洋15-25(ショートコメント)

「ラブストーリーズ エリナーの愛情」
    

                      2015(平成27)年2月28日鑑賞<テアトル梅田>

監督・脚本:ネッド・ベンソン
エリナー・リグビー(妻)/ジェシカ・チャステイン
コナー・ラドロー(夫)/ジェームズ・マカヴォイ
フリードマン教授(エリナーが聴講する女性教授)/ヴィオラ・デイヴィス
スペンサー・ラドロー(コナーの父)/キーラン・ハインズ
メアリー・リグビー(エリナーの母)/イザベル・ユペール
ジュリアン・リグビー(エリナーの父)/ウィリアム・ハート
アレクシス(コナーの店の従業員)/ニーナ・アリアンダ
スチュアート(コナーの友人、コナーの店の料理人)/ビル・ヘイダー
ケイティ・リグビー(エリナーの妹、シングルマザー)/ジェス・ワイクスラー
2013年・アメリカ映画・105分
配給/ビターズ・エンド、パルコ

◆夫コナー・ラドロー(ジェームズ・マカヴォイ)と妻エリナー・リグビー(ジェシカ・チャステイン)は、互いに惹かれ合って結ばれ、一人息子にも恵まれながら、なぜかその息子を失うことに。その結果、夫婦の間もどこかぎこちなくなり、うまくいかなくなることに。『ラブストーリーズ エリナーの愛情』は、そんな喪失感に耐えられず、エリナーが川の中に身を投げるシーンから始まる。他方、『ラブストーリーズ コナーの涙』は、結婚前の2人がニューヨークのレストランで「食い逃げ」にチャレンジするシーンからスタートする。もちろん、食い逃げは犯罪だが、互いに夢中になっている2人なら、それは2人だけの目的意識を持った共同作業であり、愛を確かめ合うための立派な行為・・・?
 両作はネッド・ベンソン監督の初長編監督作品だが、身投げしたエリナーが救出された後の2人の心の葛藤を、コナーの視点から描いた『コナーの涙』と、エリナーの視点から描いた『エリナーの愛情』という2本の映画として発表するという新しい試みに挑戦!さて、その出来は?

◆両作はごく一部だけ共通のシーンがある。しかしそれも、コナーの視点からの表現と、エリナーの視点からの表現が微妙に違っている。とりわけ、両作中盤のハイライトになる、雨の中でのカーセックス(?)に至るか至らないかのシーンでは、明らかに女から迫ったのか?それとも男から迫ったのか?という肝心なところで描き方が異なっている。しかし、弁護士の仕事を40年間もやって来た私に言わせれば、1つの「事実」でも、依頼者からみる事実と相手方からみる事実が大きく異なっているのは常にあること。しかも、コトがカネや取引等、モノの利害に関わる場合はもちろん、男女の愛情に関する場合は、より以上に相違が出てくるのは常にあることだ。離婚の相談を聞けば、同じ「事実」でも夫の言い分と妻の言い分の違いに驚かされるのはよくあることだ。

◆したがって、ネッド・ベンソン監督が1つのストーリについて、コナー側、エリナー側という2つの視点から映画を作ったというのは非常に面白い。しかも、これなら撮影費用は少なくとも1,5本分で2本分撮れることはまちがいないから、経済的合理性もある。しかし、いかんせん私には、30歳を超えてなお父親離れできていないコナーの幼さにイライラさせられる。
 コナーの父親スペンサー・ラドロー(キーラン・ハインズ)は大きなレストランの経営者で、いつか店を息子に継がせたいと願っている良きパパだが、コナーの方はそんな父親に反発ばかりしているようだ。もっとも、スペンサーの方も仕事ではやり手だが、女にはだらしないようで、若い女と何度も結婚と離婚をくり返しているらしい。そんな父親になぜ堅物の息子が生まれたのか不思議だが、コナーの方はエリナーから「浮気をしたことないの?」と微妙な質問をされても、なぜそんな質問をしてくるのかが理解できないほど単純(?)だから、なげかわしい。これでは、友人で料理人のスチュアート(ビル・ヘイダー)を雇って、一人前にレストランを経営しているものの、お店の維持は大変だろうと思っていると、案の定・・・。

