洋15-147

「完全なるチェックメイト」
    

                    2015(平成27)年12月14日鑑賞<ギャガ試写室>

監督・製作:エドワード・ズウィック
ボビー・フィッシャー(アメリカのチェスの王者)/トビー・マグワイア
ビル・ロンバーディ(神父、フィッシャーのセコンド)/ピーター・サースガード
ボリス・スパスキー(ソ連のチェスの王者)/リーヴ・シュレイバー
ポール・マーシャル(弁護士、フィッシャーのセコンド)/マイケル・スタールバーグ
ジョーン・フィッシャー(ボビーの姉)/リリー・レーブ
レジーナ・フィッシャー(ボビーの母、シングルマザー)/ロビン・ワイガート
青年期のボビー・フィッシャー/シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック
幼少期のボビー・フィッシャー/エイデン・ラヴカンプ
幼少期のジョーン・フィッシャー/ソフィー・ネリッセ
カーミン・ニグロ(チェスクラブの経営者)/コンラッド・プラ
2015年・アメリカ映画・115分
配給/ギャガ

<本作の主人公はチェス界のモーツァルト!>
 私は将棋も囲碁も大好きで、毎週日曜日にはNHKの『NHK杯テレビ将棋トーナメント』と『NHKテレビ囲碁トーナメント』を観ている。しかし、チェスは一応のルールは知っているがチェスの世界についてはほとんど何も知らない。したがって、将棋界の第一人者であると同時にチェスの世界でも2007年に日本国内レイティング1位になった、現在名人、王位、王座、棋聖の四冠の棋士・羽生善治はプレスシートの中で、本作の主人公ボビー・フィッシャー(トビー・マグワイア)は「チェス界のモーツァルト」だと紹介しているが、そう聞かされても、正直なところあまりピンとこない。
 日本特有のゲームである将棋はもちろん、日中韓で広く普及している囲碁でも世界選手権大会はないが、チェスにはそれがあるらしい。しかして、フィッシャーは1957年に14歳でアメリカ選手権で優勝してインターナショナルマスターになり、翌1958年には15歳で当時の史上最年少記録を打ち立ててグランドマスターとなったそうだが、世界選手権への挑戦はいつ?

<本作は伝記映画ではない!>
 1950年代と言えば、世界史的には「東西冷戦」の時代。その時代のチェスの世界では、国家的なサポートをしているソ連が圧倒的な優位を誇っていたらしい。フィッシャーが世界王者への挑戦者決定戦で優勝し、当時のチャンピオンだった、ボリス・スパスキー(ソ連)(リーヴ・シュレイバー)への挑戦権を得たのは、1971年28歳の時だ。そして、彼は翌1972年にアイスランドのレイキャビクで行われた世界タイトルマッチでスパスキーに勝利し、世界王者の座を奪取し、一躍アメリカの英雄になったそうだ。しかして、本作はその世界タイトルマッチでの戦いをメインとして、はじめてフィッシャーという人物に焦点をあてた映画だ。
 天才モーツァルトの変人・奇人ぶりは、モーツァルトの生涯に焦点をあてた名作中の名作『アマデウス』(84年)でよくわかったが、実はフィッシャーもモーツァルトに負けず劣らない変人・奇人だったらしい。また、北条秀司の戯曲『王将』や、村田英雄が歌った名曲『王将』で有名な、大阪の棋士・阪田三吉も相当な変人・奇人だったそうだが、本作を見る限りフィッシャーはそれを大きく上回る変人・奇人だ。したがって、そんな歴史上の人物を主人公に据えた映画では話題にコト欠かないが、いざ『アマデウス』のような名作に仕上げるのは難しい。本作のプレスシートでは「これは伝記映画ではない。」と強調しているが、さてその評価は?

