日15-131

「起終点駅 ターミナル」
    

                      2015(平成27)年11月7日鑑賞<梅田ブルク7>

監督:篠原哲雄
原作:桜木紫乃『起終点駅 ターミナル』(小学館刊)
鷲田完治(北海道旭川の裁判官、後に国選弁護人)/佐藤浩市
椎名敦子(完治が弁護を担当した覚醒剤事件の被告人)/本田翼
大下一龍(ヤクザの二代目組長)/中村獅童
森山卓士(釧路地方裁判所に勤める新米の判事補)/和田正人
大村真一(完治の家の隣に住む老人の息子)/音尾琢真
南達三(完治が釧路で開業するのを手助けした先輩弁護士)/泉谷しげる
堂島恒彦(5歳の時に別れた完治の一人息子)/山田悠介
結城冴子(完治の学生時代の恋人)/尾野真千子
2015年・日本映画・111分
配給/東映

<原作も本作も、多くの「なぜ?」が>
 本作は桜木紫乃の同名の原作の映画化だが、原作は6作からなる短編集の表題作らしい。そして、パンフレットにある、桜木紫乃(原作)VS幾野克哉(原作編集担当)の「特別対談1」と篠原哲雄(監督)VS長谷川康夫(脚本)の「特別対談2」によると、原作は原稿用紙が100枚の中編(?)ということもあって、あまり細かい説明はされておらず、読者の解釈に委ねられる部分が多いらしい。
 弁護士の私は、本作で名優・佐藤浩市が裁判官を辞め、国選事件しかやらない弁護士・鷲田完治役を演じていることに興味を抱いて公開初日に本作を鑑賞したが、本作には至るところに「なぜ・・・?」という展開がある。要するに、原作者も篠原哲雄監督もストーリー展開の中に見る主人公たちの心理や行動について、「正解」を示してくれないわけだ。その分、観客はその「なぜ?」をいかようにも解釈できるが、実は弁護士生活丸40年という、完治以上のベテラン弁護士である私にも正解がわからないものが多い。以下、そんな点を中心としながら本作の評論を・・・。

<これだけの偶然は現実にはありえないが・・・>
 旭川地裁の刑事事件の裁判官として鷲田完治(佐藤浩市)がいつもどおり法廷に入ると、目の前に立っている覚醒剤事件の被告人は、何と学生時代の恋人だった。執行猶予付判決は誰が裁判官でも当たり前の事件だから、格別えこひいきしたわけではないが、迷った挙げ句完治は、その結城冴子(尾野真千子)が経営している小さなスナック「慕情」に立ち寄ることに。それがきっかけとなって、2人はすぐにベッドインするとともに、月に一度の逢瀬を重ねることに。ええ、そんなことってホントにあり?旭川くらいの都市でそんなことが起これば、すぐに噂が広まってしまうのでは・・・?
 そればかりか、2年間の旭川地裁の勤務から、東京高裁への転勤が決まった完治は、東京に暮らす妻子を捨てて、田舎の弁護士として冴子と2人で静かに暮らそうと決意!そして、冴子もこれに同意したはずなのに、その旅立ちの日になぜかその冴子は列車に飛び込んで自殺を!そりゃ一体なぜ?完治がそう悩むのは当然だが、遺体に駆け寄りもせずその場から逃げ去った完治は一体ナニ?その直前に冴子が言った「旭川から出て行く時は、他人同士でいましょ」の言葉に乗っかり、「われ関せず!」を決め込んだの・・・?そりゃないだろう。
 もっとも、これだけの偶然が重なるのは現実にはありえず、あくまで桜木紫乃の小説の世界だけの話。そう思いつつも、佐藤浩市と尾野真千子の熱演もあって、そんな導入部の展開にぐいぐい引きつけられていくことに・・・。

