洋15-99

「ヒトラー暗殺、13分の誤算」
    

                      2015(平成27)年8月14日鑑賞<GAGA試写室>

監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル
ゲオルク・エルザー(36歳の平凡な家具職人)/クリスティアン・フリーデル
エルザ(ゲオルクの元婚約者)/カタリーナ・シュットラー
アルトゥール・ネーベ(刑事警察局長)/ブルクハルト・クラウスナー
ハインリヒ・ミュラー(秘密警察ゲシュタポの局長)/ヨハン・フォン・ビュロー
ヨーゼフ・シューア/ダーヴィッド・ツィンマーシート
エリック/リュディガー・クリンク
ハンス・エーベルレ/フェリックス・アイトナー
マリア・エルザー(ゲオルクの母親)/コルネリア・コンドゲン
ルートヴィヒ・エルザー/マーティン・マリア・アーブラム
2015年・ドイツ映画・114分
配給/ギャガ

<有名なヒトラーの暗殺未遂事件は-ワルキューレ事件>
 ヒトラーと誕生日が数日違うだけのチャールズ・チャップリンは、『チャップリンの独裁者』(40年)で痛烈なヒトラー批判をしたが、もちろん「ヒトラー暗殺計画」には一切無関係。インターネット情報によれば、ヒトラーの暗殺計画と暗殺未遂事件はたくさんあるが、歴史上有名な「ヒトラー暗殺計画」は、トム・クルーズ主演の『ワルキューレ』(08年)(『シネマルーム22』115頁参照)で描かれた「ワルキューレ作戦」。
 これは、ナチスの軍人でありながら「反体制派」の1人として暗殺計画の実行犯となったシュタウフェンベルク大佐を中心とする組織的かつ緻密な計画で、1944年7月20日に実行された。そして、プラスチック爆弾は確かにヒトラーが臨席する会議の席で爆発したものの、結果的にヒトラーは軽傷で終わったため、シュタウフェンベルク大佐らの計画は失敗に終わった。その詳細とスリリングな展開、さらに日本の軍部とナチスの軍隊との相違点等については、『シネマルーム22』の115頁を参照してもらいたい。

<もう1つの暗殺未遂事件は、単独犯!>
 ワルキューレ事件はナチス内部の「反体制派」の軍人たちが組織的に計画を練り上げて実行したものだが、本作が描くもう1つのヒトラー暗殺未遂事件である「ビュルガーブロイケラーの爆破事件」は緻密に練り上げられた計画であった点は同じだが、何と単独犯!
 1923年11月8日に、ミュンヘンにある大きなビアホール・ビュルガーブロイケラーで、いわゆる「ミュンヘン一揆」が起きたことは有名な歴史上の事実。これに失敗した若き日のヒトラーは逮捕され刑務所に収容されたが、その刑務所内での勉強がその後の「ナチズム思想」を固めることになったのも有名なお話だ。1933年にナチス党の総統としてナチス政権を樹立したヒトラーは、そんな「ミュンヘン一揆」を記念して、毎年11月8日にこのビュルガーブロイケラーで記念集会をもち、そこで演説をするのが恒例となった。そこに目をつけた36歳の平凡な家具職人であるゲオルク・エルザー(クリスティアン・フリーデル)が思いついたヒトラーの暗殺計画は、1939年11月8日に開催されるビュルガーブロイケラーでの記念集会で講演するヒトラーをターゲットにして、爆発装置をビアホールの柱の中に仕掛けるというものだった。
 ホントに1人の男の力だけで、なぜそんな計画を立て、実行することができたの?彼はどんな思想を持ち、どんな価値判断の上で緻密に練り上げたヒトラー暗殺計画を実行したの?その政治的背景や宗教的背景は?さらに、本作の邦題のタイトルとなっている「13分の誤算」とは一体ナニ?ヒトラーを描く映画はたくさんあるが、そんなたくさんの興味をもって観れば、本作は一瞬たりともスクリーンから目を離すこともなくなるはずだ。