<「神の一手」とは?思考回路をどう示せば?>
 将棋は相手から獲得した駒を再度「持ち駒」として使用することができるが、チェスはできない。それが将棋とチェスの最大の違いだから、将棋は複雑だが、チェスは単純。一般にそう思われているが、実態はそうでもないらしい。本作を観ると「4手先は3千億通り」とあるが、そりゃホント?
 また、本作のクライマックスでは、スパスキーに2連敗した後のドタバタ劇(?)を経た後、フィッシャーがくり出す誰も見たことがない「神の一手」が大きなポイントとなるが、その「神の一手」とは?阪田三吉が指した勝負手では、フランク永井が歌った名曲『大阪ぐらし』における「坂田三吉 端歩もついた 銀が泣いてる 勝負師気質」という歌詞が有名だが、フィッシャーが指した「神の一手」とは?
 本作導入部では、フィッシャーの思考回路をスクリーン上に示すちょっとした工夫がなされていたが、所詮3千億通りもある「読み」をスクリーン上で見せることは不可能。したがって、チェスの勝負をスクリーン上でいかに興味深く見せるかはもともと難しいが、さて本作はそれにいかに挑戦?『NHKテレビ将棋トーナメント』『NHKテレビ囲碁トーナメント』では、将棋も囲碁も解説者による適切な解説があるから、指し手(打ち手)の意味や勝負のアヤがよくわかるが、それがない本作でチェスの勝負の醍醐味を本当に味わうことができるの?残念ながら私にはそれが全然できなかったのが大きな不満だったが・・・。

<セコンドの役割は?この2人はホントに大変!>
 個人競技における勝負の世界では、どんな種目、どんなゲームでもプレイヤー本人の他、セコンド(マネージャー、コーチ)を務める人間との二人三脚が大切。テニスの錦織圭がマイケル・チャンコーチとの出会いによって大躍進したように、フィッシャーの場合のセコンドは弁護士のポール・マーシャル(マイケル・スタールバーグ)と神父のビル・ロンバーディ(ピーター・サースガード)の2人だ。本作中盤からクライマックスにかけてのスパスキーとの世界選手権での対決の中、フィッシャーが織り成す変人・奇人ぶりにこの2人が振り回される姿は痛々しい。それでもこの2人がフィッシャーを支え続けたのは、一体なぜ?本作ではそこらあたりに力点がおかれているので、それをしっかり味わいたい。
 「盤上で第三次大戦が勃発!」と言われた、1972年の世界タイトルマッチでの「米ソ」対決では、フィッシャーを応援するため、ニクソン大統領の補佐官キッシンジャーから「大統領と私は君が米国のために戦うのを楽しみにしている」と告げられたそうだから、それを取り次ぐポールとビルの役割は重大だ。ソ連の「陰謀説」にのめり込んで、第1局の敗退後、第2局をボイコットしてしまったフィッシャーは、さて続く第3局に向けてポール、ビルたちの協力の下、いかなる立ち直りを・・・?

<本作の作り方の是非は?どう作るのがベスト?>
 小さい頃からチェスの天才ぶりを示した少年フィッシャーは、なぜあんな変人・奇人に育ったの?それはフィッシャーがユダヤ人だったことや、シングルマザーだった母親レジーナ・フィッシャー(ロビン・ワイガート)が共産党員としての活動に夢中だったうえ、毎晩男を連れ込む自由奔放な女だったこと等が影響しているらしい。本作導入部は、そんな点を克明に描いていく。
 これは、本作を単に歴史的事実を並べたてた伝記映画とせず、フィッシャーの内面にまで掘り下げた映画にするための工夫だが、逆に本作は、フィッシャーがスパスキーに勝利し世界チャンピオンになった後の人生については一切描いていない。フィッシャーの変人・奇人ぶりは1975年に32歳でタイトル戦への参加を拒否し、世界チャンピオンの称号を放棄し、各地を放浪する隠遁生活に入ったことにも現われているし、その後もずっと続いたらしい。そうすると、フィッシャーの本当の人間性を映画で描くには、絶頂期で終わるのではなく人生の後半期まで踏み込んだ方がよかったのかも・・・?その是非は私にはわからないが、さて、チェス界のモーツァルトたるフィッシャーをはじめて映画の主人公とした本作の成否は・・・?
                                  2015(平成27)年12月17日記