日15-84

「きみはいい子」
    

                      2015(平成27)年7月5日鑑賞<テアトル梅田>

監督:呉美保
原作:中脇初枝『きみはいい子』(ポプラ社刊)
岡野匡(小学校4年2組を受け持つ新米教師)/高良健吾
水木雅美(娘を虐待する母親)/尾野真千子
大宮陽子(雅美のママ友)/池脇千鶴
大宮拓也(岡野の先輩教師)/高橋和也
佐々木あきこ(認知症の独居老人)/喜多道枝
丸山美咲(岡野の恋人)/黒川芽以
岡野薫(離婚して子連れで実家に戻っている岡野の姉)/内田慈
神田雄太(義理の父親から虐められている、4年2組の生徒)/浅川蓮
田所豪(神田雄太の義理の父親)/松嶋亮太
櫻井弘也(自閉症の小学生)/加部亜門
櫻井和美(弘也の母親)/富田靖子
2015年・日本映画・121分
配給/アークエンタテインメント

<『そこのみにて光輝く』に続く、呉美保監督作品に注目!>
 第88回キネマ旬報ベスト・テン(2015年)の邦画ベスト1をはじめ、私も投票した第10回おおさかシネマフェスティバルでも、作品賞、主演男優賞、主演女優賞、助演男優賞、監督賞、撮影賞を受賞したのが、呉美保監督の『そこのみにて光輝く』(14年)(『シネマルーム32』166頁参照)。これは、「大衆受け」ばかりを狙った近時の邦画とは全く異質の見事な作品だった。それに続く呉美保監督の作品と知って、「こりゃ必見!」と思ったが、そのタイトルは『きみはいい子』。
 これは中脇初枝氏の小説をもとに、①小学校の学級崩壊、②児童虐待、③認知症と向き合う人々を主人公にした群像劇らしいが、タイトルを見ても、予告編を見ても何となく甘ったるそう。高良健吾は若松孝二監督の『千年の愉楽』(11年)ではすごくいい味を出していたが、現在放映中のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』の高杉晋作役はあまり似合っていない。彼にはむしろ、本作で演じた4年2組の新米教師・岡野匡役の方が向いているのかもしれない。
 他方、近時真木よう子と共に映画やテレビにひっぱりだこの尾野真千子が本作では娘を虐待する母親・水木雅美役に扮しているが、彼女は元々きつそうな顔をしている(?)だけに、たまにはこんな役も適役・・・?また、本作には『そこのみにて光輝く』で絶妙の演技を見せた池脇千鶴も水木雅美のママ友・大宮陽子として登場しているから、それも必見!
 しかして、全体としての本作の出来は?『そこのみにて光輝く』がメチャ良かっただけに、それを超えるのは難しいかも・・・?

<最もわかりやすいのは、新米教師の苦悩だが・・・>
 
本作は、5編の短編から成る中脇初枝氏の原作のうち、①新任の小学生教師を主人公とした「サンタさんの来ない家」、②幼児を虐待する母親を主人公とした「べっぴんさん」、③独居老人を主人公とした「こんにちは、さようなら」の3編にしぼり、この3つの物語をうまく交差させながら、「きみはいい子」という「統一テーマ」を描くもの。そんな3つの物語のうち私には、新米教師の岡野と学級崩壊している(に近い)4年2組の生徒たちとの交流(?)を描いた物語が、「いるいる、こんな教師」「いるいる、こんな若者」という意味で、最もわかりやすい。
 近時の日本を覆う「学級崩壊」病の深刻さが相当なものであることは『ソロモンの偽証 前篇・事件』『ソロモンの偽証 後篇・裁判』(15年)を観ればよくわかる。また、ホントに酷いところはもっと酷いだろうから、岡野が担任をしている4年2組はまだマシな方・・・?だって、教室内でおしっこを漏らした小野クンがいじめられるのはある意味当然だし、放課後すぐに家に帰らない神田クン(浅川蓮)にはきっと何らかの家庭の事情があるのも当然だから。しかし、そんな場合、担任教師たる岡野はどこまで真剣にケアするべきなの?逆に、どこまでプライベートな問題に立ち入ってはいけないの?
 『ソロモンの偽証』では中学2年生の男子生徒の死亡が自殺か他殺かという大問題がテーマとして描かれたが、本作が描く程度の学級崩壊は、多分どこの小学校でもあるもの。今ドキ「でもしか先生」という言葉があるのかどうかは知らないが、岡野を見ていると『ソロモンの偽証』のように大胆に問題に切り込んでいくことができないうえ、逆に、「でもしか先生」になることもできないから、とにかく中途半端としか言いようがない。しかし、平和で安全な状態が70年間も続いた日本では、今ドキこんな若者ばかり・・・。

<幼児を虐待するママの気持ちは、私には不可解>
 小さな子供を持つママたちの「公園デビュー」という言葉は私も知っているが、本作に見る水木雅美の公園デビューぶりはいかにもぎこちない。公園で子供たちを遊ばせながら交わすママたちの会話についていくのは、いかにも大変そうだ。もっとも、同じマンションに住む、池脇千鶴扮する2人の子供を連れた大宮陽子とママ友になれたのは雅美にとってラッキー。なぜなら、夫が単身赴任中で3歳になる娘・あやねと2人で暮らす雅美はささいなことで何かとあやねに手をあげていたが、どうも陽子にも同じにおいを嗅ぎつけたようだから・・・。
 自分の子供の育児すらほどんど妻任せだった私には、雅美や陽子のような子育てに悩むママの気持ちがわからないのは仕方ない。逆に、女性監督で本作の演出中にママになった呉美保監督の視線や分析が、この問題に関しては特に鋭いのは当然。ある日、雅美が陽子の部屋に遊びに行ったとき、ちょっとした不注意であやねがカップを落とし割ってしまうと、みるみるうちに顔つきが変わっていく雅美に対して陽子がとった行動とは・・・?
 本作の1つのハイライトとなるそんなシーンを、さてあなたはどう見る・・・?

