洋15-50

「マミー」
    

                  2015(平成27)年4月29日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督・製作・脚本・衣装・編集:グザヴィエ・ドラン
ダイアン・デュプレ(スティーヴの母親、シングルマザー)/アンヌ・ドルヴァル
カイラ(ダイアンの隣人の女性、長期休職中の高校教師)/スザンヌ・クレマン
スティーヴ・デュプレ(ADHD(多動性などの発達障がい)の15歳の息子)/アントワン=オリヴィエ・ピロン
2014年・カナダ映画・138分
配給/ピクチャーズデプト

<こりゃ必見!カナダの「早熟の天才」の最新作は?>
 私は『トム・アット・ザ・ファーム』(13年)ではじめて、1989年生まれのカナダの「早熟の天才」グザヴィエ・ドランの名前をインプットした。『マイ・マザー』(09年)、『胸騒ぎの恋人』(10年)で世界の映画シーンに鮮烈なデビューを飾り、『わたしはロランス』(12年)、『トム・アット・ザ・ファーム』と、デビュー以来全作品がカンヌ国際映画祭、ベネチア国際映画祭へ出品され、早くも三大映画祭の常連となり、一躍時代の寵児となった映画界の若き救世主、美しき俊英グザヴィエ・ドランの監督最新作が、本作。
 本作は、2014年カンヌ国際映画祭において、83歳の巨匠ジャン=リュック・ゴダールと並び審査員特別賞をW受賞するとともに、審査員長のジェーン・カンピオンからも絶賛され、世界中で41もの映画賞を受賞したというから、こりゃ必見!

<「S-14法案」とは?「新世紀教育改革法」等と対比してみれば?>
 とある世界の架空の国カナダでは、2015年の連邦選挙で新政権が成立し、その2か月後、内閣はS18法案を可決した。その目的は公共医療政策の改正だが、特に議論を呼んだのはS-14法案だった。これは発達障がい児の親が、経済的困窮や、身体的、精神的な危機に陥った場合は、法的手続を経ずに養育を放棄し、施設に入院させる権利を保障したスキャンダラスな法律らしい。
 ちなみに、『バトルロワイヤル』(00年)と『バトル・ロワイアルⅡ /鎮魂歌(レクイエム)』(03年)は、全国の中学3年生の中から無作為に選ばれた1クラスを、最後の1人になるまで殺し合わせるという「新世紀教育改革法(通称BR法)」が成立したことから始まる、いかにも突飛かつ過激なストーリーが秀逸だった(『シネマルーム3』313頁参照)。また、『イキガミ』(08年)に登場した「国家繁栄維持法」は、平和な社会に暮らす国民に対し「死」への恐怖感を植え付けることによって、「生命の価値」を再認識させることを目的とした法律で、若者たちを対象に1000分の1の確率で、通称「逝紙(イキガミ)」と呼ばれる死亡予告証を出すもの。18歳から24歳までの間で国家繁栄予防接種によって飲んだカプセルに0.1%の割合で混入されたナノカプセルによって、「逝紙」を受け取った若者は、紙を貰ってから24時間後には必ず死亡するわけだ(『シネマルーム21』149頁参照)。S-14法案は、これら2つほど過激な法律ではないが、そんな国・カナダで生きる本作の主人公たちは?
 ADHD(多動性などの発達障がい)のため性格は攻撃的でキレると手がつけられない15歳の息子スティーヴ・デュプレ(アントワン=オリヴィエ・ピロン)は今日、矯正施設から退所してきたばかり。掃除婦としてギリギリの生計を立てているシングルマザーのダイアン・デュプレ(アンヌ・ドルヴァル)はそんなスティーヴを引き取り、一戸建ての自宅でスティーヴとの2人暮らしを始めたが・・・。