<この監督とこの脚本、この俳優に注目!>
 私はこの原稿を終戦記念日の8月15日に書いている。戦後70年の節目となった2015年の夏は『日本のいちばん長い日』(15年)をはじめとする「戦争映画」がたくさん公開されているが、ドイツでは「ヒトラー映画」がたくさん作られている。『ワルキューレ』はドイツ、アメリカの合作で、主役のトム・クルーズが英語で喋る違和感をどうしても拭えなかったが、アカデミー外国語映画賞にノミネートされた『ヒトラー~最期の12日間~』(04年)はすばらしい映画だった(『シネマルーム8』292頁参照)。また、私はTVでしか観ていないが、マルク・ローテムント監督の『白バラの祈り ゾフィー・ゾル、最期の日々』(05年)もすばらしい映画だった。しかして、本作の監督は、その『ヒトラー~最期の12日間~』を監督したオリヴァー・ヒルシュビーゲル。そして、本作の脚本は、その『白バラの祈り ゾフィー・ゾル、最期の日々』の脚本のフレッド・ブライナースドーファーだから、まずはそれに注目!
 さらに、ヒトラー映画ではないが、ドイツのミヒャエル・ハネケ監督の『白いリボン』(09年)は私が「パルム・ドール賞受賞も当然!」と書いたすばらしい映画だった(『シネマルーム26』200頁参照)。そして、同作で31歳の教師役を演じたのが、本作でゲオルク・エルザー役を演じたクリスティアン・フリーデルだから、それにも注目!本作のプレスシートでは「ヒトラーが最も恐れた暗殺者は、平凡な家具職人だった」、「この“平凡な男”、暗殺者か救世主か、それとも―。」と書かれているが、クリスティアン・フリーデルが演じる36歳の男ゲオルク・エルザーは本当に平凡な男・・・?
  
<この男の正体は?それが本作最大のポイント!> 
 日本の元総理大臣で、韓国の初代統監だった伊藤博文を1909年10月26日にハルビンで暗殺した安重根は今では韓国の英雄として祀られているし、私も歴史上の人物として彼の名前をよく知っていた。しかし、単独でヒトラーの暗殺を綿密に計画し、「13分の誤算」さえなければ見事にそれを成功させていたはずの男ゲオルクについて、私は寡聞にして何も知らなかった。プレスシートにおける「PRODUCTION NOTES」によると、ドイツでもゲオルクは「はみ出し者」、「爆弾を組み立てた不平分子だと見なされていた」ため、ゲオルクのことはあまり知られていないらしい。これほどの人物がほとんど世に知られていないことに驚いた本作のプロデューサーであるオリバー・シュンドラーが、エルザーの人生を映画化させることが自らの使命だと考え、本作の企画が動き始めたわけだ。
 去る8月12日、中国の天津で、地震にすればM2.9規模に相当する大規模な化学工場の爆発事故が発生し、50名以上の死者、700名の負傷者が出たと発表された。私は、テレビに映る映像を観れば、絶対にこの程度の被害ではないと思っていたところ案の定、中国政府はその後8月17日には死者114名、負傷者698名と発表している。しかし、かつての日本の「大本営発表」と同じく、さてそれをどこまで信用していいのやら・・・。ゲオルクが仕掛けた爆弾の威力はそれには及ばないものの、それでも集会の参加者7名が死亡、63名が負傷するというすごい爆発だった。
 そんなシーンをスクリーン上に映し出せば、それはそれで生々しい映像になるが、本作ではあえてそんな映像は見せず、爆発の様子は観客の想像に委ねている。また、冒頭のシークエンスでこの爆発事件の犯人としてゲオルクが逮捕されてしまうので、本作は爆発事件の犯人は誰か?というミステリー性は薄い。したがって、そんな観客の期待は裏切られることになる。しかして、本作が描くのは約1ヶ月間にわたって綿密に爆弾を仕込んだ熟練した技術と、練りに練った計画性でヒトラーの暗殺に臨んだゲオルクの人物像。この男の正体はナニか、ということだ。 

