洋16-22

「サウルの息子」
    

                  2016(平成28)年2月18日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督・脚本:ネメシュ・ラースロー
サウル・アウスランダー/ルーリグ・ゲーザ
アブラハム/モルナール・レヴェンテ
ビーダーマン/ユルス・レチン
顎鬚の男/トッド・シャルモン
医者/ジョーテール・シャーンドル
ヒルシュ/アミタイ・ケダー
ゾンダーコマンドのラビ/イエジィ・ヴォルチャク
2015年・ハンガリー映画・107分
配給/ファインフィルムズ

<パルムー・ドール作に続いてグランプリ作を鑑賞!>
 アカデミー賞はアメリカの映画産業従事者の団体である映画芸術科学アカデミー(AMPAS)の会員の無記名投票で選ばれるから、作品賞・監督賞をはじめとする各賞はアメリカの国情や世相などが色濃く反映され、必ずしも芸術性や作品の完成度の高さだけでは選ばれない傾向が強い。それに対して、カンヌ国際映画祭は審査員が少ないうえ、個性的な審査委員長が就任することが多いので、どうしても作家性の強い、個性的な作品が受賞することが多い。また、ベルリン国際映画祭のコンペティション部門では金熊賞が最高賞で、銀熊賞として審査員グランプリ、監督賞、男優賞、女優賞等があるが、カンヌ国際映画祭のコンペティション部門ではパルム・ドールが最高賞で、グランプリ(審査員特別賞)はそれに次ぐ賞とされている。
 しかして、第68回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した作品が2月14日に観た『ディーパンの闘い』(15年)。そして、今回観た本作は、グランプリ受賞作品だ。偶然ながら、第68回カンヌ国際映画祭のパルム・ドール受賞作品に続いて、グランプリ受賞作品を鑑賞することに。

<ホロコーストの知識は十分?いやいや、知らないことだらけ!>
 戦後70年の節目となった2015年は、邦画では『杉原千畝 スギハラチウネ』(15年)(『シネマルーム36』10頁参照)、『日本のいちばん長い日』(15年)(『シネマルーム36』16頁参照)、『野火』(14年)(『シネマルーム36』22頁参照)、『この国の空』(15年)(『シネマルーム36』26頁参照)、『おかあさんの木』(15年)(『シネマルーム36』31頁参照)等が公開された。また、アウシュヴィッツ解放70周年となったドイツでは『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(15年)(『シネマルーム36』36頁参照)、『顔のないヒトラーたち』(14年)(『シネマルーム36』43頁参照)、『ふたつの名前を持つ少年』(13年)(『シネマルーム36』49頁参照)、『あの日のように抱きしめて』(14年)(『シネマルーム36』53頁参照)等が公開された。
 ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害とホロコースト(大量虐殺)を描いた映画は、『カティンの森』(07年)(『シネマルーム24』44頁参照)、『黄色い星の子供たち』(10年)(『シネマルーム27』118頁参照)、『サラの鍵』(10年)(『シネマルーム28』52頁参照)等たくさんある。『ハンナ・アーレント』(12年)(『シネマルーム32』215頁参照)も、視点は違うがその一つだ。また、古くは『ライフ・イズ・ビューティフル』(97年)(『シネマルーム1』48頁参照)や『聖なる嘘つき その名はジェイコブ』(99年)(『シネマルーム1』50頁参照)等の名作がある。このように、私はユダヤ人迫害とホロコーストを描く映画については、相当な興味と関心をもって鑑賞してきたから、そのほとんどを知っていると思っていたが、それまでのホロコースト映画とは全く違う視点からの本作を観て、それが全くの誤りで、思い上がりだったことを痛感させられた。

<本作の鑑賞は、「ゾンダーコマンド」の理解から
 毎日大量に移送されてくるユダヤ人をガス室に送り込んでいたのは、それを任務としたナチス・ドイツの兵士たち。私はそう思っていたが、実は現場の第一線でそれをやっていたのは、「ゾンダーコマンド」だったらしい。これは、ナチスが収容者の中から選抜した死体処理に従事する特殊部隊のことだ。彼らには、大量のユダヤ人を裸にしてガス室に送り込み、一斉に殺害した後、金目のものの整理の他、死体(これを部品と呼んでいたというからビックリ)の片づけや汚物の掃除、そして焼却した死体の灰の処理など、お仕事がいっぱいあるらしい。
 予告編では、子供の頃にジョン・ウェイン主演の西部劇で観たような、口を布で覆った主人公サウル・アウスランダー(ルーリグ・ゲーザ)の姿が登場していたが、これは砂埃を避けるための西部劇とは異なり、死体や汚物の悪臭から逃れるためだったことがわかる。何ともすごいホロコースト映画が登場し、カンヌでグランプリを受賞したわけだが、その鑑賞のためには、まずはゾンダーコマンドの理解から。

