洋15-159

「ひつじ村の兄弟」
    

                      2015(平成27)年12月30日鑑賞<テアトル梅田>

監督・脚本:グリームル・ハゥコーナルソン
グミー(羊飼いの老兄弟の弟)/シグルヅル・シグルヨンソン
キディー(羊飼いの老兄弟の兄)/テオドル・ユーリウソン
2015年・アイスランド、デンマーク合作映画・93分
配給/エスパース・サロウ

<カンヌで邦画2作を退けて見事グランプリを!>
 2015年5月13日から24日に開催された第68回カンヌ国際映画祭の「ある視点部門」には、黒沢清監督の『岸辺の旅』(15年)や河瀬直美監督の『あん』(15年)がという「自信作」が出品されたが、残念ながら敗退。その2本の邦画を含む計19本の中で見事グランプリを獲得したのが、全く無名のアイスランド出身の監督が作った長編第2作目となる本作だ。
 日本人の多くはステーキや焼肉が大好きだが、その中でも一番食べたいのはヘレやサーロインの牛肉。たまに焼肉屋に行くのに豚肉までレベルを下げるのは嫌だし、ましてマトンやラムは嫌。もちろん、北海道で有名な「松尾ジンギスカン」や馬肉、更にホルモンもたまにはいいが、やはり牛肉のステーキが一番。そんな日本人には本作の英題が『RAMS』だと聞くと、つい本作は焼肉の映画かと錯覚してしまいそうだが・・・。

<アイスランドは人口25万人に対し、羊100万頭!>
 おいしい牛肉を食べるためには、何よりもおいしく食べれる牛を育てることが大切。伊賀牛、佐賀牛、近江牛、神戸牛等々、日本ではそんな観点から多くの牛肉の名産地がしのぎを削っている。すると、人口25万人に対し羊100万頭という羊大国のアイスランドでは、その競争は日本以上に厳しいはずだ。
 本作冒頭、アイスランドの人里離れた村で、隣同士に住む老兄弟の弟グミー(シグルヅル・シグルヨンソン)と兄キディー(テオドル・ユーリウソン)が羊の世話に愛情を注ぎ込む姿が描かれる。その愛情は「その他大勢の羊」に対しても同じなのだろうが、羊の品質を競う大会に出場させる「選ばれた羊」に対して格別なのは当然だ。チラシによれば、日本の北海道と四国をあわせた程度の面積のアイスランドは、①世界平和度ランキング、②男女平等度ランキング、③世界ご長寿(男性)ランキングで、世界第1位らしい。ところが、本作の主人公として登場するグミーとキディーは、2人ともいい年だが2人とも独身らしい。まだまだ日常生活には不便はなさそうだが、少子高齢化が大きな社会問題となっている日本と同様、この2人もあと5、6年経てば、このままの羊飼い生活はたちゆかないのでは・・・?
 それはともかく、年に一度開催される羊の品質を競う大会で審査委員長を務めるのは獣医の女性だが、まずはその審査項目と審査内容に注目!そして次に、わずかの差で優勝を逃したグミーが、優勝したキディーの羊に対して向けるまなざしの厳しさに注目!

<狂牛病(BSE)も怖いが、スクレイピー(TSE)も!>
 世の中に仲の悪い兄弟はゴマンといるが、本作に登場する2人の老兄弟はそれが徹底している。隣同士に住みそれぞれたくさんの羊を飼っていながら、互いに40年間も口を利いていない兄弟だということは何の説明もされないが、導入部の展開を見ているだけで、それがよくわかる。
 問題が起きるのは、「なぜ俺の羊が兄貴の羊に負けたのか?」を探るため、グミーが秘かにキディーが育てた優勝羊の体に触って、いろいろチェックをしたためだ。この羊はひょっとして「スクレイピー(伝達性海綿状脳症)(TSE)」?かつて日本では狂牛病(牛海綿状脳症)(BSE)が猛威を振るったが、羊が罹患する病気スクレイピー(TSE)の恐さはそれと同じ、いやそれ以上らしい。
 ある日グミーがそんな不安を人に漏らしたところ、不安はたちまち広がり保健所が乗り出すことになったが、そこで保健所が下した結論は、村の羊すべての殺処分。「一匹残らずすべて殺処分せよ」との非情な命令だが、公衆衛生の観点からはそれもやむをえないだろう。

