の全貌はもとより、その裁判の傍聴記を書く中で彼女が力説した「悪の陳腐さ(凡庸さ)」の意味を十分理解することができた(『シネマルーム32』215頁参照)。このように、日本人は東條英機らを裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)については、『東京裁判』(83年)や『プライド・運命の瞬間<とき>』(98年)等でよく知っていても、「アイヒマン裁判」のことはあまり知らないはずだ。
 本作は、ハンナ・アーレントが毎日傍聴したアイヒマン裁判をテレビ中継で全世界に伝える企画を練り、それを実現させたアメリカ人のプロデューサーのミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)と、同じくアメリカ人のドキュメンタリー監督であるレオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパリア)の姿を描くもの。ちなみに、「首相の犯罪」を暴いた田中角栄を被告とするロッキード裁判については、そのすべてを傍聴したジャーナリストの立花隆が厳しく田中首相を追及したが、その裁判がテレビで実況中継されることはなかった。しかし、アイヒマン裁判については、史上初の裁判のテレビ放送に命を懸けたこの2人の男の活躍によって、当時の世界中の人々はテレビでそのナマの姿を見ることができたし、今日の私たちも「アイヒマン裁判」の実況中継そのものを見ることができるわけだ。
 したがって、本作は『ハンナ・アーレント』と合わせての鑑賞をお薦め!

<なぜ「赤狩り」対象の監督を起用?>
 去る4月17日、スイスのヴヴェイ市にあった故チャールズ・チャップリンの邸宅を改装して、チャップリン記念館「チャップリンズ・ワールド」がオープンしたことが、日本でも大々的に報じられた。『街の灯』(31年)や『モダン・タイムス』(36年)等で有名なチャップリンは、なぜ晩年25年間もスイスに住んでいたの?それは1950年代にアメリカで始まった「赤狩り」(マッカーシズム)の中でチャップリンは共産主義者と批難され、1952年にアメリカを去ってスイスに居を定めたためだ。このことを私はキネマ旬報主催の映画検定3級を受験するための勉強で知ったが、本作の主役の一人であるフルヴィッツ監督も、そんな赤狩りの対象者だったらしい。
 「アイヒマン裁判」が始まったのは1961年4月11日だが、アイヒマン裁判のテレビ放映を企画するプロデューサーであるフルックマンが起用した監督は、何と「赤狩り」のブラックリストに挙げられていたため、10年以上も満足に仕事ができていなかったドキュメンタリー監督のレオ・フルヴィッツだったから、関係者たちはビックリ。アメリカ人の革新派の敏腕プロデューサーと言われていたフルックマンが、アイヒマン裁判を全世界に実況中継するという前代未聞のプロジェクトにフルヴィッツのような「赤狩り」の対象者とされた監督を起用したのは一体なぜ?そんな世紀のプロジェクトを、そんな監督にまかせてホントに大丈夫なの?
 ちなみに、黒沢明監督の『影武者』(80年)では、当初武田信玄役に勝新太郎を起用していたが、ケンカ別れとなったため、代役として仲代達矢が起用された。『影武者』の場合はそのため撮影期間が延びたり、撮影費用がかさんだりの被害で済んだが、アイヒマン裁判は期日を延ばしてくれないから、撮影は一発勝負。プロデューサーと監督が対立してケンカ別れになっては企画自体がフッ飛んでしまうが、さてフルックマンの眼力は大丈夫?

<撮影許可は?法廷やカメラの設営は?>
 極東国際軍事裁判(東京裁判)(1946~48年)は連合国がA級、B級、C級の「戦犯」を裁く裁判だったし、ニュルンベルク国際軍事裁判(1945~46年)は英米ソ仏4カ国によるナチの大物を裁く裁判だった。ちなみに、アイヒマン裁判におけるアイヒマン被告の弁護人たるゼルバティウス博士は、「裁判官がユダヤ人によって構成されたアイヒマン裁判では、アイヒマンに対し公正な裁判をおこなうのは不可能」と批判し、「ユダヤ人によるニュルンベルク裁判」と表現したそうだ。そこらあたりはつきつめていけば難しい問題だから、しっかり考えたい。
 それはさておき、本作導入部で興味深いのは、法廷の設営やカメラの設営についてのやりとりだ。裁判にテレビカメラを入れ、それを全世界に放映するという試みは今回がはじめてだから、裁判官たち自身が困惑したのは当然。その結果、カメラを法廷の主役のようにドンと据えることに裁判官が異議を唱えたのは、ある意味当然だ。ちなみに、この原稿を書いている5月6日~9日には、朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)の「4・25文化会館」で、36年ぶりの第7回党大会が開催された。そこには日本はもとより世界各国の報道陣がつめかけたが、結局党大会の会場に全世界からのカメラが入ることは許されず、あくまで、北朝鮮当局からの発表が一方的に全世界に垂れ流されるだけだった。
 しかし、プロデューサーのフルックマンや監督のフルヴィッツが考えるアイヒマン裁判のテレビ中継では、何よりもカメラの設営の仕方が大切だ。裁判官たちが難色を示したカメラ設営の問題は、法廷の壁を改造して隠しカメラを設置するというフルヴィッツ監督のアイデアによって何とか解消できたが、いざ本番になると、あれこれの問題点が・・・。

