洋15-128

「マルガリータで乾杯を!」
    

                  2015(平成27)年11月3日鑑賞<シネ・リーブル梅田>

監督・脚本:ショナリ・ボース
ライラ(障害を持つ19歳の女子学生)/カルキ・ケクラン
シュバンギニ(ライラの母)/レーヴァティ
ハヌム(ニューヨークの大学に通う目の不自由なパキスタン人の女子学生)/サヤーニー・グプター
ジャレッド(ニューヨーク大学でライラと肉体関係をもつ男性)/ウィリアム・モーズリー
ドゥルヴ(ライラの親友)/フセイン・ダラール
ニマ(ライラの片想いの同級生、バンドのボーカル)/テンジン・ダラ
バルラージ(ライラの父)/クルジート・シン
モヌ(ライラの弟)/マルハール・クシュー
2014年・インド映画・100分
配給/彩プロ

<インド映画に「少女の性典」が誕生!そのテーマは?>
 近時の日本では、歌と踊りのオンパレードではないインド映画が大ヒット。そこで、『シネマルーム33』では、「インド人女性はどんな生き方を?」と題して『マダム・イン・ニューヨーク』(12年)(38頁参照)と『めぐり逢わせのお弁当』(13年)(45頁参照)を、『シネマルーム35』では、「インド映画にもこんなミステリーの名作が!」と題して『チェイス!』(13年)(120頁参照)と『女神は二度微笑む』(12年)(127頁参照)を収録した。そんなインド映画に、新鋭の女性監督ショナリ・ボースによる身体障害をもつ19歳のヒロイン、ライラ(カルキ・ケクラン)の、男の目から見ればかなり赤裸々な「性典」ともいうべき映画が加わった。
 障害者を主人公としたうえ、そのテーマを障害者の視点からの恋愛と性まで掘り下げ、さらに(インドの)デリー大学から(アメリカの)ニューヨーク大学に留学した中で知り合った、パキスタン人の女性ハヌム(サヤーニー・グプター)との「禁断の同性愛」にまでテーマを拡大。
 新聞記事に見るショナリ・ボース監督の言葉によれば、「脚本を書き始めて1年後、ライラを両性愛の設定にしたとたん、製作資金の半分を失った」そうだが、「障害者として差別されてきたライラが、同性愛を差別する側の視点を知ることは重要」と設定を変えなかったらしい。また、本国での公開は大成功だったが、「でも欧米では、『障害者で同性愛という設定は盛りだくさん』と冷たい反応でした。外国では日本が一番先に作品を買ってくれて、アジア各国でも公開が決まった。欧米の人にそう伝えると驚かれるんです。アジアへの偏見ですよね、まったく」とも語っているから、その方面では日本は意外と進歩的・・・?

<ライラの舞台は、デリーからニューヨークへ!>
 音楽の大好きなライラは大学の同級生たちが組むバンド活動に加わっていたが、ボーカルのニマ(テンジン・ダラ)に自作の詩を見せると、「君の歌詞は天才だよ!」と言われ有頂天に。現に、コンテストではライラが作詞しニマが歌った曲で見事優勝したが、その表彰式で司会者から優勝できた理由を聞かされると、俄然落ち込むことに・・・。他方、ライラの恋のお相手は「僕の花嫁は君だ」と言ってくれる障害者のドゥルヴ(フセイン・ダラール)だったが、急にニマにのぼせてしまったライラはニマに急接近。しかし、ニマにその気がないことがわかると、その方面でもライラは俄然落ち込むことに・・・。
 『マダム・イン・ニューヨーク』では、子持ちの母親が一足先にニューヨークに旅立ち、苦手だった英会話を学ぶため英会話教室に通い始める姿が新鮮だったが、本作では母親シュバンギニ(レーヴァティ)の応援もあって、障害者のライラがデリー大学からニューヨーク大学に留学することに。さらに、当初は父親バルラージ(クルジート・シン)をインドに残し、母親との2人暮らしで始めたニューヨーク生活も、盲目ながら前向きに明るく生きているパキスタン人の女性ハヌムと知り合い、意気投合すると、ライラは母親の元を離れ、女2人の同居生活を始めることに。そこでは、勉強以外に夜のクラブや酒、ダンス等々の刺激的な世界が開けていたから、「次は男」と行きそうなものだったが、意外にも意外。ライラとハヌムは禁断の世界に・・・。

