洋15-151

「マイ・ファニー・レディ」
    

                  2015(平成27)年12月23日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督・脚本:ピーター・ボグダノヴィッチ
アーノルド・アルバートソン(演出家)/オーウェン・ウィルソン
イザベラ“イジー”パターソン(グロー)(元コールガールのハリウッドスター)/イモージェン・プーツ
デルタ・シモンズ(アーノルドの妻、女優)/キャスリン・ハーン
ジョシュア・フリート(ジョシュ)(イジーに一目惚れする脚本家)/ウィル・フォーテ
セス・ギルバート(デルタに好意を寄せる人気俳優)/リス・エヴァンス
ジェーン・クレアモント(ジョシュアの恋人、セラピスト)/ジェニファー・アニストン
ペンダーガスト(裁判官)/オースティン・ペンドルトン
イジーの母親/シビル・シェパード
イジーの父親/リチャード・ルイス
探偵(ジョシュアの父)/ジョージ・モーフォゲン
インタビュアー/イリーナ・ダグラス
2014年・アメリカ映画・93分
配給/彩プロ

<グランド・ホテル形式とは?群像劇とは?>

 三谷幸喜が脚本を書き監督した最新作『ギャラクシー街道』(15年)はあまりにおふざけが過ぎたため、私の採点は星2つだった(『シネマルーム36』未掲載)。しかし、三谷作品である『笑の大学』(04年)(『シネマルーム6』249頁参照)、『THE 有頂天ホテル』(05年)(『シネマルーム9』288頁参照)、『ザ・マジックアワー』(08年)(『シネマルーム20』342頁参照)、『清須会議』(13年)(『シネマルーム31』174頁参照)の私の評価はおしなべて高い。
 「群像劇」の代表は『パルプ・フィクション』(94年)だが、三谷映画も「群像劇」が多い。ちなみに、『映画検定・公式テキストブック』(キネマ旬報社刊)によれば、「グランド・ホテル形式」について、「32年の『グランド・ホテル』に由来するもので、一つの場所を舞台に、複数人々のドラマを平行して描く、『愚か者の船』(65年)では船、『大空港』(70年)では飛行機が舞台。最近では『THE 有頂天ホテル』(06年)がある。」と解説されている。それに対して、群像劇とは「それぞれの物語を持った複数の登場人物によって進行していく創作作品の総称」。したがって、「グランド・ホテル形式」は、映画における群像劇の表現方法なのだ。
 私の独断と偏見によれば、三谷映画最高の「群像劇」は『ザ・マジックアワー』。そこでは「騙し」をテーマとして、絶妙のタイミングで、騙すシーンその1、騙すシーンその2、騙すシーンその3と積み重ねられていくストーリーを笑いながら楽しむことができたが、さて本作は?

<スクリューボール・コメディとは?>
 私は全然知らなかったが、本作の脚本を書き、監督したピーター・ボグダノヴィッチは、1970年代初めに、古き良きハリウッドの映画作法を継承する『おかしなおかしな大追跡』(72年)、『ペーパー・ムーン』(73年)によって注目の新鋭となった監督らしい。そして、本作はその後数々の挫折をくり返した彼の映画を愛する新世代の監督たちの応援によって出来上がった13年ぶりの新作らしい。そんなピーター・ボグダノヴィッチ監督の本作は、ある意味で三谷映画とそっくりの群像劇に仕上がっている。
 ちなみに、『映画検定・公式テキストブック』によれば、「スクリューボール・コメディ」について、「野球の球種、カーブの変型であるスクリューボールに由来する言葉で、観客の予想しないような方向へストーリーが進んでいく奇抜なコメディをさす。1930年代に作られ、洗練された上流階級の生活を背景に強い意思を持つヒロインが登場することが多い。こうした、いささか不条理だが無害なコメディで浮世の憂さを忘れようとした」と解説されている。そのため、日経新聞夕刊における映画評論家、中条省平氏の評論には、「ハリウッド黄金時代に捧げた荒唐無稽なスクリューボール・コメディ(奇人変人が演じる恋愛喜劇)である」との的確な指摘も・・・。
 群像劇でかつスクリューボール・コメディの本作には個性豊かな多くの人物が登場するが、まずは2人の主人公に注目!

