日15-155

「母と暮せば」
    

               2015(平成27)年12月27日鑑賞<TOHOシネマズ西宮OS>

監督・脚本:山田洋次
福原伸子(長崎で暮らす助産婦)/吉永小百合
福原浩二(原爆で死亡した伸子の医大生の息子)/二宮和也
佐多町子(小学校教師、浩二の恋人)/黒木華
黒田正圀(町子の同僚の先生)/浅野忠信
上海のおじさん/加藤健一
富江(伸子の隣家の主婦)/広岡由里子
風見民子(町子の教え子)/本田望結
復員局の職員/小林稔侍
年配の男/辻萬長
川上教授(長崎医科大学教授、浩二の先生)/橋爪功
2015年・日本映画・130分
配給/松竹

<戦後70年の今年、『父と暮せば』の対となる本作が!>
 井上ひさしの原作を元に、黒木和雄が脚本を書いて監督した『父と暮せば』(04年)は、宮沢りえと原田芳雄の熱演もあって、「これぞ日本(映画)の良心!」ともいうべき涙を誘う感動作に仕上がっていた(『シネマルーム4』288頁参照)。『父と暮せば』は原爆が投下された昭和20年8月6日から3年後の広島の夏における、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日の4日間を描く映画だった。
 しかして、広島があれば、長崎もあるさ。「父と暮せば」があれば、「母と暮せば」があってもいいのでは・・・?そんな構想で舞台劇を作りたいと考えていた故井上ひさしの意志を継いだのが、山田洋次監督だ。井上ひさしの娘で、こまつ座代表取締役社長をしている井上麻矢の父親への想いも併せて背負いながら山田洋次監督が完成させた脚本は、長崎に原爆が投下された昭和20年8月9日から3年後の数日間を描くものだ。
 今年2015年は戦後70年記念特集として、『杉原千畝 スギハラチウネ』(15年)(『シネマルーム36』10頁参照)、『日本のいちばん長い日』(15年)(『シネマルーム36』16頁参照)、『野火』(14年)(『シネマルーム36』22頁参照)、『この国の空』(15年)(『シネマルーム36』26頁参照)、『おかあさんの木』(15年)(『シネマルーム36』31頁参照)等の「戦争映画」が製作、公開されたが、本作はそのラストを飾るものだ。そんな記念すべき年における、『父と暮せば』の対となる本作の製作・公開はある意味必然だから、すべての日本人がそれをしっかり噛みしめながら本作を鑑賞したい。

<宮沢りえ+原田芳雄VS吉永小百合+二宮和也>
 『父と暮せば』の対となる本作では、『父と暮せば』と逆に、死亡したのが長崎医科大の学生だった息子の福原浩二(二宮和也)で、生き残ったのが助産婦をしている福原伸子(吉永小百合)という設定になっている。また、『父と暮せば』では「恋の応援団長」を自認する父親が娘に対してさかんに木下正(浅野忠信)との結婚をけしかけていたが、『母と暮せば』では浩二には既に婚約者の佐多町子(黒木華)がいたため、この町子が映画冒頭から浩二と伸子の2人の主役に準じる重要な位置づけになっている。そこでまず、どうしても気になるのが宮沢りえ、原田芳雄コンビVS吉永小百合、二宮和也コンビの比較だ。
 私は『キューポラのある街』(62年)以来吉永小百合の大ファンで、「サユリスト」を自認しているが、正直彼女の演技をうまいと思ったことはない。他方、二宮和也は俳優業もしっかりこなしているが、所詮アイドルグループの一人の歌手。したがって、『父と暮せば』で宮沢りえと原田芳雄のコンビが見せた重厚で鬼気迫るような演技に、この2人の演技で対抗するのは到底ムリだ。他方、『父と暮せば』では浅野忠信が脇役として重要な存在感を示していたが、本作では何と言っても準主役の黒木華が『小さいおうち』(14年)(『シネマルーム32』161頁参照)で第64回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀女優賞)を受賞した演技派女優としての本領を発揮している。この黒木華の準主役としての演技力がなければ本作はもたなかったのではないかと思うほどの出来栄えだ。ちなみに、本作には山田洋次監督作品常連の浅野忠信も町子が結婚を決意する同僚の先生、黒ちゃんこと黒田正圀役で登場するが、これは1シーンだけなので大きな存在感は示していない。
 死んだ人間が3年後に生き残った人間の前に登場するという物語はあくまで小説や映画だけで成り立つものだから、ある意味ファンタジー。『父と暮せば』はそんなファンタジー色を感じることなくその迫力に引きずり込まれたが、本作は山田洋次監督があえてそれを強調している面もあって、ファンタジー色に溢れている。その当否を含めて、宮沢りえ、原田芳雄コンビVS吉永小百合、二宮和也コンビの対比が不可欠だが、さてあなたの軍配はどちらに?