<司法試験(の合格)とそれを支えた恋人は?>
 2004年4月以降は法科大学院(ロースクール)の制度が創設されたため、「一発試験」としての司法試験の意義が薄れたが、私が合格した1972年当時、司法試験は日本一過酷な試験と言われており、現役合格は例外中の例外で3、4回で合格するのが標準だった。したがって、司法試験浪人を10年以上続ける人もいたから、そんな受験生を支える彼女は大変だった。私の周りには、そういう司法試験(の合格)を支えた彼女と無事結ばれた人もいたが、どちらかというと別れた人たちの方が多い。ちなみに、石川達三の『青春の蹉跌』では、主人公が司法試験に合格後、貧乏だった司法試験勉強中に知り合った彼女が妊娠したことを知ると、今や良家のお嬢様との婚約を控えた主人公は堕胎を迫り、それを拒否されるとその彼女を殺してしまうという人間ドラマが展開していった。
 本作導入部で描かれる、裁判官VS被告人としての完治と冴子の関係は、昭和53年にさかのぼれば、受験生・完治とそれを支える恋人・冴子の関係だったらしい。しかして、昭和54年に無事司法試験に合格した完治に、冴子がプレゼントしたのはモンブランの万年筆。ちなみに、物持ちの良い完治は、この万年筆を裁判官の時代はもちろん、25年後に国選弁護専門の弁護士になってからもずっと使っているから、えらいものだ。
 それはともかく、一方では「私、短命なんだって・・・」と言われた占い師の言葉を信じ(?)、また変に星座の巡り合わせに固執しながら、他方では学生運動に身を投じていた冴子が、万年筆と共に贈った言葉は「闘え、鷲田寛治!」というもの。私が大学時代を過ごした昭和42~46年(1967~71年)は学生運動の全盛期だったから、「闘え!」という言葉はいかにもピッタリだが、昭和53年(1978年)当時はほとんど死語になっていたはず。したがって、そんな時代にそんな言葉を贈った冴子はかなり変わった女子学生だったはずだが、なぜ彼女は完治の司法試験合格と同時に姿を消してしまったの?
 それも疑問だが、それ以上になぜ完治はそんな冴子を捜さなかったの?彼は旭川へは単身赴任で、東京には妻と4歳のかわいい男の子・恒彦がいるそうだが、本作には完治の妻の姿は一切登場しない。したがって、冴子が完治の前から消えた後、どんな経緯でその妻と結婚したのかはわからないが、ひょっとして完治にとっては冴子が消えてくれたのは、ちょうどよかったの・・・?

<国選弁護だけの弁護士と料理上手をどう読み解く?>
 弁護士増員問題が急浮上し、司法試験に合格し弁護士バッジをつけても食えない弁護士が増えるという過酷な事態の中、近時は国選弁護事件の引き受け手は多い。しかし、私が弁護士登録した当時は国選をやる弁護士は少なかった。私も登録当時は義務感としてやっていたが、一般民事事件が忙しくなると、とても国選には手が回らなくなった。しかして、あのショッキングな冴子の自殺事件から25年後の今、完治は釧路で国選事件だけをやる弁護士としてひっそり生きていたが、それは一体ナゼ?それが本作の主人公・完治を読み解く1つのテーマになる。
 ところで、あなたは北海道の名物料理「ザンギ」を知ってる?私は一昨年からある民事事件で札幌と苫小牧に何度も出張しているが、そこではじめて食べたのが「ザンギ」。これはいわば「鶏の唐揚げ」だが、一人暮らしの完治がよく作るザンギは本作のもう一人の主人公となる北海道生まれの若い女性・椎名敦子(本田翼)が「美味しい・・・お店のザンギより、なんぼか美味しいです」と言うぐらいだから、よほどおいしいらしい。男だって国選弁護だけをやる弁護士として25年間も一人暮らしを続ければ料理の腕前が上がっても不思議ではないが、自ら大きな罪を背負い、世捨て人のようにひっそり一人で生きている完治が、料理の腕前を敦子から褒められたところから、新たな物語が始まるというのも不思議なものだ。ちなみに、俳優・佐藤浩市は料理が大好きで、劇中に登場するザンギやイクラ料理等を自分で作ったそうだが、本作では「料理上手」も完治を読み解く1つの大きなテーマに。