<2人の主人公は?物語の出発点はこんな提案に>
 オードリー・ヘップバーン主演の『マイ・フェア・レディ』(64年)は、汚い言葉しかしゃべれない田舎娘が、言語学者の厳しい特訓のおかげで貴婦人に成長していく、いかにも古き良き時代のハリウッドを代表する、夢のような物語だった。それに対して(それと同じように?)本作は、コールガールをしながら女優を目指している若き主人公イザベラ“イジー”パターソン(イモージェン・プーツ)が、演出家のアーノルド・アルバートソン(オーウェン・ウィルソン)から「この仕事をもうやらないと約束するなら、君の将来のために3万ドルをプレゼントする」と言われたことを契機として、ホントに女優に成長していく、夢のような物語。インタビュアー(イリーナ・ダグラス)の意地悪な質問に対して何ら悪びれず、イジーは自分が元コールガールだったことを含めて正直にスターへの階段を急速に上ってきたことを語っていくが、その出発点になったのはこのアーノルドの突然の提案だ。
 物語の主人公はこの2人だが、群像劇たる本作には2人の主人公に関係する多くのクセ者が次々と登場し、複雑に絡み合っていくので、それに注目!アーノルドは現在人気俳優のセス・ギルバート(リス・エヴァンス)を主役にした舞台の公演のため、演出家として大忙し。しかし、浮気者にとって浮気はまた別モノだから、アーノルドは仕事の合い間をぬってブロンドのコールガールのイジーを呼び出し、あの提案を。イジーがこの提案に喜んで乗ったのは当然だが、さてその後のストーリーの展開は?

<あの映画の、このセリフを知ってる?>
 本作では何よりも、ベッドの中の寝物語で、アーノルドがイジーに語るセリフ(殺し文句)の持つ意味に注目!アーノルドがイジーの将来のために3万ドルをプレゼントすると提案したのは、「リスにおやつのナッツをやる人がいる。しかし、たまにはナッツにリスちゃんをあげたっていいじゃないか」という価値観(?)にもとづくもの。このセリフは何となく面白いが、実はこれには深い意味があるらしい。つまり、これは、ドイツ出身の映画監督エルンスト・ルビッチの1946年の作品『小間使』の中で主人公が語る「ハイド・パークでは、みんなよろこんでリスにナッツをやるだろう。でも、ナッツにリスをやるほうが楽しいとなったら、誰がリスにナッツなんかやるっていうんだ?」というセリフをそのままパクったものだということだ。
 さらに本作でこのセリフが重要になるのは、アーノルドがそんな提案をしたのはイジーだけではなく、他にもたくさんいたことが次第に判明していくこと。群像劇たる本作は、そんなセリフがあちこちで氾濫していたことが判明するにつれて、ますます混迷度を増していくことになるからそれにも注目!
 このセリフの意味をちゃんと知っている観客は少ないだろう。そのため、本作ラストにはちゃんとその種明かしがされるので、本作に限ってはエンドロールが流れ始めた途端に席を立つという失礼なことを絶対にしないように!

<クセ者たちのオンパレードでハチャメチャな展開に!>
 今回の舞台にはアーノルドの妻で女優のデルタ・シモンズ(キャスリン・ハーン)も出演しているが、セスは昔このデルタに好意を寄せていたから、ひょっとしてセスはヨリを戻したいと期待しているのかも・・・。
 ある日、イジーに舞台のオーディションのお呼びがかかったところから、ストーリーが急展開していく。これはアーノルドが仕組んだことではないが、その役がコールガールというところが面白い。イジーが喜び勇んでオーディションに出かけると、その演出家は何とアーノルドだったから、イジーは大喜びだが逆にアーノルドは大慌て。
 事態がややこしくなるのは、そんな期待の新星イジーに脚本家のジョシュア・フリート(ウィル・フォーテ)が一目惚れしたこと。ジョシュアはイジーのセラピストをしている女性、ジェーン・クレアモント(ジェニファー・アニストン)と付き合っているにもかかわらず、イジーをデートに誘ったため、スクリーン上ではあれこれの軋轢が・・・。さらに、事態を混乱させたのは、年甲斐もなく、また裁判官という職業にもかかわらず、イジーの上客でイジーに惚れこんでいるペンダーガスト(オースティン・ペンドルトン)が、ジョシュアの父である探偵(ジョージ・モーフォゲン)を雇ってイジーの身辺調査に躍起になっていたこと。
 このようにそれぞれ一クセも二クセもある男女たちによる速射砲のようなセリフが連続する中、スピード感いっぱいのスクリューボール・コメディの展開はメチャ面白い。こりゃもう、ついていくのが大変だが、アレよアレよという間に次々と起きる、あの手この手のハチャメチャな展開をタップリと楽しみたい。
                                  2015(平成27)年12月28日記