<昭和20年8月9日午前11時02分、その瞬間!>
 平成28年の1月1日、ロクなテレビ番組のない中、私はBS1で『映像の世紀』のデジタルリマスター版・全11回を一挙に放映したNHKスペシャル『映像の世紀』をDVDに録画し、その鑑賞に集中した。そこでは、東西冷戦状態の米ソが核開発競争を続ける中で登場した水素爆弾が、広島、長崎に投下した原爆の100倍以上の破壊力を持つと紹介されていた。そんな知識をもって、本作冒頭が描く昭和20年8月9日午前11時02分の原爆投下の様子(実況中継)を見れば、山田洋次監督には珍しいドキュメンタリー風映像に一層興味が湧くはずだ。
 本作冒頭では、長崎医科大学に通う浩二があわただしく満員電車に乗り込んで教室に入る風景が描かれる。8月9日というクソ暑い季節に、浩二をはじめほとんどの学生が長袖の学生服を着ているのには思わず、「おいおい、本当か?」と思ってしまったが、川上教授(橋爪功)が講義を始めた瞬間に突然光った青白い閃光と凄まじい轟音のシーンは迫力がある。万年筆を使っていなかった浩二の机の上にはインク瓶が置かれていたが、その瞬間そのインク瓶はいかに?これでは、いくら探しても浩二の遺骨や遺品が見つからなかったのは、やむをえない。
 『父と暮せば』では、広島の原爆投下の象徴のような「きのこ雲」が印象的だったが、本作では山田洋次監督が冒頭に描くそんな原爆の炸裂シーンに注目!

<「舞台劇」色の濃い本作の主な舞台は?>
 私は司法試験受験中の1971年の夏、はじめて長崎方面を旅行し、平和祈念像や大浦天主堂等を見学したが、とにかく長崎は坂の多い街。尾道もそうだったが、尾道の比ではない。近時の山田洋次監督作品である『母べえ』(07年)(『シネマルーム18』236頁参照)、『おとうと』(09年)(『シネマルーム24』105頁参照)、『小さいおうち』も「その時代」を映し出す必要があるため、建物のセットを中心とした美術、装飾、小道具へのこだわりが顕著だったが、それは本作も同じだ。
 「舞台劇」色の濃い本作の主な舞台になるのは、息子の浩二を原爆で失う前に既に夫を結核で失っていた伸子が一人で住む丘陵地帯にある2階建ての家。浩二が死亡してから、既に3年。3年も経てば被爆地はもちろん、伸子が住む住宅地についてもある程度の復興が進んでいたらしい。玄関の建てつけはガタピシャしているが、浩二が使っていた2階の部屋には浩二が愛していた蓄音機やメンデルスゾーンのレコード等がそのまま残されていたから、そこは今でもかなりおしゃれな洋間のまま保存されている。また、机の上には浩二が恋人(いいなづけ)だった町子と一緒に並んだ思い出の写真が置かれていたが、今は教師となっているその町子が毎日のように伸子のもとを訪れていたから、伸子の生活も安定していた。そして、あの日から3年目の今日、町子と連れ立って墓参りに出かける伸子に、隣家の主婦・富江(広岡由里子)がしんみりと「またあの日が来たのね」と声をかけたが、もう3年?それともまだ3年?それをどう考えるべき?浩二の遺品が何ひとつ見つからない中、それをずっと考えていた伸子は、今日は意を決したかのように、町子に対して「もう諦めよう」と声をかけたが、さてその意味するものは・・・?