<独居老人の物語はかなり楽観的に>
 近時空き家問題に悩まされている日本では、去る平成26年11月19日に「空き家対策特別措置法」(空き家対策法)が成立し、同月27日に公布された。そうすると、本作に見る、認知症が進行しつつある老人・佐々木あきこ(喜多道枝)が住む家もいずれそうなる運命だ。それはともかく、本作では呉美保監督の優しい視線の中で、孤独な老人あきこと岡野が勤める小学校の特殊学級にいる、自閉症の小学生・櫻井弘也(加部亜門)との心の交流が描かれる。
 あきこが住んでいるのが高層マンションの1室であれば、あきこと弘也の交流は生まれなかったはずだから、あきこが古いながらも平屋建ての戸建てに住んでいたのはラッキー。なぜなら、自閉症の弘也が時々あきこの家の前でケッタイな行動をとっていたことによって、あきこと弘也の交流が生まれ、弘也があきこの家の中に入ることになったわけだから。
 弘也の母親の櫻井和美(富田靖子)は、スーパーの店員として働いていたから、あきこが万引きのような行動を取れば、それを取り締まるのは当然。本作は冒頭にも新米教師・岡野がとにかく頭を下げて下げて謝罪するシーンが登場したが、弘也が迷惑をかけたと思った和美もあきこの家の前で謝罪、謝罪、また謝罪。ところが意外にも、弘也があきこの家の中に入ったことによって、2人の間に奇妙な心の交流が生まれていることを知らされた和美は・・・?
 なるほど、呉監督の視線は温かい。仕事、仕事の毎日で、シビアなことを言うのが私の役割と考えている私とは大違いだということがよくわかる。もっとも、本作の描き方はかなり楽観的で、すべてがこのようにうまくいくわけではないのはもちろんだが・・・。

<日本でもハグがはやっているが、この宿題は・・・?>
 久しぶりに会った人間とあいさつする時、日本では握手がせいぜいで、ハグすることは少ない。しかし、主席スポンサーとして北京電影学院の北京电影学院“実验电影”学院奖获奖影片放映暨頒奖典礼に出席するため、6月28日~29日に北京電影学院に行った私は、そこで久しぶりに再会した教授たちと頻繁にハグをくり返した。また、7月9日に受領したある友人からの「コウマスター通信」の「日本式ハグのススメ ヨメの極楽日記」には、「ここ数年ヨメは私をハグしようとします」と書かれていた。私は一瞬「そんな気色悪いことをよく・・・」と思ったが、本作で岡野が生徒たちに出した「抱きしめられてくること」という宿題は面白い。
 岡野がそんな宿題を思いついたのは、離婚して実家に戻ってきている姉・岡野薫(内田慈)の子供を嫌々抱きしめているうちに、学校でのストレスで疲れきった心身が癒されたため。「みんなにとても難しい宿題を出します。それは家族に抱きしめられてくること、です。」と宣告された子供たちが驚いたのは当然だが、さて翌日にみるその履行具合は・・・?
 本作のタイトルは『きみはいい子』だが、全編を貫く統一テーマは母親だって抱きしめられたい、男だって抱きしめられたい、そして老人だって、障害のある子どもだって誰かに抱きしめられたいということ。実践する機会が少ないのは残念だが、本作の鑑賞を契機に、あなたも私もそんな宿題をどんどん実践してみてはどうだろうか・・・。

<あなたは、この結末をどう考える?>
 「でもしか先生」とは、先生に「でも」なろうか、先生に「しか」なれない輩のなれの果てだから、その最大の特徴は積極的に何事も動かず、事なかれ主義に徹すること。岡野はある意味そんな「でもしか先生」だが、放課後も1人校庭に残っている神田クンの話を聞いて、家まで一緒に帰ったりしているところを見ると、必ずしも「でもしか先生」とは言えないのかもしれない。まして、「家族に抱きしめられてくること」という難しい宿題を出すあたりはかなりのアイデアマンだが、さてそんな宿題はいい結果を?それとも悪い結果を?
 ちなみに、授業中にトイレに行くことの可否を巡っては、岡野は学年主任の正田たちの意見に従わざるを得なかった。しかし、そうすると、「俺もトイレに」「私もトイレに」という形でクラスにさらなる混乱を招く結果となったが、その責任をとるのは一体誰?「抱きしめられてくること」という宿題は意外にも多くの生徒たちに好評で、生徒たちは次々と「不思議な気持ちになった」「やさしい気持ちになった」と殊勝に答えていたが、さて神田クンは?あの雨の日に神田クンを家まで送っていった岡野は、家の中から出てきた義理の父親から睨みつけられたうえ、その後ドアの向こう側でくり広げされているであろう修羅場の様子がありありと想像できたから、結果的に岡野はいらざるおせっかいをしたことになったことは明らかだ。岡野からの宿題を聞いた神田クンは「ボク、必ず宿題をやってくる」と元気よく答えていたが、さてその現実は・・・?
 本作ラストは、あることを思い出した岡野が必死に息を切らせながら神田クンの家を目指して走っていくシーン。やっと家にたどりついた岡野は一度二度とドアをノックしたが、さてその結末は?ちなみに、この結末は原作にはなく、呉美保監督が思いついたものらしい。
 しかして、あなたはこの結末をどう考える・・・?
                                 2015(平成27)年7月10日記