日16-57

「クリーピー 偽りの隣人」
    

                   2016(平成28)年4月26日鑑賞<宣伝用DVD鑑賞>

監督・脚本:黒沢清
原作:前川裕『クリーピー』(光文社文庫刊)
高倉(犯罪心理学者、元刑事)/西島秀俊
康子(高倉の妻)/竹内結子
早紀(本多家一家失踪事件で生き残った長女)/川口春奈
野上(高倉の元同僚刑事)/東出昌大
西野(隣家の主人)/香川照之
澪(西野家の少女)/藤野涼子
大川(高倉の助手)/戸田昌宏
松岡(連続殺人犯)/馬場徹
多恵子(澪の母親)/最所美咲
谷本(ベテラン刑事)/笹野高史
2016年・日本映画・130分
配給/松竹、アスミック・エース

<「クリーピー」とは?「偽りの隣人」とは?>
 2016年3月6日に開催された「おおさかシネマフェスティバル2016」の授賞式後のパーティーで、私は新人女優賞を獲得した若手女優・藤野涼子らと親しく懇談し、2ショットの写真撮影もした。その藤野涼子が、テレビコマーシャルで「あの人、お父さんじゃありません。全然知らない人です。」という奇妙なセリフを吐いて、映画全体の不気味さを強調していた映画が、黒沢清監督の『クリーピー 偽りの隣人』だ。「クリーピー」とは、「ぞっと身の毛がよだつような、気味が悪い」という意味。また、清楚なセーラー服姿がよく似合う女子高生・藤野涼子扮する澪がいう「あの人」とは、香川照之演じる西野のことだ。
 香川照之の俳優としての才能や特異性は周知のとおりだが、私が最初に強く印象に残ったのは『鬼が来た!(鬼子來了)』(00年)(『シネマルーム2』19頁参照)での演技。日本にもこんな俳優がいたのだとびっくりさせられたものだ。また、その才能に強く引き付けられたのは、『ゆれる』(06年)での演技(『シネマルーム14』88頁参照)。香川照之はある面で竹中直人と共通する特異性を持った俳優だが、『クリーピー 偽りの隣人』と題された本作では、そんなクリーピーな物語のキーマンとなる隣家の主人・西野を香川照之が何とも不気味に演じているので、それに注目!

<隣人調査は「引っ越し」前の大原則!>
 日本では引っ越しが終われば、「向こう三軒、両隣」にあいさつに回るのが習慣。マンション一室の賃借ならまだしも、一戸建て住宅を購入するのなら、それは一生に一度の買い物だから、事前に町全体の雰囲気や隣近所の人たちの様子(生態?)を調査するのが大原則だ。しかして、西野の隣の一戸建て住宅に引っ越してきた犯罪心理学者の高倉(西島秀俊)と妻の康子(竹内結子)、そして愛犬が、西野家に引っ越しのごあいさつに回ったのは当然だが、そこで見せた西野の対応は・・・?
 私なら、これだけで「この引っ越しは大失敗だった!」「なぜ事前調査を尽くさなかったのだろう」と苦悩するところだが、刑事としては大失態を犯しても、大学で犯罪心理学を教えることには「俺、意外と向いてるかもしれない」と考えている高倉はあまり気に留めなかったらしい。しかし、昼間に家にいるのは妻だから、隣人とのトラブルがあればその影響が妻に出るのは当然。それは犯罪心理学ならずとも常識だが、高倉はそんなこともわからなかったの・・・?その結果、本作中盤では、西野の対応に日々翻弄される康子はえらいことに・・・。

<6年前の事件の掘り起こしは如何なもの・・・?>
 警察は組織として犯罪捜査にあたるものだから、個人プレーは厳禁。それが当然だから、本作冒頭に見る、連続殺人犯・松岡(馬場徹)をめぐる高倉の大失態は、松岡の心理分析に熱意を燃やした刑事・高倉の個人プレーの結果発生したものと言わざるをえない。また、その大失態によって刑事を辞め、犯罪心理学者として大学教授になった高倉が、6年前に起きた「日野市一家行方不明事件」に興味を持ち、助手の大川(戸田昌宏)と共に事件現場の家を訪れ、ただ一人生き残った長女・早紀(川口春奈)から事情聴取するのもいかがなもの・・・。
 同事件は、4人家族の本多家の両親と長男が忽然と行方不明になり、当時中学3年生だった妹の早紀だけが残されたもの。今は大学生になった早紀は、大学教授の高倉に対しては少し協力的で、6年前の記憶を掘り起こし始めたが、大学教授にすぎない高倉のこんな個人プレーはかなりヤバイのでは・・・。

