洋15-156

「アンジェリカの微笑み」
    

                  2015(平成27)年12月29日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督・脚本:マノエル・ド・オリヴェイラ
イザク(写真が趣味の青年)/リカルド・トレパ
アンジェリカ(若くして亡くなった女性)/ピラール・ロペス・デ・アジャラ
アンジェリカの母/レオノール・シルヴェイラ
エンジニア/ルイス・ミゲル・シントラ
クレメンティーナ/アナ・マリア・マガリャンエス
メイド/イザベル・ルート
物乞い/リカルド・アイベオ
ジャスティン/アデライデ・テイシェイラ
2010年・ポルトガル、スペイン、フランス、ブラジル映画・97分
配給/クレストインターナショナル

<プロの映画評論家は絶賛!>
 年末になると、新聞各紙はその年を代表する映画を選ぶ。しかして、日経新聞2015年12月22日夕刊は、「シネマ万華鏡」に寄稿する映画評論家に3本ずつ「今年の収穫映画」を選んでもらったところ、5人のうち中条省平氏、宇田川幸洋氏の2人が本作を選んでいた。また、『キネマ旬報』1月上旬号の「REVIEW 鑑賞ガイド」における筒井武文、内藤誠、那須千里3氏の本作の採点は、5点、5点、4点と高かった。
 私が予告編で観た限りでは、花束を手に白いドレスを着てベッドに横たわっているアンジェリカ(ピラール・ロペス・デ・アジャラ)はたしかに美しいが、その「アンジェリカの微笑み」だけで一本の映画のストーリーを構成するのは到底ムリ。そう思って敬遠していたが、上記2つの情報に接すると、こりゃ必見!そう思って劇場に赴いたが・・・。

<オリヴェイラ監督101歳の作品だが、なぜユダヤ人青年が主人公に?>
 長寿化が進む現在では90歳超え、100歳超えの映画監督もチラホラ。日本では2012年に100歳でなくなった新藤兼人監督がその代表だが、ポーランドには近時も『カティンの森』(07年)(『シネマルーム24』44頁参照)や『ワレサ 連帯の男』(13年)(『シネマルーム33』未掲載)を作っている、1926年生まれのアンジェイ・ワイダ監督がいる。その極め付けがポルトガルのマノエル・ド・オリヴェイラ監督だ。
 マノエル・ド・オリヴェイラ監督は2015年4月に106歳で亡くなったが、本作は彼が101歳の時の作品。なるほど、人間100歳にもなれば、当然死をテーマにした映画を・・・?誰でもそう思ってしまうが、実は本作の脚本はマノエル・ド・オリヴェイラ監督が第2次世界大戦直後の1952年に書き上げたものらしい。なるほど、それがわかれば、本作の主人公イザク(リカルド・トレパ)がポルトガルに住むユダヤ人青年という設定にも納得がいく。つまり、マノエル・ド・オリヴェイラ監督が本作の脚本を書いた当時は、ナチス・ドイツによるホロコーストの記憶が生々しく残っていたため、あえて本作の主人公を「ナチス・ドイツの迫害を逃れてポルトガルに移り住んだユダヤ人青年」という設定にしたわけだ。
 しかし、何の予備知識もなく本作を観ただけでは到底そこまではわからないうえ、マノエル・ド・オリヴェイラ監督ファンなどの特殊な人を除いては、私も含めてつい「それが一体どうしたの?」と思ってしまうのでは・・・?

<本作の時代は?舞台は?>
 さらに、本作が設定する時代がいつなのかも映画を観ているだけではハッキリしない。登場人物たちの服装や車の型式、そして窓の下を走っているトラックの姿などを見ていると、ここ10年20年の時代だと思われる。ところが、とことんシンプルにしたイザクの部屋(下宿)や、アンジェリカの遺体が置かれているポルタシュ館のお屋敷のシンプルさを見ていると、その時代設定自体も不明確になってくる。
 他方、本作ではイザクの下宿のおばさん(今ドキ懐かしい言葉の響きだが)がストーリーの進行役を果たすし、朝食毎に集まってくるいかにも知識人らしいおじさんたちの会話がストーリー進行のスパイス役を果たすから、それに注目!何やらクソ難しい学会での議論の下準備らしい彼らの会話は、私たち観客にはもちろんイザクにもチンプンカンプンだが、イザクにとってはそこに重大な暗示があったらしい。しかして、本作は「世にも美しい愛の幻想譚」というキャッチコピーどおりの展開を見せていくが・・・。