<2人の会話劇による思い出話プラスαのテーマは?>
 『父と暮せば』と同じように、本作のメインは伸子がやっと浩二のことを諦めたと宣言したことによって伸子の前に学生服を着て登場してきた浩二と、浩二との再会を喜ぶ伸子の2人による会話劇になる。それにしても、幽霊として出てきた浩二に対して「あんたは元気?」と聞く伸子も伸子だが、「町子に好きな人ができたら町子のことは諦めよう」という伸子に対して、「絶対嫌だ」と反発する浩二も浩二だ。もっとも、そこは百戦錬磨の山田洋次監督が脚本を書いているだけに、2人の会話劇は十分サマになっている。
 2人の会話劇は当然思い出話が中心になるが、単なる回顧談だけではストーリーに発展性がなくなるため、2人の思い出話のプラスαのテーマは「町子の今後」になる。毎日のように伸子の家を訪れ、「浩二の嫁」として甲斐甲斐しく伸子に尽くしている町子の姿を見ていると、町子はこのままでいいのかなと思ってしまう。若い町子に対してそれではあまりに酷だ。そんなことはあの日から3年も経たないでもわからなければならないことだが、3年という区切りと、上海のおじさん(加藤健一)から「町子は一生ひとりでいるつもりなのか」と聞かれて、伸子はやっとそのことに気付いたらしい。その結果、一方ではかつての町子と浩二とのちょっとしたラブシーン(?)が登場し、他方では戦争で足を失い今は町子の職場の同僚となっている黒ちゃんこと黒田正圀(浅野忠信)が登場して町子との間で予想どおりのストーリーが展開していく。また、そんな中盤におけるサブストーリーとして、町子が教え子の風見民子(本田望結)に付き添って父親の安否を尋ねるため復員局を訪ねるシーンが登場する。戦後生まれの日本人には復員局の風景や、そこで展開される民子と復員局の職員(小林稔侍)とのやりとりは全くなじみのないものだ。しかし、さすが山田洋次監督はそういうストーリーをうまく観客に見せていくから、多くの観客はここでも涙を誘われるのでは・・・?
 そんなシーンを含め、伸子と浩二の会話劇以外の本作全編のストーリー構成の中できらりとスパイスを効かせているのが、町子を演じる黒木華の演技だから、それに注目!

<ファンタジー色をどう評価?とりわけエンディングは?>
 近時はCG技術が発達したため、幻想的なシーンを撮るなら何でもござれ!山田洋次監督といえば、何と言っても『幸せの黄色いハンカチ』(77年)のクライマックスにおける、何十枚もの黄色いハンカチが風にはためくシーンが目に焼き付いているが、あれは実写なればこその迫力だった。しかして、本作では山田洋次監督には珍しく①浩二がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の指揮をするシーン、②浩二が学校の友人たちと共に校歌を熱唱するシーンで突然CGが登場するが、その是非、賛否は?本作は原爆で一瞬のうちに死亡した浩二が3年後に突然伸子の前に現われるという本来ありえない構成だが、映画ならそれはOK。『岸辺の旅』(15年)で観たような、現存する人間と幽霊との二人芝居、会話劇もOKだ。しかし、本作のストーリーの結末と、本作のエンディングに登場するCGについてのあなたの是非、賛否は?
 女優・吉永小百合は『キューポラのある街』以来、一貫して元気で前向きなのが特徴。したがって、女優・吉永小百合が死んでいくエンディングの映画は、『愛と死をみつめて』(64年)を最大の例外として少ないはずだ。本作でも伸子は高血圧のため薬を飲んでいるようだが、それも浩二から時々「忘れてないか」と注意される程度だし、助産婦として往診に出向いている姿を見ればそれなりに元気。したがって、ラストに向けて「ちょっと疲れたから横になるわ」以下のストーリー展開と、CG映像の中で浩二と2人で天国に旅立っていくシークエンスはかなり違和感がある。もっとも、それはあくまで観客の好みの問題として考えるべきで、山田洋次監督が女優・吉永小百合を主役に起用して放った「戦後70年」を飾る意欲作に文句をつけることは禁物だ。あくまで本作の評論についてはケチ論は封印し、いいところを強調しておきたい。
                                  2016(平成28)年1月6日記