<元同僚刑事の個人プレーも如何なもの・・・?>
 他方、そんな高倉の行動を知った元同僚の刑事・野上(東出昌大)がある日高倉の元を訪れ、早紀から刑事として事情聴取するため高倉の力を借りたいと申し出たが、さて高倉はどうするの?また警察に近い仕事をすることに抵抗感を持ちながらも、事件への興味が上回った高倉はその依頼を引き受けたが、早紀への事情聴取のため同行した野上は、自分が刑事であるという身分すら明かさなかったから、こりゃ大問題だ。
 もっとも、そんな個人プレー続きの事情聴取の中でも、早紀から、①両親と兄は「誰か」に支配され操られていたような気がする、②その「誰か」は同じ人物のような気がする、そして③早紀は自分の部屋から見下ろした空き地に立っていた男がその「誰か」だった気がする、との重要な説明(ヒント)を得たから、それが日野市一家行方不明事件の解決に繋がれば結果オーライかも・・・。
 なお、本作では中盤から終盤にかけて野上刑事が死亡し、高倉も警察に拘束されるという想像もできない展開の後、ベテラン刑事・谷本(笹野高史)が登場し、やっと組織としての捜査が再開されそうになるが、実はそれも個人プレーの延長としか見えない。本作を見ている限り、日本の警察の捜査体制は一体どうなっているの・・・?

<鳥の目を見れば何かがわかる・・・>
 私の友人で、2011年7月26日に中国人のノーベル賞作家・莫言氏との対談を実現させてくれたのが、現在神戸国際大学の教授をしている毛丹青氏。彼の著書『にっぽん虫の眼紀行: 中国人青年が見た「日本の心」』(98年)は、日本という国を「虫の目」で見たものだが、「虫の目」と「鳥の目」の両者で見れば、往々にして事の本質が見えてくるものだ。しかして、ある日犬の散歩で高台に登った高倉が、自宅周辺を「鳥の目」で見て気づいたのは、空地を囲むように建つ自宅と西野家の位置関係が、本多家と水田家の位置関係とまったく同じであることだ。
 他方、独自の捜査によって野上は、ある日、本多家の隣の廃屋となっている水田家で、腐敗した5体の遺体を発見。そのうち3体は本多家の人々で、2体は水田夫婦であることが判明した。その後も独自の個人プレーを続ける野上が、ある日不慮の「爆死」をとげたのは、高倉家と西野家のすぐ近所の田中家の中だった。そんな状況下での高倉の推理は、西野が本多家の隣人・水田になりすましていたのではないかということだが、一介の大学教授にすぎない高倉のそんな推理に何の意味があるの?そればかりか高倉の協力者として共に活動していた野上がいなくなった今、高倉が西野の犯罪捜査(?)にのめり込めばのめり込むほど、自分がヤバイ立場になっていくのでは・・・。
 案の定、ある日勝手に西野の家に入り込んでいった高倉には、大きな危機が訪れることに。また、高倉が捜査(?)に夢中になっている間、妻の康子には本多家の住人と同じように、誰かに支配され操られているかのような奇妙な行動が目立っていたが、このまま放っておいて大丈夫・・・?

<演技の他、セット、美術、照明、音楽にも注目!>
 本作では、何よりも「怪演」と言うにふさわしい香川照之のクリーピーな演技が見どころだが、それによって右往左往させられ、生死の境目にまで追い込まれる西島秀俊と竹内結子の名演も見逃せない。本作ではその他にも、高台から見下ろす風景の中でその「存在感」を主張する西野家・高倉家のセットや、終盤になってやっと明らかにされる西野家の内部構造やそれを映し出すカメラの照明、さらに『クリーピー 偽りの隣人』というタイトルにふさわしい不安定感いっぱいの音楽にも注目!
 『セーラー服と機関銃』(81年)では「カイカン!」が、『人間の証明』(77年)では「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうね?」がキャッチフレーズだったのと同じように、本作は「あの人、お父さんじゃありません。全然知らない人です。」の名セリフが一躍有名になったが、そもそもそんな奇妙なセリフがどうして成り立つの?また、早紀が高倉に説明したように、誰かが誰かを支配し操ることなど一体どうすれば可能なの?前川裕の原作『クリーピー』(光文社文庫刊)を読めばそこらあたりは明白になるはずだが、映画ではそれをいかにうまく隠し、うまく見せるのかが最大のポイントになる。そして、そこはスリルとサスペンスいっぱいの映画づくりでは第一人者ともいうべき黒沢清監督のこと。終盤からクライマックスにかけての、あっと驚く展開はあなた自身の目でしっかりと。
                                  2016(平成28)年5月13日記