日16-27

「マンガ肉と僕」
    

                      2016(平成28)年2月28日鑑賞<シネ・ヌーヴォ>

監督:杉野希妃
原作:朝香式『マンガ肉と僕』(新潮社刊)
ワタベ(気が弱く引っ込み思案の大学生)/三浦貴大
熊堀サトミ(太ったみすぼらしい容姿の大学生)/杉野希妃
本多菜子(ワタベの2番目の恋人)/徳永えり
さやか(ワタベの3番目の恋人)/ちすん
依田(料理人)/大西信満
薮野(ワタベの同級生)/太賀
料理店のおかみ/宮本裕子
バイト先の料理店主/長原成樹
サトミの義理の父/徳井義実
2014年・日本映画・94分
配給/和エンタテインメント、KATSU-do

<遅ればせながら、注目の才女の監督第1作を!>
 女優兼プロデューサーとして近時華々しい活動を続けている杉野希妃の第2回監督作品『欲動(TAKSU』(14年)を私は14年11月に鑑賞したが、その採点は5点(『シネマルーム35』193頁参照)。その翌日に観た、和島香太郎監督、杉野希妃主演の『禁忌(sala』(14年)も5点だった(『シネマルーム35』198頁参照)。さらに、昨年11月に観た三澤拓哉監督の『3泊4日、5時の鐘』(14年)も5点だった(『シネマルーム37』掲載予定)。杉野希妃は『歓待』(10年)(『シネマルーム27』160頁参照)以来、私が一貫して注目している、日本人には稀有な行動力を持った才女だが、そんな彼女の監督第1作が本作だ。
 例によって(?)、第27回東京国際映画祭、第18回上海国際映画祭、エディンバラ国際映画祭等の数々の映画祭に出品するとともに、英題を『Kyoto Elegy』としている(もっとも、『3泊4日、5時の鐘』のような英語の字幕表示はなし)。さらに、主人公が通う京北大学は明らかに京都大学だとわかる他、京都各地の名所がロケに使われているため、日本人はもちろん外国人も興味を持つように設定されている。また、本作で注目すべきは『ほとりの朔子』(13年)(『シネマルーム32』115頁参照)でも音楽を担当した、富森星元による和楽器を中心とした印象的な音楽だ。

<杉野希妃は、監督第1作になぜ原作ものを?>
 本作の原作は朝香式の短編小説『マンガ肉と僕』。これは、2013年の「女による女のためのR-18文学賞」の大賞受賞作だそうだが、私はもちろんそんなことは全然知らない。ちなみに、豊島圭介監督の『花宵道中』(14年)(『シネマルーム35』未掲載)は、2006年に大賞を受賞した宮木あや子の『花宵道中』を映画化したもの、また、竹中直人監督の『自縄自縛の私』(12年)(『シネマルーム30』未掲載)は2008年に大賞を受賞した蛭田亜紗子の『自縄自縛の私』を映画化したものだったが、いずれもたいした映画ではなく、私の採点は星3つだった。しかして、原作『マンガ肉と僕』の出来は?
 『マンガ肉と僕』と聞いても何のことかサッパリわからないが、マンガ肉とは「巨大な骨つき肉のジャンクフード」のこと。スクリーンでそれをパクつく姿はあまりに非現実的でマンガチックだが、原作があえてそんなタイトルにした理由とは?また、「マンガ肉」をテーマにした同作のモチーフは、「女が男に嫌われるために太る」ということらしい。才女の杉野希妃にはそんなテーマが今の時代に切り込むには恰好の素材だと考えられたのだろう。そのため、どちらかというとオリジナルものが大好きな杉野希妃は、監督第1作として珍しく原作モノを選んだうえ、何と自ら太ったブタ女、熊堀サトミ役を特殊メイクをして自分で演じるという大冒険にチャレンジ!

<杉野希妃と和島香太郎の共同作業による自由な脚色は?>
 朝香式の原作は、高校時代に母親の男友達にレイプされたサトミがそれ以来、自分の身を守るために、意識して肥満体を目指すというストーリーが基本になっているそうだ。それに対して本作は、原作のモチーフを活かしながら、自由な発想でドラマを膨らませ、京都を舞台に、主人公ワタベ(三浦貴大)と①ワタベに寄生してくるブタ女の熊堀サトミ、②逆にワタベが寄生することになるセックス依存症の女、本多菜子(徳永えり)、③ワタベと共に弁護士を目指して司法試験の勉強にはげみ、難なくその目標を達成してしまう才媛、さやか(ちすん)との8年間の女遍歴を、3部構成のラブ・ストーリーに脚色されている。
 また、本作でも、サトミが「男に抗うために」あえてマンガ肉を食らい、ブタ女を目指す導入部のストーリーは原作と同じだが、本作のラストでは、そのサトミがすばらしい美女に大変身し、料理屋のおかみとしてカムバックしてくるから、その点でも本作は原作のモチーフを大きく脚色していることになる。これは、杉野希妃が女優として美人顔も見せたいという願望から付け加えられたもの(?)だろうが、料理屋のおかみに大変身したサトミは、ワタベを差し置いてさっさと司法試験に合格してしまった3番目の彼女さやかと共に、男より完全に優位に立っているから、立派に「男に抗う女」が成立していることになる。また、原作は舞台が阿佐ヶ谷らしいが、本作では英題を『Kyoto Elegy』としたように、京都の大学、料理店、各地の名所が登場人物たちの人生の生きザマを決めるうえでのモチーフとして登場してくるから、その点でも原作を大幅に脚色していることになる。
 本作の脚色は杉野希妃と和島香太郎との共同作業によるものらしいが、女優・杉野希妃の存在感を際立たせるうえでも、また監督・杉野希妃の発想力の豊かさを誇示する意味でも大いに注目したい。