<発達障がいとは?この母子関係は?>
 『エデンの東』(55年)で、ジェームズ・ディーンは、父親アダムの愛情をめぐって長男アロンとの確執に苦しむ次男ケイレブ役を瑞々しく演じた。それと同じように、本作前半で特別養護施設をたらい回しにされたあげく、もはや手に負えないと判断されて、母親のもとへ送り返されてしまったスティーヴを演じるアントワン=オリヴィエ・ピロンは、ADHDの発達障がいを負っているものの、唯一無二の母親ダイアンと平和に暮らすための努力を続ける、大人とも子供ともいえない微妙な年頃の男の子を見事に演じている。ADHDという病気がどれほど大変なのかはよくわからないが、スティーヴは常に情緒不安定で他人を罵ったり、ケンカをふっかけたり、女性とみれば誰かれかまわずタッチしてしまうクセが抜けないままだから、周囲はもちろん、いつもその世話をしなければならない母親は大変だ。もっとも、平静なときは極めて知的で、そしていたって素直な、どこにでもいる純朴な少年であることが、母を一層、右往左往させることに・・・。
 他方、そんなスティーヴの世話をするダイアンについて、パンフレットは「ダイは生まれながらのファイター。夫を亡くして3年が経ち、息子が矯正施設に入ったのをきっかけに、人生をやり直そうと決意する。自分のことを十代のプリンセスのように思っているが、息子の教育や将来のことになると、成熟した大人らしいところを見せ、危機や問題を果敢に乗り越えてみせる」と書いている。グザヴィエ・ドラン監督の永遠のテーマは「母と息子」だが、同監督のデビュー作『マイ・マザー』に出演したアンヌ・ドルヴァルが、本作でもそんな母親ダイアン役を見事に演じている。
 本作導入部でグザヴィエ・ドラン監督が丹念に描くこの母子の生活ぶりは到底普通の母子関係とは言えないが、本作全編を通じて本作のテーマであるダイアンとスティーブの母子関係に注目!

<母と子の物語に、“もう1人の母”が登場!>
 1対1の人間関係では、いい状態ばかりが続くことはありえないから、たまに2人の関係がおかしくなると、その対立、対決が決定的になることがなる。しかし、そこに第三者的な存在があると、時に争いを緩和したり、逃げ場として重要な存在感を示すことがある。本作で、そんな重要な第三者としての役割、しかも、ダイアンとは対極的なキャラクターにある“もう1人の母親”のような役割を果たすのが、隣の家に住んでいる休職中の高校教師の女性カイラ(スザンヌ・クレマン)だ。某男性と同居しているらしい(?)カイラは、精神的なストレスによる吃音に苦しんでいたが、スティーブとダイアンのド派手なケンカの展開が逆に気晴らしになったようで(?)、次第にスティーブとダイアンに接近。とりわけ、スティーブとは互いに弱点を持っている者同士の感覚が共有できたようで、吃音に苦しむカイラが積極的にスティーブの家庭教師を買って出るまでに。カイラに対してだけはスティーブも珍しく心を開いてくれるため、ダイアンはこのカイラの登場を大喜びだ。
 他方、カイラ自身もダイアン、スティーブ母子との接触が深まるにつれて、吃音も精神状態も少しずつ快方に向かっていったから、本作中盤では偶然とはいえ何とも理想的な3人の人間関係が展開していくことになる。1989年生まれのグザヴィエ・ドラン監督が、こんな奇妙な3人の生活ぶりをなぜこんなに繊細に描くことができるのか不思議だが、カイラという“もう1人の母親”の登場によって、母と子の物語は大きく膨らんでいくことに・・・。

<アスペクト比1:1の賛否は?>
 中学生時代から毎週のように映画館に通っていた私にとって、ある意味で映画の歴史はスクリーンの横拡大の歴史。シネマスコープの大作や70mmの超大作が出現するたびに興奮したものだ。さらに、近時は3D化が進んでいる。そんな時代にあえて白黒の無声映画に挑み、2012年の第84回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、衣装デザイン賞、作曲賞を受賞したのが『アーティスト』(11年)だ(『シネマルーム28』10頁参照)。それと同じように、本作でグザヴィエ・ドラン監督はアスペクト比1:1を採用しているが、その賛否は?それについてグザヴィエ・ドラン監督はパンフレットの中で次のように語っている。