◆他方、『エリナーの愛情』では、一命を取り留めたエリナーが、父ジュリアン・リグビー(イザベル・ユペール)、母メアリー・リグビー(イザベル・ユペール)が住む実家に戻り、骨折した右腕が治癒したため、ジュリアンの紹介でフリードマン教授(ヴィオラ・デイヴィス)の聴講生として大学に通い始める姿が描かれる。しかし、今さらなぜ大学の聴講生に?フリードマン教授からのちょっと嫌味な質問に対して、適当に切り返すエリナーの姿を見ていても、私にはそれがイマイチわからない。言ってみれば、他にすることがないから、とりあえず聴講生にでも・・・といった感じだが、ホントにそれでいいの?
 エリナーの実家には既に離婚したシングルマザーの妹ケイティ・リグビー(ジェス・ワイクスラー)がいるから、両親は大変だ。しかし、母親メアリーはトコトン明るいのが取り柄らしいから、エリナーは気持が楽・・・?もっとも、元女優だったというメアリーは、朝っぱらからワインを飲んでいるし、エリナーを連れ戻すために実家にやって来たコナーに対して胸の大きく開いたドレス姿で応対しているから、アレレ・・・。エリナーの家族も何かワケあり気だ・・・。
 さらに、リグビー家ではケイティのデート騒動(?)や、飲んで弾けましょうと出かけていったパーティで酔っぱらってしまったエリナーの、見ず知らずのナンパ男との「あわや間一髪!」のアバンチュール騒動(?)等が描かれるが、私の目にはそれらがすべて軽薄に見えて仕方がない。子供を失った悲しさから逃れられず、それをいつまでも引きずっているエリナーの気持もわからないではないが、実家に戻って何をしたいのかサッパリわからないエリナーの生き方にも、かなりイライラ・・・。

◆『エリナーの愛情』も『コナーの涙』も、中盤は家を出て行ったエリナーとそれを追っかけるコナーとの相関関係(?)が描かれるが、当然ながらそれは『ラブストーリーズ』という本来のタイトルとは縁遠い内容だ。もっとも、ストーカーのように大学の講義にまで顔を出してきたコナーと、そこから逃げ出したエリナーとの間には、そこで発生したエリナーの交通事故によって一瞬の「対話」が生まれるが、それも長続きしないから、所詮この2人はアウト。弁護士生活40年の中で離婚事件もたくさん処理してきた私の目にはそれが明らかだが、何とスクリーン上ではエリナーがコナーの店を訪問したり、ドライブに出かけた車では、かなりいい雰囲気の中でカーセックス展開の直前までいったりするから、アレレ・・・。
 それならそれでいいのだが、本作中盤ではお店で働いている女の子アレクシス(ニーナ・アリアンダ)のアタックを受けてコナーが「浮気」したことが、2人の仲が復活するについての大きな障害になってしまうので、それに注目!しかし、いざカーセックスに突入の直前になって、「・・・ほかの女と寝たの?」との質問がナンセンスなら、「ほかの女と寝た。すまない」との弁明もナンセンス。私はそう思うのだが・・・。

◆聴講生がダメなら、フランス留学があるさ。『エリナーの愛情』に見る、エリナーや父親のそんな発想に私は全く同調できないが、『エリナーの愛情』の後半はそんな展開になっていく。他方、『コナーの涙』の後半では、店の経営に行き詰ったコナーが、父親に勧められるまま父親の店を引継ぎ、マネージャーとして働き始めるが、そりゃいくら何でも安易すぎるのでは・・・。
 そんな後半の展開の中、アパートを引き払うことになったコナーをなぜかエリナーが訪問し、「あの子」の話をしながら抱き合って眠りにつくシーンが登場するから、これにも私はアレレ・・・。もっとも、私の見るところでは、『コナーの涙』における2人の会話が、「愛してる」とささやくエリナーに対するコナーの答えが「僕も愛してる」ではなく、「わかってる」というところがミソ。他方、『エリナーの愛情』では、逆にエリナーの耳元で「愛してる」とささやくのはコナーだ。こんなところに、2人の会話のスレ違いが端的に表れているのでは・・・。
 そして、今日はエリナーがフランスへ旅立つ日。その後の2人がどんな生活を送ったのかは映画には描かれないが、両作のラストは夜のニューヨーク。しかして、両作にみるラストシーンをあなたはどう理解・・・?
                                  2015(平成27)年3月2日記