<殺処分の決定とその執行は?>
 アメリカのオバマ大統領は就任後しきりに「銃規制」をうたってきたが、銃による自衛権を主張する多くのアメリカ国民やそれを支持する共和党勢力の反対のため、その政策は遅々として進んでいない。しかして、本作でビックリするのは、グミーのおかげで「俺が育てた優勝羊がスクレイピー(TSE)だとケチをつけられた」と怒るキディーが、自ら銃を持ち出してグミーの家に向けて発砲すること。銃弾は現にグミーの寝室のガラスをぶち抜いていたから、こりゃ一歩まちがえば殺人罪。いや、この射撃行為だけで立派な殺人未遂罪が成立するはずだ。
 もっとも、スクレイピーの発生という大問題の前には、グミーとキディーの確執や対立は小事。優勝羊をはじめキディーが飼っていた羊はすべて保健所に差し出されて殺処分されたが、グミーはあえて自分の手で自分の羊たちを殺処分。もちろんこれは法令違反だが、保健所もグミーの気持ちをくんで結果オーライとしたところ、そこにまさかの大きな落とし穴が・・・。おいおい、アイスランドではそこまでやるか・・・?

<より大きな価値の前に、兄弟の対立も解消!>
 かつて中国では、対立していた中国共産党と国民党が共通の敵「日本帝国主義」に対抗するため協力し、二度にわたって「国共合作」を成立させたが、本作でも「優良品種の羊の保護」という、より大きな価値の前に、これまで40年間も続いていたグミーとキディーの対立が解消し2人の協力関係が構築されていくから、そのストーリー展開に注目!
 資料を調べたところによれば、映画冒頭からグミーとキディーが着ている暖かそうなセーターは、ロピセーター。ロピセーターは、アイスランドの高品質の羊毛から作った丸ヨークの編み込み模様が特徴で、これは空気をたくさん含んでいるため、とにかく軽いらしい。
 他方、ラッセル・クロウが主演した『ノア 約束の舟』(14年)でも、神から巨大な箱舟を造れと命じられたモーゼは立派な口ひげを蓄えていた(『シネマルーム33』196頁参照)が、フィッシャーマンズセーターと並ぶ本作におけるグミーとキディーのトレードマークも立派な口ひげだ。寒い国では口ひげも防寒対策として不可欠かもしれないが、寓話的な本作では実用性以上にそんな2人の風貌が羊たちのふさふさした羊毛とマッチしていてとても気持ちがいい。
 もっとも、神からの命令を聞いてそれを実践したモーゼは自分の脱出行に自信をもって臨んでいたが、羊を隠していたことがバレたため、急に兄の協力を得て山の上に逃げていこうというグミーとキディー初の協力体制による脱出行の成功の見込みは・・・?

<あっと驚く悲劇的な結末を、いかに解釈?>
 本作の英題『RAMS(羊たち)』は、羊たちの血統を延命させるためグミーが選んだ5頭の羊を指すらしい。そして、本作ラストの悲劇的な結末に向けての主人公は、2人の兄弟と並んでこの5頭の羊となる。保健所からの追手(?)が迫ってくる中、2人が5頭の羊と共に目指すのは山の上だが、その脱出行に何の展望もないことはすぐに理解できる。それでも、2人ができることは、とにかく山の上を目指すことだけらしい。しかし、冷たい風が吹き雪が舞う中、山の上を目指すことは何を意味するの?それは凍死?
 アイスランド・ドイツ・ノルウェー共作の『馬々と人間たち』(13年)では、死亡した馬の中に入って吹雪の一夜を過ごすことによって生き延びる人間の姿が描かれていた(『シネマルーム35』未掲載)。しかして、本作ラストでは、吹雪の中で倒れてしまったグミーを雪の中に掘った穴の中に収用するキディーの姿が描かれる。吹雪にさらされていたグミーの身体が冷え切っているのは当然。それを温めるには人肌が1番だ。現在公開中の『海難1890』(15年)でも、遭難したトルコの軍艦エルトゥールル号からの避難者の身体を温めるため、夏川結衣扮する遊女が文字どおり「一肌脱ぐ」シーンが登場していたが、本作ラストにもそんなシーンが登場するので、それに注目!もっとも、老兄弟が裸で抱き合う姿はビジュアル的にはそんなに見たいものではないが、アイスランドの寓話としては十分見応えがある。
 論理的に考える限りグミーとキディーの行動は全く無意味だし、弁護士の目から見ても彼らの行動は明らかな違法行為だが、人間の生き方として彼らの行動を見れば、それをどう評価すればいいの?また、スクリーン上で展開される結末はいかにも悲劇的だが、それをあなたはどう解釈?
                                  2016(平成28)年1月7日記