<尋問の目的は?尋問担当者は?トップの指示は?> 
 ゲオルクがスイスとの国境のコンスタンツで逮捕されたのはちょっとした偶然からだったが、この男が1939年11月8日午後9時20分に記念演説の会場となったビュルガーブロイケラーで起きた爆発事件の犯人らしいことが判明したから大変。たまたま、当日はヒトラーが予定を少し繰り上げて会場を後にしたため、ヒトラー自身には何の被害もなかったが、7名の死者と63名の負傷者を出したのだから、その爆発の規模の大きさがわかろうというものだ。ゲオルクの出身地であるヴュルテンベルク地方の静かな田舎町ケーニヒスブロンでは、既にゲオルクの身内が逮捕されベルリンに送られたが、その中にはゲオルクの元婚約者のエルザ(カタリーナ・シュットラー)の姿もあった。
 ゲオルクの尋問にあたるのは刑事警察局長のアルトゥール・ネーベ(ブルクハルト・クラウスナー)と、秘密警察ゲシュタポ局長のハインリヒ・ミュラー(ヨハン・フォン・ビュロー)の2人。彼らの尋問の主たる目的は、ゲオルクの背後関係を暴くことだ。これだけ計画性のある暗殺未遂事件を田舎の家具職人に過ぎないゲオルクが単独で実行できるはずがない。共産党員の友人もたくさんいるゲオルクは、何らかの政治的立場からヒトラーの暗殺を?すると、それを命じたバックは一体誰?それとも、ひょっとして彼はイギリスのスパイ?
 ゲオルクは当初名前も語らない「完全黙秘」の姿勢を見せていたが、拷問だけではムリとみたネーベとミュラーの知恵によって、ゲオルクの態度いかんではエルザに危害が及ぶかもしれない姿勢を見せると、意外にもろくゲオルクは屈服。以降スラスラと犯行の手口と、そこに至る準備状況を供述したが、それはすべて単独犯であることを前提としたものだったから、ネーベとミュラーはイライラ・・・。

<単独犯ではダメ?尋問風景に注目!>
 ゲオルクの説明はそれなりに説得力があるため、特にネーベはややもすればその話に納得する方向に傾いたが、それではナチスの上層部はダメ。「何が何でも背後関係を自白させろ」と厳しく命令が下されたが、そう言われても・・・。爆弾の起爆装置を現実に作らせ、それを学者に検証させてみても、ゲオルクの単独犯の可能性が強まるばかりだ。本作中盤に詳しく描かれるそんな尋問風景は非常に興味深いので、それに注目。 
 ちなみに、本作では次第にゲオルクの単独犯説に傾注していったネーベがナチス上層部からの命令に苦悩する様子が描かれるが、このネーベは対ソ戦ではユダヤ人殲滅部隊の指揮官となったが、その後、反ヒトラー抵抗運動に参加したらしい。その結果、ネーベは1945年3月21日、「反逆者」として縛り首になってしまったそうで、本作でも最後にそのシーンが登場する。ゲオルクの尋問の中で、この刑事警察局長ネーベの心が揺れ動くサマも、本作の見どころの1つとして注目したい。     

<この男の強さは、梶上等兵とも共通・・・?> 
 五味川純平の原作を映画化した小林正樹監督の『人間の條件』(59~61年)全6部作のヒーロー・梶上等兵の人物像をめぐっては、彼は普通の人間(サラリーマン)という意見と、彼は英雄という意見に分かれた(『シネマルーム8』313頁参照)。それと同じように、本作に見るゲオルクについても、彼は普通の家具職人という意見と、彼はヒーローという意見に分かれるはずだ。
 梶上等兵とゲオルクの両者に共通するのは、何よりも自由を愛していること。したがって、その自由を束縛されることを嫌うし、何よりも権力者が権力や暴力をもってそれを抑圧することに対する拒否反応が強い。普通の人間も、もちろん自由を抑圧されることはイヤだが、反抗すれば権力によって捕らえられ、虐待されることがわかると、誰かが何らかの行動をとり、変えてくれるだろうと勝手に希望的観測をし、日和見主義的になるものだ。その結果、反抗を諦め結局権力に追従することになってしまうわけだ。
 そんな視点で考えると、本作に見るゲオルクのヒトラーに対する反発心と、逮捕された後の拷問に耐えるゲオルクの強さの源泉は、あくまで自由を愛するという個人的な志向性にあると考えられる。つまり、決して仲間や組織、そしてイデオロギーに依拠しているのではないわけだ。ゲオルクのそんな個人の志向性を優先する姿勢は、今は他人の妻になっているエルザとの間で展開される「不倫の恋」にも見られるので、そんな「自由な生き方」とも対比しながら、ゲオルクの強さの源泉とは何かということについてしっかり考えたい。

