洋16-48

「神様メール」
    

                     2016(平成28)年4月15日鑑賞<ギャガ試写室>

監督・脚本:ジャコ・ヴァン・ドルマル
エア(神様の10歳の娘)/ピリ・グロワーヌ
父(神様、エアの父)/ブノワ・ポールヴールド
マルティーヌ(主婦)/カトリーヌ・ドヌーヴ
フランソワ(元保険屋のスナイパー)/フランソワ・ダミアン
母(女神、エアの母)/ヨランド・モロー
オーレリー(小さい時に片腕を失った美女)/ローラ・ヴェルリンデン
マルク(セックス依存症の男性)/セルジュ・ラリヴィエール
ジャン=クロード(会社員)/ディディエ・ドゥ・ネック
ウィリー(女の子になりたい男の子)/ロマン・ジェラン
ヴィクトール(ホームレス)/マルコ・ロレンツィーニ
2015年・フランス、ベルギー、ルクセンブルク映画・115分
配給/アスミック・エース

<こんな「神様映画」のアイデアに唖然!茫然!>
 イエス・キリストの生涯や彼が生きている間に行った数々の奇跡を描いた映画は、古くは『キング・オブ・キングス』(61年)や『奇跡の丘』(64年)、『偉大な生涯の物語』(65年)等があり、近時は『パッション』(04年)(『シネマルーム4』261頁参照)、『サン・オブ・ゴッド』(14年)(『シネマルーム35』296頁参照)等がある。また、イエス・キリストを世に送り出した父親である「神様」の業績(?)を、「旧約聖書」にもとづいて描いた映画も、古くは『天地創造』(66年)や『十戒』(56年)等があり、近時は『ノア 約束の舟』(14年)(『シネマルーム33』196頁参照)等がある。しかし、ベルギーのジャコ・ヴァン・ドルマル監督が自ら脚本を書いた本作に見る、人類の創造主である「神様」(ブノワ・ポールヴールド)は実にイヤな奴!
 イエス・キリストはこの「神様」の息子だが、イエスには妹のエア(ピリ・グロワーヌ)がいたらしい。そして、今10歳になる思春期のエアは、父親である神様の虐待に我慢に我慢を重ねていたらしい。また、息子と娘がいるのだから、神様には当然妻がいたが、その妻(ヨランド・モロー)もいじわるな夫に耐えて耐えて生き抜いていたらしい。
 そんな神様の住むアパートがブリュッセルにあったというのは、単にジャコ・ヴァン・ドルマル監督がベルギー生まれだったための勝手な設定だが、もちろんここは人間の住む世界とは完全に隔絶されたところ。そして、神様は妻や娘が絶対に入れない書斎の中で、たった一人でパソコンを駆使して人間の住む世界を支配していたらしい。しかも、本作導入部に見る神様のパソコン操作は実にいやらしい。つまり、自分の姿に似せて人間をこの世に誕生させたくせに、神様は自分の名のもとに人間同士を争わせたり、惨事を起こしたりして人間が不幸になる姿を楽しんでいるから、何ともはや・・・。ちなみに、地上に降りたはずの長男のイエスはなぜか今ミニチュアになってアパートの一室に置かれていたが、妹思いの彼は父親の虐待に苦しむ妹に対して、かつて自分が家出したドラム式洗濯機のある「仕掛け」を教えることによって、「下」への出口を教えることに・・・。
 なるほど なるほど。まずは、そんな本作のアイデアに唖然!茫然!