<スクリーンの陰影と絵画的美しさに注目!>
 近時の邦画は、総じてスクリーンが明るくてキレイ。それはそれでいいのだが、逆に映画としての深みや陰影に欠けるきらいがある。その点、本作と同時に観た『神様なんかくそくらえ』(14年)は安モノの手持ちカメラで撮っている(?)だけに、画面はザラついているし揺れているから見ていてしんどい。しかも、クローズアップにすると、俳優たちの肌の汚さもモロに。これらはすべて近時の邦画の「美しさ」とは大違いだった。
 しかして、本作は全編を通じて暗さ(陰影の濃さ)が目につく。ポルトガルの電力事情が日本ほど良くないのかもしれないが、そもそも街の明るさ自体が違うのだろう。しかも、100歳を超えたマノエル・ド・オリヴェイラ監督の撮影手法や撮影へのこだわりがもともとそうであるため、陰影の濃さは徹底している。それに馴れるのには少し時間がかかるが、前述した中条省平氏や宇田川幸洋氏はそんな点に魅かれたのだろう。まさに、マノエル・ド・オリヴェイラ監督101歳の時の作品の特徴は、そのような絵画的映画の美しさにある。
 さらに、本作は「世にも美しい愛の幻想譚」だから、本作では死んだはずのアンジェリカがカメラの中で急にイザクに微笑んだり、「死の天使」のようにイザクと一緒に空を遊泳するシーンが登場する。苦労して撮ったらしいその幻想的なシーンはたしかに美しい。中条省平氏ら専門家はこれを絶賛しているが、その良さがなかなか理解できない私にはイマイチ・・・。

<主人公のユダヤ人青年は、かなりの変わり者・・・?>
 本作でイザクを演じたのは、マノエル・ド・オリヴェイラ監督の実の孫らしい。カメラを趣味にしているだけでプロのカメラマンではない彼が、急遽お屋敷に呼ばれて死亡したアンジェリカの姿を写真撮影することになったのは、本作冒頭に描かれるとおり単なる偶然だ。しかし、イザクのカメラの前で突如アンジェリカが微笑んだことによって、イザクは俄然アンジェリカの虜になり、恋に落ちていくことに。言ってみれば、本作はたったそれだけのストーリーだが、下宿のおばさんとの会話等を通じてこのイザクという男が元々いかに変わり者だったかということが少しずつわかってくるからそれに注目!
 そのことは、農夫が鍬で畑を耕している姿を夢中で写真撮影し、「機械を使ったらいいのに」と主張する下宿のおばさんに対して「古いものがいいのです」と反論する姿を見てもよくわかる。そんな一途な男だから、アンジェリカに一目惚れした後の彼の行動はもはやハチャメチャ。そのうえ、下宿のおばさんが鳥かごの中で飼っていた小鳥が死亡したことを知ると、彼のハチャメチャな行動は更にエスカレート。その結果、山の中でバタンキューと倒れてしまったイザクは今、何とか下宿の部屋のベッドに寝かされ医師も呼ばれていたが、客観的には死神に憑りつかれたとしか言いようのない状態となった彼の残った命の行方は・・・?

<あなたは映画に何を求める?>
 あなたは映画に何を求める?それは人によって異なるが、私にはやはりストーリーの面白さが不可欠だ。しかし、映画はストーリーだけではなく映像の美しさや音楽との融合も大切だから、たとえば舞台で観るバレエや歌劇をそのまま映像にした場合、それはそれで十分に楽しむことができる。むしろ、値段の安い端っこの席で舞台を観るより、計算しつくされた数台のカメラで撮影したシネマ歌舞伎を観る方が、より迫力を感じることもある。
 そんな視点で考えると、たしかに本作の映像にはマノエル・ド・オリヴェイラ監督特有の絵画的美しさがある。アンジェリカだって横たわっている姿一枚の絵だけの登場だが、それだけで一本の映画の主役が張れるのだから大したものだ。そんな美しさをたとえば、中条省平氏は「ロマン主義的怪奇というテーマを、映画の始祖の一人、メリエスのような特撮で鮮やかに処理する」と絶賛しているが、さてあなたの感想は・・・?
                                  2016(平成28)年1月7日記