洋15-65(ショートコメント)

「ゼロの未来」
    

                   2015(平成27)年5月21日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督:テリー・ギリアム
コーエン・レス(天才コンピューター技師)/クリストフ・ヴァルツ
ジョビー(コーエンの上司)/デヴィッド・シューリス
ベインズリー(ネット娼婦)/メラニー・ティエリー
ボブ(マネージメントの息子、コンピューターの天才)/ルーカス・ヘッジズ
マネージメント(管理者)/マット・デイモン
ドクター3/ベン・ウィショー
シュリンク・ロム博士/ティルダ・スウィントン
ドクター2/ピーター・ストーメア
2013年・イギリス、ルーマニア、フランス映画・107分
配給/ショウゲート

◆必ず「鬼才」という冠がつけられるテリー・ギリアム監督の最新作『ゼロの未来』は、チラシによれば、「生きるとは―。愛するとは―。人生の謎を解く数式『ゼロ』に挑む人々が、生きる意味と真実の愛を求める近未来ヒューマンドラマ!」。その写真に見る「コンピューターに支配された近未来のまち」はいかにもテリー・ギリアム監督流だし、それをスクリーン上で観ていると頭がクラクラしてくるほど異様なまちだ。
 そんなまちに出ることを拒否した天才コンピューター技師コーエン・レス(クリストフ・ヴァルツ)は、荒廃した教会を自宅とし、そこにこもって「ゼロ」という謎の数式を解読する作業に立ち向かっていたが・・・。

◆コーエンが操作するコンピューターの画面上にはいろいろなものが現れては消え、消えては現れていく。もともとITにそれほど強くない私には、それ自体がサッパリわからないし、興味も湧いてこない。本作にはネット娼婦ベインズリー(メラニー・ティエリー)というかなり魅力的な女性と、マネージメント(管理者)(マット・デイモン)の息子という若い男の子ボブ(ルーカス・ヘッジズ)の2人が登場し、コーエンとさまざまな会話を交わす中でストーリーが展開していく。
 しかして、前者の方はネット上のバーチャルな空間としても、所詮男と女の関係だからわかりやすい。しかし、後者の会話は私にはサッパリわからない。また、会話の合間にピザが配達されたり、ケッタイな2人連れの「配達人」が登場したりするのも、うっとうしいだけ。クリストフ・ヴァルツをはじめとする3人の俳優たちが、テリー・ギリアム監督の意向に沿って忠実に演じているのはよくわかるが、これではすぐ近くの席のオッチャンがいびきをかいて寝ていたのも仕方なし・・・?

◆本作導入部の、コーエンが1人自宅にこもってコンピューターを操作している様子を見ていると、実はそれにあまり集中できておらず、かかってくる電話が気になって仕方がないことがわかる。そして、ストーリーが進行していくにつれて、まちに出ることや人と接触することを避け、自分の殻の中に閉じこもって生きているコーエンが求めているのは、人生の意味を教えてくれる1本の電話がかかってくるらしいことがわかってくる。
 テリー・ギリアム監督が本作のテーマにしたのもそれだが、私に言わせればそんな電話をいくら待ってもかかってくるはずはないことは明らかだ。したがって、私には本作でテリー・ギリアム監督が一体何をアピールしようとしたのか、サッパリ・・・。

◆チラシの表には、「本当の幸せは、限りなくシンプルなものである」といかにも結論らしきものが堂々と書かれているが、本作を観ればそれがわかるの・・・?本作に見る、コンピューター上に設定されている「仮想空間」という意味は、ITに疎い私でも理解できる。また、5月19日に観たアリ・フォルマン監督の『コングレス未来学会議』(13年)で展開されていた「真実の世界」と「幻想の世界」の意味も十分理解できる。
 しかして、人間がそのどちら側の世界に幸せを見い出すかは、その人間の「選択」にかかることは明らかだ。そんな信念(哲学?)を持つ私には、本作に見るコーエンの生き方が中途半端なのは、その選択を避けているためとしかいいようがない。本作については賛否両論が極端に分かれるし、評論もそれぞれが好き放題に書いているから、それはそれでOK。しかし、要はこんな映画が好きか?嫌いか?と聞かれたら、私はハッキリ言って嫌い。
                                  2015(平成27)年5月22日記