 以前、画面の比率が1:1のミュージックビデオを撮影したあと、ぱっとひらめいたんだ。この比率からは一種独特なエモーションが生まれる。誠実に感じるんだ。正方形のフレーム内に顔をおさめると、とてもシンプルに映る。“ポートレート”ショットを撮るには、理想的なセッティングに思えた。空間が限られているから余計なものは付け足せない。ごまかしが利かないんだ。キャラクターが主役になり、観客の視線は否応なしにそこに集まる。キャラクターから目が離せなくなる。

 たしかに、テレビでもブラウン管から液晶になって横長になると、人間が太って見えるという弊害(?)がある。しかし、映画の大スペクタクルシーンでは、スクリーンの横の長さは長ければ長いほどグッド・・・?そんな横長のスクリーンに慣れている私たちの目には、アスペクト比1:1のスクリーンはかなり違和感がある。
 ちなみに、『キネマ旬報』5月下旬号の「REVIEW 鑑賞ガイド」では、本作について、筒井武文氏は「1:1のアスペクト比が空間をまったく殺してしまうので、むしろ画面全体顔のみの方が落ち着く。途中で画面が拡大するに至っては、失笑もの。画面の窮屈さは、非自由の象徴だったのか。映画が1:1.33から始まった偶然の必然を知るには必見かも」と大いにケナし、星も1つだけ。それに対して、那須千里氏は「本作の最大の呼び水はインスタ画面を模した1:1のアスペクト比だろう。たしかにキャッチ―だが、そのフレームをオアシスの楽曲と共に加工するなんてある意味ダサいことを具体化できるのがドランの強み」と評価し、星も4つだ。

<幸せな時間はいつまで?この決断はなぜ?>
 本作はダイアンがスティーヴを矯正施設から引き取り、2人だけの生活が始まるシーンから始まるが、ADHDを患うスティーヴとの共同生活の大変さは、以降のスクリーン上の展開を見ればよくわかる。そんな中、隣家のカイラが登場し、“もう1人の母”状態で2人に溶け込んでいく姿はかなり奇妙だが、本作中盤はグザヴィエ・ドラン監督らしい繊細さでそれが丁寧に描かれていく。アスペクト比1:1の賛否は前述のとおりだが、「母と子」を永遠のテーマとした、カナダの早熟の天才グザヴィエ・ドランの作品を理解する上では、本作はかなりわかりやすい。
 3人の微妙なバランスによって成り立つ奇妙な共同生活の中でスティーヴのADHDが少しずつ改善し、カイラの吃音も少しずつ快方に向かってくると、誰だってこの幸せがいつまでも続いてほしいと願うが、さてその幸せはいつまで・・・?本作ラストに向かっては、カイラから同棲している男と共に引っ越していくことが告げられるシーンが登場する。カイラがなぜそういう決断をしたのかは明らかではないし、そう告げられるとダイアンとしてもやむをえないが、さてその影響は・・・?
 そして、本作ラストに訪れる結末は、S-14法案にもとづいてダイアンがスティーヴを再び矯正施設に戻すという驚くべきものとなる。“もう1人の母”が登場し、スティーヴのADHDも少しずつ快方に向かっているのに、なぜダイアンはそんな決断を?本作ラストに訪れるそんな母と子の別れは辛く切ないが、それがS-14法案による強制によるものではなく、S-14法案によるダイアンの選択によるものだけに、その切なさが倍増するはずだ。
 ちなみに、大阪では来たる5月17日は「大阪都構想」をめぐる住民投票の日。事前の予想では反対派が賛成派を少し上回っているが、賛成派、反対派両陣営が大量のチラシ配布はもとより、大金をかけたTVコマーシャルまで使い、総力を挙げてアピール合戦を展開しているから、結果はフタを開けてみるまでわからない。しかし、これは、あくまで大阪市の有権者215万人の選択によって決まるものであることを、肝に銘じる必要がある。
                                  2015(平成27)年5月18日記