洋15-142

「ローマに消えた男」
    

                    2015(平成27)年11月29日鑑賞<テアトル梅田>

監督・脚本・原作:ロベルト・アンドー『Il trono vuoto(空席の王座)』
エンリコ・オリヴェーリ(失踪した政治家、最大野党の党首)
ジョヴァンニ・エルナーニ(エンリコの替え玉になった双子の兄)
アンドレア(エンリコの腹心)/ヴァレリオ・マスタンドレア
ダニエル(パリに住むエンリコの元恋人)/ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ
アンナ・オリヴェーリ(エンリコの妻)/ミケーラ・チェスコン
イブリーナ/アンナ・ボナイウート
ムング(ダニエルの夫、映画監督)/エリック・グエン
ドベリス/アンドレア・レンツィ
マラ/ジュディス・デイビス
2013年・イタリア、フランス映画・94分
配給/レスペ、トランスフォーマー

<監督、原作、脚本を兼ねるしんどさは・・・?>
 本作はイタリアの文学賞を受賞した原作『Il trono vuoto(空席の王座)』(12年)を映画化したものだが、実はその原作者と監督が同一人物のロベルト・アンドー。しかも、ロベルト・アンドーは共同脚本者がいるものの、自分で本作の脚本も書いているというから驚きだ。しかし、原作を映画化するために脚本を書くについては、必然的に多くの要素をそぎ落とさなければならないから、それは原作者にはかなりつらい仕事。したがって、原作者、監督、脚本という三役を兼ねるのは、自分で自分の身を引き裂くような苦労(苦痛?)を伴うはずだ。
 しかして、パンフにあるロベルト・アンドーのインタビューを読むと、たしかにそういう面もあったことは認めつつ、むしろそれを楽しんでいるようなニュアンスがある。もっとも、本作が面白い出来に仕上がっているのは、一にも二にもイタリアの最大野党を率いる政治家エンリコ・オリヴェーリと、その兄で哲学の教授であるジョヴァンニ・エルナーニの二役を一人で見事に演じ分けた俳優トニ・セルヴィッロの存在にある。そのことは、ロベルト・アンドーが脚本を書いている段階でトニ・セルヴィッロの出演を決めており、「もっと言うと、もしトニ・セルヴィッロが出演に同意してくれなかったら、この映画は出来ていなかったでしょうね。この小説の成功だけで満足してしまっていたかもしれません。」と語っていることをみれば、よくわかる。

<替え玉映画は多いが、本作の異色さは?>
 替え玉をテーマにした映画ではマーク・トゥエインの原作を映画化した『王子と乞食』(77年)が有名だが、その他にもアラン・ドロン主演の『黒いチューリップ』(63年)や『アラン・ドロンのゾロ』(75年)、アントニオ・バンデラス主演の『マスク・オブ・ゾロ』(98年)、さらにレオナルド・ディカプリオ主演の『仮面の男』(98年)等がある。インド映画『チェイス!』(13年)も途中からあっと驚く替え玉が登場したことによってめちゃ面白い映画になっていた(『シネマルーム35』120頁参照)。
 これらの替え玉映画では、双子の兄弟が互いに協力しながら敵と世間を欺いていくのが常だが、本作では替え玉となったエンリコとジョヴァンニが相談、協力するシーンは一切登場しないばかりか、2人が顔を合せるシーンもないのが大きな特徴だ。それは2人の間に強い確執があったためだが、本作はそれについてはほとんど説明せず、観客の想像に委ねている。したがって、本作ではエンリコの腹心の部下としてやむをえずジョヴァンニを替え玉としてかつぎ出し、その動静に運命を托する第3の男アンドレア(ヴァレリオ・マスタンドレア)の存在が大きなウエイトをもつことになるから、彼の視点からストーリー展開の妙味を見るのも面白い。どの替え玉映画でも、替え玉になっているのを知っている人間が限られた腹心だけになるのは当然だが、本作ではそれを知っているエンリコの妻アンナ・オリヴェーリ(ミケーラ・チェスコン)の視点以上に、アンドレアの視点に注目したい。

