日15-137 (ショートコメント)

「図書館戦争 THE LAST MISSION」
    

              2015(平成27)年11月15日鑑賞<TOHOシネマズ西宮OS>

監督:佐藤信介
原作:有川浩
堂上篤(図書特殊部隊二等図書正)/岡田准一
笠原郁(図書特殊部隊一等図書士、堂上の部下)/榮倉奈々
小牧幹久(図書特殊部隊二等図書正、堂上の同期)/田中圭
手塚光(図書特殊部隊一等図書士、堂上の部下、手塚慧の弟)/福士蒼汰
折口マキ(週刊「新世相」編集部記者)/西田尚美
玄田竜助(関東図書隊防衛部図書特殊部隊隊長、三等図書監)/橋本じゅん
中澤毬江(小牧の幼なじみ)/土屋太鳳
手塚慧(文部科学省、「未来企画」代表、手塚光の兄)/松坂桃李
柴崎麻子(関東図書隊業務部、一等図書士、笠原の親友)/栗山千明
仁科巌(特等図書館基地司令)/石坂浩二
朝比奈修二(八王子歴史民俗博物館学芸員)/中村蒼
稲嶺和市(日野市立図書館館長)/児玉清
尾井谷元(良化特務機関・良化隊隊長、一等良化特務正)/相島一之
2015年・日本映画・120分
配給/東宝

◆深作欣二監督の息子・深作健太が監督した『バトル・ロワイアル』(00年)は、全国の中学3年生の中から無作為に選ばれた1クラスを、最後の1人になるまで殺し合わせるという「新世紀教育改革法」、通称「BR法」をテーマにした映画だった。また、『バトル・ロワイアルⅡ/鎮魂歌(レクイエム)』(03年)は、「新世紀テロ対策特別法」、通称「BRⅡ法」をテーマにした映画だった(『シネマルーム3』313頁参照)。そして、『イキガミ』(08年)は、1000人に1人の確率でイキガミ(死亡予告証)が配達されるという「国家繁栄維持法」をテーマとした映画だった(『シネマルーム21』149頁参照)。そして、私の目には両者とも、たかがコミックと侮ることはできない、なかなか面白い映画に仕上がっていた。
 しかして、有川浩の原作を映画化した本作のテーマとなる「メディア良化法」と「図書館法」とは?メディア良化法が制定された世界では検閲が当然とされ、法務省が管轄する良化特務機関(メディア良化隊)が検閲と取締りを行っていた。他方、「図書館法」にのっとって「表現の自由」を守ろうとする勢力があり、その目的に添って図書隊が組織されていた。そして、図書隊の中のエリート精鋭部隊が、図書特殊部隊だ。したがって、メディア良化隊と図書隊は常に対立していたが。そこから遂に「図書館戦争」が勃発!
 こりゃ、なるほどと思える面もあるが、軍隊と同じように重武装した両隊が図書館を舞台としてマシンガンを派手に撃ちまくるシーンが登場してくると、まるで今ドキの軽薄な若者たちがスマホのゲームで遊んでいるようなバカバカしさが・・・。

◆「表現の自由」は近代憲法における最も大切な基本的人権の1つであることはたしか。したがって、「本を読む自由」を守ろうとする図書隊の価値がよくわかる。しかし、本作で手塚慧(松坂桃李)が主張するように、近時のマスコミの言いたい放題の偏向報道には、私ですら違和感がある。すると、本作にいう「メディア良化法」もOK?いやいや、近時の中国でのメディアの規制ぶりを見ていると、そりゃ絶対にダメだ。
 そんな論点をまじめに掘り下げたすばらしい映画の1つが、マルキ・ド・サド侯爵の「書くことの自由」(=表現の自由)をテーマとした『クイルズ』(00年)(『シネマルーム1』74頁参照)だった。したがって、本作でもそんな論点をまじめにとりあげ掘り下げていけばいい映画になると思うのだが、それでは知的レベルの低い今ドキの若者たちを映画館に集めることはムリ・・・?

◆近時の邦画の恋愛モノは軽薄な原作モノのオンパレードだが、本作に見る図書特殊部隊二等図書正の堂上篤(岡田准一)と一等図書士の笠原郁(榮倉奈々)との間の、図書隊員としての固い信念に結ばれた同志関係とはまた違う、淡い恋模様はまるで中学生レベル。私はお目当ての一本が満席で入れなかったため、やむをえず本作を鑑賞したが、何と本作も若者を中心に満席になっていた。そして、背の低い岡田准一と背の高い榮倉奈々とのギャグめいたセリフを含む恋愛模様をみていると、こりゃまるでテレビのバラエティー番組。近時の邦画は、ここまで劣化しているの・・・?

◆本作のメインストーリーは、この世に1冊しか存在しない「自由の象徴」ともいうべき「図書館法規要覧」を「表現の自由展」に展示するため、図書特殊部隊が奮闘するが、実はこれは手塚慧が図書特殊部隊を解散させるために仕組んだ陰謀だったというもの。そのため、図書特殊部隊が「図書館法規要覧」を搬入した水戸県立図書館には、メディア良化隊の大部隊が突入し激しい銃撃戦が展開されることに。
 ちなみに、図書特殊部隊の隊員は54名。日夜訓練を積んでいるからアメリカ海兵隊の特殊部隊と同じようなエリートであることはまちがいないのだろうが、その銃撃戦を見ていてバカバカしくなってくるのは、彼らがほとんど死なないこと。突入してくるメディア良化隊は何百、何千という数で、それぞれがマシンガンをぶっ放すのだから、「アラモの砦」に立てこもった孤立無援の義勇兵たちが、最後には大量のメキシコ兵に殺されてしまったように、54名の図書特殊部隊は、あの大部隊の突入の前には屁みたいなもの・・・。また、仮に図書特殊部隊の抵抗が強ければ、爆弾から戦車まで投入できる兵器は何でもあるはずだ。ところが、メディア良化隊のバカの一つ覚えのような戦術は・・・?
 さらに、大量の部隊が攻め込む間には、まるでコマーシャルタイムのようにさまざまなメロドラマを展開していくが、いくら何でもこの編集の仕方はレベルが低すぎるのでは・・・?

◆本作のクライマックスは、突入部隊の目を逃れて「図書館法規要覧」を「表現の自由展」に運び込むため、堂上と笠原が水戸県立図書館から脱出するシークエンスとなる。名作『誰が為に鐘は鳴る』(43年)は、イングリッド・バーグマン扮するマリアを脱出させるため、足を撃たれたゲイリー・クーパー扮するロバート・ジョーダンは尊い犠牲を払った。それと同じように、敵の銃弾に倒れた堂上は、「図書館法規要覧」を笠原に託して、「走れ!」と命令。しかして、笠原は射殺される寸前、マスコミのカメラのフラッシュが一斉にたかれる中、図書館内へ滑り込みセーフ。その結果「表現の自由展」は無事に開催され、多くの観客が集まったが、さてそれって一体何の意味が?そこらあたりが曖昧だから、私には本作の根本的な価値がサッパリわからない。
 さらに、この手の大衆迎合ドラマはハッピーエンドがお約束だから、あそこで死んだはずの堂上も今は元気に隊に復帰していたからアレレ・・・。その結果、堂上の死亡直前に告げられた笠原からの告白と笠原からのキスの、その後の展開は・・・?多くの若者たちはこの結末に大喜びだったが、私にはああバカバカしい・・・。
                                  2015(平成27)年11月18日記