<僕は「草食系男子」以下!これぞ「3Yない社会」の危機!>
 2016年3月2日付産経新聞の「正論」における、作家・堺屋太一氏の「『低欲社会』は日本のピンチだ」は興味深い。その結論は「実際、現在の日本社会の最大の危機は、社会の循環を促す社会構造と若者層の人生想像力の欠如、つまり『やる気なし』である。『欲ない、夢ない、やる気ない』の『3Yない社会』こそ、現代日本の最大の危機である。」というものだ。私は全く同感で、本作の「僕」はまさにコレ!
 もっとも、今ドキ気が弱く引っ込み思案の若者=「草食系男子」はいくらでもいるから、ワタベが特に「ダメ男」というわけではない。むしろ、地方から京北大学の法学部に入り、1回生の時から「弁護士になりたい」と公言しているくらいだから、彼のことを「欲ない、夢ない、やる気ない」と評価するのは酷かもしれない。しかし、たまたま教室で隣に座り知り合っただけのサトミに見事に寄生されていく姿をみていると、そのだらしなさが目立ってくる。サトミからの「同棲していることをバラすぞ!」という一言だけで、前途ある健全な若い男が支配されてしまってホントにいいの?
 3年後、ワタベは同じ部屋に菜子と一緒に住んでいたが、今度は部屋代をすべて菜子が負担していたから、サトミとは逆にワタベが菜子に寄生している状態。その見返りとしてのワタベの義務は、セックス依存症らしい菜子へのご奉仕だが、いくら若い男と女でもセックスの相性は難しい。ワタベの友人の薮野(太賀)と一緒に風俗店へ行ったせいか、ある日、菜子は性病(クラミジア)にかかったことを知って半狂乱状態に。もっとも、この騒動は菜子の母親が出てきて、ワタベが菜子との縁を完全に切ることでケリがついたからワタベにとってはまだマシだったが、この展開の中で見るワタベのだらしなさはいかばかり・・・。
 さらにその5年後、ワタベはスーツ・ネクタイ姿で働いていたが、その仕事は弁護士ではなく司法書士。司法書士も立派な国家資格だから、何もあくまで司法試験を目指している同棲中のさやかに劣等感をもつ必要はないが、問題はワタベの気持ちの持ち方。また、仕事への取り組み方も妙にクールで、イマイチその情熱が感じられないことが問題だ。そんな状況下、さやかが司法試験に合格してしまうと、当然のように2人の関係はぎくしゃくし、ある日さやかは「さようなら」の置手紙を残して、あっけなくワタベとバイバイしてしまうことに。石川達三の『青春の蹉跌』(68年)は、司法試験に合格した男がそれまで尽くしてくれた女との縁を切るのに苦労し、結局殺してしまう生々しいドラマだったが、本作のさやかに見るワタベの切り方は実に簡単であっけないものだ。
 こんなワタベのような「僕」の生き方こそ、まさに堺屋太一氏が言う「欲ない、夢ない、やる気ない」社会に見る、現代日本最大の危機なのでは?

<サトミの変貌をどう解釈?>
 本作は「欲ない、夢ない、やる気ない」を代表する(?)現代の若者ワタベの、3人の女遍歴の物語と理解すれば、ヘンリー・フィールディング原作の『トム・ジョーンズの華麗な冒険』(63年)と同じように十分楽しむことができる。しかし、本作で展開される、ブタ女から板前へ、そして料理店の女主人へと華麗に変身していくサトミの物語、そんなサトミとまだ若いのに人生に疲れ果てたような生き方をしているワタベとの再会の物語は、少し違和感がある。つまり、ワタベを主人公とした3人の女との女遍歴の物語と、杉野希妃が本作のテーマとした「男に抗う女」、さらに言えば、したたかで強い女による、権威的だが実はか弱い男に対する復讐の物語(?)が本作には併存しているわけだ。
 そんな目で見れば、大きく変貌したサトミだけではなく、初心を貫いたさやかも、立派にワタベのようなダメ男を乗り越え(踏み台にして)次のステップに夢を進めた、「男に抗うことに成功した女」になるわけだ。モンスターと呼ばれるほど不細工だった女から、絶世の美女への大変身をテーマにした作品が百田尚樹原作の『モンスター』を、高岡早紀主演で映画化した『モンスター』(13年)だった(『シネマルーム30』未掲載)が、そこでは当然ながら数度にわたる整形手術が介在していた。しかし本作に見る、マンガ肉を食らうブタ女から、細身の華麗な美女への大変身は、あくまでサトミの価値観の転換と本人の努力だけによるものだからすごい。もっとも、そんな芸当は天下の才女・杉野希妃だからこそできても、あのブタ女のサトミでは到底できないのでは・・・?私にはそんな疑問があるが、さてあなたはどう解釈?
                                  2016(平成28)年3月4日記