<とんずらを決め込んだ政治家の自信回復ぶりに注目!>
 日本では政治家の「女性スキャンダル」はご法度だが、男女の恋愛に寛容な「恋の国イタリア」では、政治家のプレイボーイぶりはあまり非難されることはない。さすがに、イタリアのシルビオ・ベルルスコーニ大統領と映画女優ベロニカ・ラリオとの不倫問題は世間の非難を浴びたが、大統領は強引に妻カルラ・デッローリオとの離婚を成立させ、ベロニカとの再婚を実現させているから、ある意味大したものだ。「これで愛人にならないかと、指を3本立てた」行為が世間のモノ笑いのタネとされて総理大臣のクビが飛んでしまった(?)日本の宇野宗佑総理に比べると、そのしたたかさはすごい。
 しかして、本作中盤では内面的に完全に自信を喪失しているうえ、公の席でも党大会である党員からボロクソに批判されていた政治家エンリコが、ある日イタリアからパリのローマへとんずらを決め込んだ後の復活ぶりに注目!まずは、そのとんずら先が昔の恋人ダニエル(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)だったことに驚きだが、既に結婚して子供までいるのに、あえて傷心のエンリコを自宅に滞在させるというダニエルの対応ぶりにもビックリ。そのうえ、ダニエルの夫ムング(エリック・グエン)がエンリコも大ファンだった映画監督だとわかると、エンリコはちゃっかり昼間は撮影現場に入り込みスタッフとして仕事まで始めたからアレレ・・・・しかも、夜は夜でダニエルと2人でコソコソとヤバい行動まで・・・。そのうえ、ダニエルの方も、かつて愛したのはエンリコだけではなく、「わたしはあなたの右目とジョヴァンニの左目を愛したの」というすごいセリフまで・・・。
 そればかりか、少しずつ自信を取り戻していくと男は魅力的になるらしく、ある夜は若い女性から誘われたプールの中で2人きりになり、お色気サービスまで受けることに・・・。その後の行動はあなたの目で確認してもらいたいが、最大野党の党首として少し前まであんなにボロボロだった男が「ローマに消えた」後は少しずつ自信を取り戻し、こんなに元気になっていくサマにビックリ。

<替え玉の元気さと才気、そして名演説にビックリ!>
 他方、映画冒頭から自信喪失気味のエンリコに対して、心の病の治療を終えて施設を退院したばかりのジョヴァンニの方は自信満々。アンドレアが藁をもつかむ思いでジョヴァンニの元を訪れたのは、エンリコの妻アンナから「双子の兄弟がいる」と聞かされたためだが、たまたま受けた雑誌記者からのインタビューの対応ぶりを見れば、意外や意外、こりゃ使えそう・・・。
 しかし、いきなり替え玉になったジョヴァンニが、なぜヒトラーばり(?)あるいは橋下徹ばり(?)の名演説ができるの、それを含めて本作のストーリー展開には論理的に説明しづらい面もあるが、本作は94分と短い上、監督が本作に求めたのは「軽快さ」だから、そういう屁理屈はこの際横に置いて、何とも気の利いたジョヴァンニのセリフと演説に耳を傾けたい。もっとも、オバマ大統領の演説上手はよく知られているが、2009年1月の大統領就任時にアメリカ国民を熱狂させた「CHENGE」と「Yes,we can.」の名演説が今やすっかり色あせていることを考えると、本作のクライマックスの一つとなる、大群衆を前にしたエンリコの(ジョヴァンニ?)の名演説にも少し疑問が湧いてくるかも・・・。

<替え玉はいつまでOK?あいまいな結末をどう解釈?>
 野党の党首ともなれば、政権の座にいる大統領や外国の首脳と面談する機会があるのは当然。しかも、エンリコは時のイタリア大統領と親しい関係(互いに信頼する関係?)にあったようだから、病気で入院していたエンリコが復帰したと聞いた大統領との面談が実現。それは本来なら喜ばしいことだが、ジョヴァンニがエンリコの替え玉だとわかっているアンドレアがそれを心配したのは当然。しかして、ジョヴァンニは大統領との会談でいかなる対応を?また、本作では同じくジョヴァンニがエンリコの替え玉として、外国の女性首相と2人きりで対談するシーンが登場するが、そこでは何とエンリコの替え玉になっているジョヴァンニが首相と2人でダンスに興じる姿が登場するのでアレレ・・・。ホントにこんなやり方で、トップとの対談はOKなの・・・?
 本作ではジョヴァンニの政治家としての有能さは卓越した演説のうまさという面のみが強調されており、その政策立案能力や対立する利害の調整能力等々については何も触れられていない。ちなみに、2008年の大阪府知事選挙で彗星の如く登場した橋下徹弁護士は、その演説の巧みさだけではなく、弁護士として鍛え上げたディベート能力や政策立案能力でも際立っていた。しかし、本作を見ている限り、ジョヴァンニの野党党首としてのホントの能力がどれほどかは全く未知数だ。ひょっとして、このまま時間が経てば「化けの皮」がはげていくのかも・・・。
 本作がリアルさを追求すればそういう展開になる可能性が高いと思うが、そこは本作で「軽快さ」を追求したロベルト・アンドー監督のうまさ。ラストに向けては観客の解釈に委ねる手法を大胆に取り入れ、きわめてあいまいな結末に導いていくので、それに注目。来る12月18日の大阪市長の退任をもって「政治家を引退する」と宣言した橋下徹氏が再び政治家に復帰する可能性は高いが、エンリコが元気になって再び政治家に復帰する可能性はほぼゼロ。他方、替え玉として当面は見事な能力を発揮しているジョヴァンニが、その役割を演じ続けられるのはいつまで・・・?本作ラストには、そんな「不安」が現実になりかけていくので腹心のアンドレアは大変だが、観客としてはそんな不安をはらんだ本作のあいまいかつ不安定な結末をしっかり楽しみたい。
                                  2015(平成27)年12月1日記

]
トニ・セルヴィッロ