<家出の時のクソおやじへの腹いせ(?)が大波乱を!>
 父親の虐待に苦しむ少女は世の中に多い。ブリー・ラーソンが第88回アカデミー賞で主演女優賞を受賞したレニー・アブラハムソン監督の『ROOM』(15年)は、息子と共に7年間も閉じ込められていた母親の「ROOM」からの脱出が前半のテーマだったが、そこでは息子を死体に化けさせて脱出するという設定が面白いアイデアだった(『シネマルーム37』10頁参照)。それに比べれば、ドラム式洗濯機をある設定にすることによって、神様のアパートから人間の世界に脱出するという設定は意外に単純。しかし本作では、エアが家出に際してクソおやじに対して行うある「腹いせ」(?)の行動が重大なポイントになる。その「腹いせ」とは、父親が何よりも大切にし、人類支配の唯一無二のツールになっているパソコンへの侵入とそこへのいたずらだ。
 また、この「腹いせ」は兄のイエス・キリストの入れ知恵でもあったが、そこで兄貴は妹に対して、人間の世界に降り立つについては、自分と同じように使徒をつくることをアドバイスしたから、それにも注目!ちなみに、イエス・キリストの場合は、有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に12人の高弟が描かれており、彼らが使徒として死亡したイエスに代わってイエスの教えを全世界に広めていくことになったが、エアは新たに6人の使徒を選ぶことに。なお、エアの使徒が6人になったのは、野球の大好きな母親が試合ができる人数の「18」という数字が好きなため、イエスの12人の使徒に新たに6人の使徒を加えようとしたゴロ合わせのためというから恐れ入る。
 そんな動機によって、居眠りしている父親から身に付けている書斎のカギを盗み取ったエアはまんまと父親の書斎に入り込み、パソコンに侵入。そして、書斎のキャビネットから持ち出したファイルから6人の使徒を選び出すとともに、パソコンをいじくり、全世界の人々に対してその「余命」を知らせるメールを各自のスマホに送信してしまったから、さあ人間たちの世界は大波乱に!

<余命を知ることのメリットとデメリットは?>
 秦の始皇帝は不老不死の薬を求めて徐福を蓬莱の国まで派遣したが、それは所詮無理なこと。また、「人間50年」と言われた織田信長の時代に比べれば、世界の最長寿国となった日本の平均寿命は、今や男80.21歳、女86.61歳まで延びている。しかし、それは所詮平均寿命だから、私の余命やあなたの余命を知ることは所詮無理なこと。そのため、人間は一方で俺だけは交通事故にあわないだろう、俺だけはガンにかからないだろうと思いながら、他方である日雷に打たれて死んだら仕方ないと思って毎日を生きている。そして、そこから、さまざまな小説や映画に描かれる人間ドラマが生まれているわけだ。
 しかし、エアから全人類に対して一斉に送信された神様メールによって、人間一人一人の「余命」が明確にされると、そのメリット、デメリットは?それは、人間の生き方にどのような影響を与えることになるのだろうか?本作中盤では、自分の余命を明らかにされた人間たちが見せる、さまざまな生態に注目したい。
 ちなみに本作では、パソコンを開いた途端に「余命0分」の表示を見る男の役でジャコ・ヴァン・ドルマル監督がカメオ出演しているが、その男はその瞬間交通事故で車ごと跳ね飛ばされることに・・・。また、年上の夫とその介護に尽くす妻のケースで、妻の余命よりも夫の余命の方が圧倒的に長いことが表示されると、その後の妻の行動は・・・?その他、人間が各自の余命をハッキリと知った場合、人間の生き方がガラリと劇的に変わることが本作を観ればハッキリわかるはずだ。ちなみに、私と同じく現在67歳のあなたの余命がまだ20年あると表示された場合と、あと1カ月と表示された場合の、あなたの生き方がどのように変わるかを考えてみるのも一興だ。

<新たなエアの6人の使徒は?その福音書は?>
 エアが選んだ使徒は、①余命83日、セックス依存症の男で、その原因となった運命の人に再会したマルク(セルジュ・ラリヴィエール)、②余命12年9カ月5日、会社員で、冒険家になりたかったことを思い出し、鳥を追いかけ北極へ向かったジャン=クロード(ディディエ・ドゥ・ネック)、③余命25年3カ月8日、保険屋だったが、余命を知ってこっそりスナイパーに転職したフランソワ(フランソワ・ダミアン)、④余命11年6カ月27日、小さい時に片腕を失い、モテモテ美女だけど、孤独なオーレリー(ローラ・ヴェルリンデン)、⑤余命5年2カ月17日、夫と冷めた関係の寂しい主婦でゴリラと恋に落ちたマルティーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)、⑥余命54日、女の子になりたいと願う、余命わずかの男の子ウィリー(ロマン・ジェラン)。しかして、本作中盤以降のメインストーリーは、この新たな6人の「使徒」たちと共にエアがくり広げるさまざまな物語になる。そして、それを記すのが、ブリュッセルの街に降り立ったエアを助け、エアと一緒に旅を続けるホームレスの老人ヴィクトール(マルコ・ロレンツィーニ)だ。
 6人の使徒がエアと共に織り成すさまざまな物語はここでは書かないが、前述した各自のキャラからわかるとおり、これらの物語は奇妙なものばかり。およそ平凡で善良な市民のようなキャラクターの使徒は登場しないので、その奇妙奇天烈なエアと使徒たちの物語をしっかりと楽しみたい。私たちはベツレヘムの厩に生まれたイエス・キリストが成年に達した後、さまざまな奇跡を起こしながら神の教えを人間たちに広めたこと、そして最後はユダの裏切りによって磔(はりつけ)にされたこと、そしてその死後に復活を遂げたこと、等々を知っているが、さてそれらの行動の意味は・・・?エアの行動を見ていると、どうしてもイエス・キリストのこれらの行動の意味と比較対照してしまうが、そんなことができるのは、私が敬虔なキリスト教徒ではないからだ。すると、敬虔なキリスト教徒が本作を観れば、エアの行動をどのように解釈するのだろうか?