<完治を読み解く、3人の面白い男たち>
 本作には、2014年11月10日に亡くなった名優・高倉健が演じた多くの人物と同じように、あまりにも寡黙なため、その内心がわかりにくい完治という弁護士を読み解くうえで、3人の面白い人物が登場する。
 第1は、チンピラの時の傷害事件で完治の弁護を受けたにもかかわらず実刑をくらったが、なぜか今でも完治のことを信頼している、投資会社社長とは名ばかりのヤクザの二代目組長・大下一龍(中村獅童)。完治が一人で住んでいる公営住宅を自ら高級車で訪れ、「組の顧問弁護士になってくれ」としつこく完治を誘うのは一体ナゼ?これは悪く考えれば、カネをエサに完治を顧問弁護士に据えて、何でも言うとおりに働いてもらおうという魂胆だが、どうもそうではなさそうなところがミソだ。頑として断り続ける完治に対して、「惚れた女のために裁判官を辞めることができても、ですか」との言葉は聞き捨てならないが、それに対する完治の対応は・・・?
 第2は、完治が釧路で開業するのを手助けし、離婚調停の事件も担当した先輩弁護士の南達三(泉谷しげる)。彼の登場は、弁護士を引退して函館に行くと決めたことを完治に報告するワンシーンだけだが、「ひとつやふたつよ、あの世に持ってかなきゃならんことだってあるんだ・・・人は、それを背負って生きていくんだな。」との言葉の重さと深さをじっくり味わいたい。
 第3は、きっと優秀なのだろうが、いかにも今風の軽い(軽薄?な)判事補・森山卓士(和田正人)。法廷を離れれば裁判所の建物内で語りかけるのは自由だが、完治が25年間も別れたきりになっている一人息子・堂島恒彦(山田悠介)の同級生だという森山は、恒彦の想い出話や近況をペラペラ語りかけてくるから、完治にとってはありがた迷惑・・・。もっとも、その森山の「軽さ」によって、恒彦の結婚話を聞かされたことが完治の人生の1つの転機になったから、この手の「情報屋」(?)の存在も、決して悪くはない・・・。

<弁護士は各種の誘惑にご用心!>
 弁護士は自由業だから、民事事件、刑事事件を問わず仕事を通じて知り合った依頼者とプライベートな関係になることに何の問題もない。むしろ、それを通じて依頼者層を拡大し、弁護士としての基盤を固め拡大していくことが大切だ。しかし、時としてそれが一龍のようなヤクザだったり、あるいは敦子のような年若い女性だったりすると、ややもすると変な失敗をすることも・・・。たとえば、何度も映画化、ドラマ化されている松本清張の『霧の旗』にみる女性・柳田桐子にかかると、一流の刑事弁護人であった大塚欽三弁護士も結局弁護士生命を追われてしまうことに・・・。
 弁護士生活を40年間続けてきた私にも、カネ、酒、女、バクチ等々それ相応の誘惑はあったし、とりわけバブル時代の北新地にはそんな危険がいっぱいだった。しかして、釧路の公営住宅に一人で住む完治の場合は・・・?

