洋14-12

「イロイロ ぬくもりの記憶(爸媽不在家/ILO ILO)」

                                               

                  2014(平成26)年1月25日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督・脚本:陳哲藝(アンソニー・チェン)
ジャールー(共働きで多忙な両親をもつ一人っ子)/許家楽(コー・ジャールー)
テレサ(テリー)(フィリピン人のメイド)/アンジェリ・バヤニ
ジェールーの母親(運輸会社の社長秘書)/楊雁雁(ヤオ・ヤンヤン)
ジャールーの父親(家電会社の営業部長)/陳天文(チェン・ティエンウェン)
2013年・シンガポール映画・99分
配給/日活、Playtime

<このタイトルはナニ?イロイロとは?>
 本作は2013年の第66回カンヌ国際映画祭でカメラドール(新人監督賞)を、また第14回東京フィルメックスで観客賞を受賞したシンガポール映画。シンガポール生まれの陳哲藝(アンソニー・チェン)監督が、長編デビュー作として自分自身の少年時代のエピソードをベースに、シンガポール人一家とフィリピン人のメイドとの心の交流を描いた作品だ。
 ジャールー(許家楽(コー・ジャールー))の父親(陳天文(チェン・ティエンウェン))は家電会社の営業部長、母親(楊雁雁(ヤオ・ヤンヤン))は運輸会社の社長秘書として共働きをしている。わがままな一人っ子・ジャールーに手を焼いた母親の決断で、フィリピン人メイド、テレサ(アンジェリ・バヤニ)が住み込みで働くことになったが、さて、同じ部屋で寝ることになったジャールーとテレサとの折り合いは?
 本作の原題は中国語で『爸媽不在家』だが、本作の邦題は『イロイロ ぬくもりの記憶』。その「イロイロ」とは一体ナニ?これは、テレサのフィリピンの故郷の町の名前だそうだが、そんなことを知る日本人は誰もいない。したがって、多くの日本人は「イロイロなぬくもりの記憶」と理解するはずだが、実は本作の理解はそれでもほぼOK・・・?『ALWAYS 三丁目の夕日』3部作(『シネマルーム9』258頁、『シネマルーム16』285頁、『シネマルーム28』142頁参照)的な、昭和の日本のぬくもりと対比しながら、本作のぬくもりをしっかり確認したい。

<シンガポールの一般的な庶民生活に注目!>
 本作はアンソニー・チェン監督の子供時代の体験に基づくものだが、そのテーマは少年とフィリピン人メイドとの心の交流。その時代は1997年のアジア通貨危機の真っ只中だから、この家族は「父親の失業」という深刻な事態に襲われることになる。
 パンフレットにある松下由美(映像製作・キュレーター・司会・通訳)の「Essay 『文化不毛の地』というレッテルを軽やかに覆した『イロイロ』の成功」によれば、2015年に建国50周年を迎えるシンガポールは、国土は東京23区ほど、人口約540万人のうち外国人が約200万人を占める都市国家らしい。そして、シンガポールの象徴的日常は、公共住宅、共働きの夫婦、住み込みの外国人メイド、中華・マレー・インドなどの異人種共存、複数の言語を随時使い分け等がキーワードになる。さらに、本作ではシンガポールで話されている独自な特徴のある英語の通称で、シンガポール国民が日常生活で話している英語“シングリッシュ”にも注目したい。
 本作のラストは、父親の失業のためにお金の余裕のなくなった父親と母親がテレサをフィリピンに帰国させるシーンになるが、テレサが雇われてから去っていくまでのこの家族の「ぬくもりの記憶」に注目するとともに、戦後の日本人のそれとしっかり対比、検討したい。

<ホームドラマその1 少年と父母の交流は?>
 本作は、ハリウッドや中国の超大作映画とは正反対にある、身近なホームドラマ。しかも、一人っ子ジャールーの視線を軸として描かれる。私の目から見てもジャールーはわがまま放題のヤンチャ坊主だから、共働きで忙しい母親がその世話に手を焼き、メイドを雇おうとした気持は理解できる。
 他方、昭和の高度経済成長期の日本の男たちが懸命に働いていたのと同じように、ジャールーの父親も懸命に働いているが、妻も同じように外で働いているだけに、自分がクビにされたことは妻に言えないらしい。さらに、禁煙を約束しているため、家の外で隠れてタバコを吸わなければならないのは、シンガポールでは日本以上に男女平等、男女共働きの思想が貫徹しているためだろう。そもそも、一人っ子自体に問題があるうえ、本作にみるジャールーと父母との交流を見ていると、その問題点がよくわかる。
 しかして、そんな問題点は1人のフィリピン人メイドの登場によって解決できるの・・・?

<ホームドラマその2 少年とメイドの交流は?>
 わがまま放題に育ってきたジャールーにとって、他人、しかもいくらメイドとはいえ異国の女性と同じ部屋で眠ることは絶対嫌なはず。したがって、スクリーン上にはテレサ登場後のジャールーとテレサとのバトルシーンが次々と登場する。本作が面白いのは、それでもそんな2人が少しずつ心を通わせ、次第にジャールーにとってテレサが母親以上に身近な存在になっていくことだ。そんな風に描かれる本作のシーンは、すべてアンソニー・チェン監督が体験したものだから、説得力があるのも当然だ。
 テレサがジャールーのためにする日常の仕事は、①ランドセルを背負っての学校への送り迎え、②料理作り、③体洗い、等々だが、メイドがからかわれたことに反撃して、同級生を怪我させるというハプニングが発生すると、そこでのテレサの役割は・・・?さらに、全校生徒の前で体罰を受けたジャールーのお尻の傷に薬を塗ってやるのもテレサの役割らしい。しかし、本来それは母親の役割では・・・?
 そんな風にジャールーとテレサとの心の交流が深まる中、母親はそれをどのように見つめているの?そう考えると、ひょっとしてテレサをクビにしたのは、経済的事情だけではなく、母親のテレサに対する一種の嫉妬心もあったのかも・・・。アンソニー・チェン監督の視線で描く、ジャールーとテレサとの心の交流をしっかり確認したい。
                                  2014(平成26)年1月28日記