<さまざまな時の権力者の暗殺計画をどう評価?>
 時の権力者の暗殺計画は、世界の歴史上たくさんある。日本の戦国時代には暗殺を恐れた武田信玄の「影武者」なる者が登場したことは、黒澤明監督の『影武者』(80年)を観ればよくわかる。山本薩夫監督が村山知義の『忍びの者』(62年)を原作として映画化した『忍びの者』(62年)でも、また、篠田正浩監督が司馬遼太郎の『梟の城』(59年)を原作として映画化した『梟の城』(99年)でも、時の権力者・豊臣秀吉を暗殺するため伏見城に忍び込んだ石川五右衛門や葛籠重蔵の生きザマと、その行動原理が描かれていた。確かに、この石川五右衛門も葛籠重蔵も個人の志向性が強かったが、この2人はあくまでその道のプロ。したがって、本作に観るゲオルクのような一般市民(家具職人)が、たった1人だけでここまで見事な暗殺計画を立て、実行したケースは世界の歴史上稀だろう。
 他方、伊藤博文を暗殺した安重根については、2014年1月に中国黒竜江省ハルビン市に安重根義士記念館が開館しているが、さらに2014年8月に中国と韓国の間で結ばれた覚書によって、2015年には板門店のある軍事境界線を隔てて北朝鮮と接する京畿道坡州市の臨津閣平和公園に安重根の銅像が設置される予定になっている。しかして、ドイツにおけるゲオルクの取り扱いは如何?
 
<これはテロ?それとも英雄的行為?その判断基準は?>
 それについては、プレスシートにある鳥飼行博氏(東海大学教養学部教授、経済学博士)の「ゲオルク・エルザ―のヒトラー暗殺計画」によると、まず、「戦後、東西にドイツが分裂した冷戦の時代、エルザ―は、西ドイツでは共産主義者の偏屈なドイツ人とみなされた。東ドイツではドイツを解放したのはソ連赤軍であり、エルザーは無視された。冷戦が解消され、ドイツの再統一がなる1990年以降、エルザーをイデオロギーから離れて見直すことができるようになった」そうだ。ところが、「エルザー復権署名運動は1993年に始まり、『ゲオルク・エルザー広場』がミュンヘンに登場したのは1997年、市民単独の行動の讃える『ゲオルク・エルザー賞』が設けられたのは2001年」、そして、「ドイツのメルケル首相も2014年、エルザーが自ら戦争を阻止しようとした人物であることを評価したが、これは事件から75年たってのことである。」と書かれている。
 暗殺のターゲットとされたヒトラーが誰よりも「嫌われ者」であるため、その暗殺自体を肯定する風潮があるのはわかるが、それは議論のやり方自体に問題がある。核兵器について、「良い核兵器」と「悪い核兵器」の区別ができないのと同じように、悪い奴を殺す「良い暗殺」と、良い人(たとえば、ケネディ大統領のような)を殺す「悪い暗殺」という区別ができるわけではない。幕末の混乱期の中、京都では土佐藩の武市半平太の指導のもとに、「人斬り以蔵」こと岡田以蔵が大活躍していたが、その是非論については『人斬り』(69年)などを観てしっかり考える必要がある。しかして、もしあなたが裁判官なら、単独でヒトラーの暗殺を計画し実行しながら、「13分の誤算」によって未遂に終わったゲオルクに対して、どんな判決を?
 単独犯だと主張し続けるゲオルクをヒトラーは直ちに処刑せず、収容所に閉じ込めたままとし、いよいよナチスドイツの敗北が明白となった1945年4月9日にゲオルクを銃殺したそうだが、それは一体なぜ?また、処刑後もドイツ政府が彼の存在を隠し続けていたのは一体なぜ?そんなこともあわせて考えながら、これはテロ?それとも英雄的行為?それについてじっくり考えたい。
                                   2015(平成27)年8月19日記