洋15-72

「チャップリンからの贈りもの」
    

                     2015(平成27)年5月29日鑑賞<GAGA試写室>

監督・脚本:グザヴィエ・ボーヴォワ
エディ・リカルト(刑務所から出所したばかりの男)/ブノワ・ポールヴールド
オスマン・ブリチャ(エディの古くからの友人)/ロシュディ・ゼム
サミラ(オスマンの娘)/セリ・グマッシュ
ローザ(サーカスの美しい女性オーナー)/キアラ・マストロヤンニ
ジョン・クルーカー(長年チャップリンに仕えた秘書)/ピーター・コヨーテ
ヌール(オスマンの妻)/ナディーン・ラバキー
マラタヴェルメ警部/グザヴィエ・マリー
警部/アーサー・ボーヴォワ
チャップリン夫人/ドロレス・チャップリン(チャップリンの孫娘)
サーカスの支配人/ユージーン・チャップリン(チャップリンの息子)
ミスター・ロイヤル/グザヴィエ・ボーヴォワ
オスマンの同僚/アデル・バンシエリフ
ソーラ医師/オリヴィエ・ラブルダン
病院秘書/マリリン・カント
検事/フィリップ・ロダンバッシュ
弁護士/ルイ=ド・ドゥ・ランクザン
銀行家/ヴァンサン・オーベール
2014年・フランス映画・115分
配給/ギャガ

<孔明VSチャップリン!死してなお残したものは?>
 『三国志』で有名なお話はたくさんある。「泣いて馬謖を斬る」もそうだが、諸葛孔明についての、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」も有名。これは、蜀軍を率いて「五丈原の戦い」で司馬仲達率いる魏軍と対峙していた孔明が紀元237年8月23日に死亡したため、軍をまとめて帰ろうとした蜀軍を仲達が追撃したが、蜀軍が孔明の遺命にもとづいて反撃の構えを示したため、仲達は孔明がまだ生きており、何か策略があるのだろうと勘ぐって退却してしまった、という故事だ。
 しかして、1977年12月25日に88歳でスイスのコルズィエ=スュール=ヴヴェイ村で死亡した喜劇王チャールズ・チャップリンが、死してなお残したものは?それは、お墓に入っていたチャップリンの遺体が棺ごと盗まれたばかりか、何とその遺体について身代金要求事件が発生したことだ。

<遺体誘拐とは?そんな構成要件の犯罪は?>
 そんな事件が日本で発生した場合、日本の刑法で成立する可能性のある犯罪は、第189条の墳墓発掘罪、第190条の死体損壊等罪、第191条の墳墓発掘死体損壊等罪の3つと、第249条の恐喝罪だ。
  チラシに、「どん底の2人が企てたのは、喜劇王チャップリンの遺体誘拐!実話が生んだ温かくてほろ苦い人生のおとぎ話。」と書かれているとおり、本作は有罪、無罪を争う本格的な「法廷モノ」でもないし、緊迫した「裁判ドラマ」でもないから、「遺体誘拐」という言葉にこだわる必要はないかもしれない。しかし、少なくとも本作を法科大学院で教材として使うにあたっては、「遺体誘拐」事件などという構成要件の犯罪は存在しないという大前提をきちんと理解したうえで、「喜劇王が残してくれた最高の贈り物」を「エンタメ作品」として楽しみたい。

<遺体はなぜスイスに?こんな歴史をしっかりと!>
 多くの日本人はチャールズ・チャップリンの喜劇王としての業績はよく知っている。しかし、第2次世界大戦後急速に「赤の脅威」が広がったアメリカで、1947年に下院非米活動委員会がハリウッドから共産主義者を追放するための聴聞会を開いて、「赤狩り」を開始したこと、そしてこの赤狩りによって、エリア・カザン、ジュールス・ダッシンなど多くの映画人のキャリアに多大な影響を与えたことはあまり知られていない。そんな時代状況下、チャップリンは1947年に「私は共産党員でもなければかつていかなる政党ないし組織に所属したこともない。わたしはいわゆる平和の煽動者だ」という声明を出したが、1952年には事実上国外追放処分を受けた結果、1953年にはスイスのコルズィエ=スュール=ヴヴェイ村に住むことになった。
 チャップリンは女優として大成功を収めた娘のジェラルディン・チャップリンをはじめとして多くの子供に恵まれ、かつ多額の遺産を残したが、ハリウッドで有名になった世界の喜劇王チャップリンの遺体は、スイスのコルズィエ=スュール=ヴヴェイ村のヴヴェイ墓地にある。つまり、チャップリンが晩年家族と共に過ごしたのはその活躍ぶりを絶賛されたアメリカでもなければ、エリザベス女王陛下からナイトに叙され、「サー」の称号を授かったイギリスでもなく、スイスの小さな村なのだ。
 そんな知識は私がキネマ旬報社の映画検定3級を受けるため、『映画検定・公式テキストブック』(キネマ旬報社刊)から学んだものだが、本作のエンタメ性とホロリと泣けてくるストーリー展開を理解するためには、そんな知識が不可欠だ。