<不幸と孤独の権化のような若い女をどう理解・・・?>
 国選弁護人として処理したチャチな覚醒剤事件の被告人であった若い女性・敦子が、突然完治の自宅を訪れてくるのは、異例中の異例。こんな場合はきっと事件処理についてのクレームと思った完治が、敦子を家の中に入れたのは仕方ないとしても、その後の展開はいかがなもの・・・?料理好きの完治がたまたまザンギをたくさん作っていたとしても、それを狭い家の中で敦子に食べさせるのはいかがなもの・・・?また、敦子が急に完治の胸の中に倒れ込んできたときは、「すわ、色仕掛け・・・?」と心配したが、ひどい熱があるとわかって病院に連れて行ったのは緊急避難的な人道的処理としてやむをえない。しかし、その後の手厚いアフターケアはいかがなもの・・・?
 敦子が完治を訪ねてきたのは、「ある男を捜して欲しい」という依頼だったが、国選事件しかやらないと決めて釧路で弁護士を開業した完治はきっぱり「個人の依頼は受けない」と断ったのだから、それを貫けばいいだけではなかったの・・・?敦子との一連のやりとりが一龍の耳に入っていたのは意外だが、それは釧路のまちはそれほど狭いと言うことだ。完治と敦子の噂が釧路の裁判所にまで広がれば、完治は弁護士としてヤバいことになるのでは・・・?
 天真爛漫な表情や若い女性特有の健康的な肉体を見ていると、敦子が背負っている不幸と孤独はわからないが、この若い女が不幸と孤独の権化のような存在だった。私は敦子を演じた本田翼はそれまで全く知らなかったが、こんな難しい役柄に挑戦した女優・本田翼に拍手。

<終着駅?それとも始発駅?それをどう考える?>
 本作のタイトル「起終点駅」は難しい日本語で、本来は同義語であった「終着駅」から発展したもの。また、「終着点でなくても、営業列車等の集積がみられる駅を指して“ターミナル駅”という語を用いるのが一般的」らしい。終着駅をタイトルにした歌としては、私の学生時代に深夜ラジオで大ヒットしていた奥村チヨの『終着駅』(71年)が有名だし、私の高校時代に井沢八郎が歌った『あゝ上野駅』(64年)は今なお歌い継がれている名曲だ。しかし、「起終点駅」という言葉は少なくとも日本語としてはあまり定着していないと、私は思うのだが・・・。
 それはともかく、導入部にみる旭川駅での冴子の飛び込み自殺から始まる展開を見ていると、本作は冴子に対して大きな2つの罪を背負った男・完治がひたすら世捨て人として終着駅まで歩む物語に思えてくる。それが大きく変わってくるのは、突然敦子のような完治にとっては宇宙人とも新人類とも言えるような若い女性が登場し、完治のルーティーンとなっている生活を大きく揺るがしたためだが、やはりそれが人生というもの・・・。
 他方、完治の協力によって(?)、長い間会っていなかった両親は既に死亡していることがわかり、また、「捜していた男」も瀕死の状態で発見される中である踏ん切りをつけることができた敦子の、始発駅は?本作に見る完治と敦子の「別れ」のシーンはかなり爽やかなものになっているので、それに注目!

<息子との接点を契機とした主人公の始発駅は?>
 世捨て人の人生を歩んでいた主人公である完治に大きな変化をもたらしたのは、ほぼ30歳になっている一人息子・恒彦から結婚式に出席してほしいという電話がかかってきたこと。突然のそんな電話にとまどいつつ、それを頑なに断る俳優・佐藤浩市の演技力はさすがだが、お隣の家に紛れ込んでいた結婚式の招待状を式の直前に受け取ると、敦子との接点の中で次第に社会に目覚め始めていた(?)完治は・・・?あの時の電話では頑なに出席を拒んでいた完治が、ギリギリの期限で正式の招待状を読んだことによって気持ちが180度変わったのは一体なぜ?しかして、これが完治の新たな始発駅になるの・・・?
 思いついたらすぐに礼服が準備できたり、一龍の車をタクシー代わりに使えたり、たまたま都合のいい東京行きの列車があったり、本作ラストの展開はいかにもつくりもののドラマ風だが、かえってそれが本作のドラマは実は終着駅ではなく始発駅なのだということを明確にしてくれる。公開初日、朝1番の上映での観客数はわずか10名足らずだったが、久しぶりにいい邦画を鑑賞することができたと大満足!
                                  2015(平成27)年11月10日記