<エアが新たに創り出す「新・新約聖書」の内容は?>
 旧約聖書と新約聖書における「約」とは、神と人間との「契約」のこと。つまり、旧約聖書はイエス・キリスト誕生以前の契約を記したもので、新約聖書はイエス・キリストが誕生した後に更新されたものだ。しかして、本作の原題『LE TOUT NOUVEAU TESTAMENT』は、直訳すると「新・新約聖書」らしい。つまり、神様の長男であるイエス・キリストが地上に降り立ってからの行動を12人の使徒に語らせたのが新約聖書であるのに対し、イエスの妹エアがブリュッセルの街に降り立ってからの行動を6人の使徒に語らせたのが新・新約聖書というわけだ。
 イエスの場合は父親との関係の険悪ぶりを示す記録は何もないが、エアの場合は冒頭からその険悪ぶりは明らか。もっとも、イエスの場合も、父親である神様は磔にされるイエスを助けに来てくれなかったから、父親はもともと薄情だったのかもしれないが、本作に見る神様はブリュッセルの街に逃亡した家出娘を連れ戻すべく追いかけてきたから、娘への執念は大したものだ。そこで神様が、誰が見ても神様らしい姿をしていれば人間がそれに恐れおののくのは当然だが、全知全能の神様も姿かたちは中年おやじのそれと全く同じだから、その「差別化」は難しい。その結果、本作に見る全知全能の神様はホームレスとしてあれこれと問題を起こしたり、犯罪者になってもあれこれの問題を起こすことに。
 さあ、エアはそんなクソ親父の追及を逃れながら、無事6人の使徒たちと共に有意義な新・新約聖書に記す物語を積み重ねていくことができるのだろうか?その内容の充実ぶりに注目したい。

<奇想天外なラストに注目!母親もやっと存在感を!>
 今や携帯電話やスマホは一人一人の人間の必需品になったが、そのバッテリーが切れてしまえば無用の長物になってしまう。それは、私たちがデスクに置いて使っているパソコンや本作に登場する神様のパソコンも同じで、そのコンセントが抜けてしまえばパソコンは無用の長物になってしまう。本作では、ラストに至るまでエアの母親たる女神の存在感が薄く、刺繍と野球が大好きなだけの役立たず妻という存在だが、エアを連れ出すため地上に降り立った神様が長い間地上で苦労し、アパートを留守にしている間に、少しずつ自由を取り戻していった母(女神)は行動的になっていくことに。その結果、絶対に入ることのできなかった神様の書斎に掃除のために入った女神は、掃除機のコンセントを入れるため一度パソコンのコンセントを抜いてしまったが、さてその影響は?
 本作のパンフレットには、100歳になった監督の父親が毎週金曜日にパソコンの電源が抜けた状態になっていることに苦労したエピソードが語られている。それ自体は毎週金曜日にやってくる家政婦が、掃除機のコンセントを繋げるためコンピューターのコンセントを抜き、掃除が終わったあとそのまま元に戻さず帰ってしまうという、たわいのないエピソードだが、そんなエピソードを下敷きに、ジャコ・ヴァン・ドルマル監督は本作のラストを何とも奇想天外な結末にしているので、それに注目!なるほど、こんなラストもあったのか!
                                  2016(平成28)年4月19日記