<中年男たちの熱い友情に注目!>
 本作冒頭、スイス・レマン湖畔の小さな町ヴヴェイで、刑務所から出所してきたエディ(ブノワ・ポールヴールド)を友人のオスマン(オシュディ・ゼム)が迎える風景が描かれる。刑務所から出てくるシーンが冒頭に登場する映画は多いが、その中でも印象的だったのが、パク・チャヌク監督の韓国映画『親切なクムジャさん』(05年)(『シネマルーム9』222頁参照)。韓国では刑務所から出てくると何よりもまず白いトーフを食べるそうだが、それはなぜ?当然ながらスイスにはそんな習慣はないが、出所してきたエディが彼を迎えたオスマンと固い抱擁を交わす姿は微笑ましい。さらに、家では一人娘のサミラ(セリ・グマッシュ)も暖かくエディをお迎え。オスマンが、ボロ家ながらもエディのためにバラックまで用意している姿を見ると、2人が深い信頼関係で結ばれていることがよくわかる。
 もっとも、その年のクリスマスプレゼントとして、エディがオスマンとサミラのためにテレビを贈るシーンはちょっと微妙。サミラは単純に喜んでおり、オスマンももちろんテレビ自体は嬉しいのだが、エディはそれをどうやって手に入れたの?それを考えると・・・?値段はいくら?その買うカネはどこに?ちなみに、アンテナの調整によって何とか映るようになったこのテレビはパナソニック製だったから、当時の家電はやはり日本が世界一!

<「そうだ!友達から金を借りよう!」そのアイデアは秀逸だが>
 そんなテレビからはバラエティーだけではなく当然ニュースも報道されていたが、そこで3人がそろって聞いたのが、チャップリン死亡のニュース。ニュースでは広大なお屋敷と莫大な遺産が伝えられていたが、同時に貧しい移民の放浪者を演じるチャップリンの姿が何度も伝えられていたから、そこでちょっと変わった発想の持ち主であるエディはあるアイデアを!それは、「チャップリンは俺たちの“友だち”だ。そうだ!“友だち”から金を借りよう」というもの。エディもオスマンも移民としてスイスにやってきて一生懸命働いていたが、生きていくのは大変。エディは刑務所に入るハメになったし、オスマンは目下、入院した妻・ヌール(ナディーン・ラバキー)の治療費が払えなくて困っている状態。スイスでは家族証明があれば妻の治療費は無料になると言われていたが、オスマンがそこで困惑の表情を見せていたのは一体なぜ?それは、2人がチャップリン遺体誘拐という計画の実行を決定した時点で明らかになるが、たしかに2人とも貧しい移民。そう考えれば、チャップリンだって同じだ。すると、エディが言うように、俺たちは貧しい移民で友だち同士。すると、互いに助け合わなければ・・・。

