洋15-91 

「サイの季節」
    

                  2015(平成27)年7月24日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督:バフマン・ゴバディ
提供:マーティン・スコセッシ
年老いたサヘル・ファルザン(30年間の獄中生活を終えたミナの夫)/ベヘルーズ・ヴォスギー
ミナ・ダラクシャニ(サヘルの妻)/モニカ・ベルッチ
アクバル・レザイ(ミナに恋心を抱く運転手)/ユルマズ・エルドガン
若い頃のサヘル(反革命的な詩を発表し投獄された詩人)/カネル・シンドルク
ミナの双子の娘/ベレン・サート
ミナの双子の息子/アーラシュ・ラバフ
2012年・イラク、トルコ映画・91分
配給/エスパース・サロウ

<イスラム革命とは?投獄された詩人とは?> 
 1979年に起きたイスラム革命(イラン革命ともいう)。その内容と意義は?そう聞かれてそれなりに答えられる日本人は少ないはずだ。現在習近平体制下にある中国では、人権派弁護士への弾圧が強められているが、そういう状況下では詩人への弾圧も当然。しかして、イスラム革命の時にはクルド人詩人サデグ・カマンガルが反体制的な詩を書いたとして投獄されたそうだが、本作はそんな彼をモデルとして、イランから亡命までしてバフマン・ゴバディ監督が作った映画らしい。
 本作には30年前の若き詩人サヘル(カネル・シンドルク)と、30年間の投獄生活からやっと解放された年老いたサヘル(ベヘルーズ・ヴォスギー)の2人が登場する。他方、サヘルの妻ミナを演じるのはイタリアの美人女優モニカ・ベルッチだが、彼女は1人で若き日と老け役の両方を演じている。しかし、そもそも多くの日本人はサデグ・カマンガルをモデルとしたサヘルという詩人そのものを知らないから、本件の物語に興味を持てないのは仕方ない。しかし、少なくともこんな映画を観て、そんな物語があったことを知る必要はあるのでは・・・?

<「脱走劇」は面白いが、現実は・・・?>
 仲良く車の後部座席に座り、詩作の現場にミナを案内するサヘル。2人は今幸せの絶頂にいるようだが、そんな2人の様子をチラチラとルームミラーで覗いている運転手のアクバル(ユルマズ・エルドガン)が、それを嫉妬の目で見ていることは明らかだ。しかして、逮捕され連行されていく2人を静かに家の中から見守るアクバルの姿を見ていると、なるほど、なるほど・・・。
 若き日のスティーブ・マックイーンの代表作の1つである『大脱走』(63年)と、老けたスティーブ・マックイーンの代表作『パピヨン』(73年)は、両方とも監獄からの脱走劇だが、それはハリウッド映画なればこそ可能なもので、現実は違うはず。つまり、サヘルは誰も知らない中で拷問を受け、誰も知らない中で死亡したものとしてお墓まで作られているから、ひどいものだ。しかし、北朝鮮への日本人拉致被害者だって、生きている可能性があるはずなのに平気で死んだとウソの報告をされているのだから、現実はどこでも似たようなものだ。このように、30年の投獄生活を終えて釈放されたサヘルの絶望感はよくわかるが、他方、10年間の投獄で釈放されたミナのその後の生活は・・・?

<同じ刑務所内のセックスでも、あの映画とは大違い!>
 女は男とセックスすれば、必然的に妊娠する可能性がある。そのセックスが望んだものであるか望まないものであるかは、そんな現実に関係がない。しかして、本作で描かれる獄中でのミナとサヘル(アクバル?)とのセックス描写は何ともすごい。キム・ギドク監督の韓国映画『ブレス(息/BREATH)』(07年)でも、刑務所内のセックス風景が描かれていた(『シネマルーム19』61頁参照)が、そんな風景と本作とは大違いだ。
 本作では顔にすっぽりとベールをかけられたままサヘルと交わっていたミナのセックスの対象が、いつの間にかサヘルからアクバルに変えられていたから、ミナはビックリ。しかし、そんな細工をしてまでアクバルはミナとセックスをしたかったのは一体なぜ・・・?
 本作はイスラム革命を中心とするイランの政治問題をテーマとするものだが、実はそれ以上にミナを巡るサヘルとアクバルの三角関係が描かれていくので、それに注目!

<30年間の投獄の重さは?自由の重さは?>
 『マンデラの名もなき看守』(07年)は、27年間投獄されながら、釈放後なお不屈の精神で南アメリカ共和国の初代大統領となったネルソン・マンデラを描いた映画だった(『シネマルーム20』146頁参照)。しかし、そんなマンデラに比べると、本作に観る、30年間の投獄生活を終えて釈放されたサヘルの顔は、全く生気がない。もっとも、それでもミナを捜す気力だけは残っているようで、本作全編はそんなサヘルの現在と過去、そして現実と幻想の世界をさまざまに交差させながら描いていく。
 イスタンブールに赴いたサヘルは、今はアクバルと共に暮らしているミナの姿を見つけたようだが、なぜ声をかけないの?他方、ちょっとしたサヘルの好意(?)によって仲良しになった(?)売春婦のような女(ベレン・サート)やその連れの男(アーラシュ・ラバフ)は一体何者?他方、本作のタイトルとされているサイの姿が時々スクリーン上に登場するが、これは一体ナニ?また、投獄中に逆さ吊りにされたサヘルの目の前には亀の姿も時々登場するが、これも一体ナニ?
 戦後70年間を自由と平和の中で生きてきた私たち日本人は、何でも自由にできることが当たり前だと思っている。しかし、30年間も投獄生活を送り、既に世間的には死亡したとされているサヘルの目には、現実はどう見えるのだろうか?本作はそんなことをしっかり考えながら鑑賞しなければ、スクリーン上に登場するさまざまな映像とその意味を理解できないはずだ。

<難解さは覚悟の上で!>
 本作の直前に観たヴィゴ・モーテンセン主演の『約束の地』(14年)も、時代や舞台が難しいだけではなく、「魔術的レアリズム」を特徴とする難解な映画だった。それと同じように、本作も舞台や主人公が難しい他、時代があっちに飛んだりこっちに飛んだりするうえ、現実と妄想を混在させながら描かれるため、難解だ。そのうえ、『マレーナ』(00年)での色気タップリの演技で強い印象を残したモニカ・ベルッチと、本作を提供したマーティン・スコセッシの2人はビッグネームだが、イランから亡命したバフマン・ゴバディ監督をはじめ、その他のキャストやスタッフは日本人にはなじみが薄い。さらに、『サイの季節』という邦題からして何の映画かサッパリわからない。本作の鑑賞については、難解さは覚悟の上で・・・!
 ちなみに、朝日新聞夕刊のプレミアシートで映画評論家の北小路隆志氏は、本作について「リアリズムの詩的な飛躍」と題して「ゴバディの詩的想像力は、リアリズムと反リアリズムの対立を乗り越えるのだ」とまとめている。しかし、これを読んで、なるほど、なるほどと思う人は、さてどれくらい・・・?
                                  2015(平成27)年7月29日記