洋15-51

「ザ・トライブ」
    

                      2015(平成27)年4月30日鑑賞<テアトル梅田>

監督・脚本:ミロスラヴ・スラボシュピツキー
セルゲイ(ろうあ者専門の寄宿学校に入学する学生)/グレゴリー・フェセンコ
アナ(寄宿学校のリーダーの愛人)/ヤナ・ノヴィコヴァ
ロザ・バビィ
オレクサンダー・ドジャデヴィチ
ヤロスラヴ・ビレツキー
イワン・ティシコ
オレクサンダー・オサドッチイ
オレクサンダー・シデリニコフ
サシャ・ルサコフ
2014年・ウクライナ映画・132分
配給/彩プロ、ミモザフィルムズ

<タイトルの意味は?「トライブ」とは?>
 私が「TRIBE」という言葉(英語)が「族」という意味だと知ったのは、園子温監督の『TOKYO TRIBE』(14年)を観たとき。その原作になったのは、井上三太がファッション誌『Boon』に1997年~2005年にわたって長期連載した『TOKYO TRIBE2』だ。それによると、「族」(トライブ)たちが命をかけて守っているエリアはブクロ(池袋)、ムサシノ(武蔵野)、シンヂュク(新宿)、歌舞伎町(歌舞伎町)、シヴヤ(渋谷)、練(練馬)、高円(高円寺)等々らしい。映画では、いかにも園子温監督らしい「世界観」でそれぞれの族が1つずつ紹介されていたが、私はキネマ旬報9月上旬号の北川れい子氏の「井の中の争いふうの堂々めぐりはすぐに底が割れ、“族”の仮装大会の趣」という評論に同感だった(『シネマルーム33』未掲載)。
 「全編手話で字幕なし、キャストは全員ろうあ者」という、ウクライナ発の驚くべき映画が本作だが、本作のタイトル『ザ・トライブ』はまさにそれと同じ。本作の主人公は、ろうあ者専門の寄宿学校に入学してきた若者・セルゲイ(グレゴリー・フェセンコ)だが、この寄宿舎は『ソロモンの偽証 前篇・後篇』(15年)で描かれた城東第三中学校の「欺瞞性」をはるかに上回る犯罪や売春を行う悪の組織=族(トライブ)によるヒエラルキーが形成されているらしい。とはいっても、セリフなしの手話だけの会話(?)で、観客は132分も耐えられるの?
 映画冒頭にみる、路面電車の停留所のシーンからそんな緊張感でいっぱいだが、手話で寄宿舎の場所を確認したらしいセルゲイが無事寄宿舎にたどり着いたことは理解できたから、何とかOK。しかし、ホントにこれが132分も続くの・・・?

<やっぱり男は強くなくちゃ・・・>
 寄宿学校での何やら祝典のようなシーンや、地理か何かの授業のシーンが「手話」だけで展開された後、寄宿舎の部屋を割り当てられたセルゲイが、早速先輩たちから手荒い祝福(洗礼?)を受けるシーンが登場する。面白いのは、全寮制のこの寄宿学校は男の入る棟と女の入る棟が別々ではなく、すぐ近くに並んでいること。そのため、いたずらのようにアナ(ヤナ・ノヴィコヴァ)と友人の女性が入っている部屋に入れられたセルゲイが、運良くアナの下着シーンを拝めたのは幸いだが、当然2人がかりで部屋からたたき出されることに・・・。もっとも、本作で描かれるろうあ者専門の寄宿学校における「トライブ」の獰猛さは、そんなお茶目なもの(?)ではないことが、その後の殴り合いの強要シーンを観ればよくわかる。そこで痛感されるのは、やっぱり男は強くなければ・・・、ということ。
 2014年11月10日に亡くなった俳優・高倉健は寡黙でカッコ良かったが、それが維持できたのは強さがあったため。また、『人間の條件』(59~61年)6部作における梶二等兵(後に上等兵)が、古参兵からの強烈なしごきに苦しめられながらもたくましく生き残ったのは、やはり強さのおかげだ。本作にみるセルゲイの動きは決してスピーディではなく愚鈍そうだが、何ものにも負けない意思の強さが持ち味のようで、大勢を相手にしたケンカでもひるむことなく立ち向かったから、トライブのリーダーたちの評価が高まったのは当然。
 その結果、その後にスクリーン上に登場するのは、セルゲイが先輩に付き添ってリーダーの恋人であるアナと同室の女の2人を、たくさんの長距離トラックが駐車しているエリアに連れて行き、売春の交渉をするシーン。ウクライナには今なおこんな風景が存在していることに驚きだが、ここでもセルゲイは有能さを発揮したから、ある日先輩が後方のトラックの発車音に気づかないまま轢死してしまうと、ちゃっかりセルゲイがその後釜に収まることに。こうなると、アナたちの送迎がセルゲイの仕事になったのは当然だが、夜毎それをくり返すうちセルゲイはアナを好きになってしまったから、ちょっとヤバイ。さあその後の展開は・・・?