<身代金目的誘拐の成功率は?こんなド素人にはとても無理!>
  身代金目的誘拐の面白さ(?)と難しさは、黒澤明監督の『天国と地獄』(63年)で明らかだ。また、1963年の「吉展ちゃん誘拐殺人事件」を契機として、1964年に刑法225条の2以下の身代金目的拐取罪の規定が新設されたことは弁護士なら誰でも知っている。前述のとおり、本作はそもそも「身代金目的」に該当しない遺体誘拐事件だが、エディとオスマンが決行したそんな遺体誘拐事件における要求額は?それはもともとオスマンの妻の治療費相当額だったが、強気に出なければダメだというエディの口から出た要求額は、さてHow much?
 エディとオスマンからの電話に応対するのは、①チャップリンに長年仕えた秘書ジョン・クルーカー(ピーター・コヨーテ)、②マラタヴェルメ警部(グザヴィエ・マリー)、③チャップリン夫人(ドロレス・チャップリン)たちだが、本作中盤に見るこの交渉ぶりの面白さ(?)が、本作を独特の名作に仕上げている。世の中にトンマな犯罪者はごまんといるし、そんな輩はすぐに「御用!」となってしまうが、それに比べると、本作に見るエディとオスマンはよく奮闘している。しかし、要求額の受け容れが難しそうになるとすぐに半額にまけてしまったり、相手にじゃじゃもれになっている受話器の前での仲間割れ(?)はいかがなもの・・・?
  最初から一貫して、この遺体誘拐事件の主導権を握っていたエディの交渉(の下手さ)が頭に来たオスマンは、エディの主導権を奪うとともに、怒りに任せて「これが最後通告だ」と断ったうえ、「明日15時にもう一度電話する」と約束したが、そんな事をしてもいいの?潜水艦にミサイルを積むのは、何のため?それはミサイルの発射位置を敵に悟られないためだ。スイスの小さな村には今と違って移動式電話(つまりケータイ)は無いから、200台しかない公衆電話に警察官を張り込ませたら、犯人の逮捕は簡単!本作では、そんな何のスリルも何のサスペンスもない遺体誘拐事件の展開を、全く別の視点からタップリと楽しみたい。

<名曲『ライムライト』の旋律にうっとり!>
 私は去る5月8日に10名余りの友人を招いて自宅の引越祝いの食事会を開いたが、そこでは私が愛用している映画音楽全集のCDが話題になった。参加者は映画好きが多かったため、あの映画、この映画のワンシーンや、それぞれの映画に関するうんちくの話で盛り上がったが、意外だったのは全員が映画音楽のサウンドトラック版をよく知っていたこと。
 しかして、チャップリンが監督・主演した1952年の『ライムライト』はストーリーも素晴らしかったが、その主題曲も素晴らしかった。この『テリーのテーマ(エターナリー)』はチャップリン自身が作曲したもので、第45回(1972年)アカデミー賞作曲賞を受賞した名曲だが、本作では『シェルブールの雨傘』(64年)や『ロシュフォールの恋人たち』(67年)の音楽を手がけた巨匠ミシェル・ルグランがそれをモチーフとし、その名も『Chaplin』と題された曲が何度も何度も流れてくる。『テリーのテーマ(エターナリー)』の美しいメロディーは、多くの人々が耳にしたことがあるはずだが、やはりチャップリンの『ライムライト』を観て涙し、その名曲に酔いしれた私たち団塊世代には、本作が『Chaplin』で見せるその演出は格別だ。チャップリンの死亡を知らせるテレビニュースでこの曲が流れるのはご愛敬だが、本作では、その他多くのシーンで流れてくる『テリーのテーマ(エターナリー)』をモチーフとした名曲『Chaplin』の旋律にうっとり!

<なぜオスマンはすんなり逮捕?共犯者逮捕の決め手は?>
 
本作前半では、エディとオスマンの「男の友情」が深く厚いことがタップリと描かれるが、それは一体なぜ?貧乏な移民たちが助け合いながら生きていく姿は多くの映画で描かれているし、それはチャップリン自身の生きザマでもある。しかし、いくら貧しくても妻のヌール、娘のサミラと共にまっとうに生きているオスマンにとって、わかったような、わからないような、また正当そうでやっぱり正当ではない、エディの提案に加担するのは不可能だった。そこから必然的にエディとオスマンは違う生き方に移っていくのだが、エディにはチャップリンとよく似た道化の才能があった、という視点が面白い。
  サーカスのゴリラに気に入られたエディが、同時にサーカスの美しい女性オーナーであるローザ(キアラ・マストロヤンニ)に気に入られたのは偶然だが、ひょっとしてここに『ライムライト』に見たような恋の花が咲いていくの・・・?そんな期待も生まれたが、「ある事情」によって妻の家族証明が出せないため、治療費を払えないことになったオスマンは、結局エディの提案する「遺体誘拐」に加担することに・・・。
  オスマンがあっけなく逮捕されたのは、約束どおり15時きっかりに、村に200台しかない公衆電話のうちの1台の電話ボックスに入ったため。そして、当初オスマンは頑なに「1人の犯行で、共犯者はいない」と言い張っていたが、チャップリンの秘書ジョン・クルーカーから耳元で何事かをささやかれると、たちまち共犯者エディの名前をゲロしたのは一体なぜ?これにてエディは今や「道化」として立派に働いているサーカスの職場で「御用!」となったわけだが、エディとオスマンの友情ってそんなに薄っぺらだったの?いやいや、きっとそんなことはないはずだ。オスマンによる共犯者のゲロは、莫大な遺産が残されたチャップリン家の秘書であるジョン・クルーカーの臨機応変な「ある判断」のためだが、そこにも本作特有の人間味と温かみが・・・。

