日15-139 (ショートコメント)

「FOUJITA」
    

                 2015(平成27)年11月22日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督・脚本・製作:小栗康平
藤田嗣治(西洋画壇で絶賛を浴びたエコール・ド・パリの代表的な画家)/オダギリジョー
藤田君代(藤田の5番目の妻)/中谷美紀
ユキ(フジタの新しい彼女)/アナ・ジラルド
キキ(モデル)/アンジェル・ユモー
フェルナンド(フジタの苦節時代の彼女)/マリー・クレメール
寛治郎(小学校教師)/加瀬亮
おばあ(寛治郎の母)/りりィ
清六(馬方)/岸部一徳
日本人画学生/青木崇高
小柳/福士誠治
筆の店の主人/井川比佐志
陸軍大佐/風間杜夫
2015年・日本、フランス映画・126分
配給/KADOKAWA

◆小栗康平監督作品と聞けば、こりゃ必見!しかも、画家・藤田嗣治と言えば、私が都市問題の研究に入るきっかけとなった、1984年5月の大阪駅前問題研究会で知己を得た、大阪駅前第二ビル振興会実行委員長をしていた故野村憲三氏と少なからぬ因縁のある画家だ。京都大学内の旧・関西日仏会館(現在はアンスティテュ・フランセ関西―京都)に飾られていた藤田嗣治寄贈の「ノルマンディの四季」を私はよく知っている。
 画家FOUJITAはパリでは「乳白色の肌」の画家として有名だが、戦争中の画家・藤田嗣治は「アッツ島玉砕」を描いた戦争協力画家。それが私のイメージだったが、さて本作が描く画家FOUJITAとは?

◆実在した歴史上の有名人を主人公として映画をつくると、どうしても「伝記映画」的になってしまう傾向がある。そして、「作家主義」の監督たちはそれを極端に嫌うが、その人物が歴史上果たしてきた役割を客観的に見る(学ぶ)必要もあるから、私はあながち伝記映画的な描き方を否定するものではない。
 そういう視点で考えると、小栗康平監督は本作を画家・藤田の伝記映画とすることを徹底的に拒否している。そのうえ、画家・藤田の内面(内心)を小栗監督流に解釈してそれをスクリーン上に提示することも避け、その多くを観客の解釈に委ねている。そのため、本作では人間としての藤田嗣治がどういう人物であったかの分析が十分できず、私には多少の不満も・・・。

◆本作の前半1時間は、おかっぱ頭、ロイド眼鏡、ちょび髭、ときにピアスの画家FOUJITAが、モデルのキキ(アンジェル・ユモー)や新しい彼女のユキ(アナ・ジラルド)等の女たちに囲まれて遊び呆ける姿を中心に描写。そして、後半1時間はパリ時代とは全く異なる西洋風の油絵タッチで描いた「アッツ島玉砕」をはじめとする作品をストレートに提示するとともに、きつねの寓話を交えて少しファンタジックな世界も・・・。
 ややこしい解釈を示さず、淡々とそれを徹底させたところが小栗監督のすごいところだが、それには当然好き嫌いがあるはずだ。

◆本作全編を通じて、そのスクリーンは暗いのが特徴。近時のメチャ明るい邦画とは大違いだ。戦時中の日本に明りが乏しいのは当然だが、華やかなパリの夜の世界でも、想像以上にスクリーンの暗さが目立っている。しかし、同時にそのスクリーンの美しさは、さすが小栗監督作品と感嘆するもの。そして、そこにはもちろんナレーションはないしセリフもほとんどないから、観客は一人静かにその美しさを味わうことができる。
 そのうえ、本作のパンフレットにある「沈黙のスクリーン」と題するコラムで水沢勉氏(神奈川県立近代美術館館長)が「この映画の本質は沈黙ではないか。」と書いているように、美しい映像の鑑賞は沈黙の中で観客自身の主観に委ねられている。したがって、そんな映画に慣れていない観客は、本作の鑑賞にはかなり疲れるのでは・・・?
                                 2015(平成27)年11月26日記