<セリフや字幕が無くても・・・。この女優にも注目!>
 このように何のセリフも字幕も無いまま、手話のシーンが展開されていくわけだが、それでもこのようにストーリーは十分理解できるから不思議なものだ。さらに人間の口からの声が聞こえない分、自動車の音やセックスの際のベッド(運転席?)のギシギシ音などがより鮮明に聞こえてくるから、逆にスクリーンへの集中力が増してくるから不思議なものだ。
 ちなみに、アナ役を演じたヤナ・ノヴィコヴァは、パンフレットの中で「私は、聾唖の役者が耳の聞こえる役者と同じように演ずることができるってみんなに証明したかった。本当に多くの人が耳の聞こえない人は正常じゃないって思ってる。これは信じられないくらい敬意が欠落している証拠。耳の聞こえない私は、こういった態度に傷つく。だから私は示したかった。耳が聞こえないということは才能を持つことを邪魔しない。もちろん努力しないといけないし、進歩しなければならない。そしてもちろん少しのチャンスも必要だけど」と語っているが、1993年生まれで、生後2週目で病気のため聴力を失ったという彼女の美しさは際立っている。そんなヤナ・ノヴィコヴァ演ずるアナはストーリー展開の中で堂々とその裸身を見せてくれる上、トラックの中での売春行為や、妊娠が判明した後の堕胎手術のシーンでは、何とも生々しい演技を・・・。

<中盤以降の複雑なストーリーも、何とかクリア!>
 本作は、2014年の第67回カンヌ国際映画祭で批評家たちを震撼させ、①批評家週間グランプリ、②フランス4ヴィジョナリーアワード、③ガン・ファンデーション・サポートの三賞を受賞した上、さらに④英国の権威ある映画雑誌『サイト&サウンド』誌のベストテンにも選ばれた驚異の問題作。しかし、セリフも字幕も無く、手話だけでストーリーが展開していくから、それを理解するためにはスクリーンに集中しなければならず、並みの小難しい映画の倍は疲れてくる。しかも、ろうあ者同士の(口)ゲンカは、当事者は何を言い争っているのかわかっていても、観客はケンカの原因も言い争いの言葉もわからないから、イライラが募ってくる。本作では、トライブたちのトラック運転手への売春がメインとして描かれるが、列車の中での窃盗行為等もあるので、ウクライナのトライブたちが行う悪業のタチの悪さは、ロシアがえらく執着しているウクライナという国のうさん臭さと共に伝わってくる。
 それはともかく、手話だけによるストーリー展開を理解するしんどさに慣れた中盤以降は①アナを好きになってしまったセルゲイが、恐喝で得た金を上納せずにアナに貢ぎ、たびたび2人で男女の関係を持つようになるストーリー、②アナが同室の女と共にウクライナから脱出しイタリアに旅立つために、リーダーが出入国管理事務所で2人のパスポートを入手していくストーリー、さらに③アナへの狂おしい想いにとりつかれたセルゲイが、感情を制御できないままに売春の元締めである木工の教師の部屋を急襲し、金を奪ってアナに差し出し、売春をやめるように、イタリア行きをとりやめるように懇願するものの、激しく拒絶されるストーリー、も何となく理解できてくる。しかし、せっかく有能さが認められ幹部に取り立てられていたセルゲイが勝手にこんな行動をとるようになると、トライブにとっては大きなマイナス。その結果、セルゲイがリーダーたちから受けた手酷いリンチとは・・・?

<この暴力的結末にビックリ!これぞ、ろうあ者の世界!>
 ウクライナ生まれのミロスラヴ・スラボシュピツキー監督は、本作のパンフレットにある「ディレクターズノート」の中で、「何を?(WHAT?)、なぜ?(WHY?)、どのように(HOW?)、誰で?(WHO?)、どこで?(WHERE?)、字幕なしで?(NO SUBTITLES?)」というテーマ毎に、本作を監督した意図を説明している。第84回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、作曲賞、衣装デザイン賞の5部門を受賞した『アーティスト』(11年)では、3Dの時代に突入しているにも関わらず、「サイレント映画」の斬新さにビックリさせられた(『シネマルーム28』10頁参照)が、ミロスラヴ・スラボシュピツキー監督は本作でサイレント映画へのオマージュを表現したらしい。本作のパンフレットには、浅田彰(批評家)の「声が沈黙し、身体が語る」というコラムがあり、そこでは本作の音響について鋭い分析がされている。私たち耳の聞こえる健常者は、眠っていても音の気配から物事の動きをある程度察知できるが、耳の聞こえないろうあ者は、さて・・・?
 本作ラストには、トライブに逆らって身勝手な行動をとったため、トライブから半殺しのような酷いリンチを受けたセルゲイが怒りに震え、「ある決断」を下し、実行するシーンが登場する。それは、リーダーたちの部屋を訪れ、眠っているリーダーたちの顔の上に、ベッドの横に置いてある木製の小物入れを次々とたたきつけることによって殺してしまう残虐な行為。ろうあ者は物音が聞こえないため、その気配も感じられないらしい。そんな驚愕の暴力的結末にビックリ!この残虐な暴力的行為な描写には反対論があるかもしれないが、まさにこれぞろうあ者の世界!      
                                  2015(平成27)年5月7日記