<問題点その1。妨害、脅迫の圧力は?>
 ユダヤ人による国家イスラエルは、第二次世界大戦後の1948年5月アメリカの応援によって建国された。しかし、その建国直後からアラブ諸国との対立が続いていることは周知のとおりで、近々鑑賞予定の『オマールの壁』(13年)はそんな問題点をテーマにした映画だ。フルックマンが大手テレビ局に先駆けてアイヒマン裁判の撮影権を獲得できたのは、いち早くイスラエルの総理大臣ダヴィド・ベン=グリオンに直訴するという、ずば抜けた行動力のため。しかし、敗戦後のドイツでは、1960年頃にはネオナチが台頭していたから、フルックマンたちのプロジェクトに対しては、ナチスシンパやネオナチからの妨害、脅迫の危険があったのは当然だ。
 もちろん、アイヒマン裁判はイスラエルの国家を挙げての一大イベントだから十分な警護体制がとられていたが、それでホントに大丈夫?そう思っていると、案の定「いざ本番」が始まろうとする中、フルックマンをアメリカからイスラエルに送り出す前に妻が心配していたとおりの事件が発生し、フルックマンは命の危険にさらされてしまうことに・・・。

<問題点その2。カメラで何を映し出すの>
 映画づくりは「編集が勝負」と言われているが、それは編集すべきネタを既にカメラに収めていることが大前提の話。今フルックマンとフルヴィッツが目指しているのは、劇場用のつくりものの映画ではなく、ナマで動いていくアイヒマン裁判をいかにカメラに映し出すかというテーマだが、そこでフルックマンとフルヴィッツの間には大きな考え方の違いがあった。
 ドキュメンタリー監督としてのフルヴィッツの関心は、専らモンスターとしてのアイヒマンではなく、ひとりの人間としてのアイヒマンの姿をカメラで暴き出すこと。まさに、『ハンナ・アーレント』が「悪の陳腐さ(凡庸さ)」で描き出した、人間アイヒマンだ。それに対して、プロデューサーであるフルックマンが目指したのは、本作の原題、邦題どおりの「アイヒマン・ショー」を全世界の人々に見せること。そのためには、起訴状を朗読する検事の表情やそれを聞く弁護人の表情、そして証人たちの証言の様子等々、アイヒマン裁判の中で必然的に生まれてくるショー的要素を機敏に拾い、カメラに映し出すことが不可欠だが・・・。

<両者の対立は?その極限は?>
 ところが、そんなフルックマンの考え方とは異なり、アイヒマンの人間性に注目するフルヴィッツ監督のカメラへの指示はアイヒマンの表情を映し出すことに集中したからフルックマンは少々おかんむりだ。プロデューサーと監督との対立は、映画づくりにおいて時々発生する事件だが、本作では審理が進んでいく中、当初から無罪を主張するアイヒマンの表情は一向に変わらないから、フルヴィッツ監督はそのことにイライラ。ホロコーストから生き延びたユダヤ人たちがその当時の映像を見ながら、聞くだけでも堪えられないような生々しい証言をしても、アイヒマンの表情は何ひとつ変わらないまま。そんなくり返しの中で、フルヴィッツ監督のイライラは徐々に頂点に・・・。
 証人席でのユダヤ人の証言を、防弾ガラスで囲まれた被告人席の中で聞き、涙するアイヒマン。そんな映像が撮れれば、フルヴィッツ監督はもちろんフルックマンも大満足だが、いくらアイヒマンの表情をアップで追ってもそんなシーンに至らない中、ある日遂にフルックマンとフルヴィッツ監督は決定的に対立。そして、フルヴィッツ監督は「監督を下りる」とまで言い放ったが、さてその結末は・・・?
                                  2016(平成28)年5月10日記