<論告・求刑は?最終弁論は?>
 
「裁判モノ」の名作映画がたくさんあることは、私の『名作映画から学ぶ裁判員制度』(10年)を読んでもらえばわかるが、その中でも『ゆれる』(06年)、『疑惑』(82年)、『事件』(78年)等は1回1回の公判廷の積み重ねの中で、刑事訴訟法に則り刑事裁判がどのように進展していくかがよくわかって面白い。他方、ジョン・グリシャムの原作を映画化した『レインメーカー』(97年)や『評決のとき』(96年)は、弁護士の弁論術が注目点だ。
  しかして、本作にも逮捕され起訴されたエディとオスマンの裁判シーンが登場する。もちろん2人とも自分の犯罪は素直に認めていたから、裁判自体がスムーズに進んだのは当然。そこで、興味の対象は、検事の論告・求刑と弁護人の最終弁論、それを受けての裁判官が下す判決となる。当然のように、検事は本件犯罪の社会的影響の重大性を強調し、「禁錮5年、15年間の国外追放」という「極刑」を求めたが、私としてはそれを聞き終えやおら静かに立ち上がった弁護人が述べる最終弁論に注目したい。
 そこでの最終弁論の要旨は、本件犯罪は、チャップリンを対象とした身代金要求事件ではなく、ゴミを運び出したに過ぎないことを強調したうえで、①2人ともすでに「不運」という処分を受けていること、②チャップリンも貧乏な移民だったこと、③本件の犯人たちはすぐに忘れ去られるもので、本件は映画ではないこと、をアピールするものだった。この最終弁論は単に法律に詳しいだけでできるものではなく、人間の洞察力はもちろん、映画への理解と深い愛情が不可欠なことを、法科大学院で学ぶ人たちは肝に銘じておくべきだ。

<人間的な犯罪VS非人間的な犯罪。しかして判決は?>
 
エディとオスマンの犯罪は、前述のとおり日本なら墳墓発掘罪、死体損壊等罪、墳墓発掘死体損壊等罪の3つと、恐喝罪に該当する可能性があるが、身代金目的拐取罪に該当しないことは明らかだ。そしてまた、本件犯行におけるエディとオスマンの行動をつぶさに観察し、人間観察に優れた弁護人による心のこもった最終弁論を聞いていると、犯罪には「人間的な犯罪」と「非人間的な犯罪」があることがよくわかる。本作に見るエディとオスマンの犯罪は、まさに人間的な犯罪だ。  本作は実話をもとにした映画。したがって、現実に主犯格となった24歳のポーランド人は4年6カ月の重労働の刑に、そして共犯格の38歳のブルガリア人は執行猶予付き1年半の刑に処されたそうだが、その正当性は?そして本作では・・・?
  本作では、裁判官による判決言い渡しのシーンがないのがミソ。したがって、エディとオスマンの2人に対する判決は、あなたが裁判員になったつもりで下してみるのも一興だ。もっとも、裁判終了後、オスマンが妻ヌールと娘サミラとともにチャップリンの墓を訪れ、5万ドルの治療費は必ず返済すると約束するシーンが登場するから、少なくともオスマンは執行猶予付きの刑になっていることは明らかだ。ここではじめて、あの時チャップリンの秘書ジョン・クルーカーがオスマンの耳につぶやいた言葉の内容がわかるはずだ。なるほど、なるほど・・・。
  ちなみに、本作はエンドロールが終了した後、なおチャップリンの銅像がある者によって盗まれていくというあっと驚くシーンが登場するので、それもお見逃しないように・・・。
                                  2015(平成27)年6月3日記