<こだわりの撮影技術と撮影手法に注目!>
 今やデジタル全盛の時代だが、それでもフィルムにこだわる監督は多い。また、①アスペクト比1:1にこだわった『Mommy/マミー』(14年)(『シネマルーム36』256頁参照)のグザヴィエ・ドラン監督、②「映画は動く絵画」にこだわり、固定カメラ、1シーン1カットの撮影で計39シーンを並べた『さよなら、人類』(14年)(『シネマルーム36』262頁参照)のロイ・アンダーソン監督、③アニメとドュメンタリーの融合にこだわり、自由奔放なストーリーとアニメによる映像美の世界を構築した『コングレス未来学会議』(13年)(『シネマルーム36』222頁参照)のアリ・フォルマン監督等、撮影技術と撮影手法にこだわる監督は多い。
 私には専門的なことはわからないが、本作は伝統的な35ミリフィルムが使われ、狭いスタンダード・サイズで撮影されているらしい。さらに、本作特有の撮影方法は、冒頭のボヤけたシーンを見ればすぐにわかる。これは下手クソなカメラマンが撮ったためではなく、最初からカメラの焦点を手前に合わせているため、当然後方はボケているもの。そんな状況下で、突然姿を現した本作の主人公サウルの姿がくっきりと・・・。
 さらに、本作はストーリー全編を通してカメラマンはサウルに焦点を合わせ、サウルの表情を中心に撮影しているから、サウルの周辺はすべてボケ気味になっている。したがって、大量に折り重なって転がっている裸の死体等は露骨に映らず、ボケた状態で見えてくるから、逆にひと安心・・・。その他、本作でネメシュ・ラースロー監督が見せる、こだわりの撮影技術と撮影手法に注目!これは、あくまでサウルの視線で見えるものだけをスクリーン上で見せるためにネメシュ・ラースロー監督がトコトンこだわった手法だから、ある意味で非常に疲れるけれども、そんな監督の意思をしっかり汲み取りたい。
 ちなみに、この点について、パンフレットの「ディレクターズ・ノート」には、「最初から最後まで主人公を追いながら、彼が直接見聞きする周囲しか見せないことで、人間の認識域により近い、範囲を限定した有機的な映画空間を創造しようとした。焦点深度の浅い映像を用いること、そのショット以外の要素がオフ・スクリーンで絶えず存在していること、観客が知ることのできる主人公の映像や事実関係の情報が限定されていること―これらが我々の視覚と話法のストラテジーの出発点である。」と説明されている。

<サウルの目標は?日本人にはそれがイマイチ・・・>
 本作のストーリーは、ガス室内に折り重なる大量の死体の中で、サウルがまだ息のある死体(?)を発見したところから始まる。何と、それは「サウルの息子」だったらしい。しかしてサウルは、その後完全に始末されてしまった「サウルの息子」をユダヤ教の教義にのっとって正しく埋葬するべく、ラビ(ユダヤ人の聖職者)を捜し、埋葬しようとするわけだ。
 死体の解剖を命じられた医師にもナチスの下で働くユダヤ人医師がいたから、彼の協力を得ることはできたものの、ゾンダーコマンドとしての任務を果たしながら、そんな自分だけの目標を達成することは可能なの?さらに、ゾンダーコマンドはいくつかの班に分けられ、それぞれ膨大で過酷な任務を与えられていたから、サウルだけがそんな勝手な単独行動をとると、他のゾンダーコマンドに迷惑をかけるのでは?さらに、私には想像すらできなかったが、ゾンダーコマンドたちもいつかは抹殺される運命にあったから、彼らには命を懸けた武装蜂起による収容所脱走計画もあったらしい。
 ちなみに、これらのストーリーは自分の家族がアウシュビッツで殺された経験をもつネメシュ・ラースロー監督なればこそ書けた脚本にもとづくものだから、彼にとって本作は「アウシュビッツ解放70周年」の記念映画ではなく、今なお生き続けている体験談なのだろう。もっとも、私たち日本人にはなぜサウルがそんなユダヤ式の埋葬にこだわるのかがわかりにくいから、サウルのそんな目標の立て方の理解がイマイチ・・・。

<鑑賞後は疲れがどっと・・・>
 本作中盤のサウルの、トコトン自分の目標にこだわった行動を見ていると、私にはどうしてもゾンダーコマンドとしての集団行動や、仲間との連携を一体どう考えているの?という疑問が湧いてくる。サウルがラビを捜し回る自己中心的な行動を続ける中で、そのとばっちりを受けて殺されてしまうユダヤ人が登場すると、なおさらそう思ってしまう。また、サウルには、女たちが働いている棟に行き、秘かに爆薬を受け取るという武装蜂起計画における重要な任務があったのに、ラビ捜しに夢中になり、自分も裸にさせられ、殺されそうになったため爆薬をどこかに落としてしまったという大失態も・・・。そのうえ、最後までわからないのは、ゾンダーコマンドの班長から「お前には息子はいないはずだ」と言われること。それに対してサウルはいろいろと弁解的な回答(?)をしていたが、さてその真相は?
 本作全編を貫くストーリーの核となっている「サウルの息子」がそもそも存在しないとなれば、本作はただ単にサウルの狂気を描いているだけ・・・?いやいや決してそんなことはないはずだから、しっかりあなたの想像力を総動員して本作の鑑賞を!
 ちなみに、スティーブ・マックイーン、ジェームズ・ガーナーらのハリウッド俳優を総動員した『大脱走』(63年)も、一度は脱走に成功したものの最後には悲劇的な結末になったが、それは本作も同じ。しかし、脱走を成功させたサウルたち一行がひとときの休息をとっている時、サウルが目の前に見た少年は一体何者?ネメシュ・ラースロー監督はその直後にサウルたちにナチス兵からの銃弾が降り注ぐシーンは見せないが、それでも「大脱走」の失敗とサウルを含むゾンダーコマンドたち全員が殺されてしまうシーンを想像すれば、胸の中は重くなる一方だ。もちろん、そんな悲しい結末は予想されたとおりだが、やはり本作鑑賞後は疲れがどっと・・・。
                                  2016(平成28)年2月23日記