<同性愛のカミングアウトは大変!>
 大阪弁護士会では男性弁護士2人が同性愛者として同居生活(結婚生活?)をしていることがカミングアウトされて話題を呼んだが、ハヌムは自分が同性愛者であることを母親に告げると、ボロクソに言われたうえひっぱたかれたらしい。それを聞いたライラが、自分も同じ同性愛者であることを母親に告げることをためらったのは当然だ。
 その母親は、障害者のライラの将来を何よりも大切に考え、留学に反対する父親を説得してまで、更に自分がガンであることを隠してまで、ライラの留学とそこから開けるであろうライラの未来に期待していたが、第2ステージの結腸ガンのため、遂にインドで入院することに。ちなみに、私は今年9月に直腸ガンの手術を受け第2ステージだと言われたが、幸い転移はなかったため手術後の回復は順調。しかし、インドではステージ2の結腸ガンで、あんな悲しい結末になるの・・・?
 ライラの告白を聞いた母親の表情は本作最大の見どころだが、そこでのセリフは「気持ち悪い」のひとこと。さて、あなたがライラの母親なら、ライラの告白をどう受け止める?

<アレレ、同性愛者なのに男とも・・・?>
 本作でショナリ・ボース監督は、ライラとハヌム、そしてライラの母親シュバンギニの3人の女性を軸として、「障害者の性」というこれまでタブーとされていたテーマに切り込んでいるが、女性監督だけにその視点と分析は鋭い。というより生々しい。他方、本作には①ライラの当初の障害者の恋人ドゥルヴ、②ライラが急に恋して、フラれてしまうボーカルの男性ニマの2人がインドで登場するが、ニューヨークではさらにライラのタイプ打ちや介護を手伝う男性ジャレッド(ウィリアム・モーズリー)が登場する。そのジャレッドが同級生の女の子とすぐにキスする姿を見て、ライラは「あれは彼女?」と質問したが、それは単にインドとアメリカの習慣の違いだったらしい。したがって、その後ライラとジャレッドの関係はビジネスライクに進んでいた(?)が、ある日トイレでのライラの処理をジャレッドが手伝ったことを契機として2人は何と男と女の関係に。アレレ、ライラは同性愛者じゃなかったの・・・?
 さらに、これをライラがハヌムに告白したことによって、ライラとハヌムの間に大きなすきま風が吹き始めたことは当然だが、そこから展開される女同士の修羅場的展開は私にはちょっと生々しすぎる。ちなみに、「読んで♪観て♪」というブログの2015年10月17日の記事には、「ライラがハヌムに『男と浮気したこと』を責められ、『(トイレを手伝ってもらって)私のアソコをみた彼が興奮した』というのにはちょっとなんでも・・・トイレの介助で欲情するなんて、むしろ変態野郎ですよね」と書かれていたが、まさにそのとおりだ。ショナリ・ボース監督の女性的視点ではそこまで見抜けなかったのかもしれないが、私としては、本作に見るここからの展開は大いに疑問あり、と言わざるをえない。

<英題と対比すれば、邦題に異議あり!>
 本作はトロント国際映画祭で2014NETPAC賞(最優秀アジア映画賞)を受賞した他、ライラを演じたカルキ・ケクランが第17回タリン・ブラックナイト映画祭で主演女優賞を受賞していることからもわかるとおり、その演技はすばらしい。しかし、私の目にはハヌムを演じたサヤーニー・グプターが強く印象に残っている。ちなみに、中国人女優では、『始皇帝暗殺』(98年)で盲目の少女役を演じた周迅(ジョウ・シュン)が強烈に印象に残った(『シネマルーム5』127頁参照)が、本作のサヤーニー・グプターはそれと同じように、美人度の点においても、また生き方の点においても印象は強烈だった。
 盲目という障害を抱えてニューヨーク大学での留学生活を送るだけでも大変なのに、春休みにはライラと一緒にインドを訪問するべく、ビザをとる姿勢にも大きく共感。もっとも、インドでライラの家族と仲よく過ごしている中、ライラからジャレッドとの「性行為」を聞かされると、このハヌムがとたんに普通の嫉妬深い女に変身していくラストへの展開は、アレレ・・・。
 母親と死別したライラがニューヨークに戻らずインドでの生活を決意したことによって、ライラはインドでの新たな生活をスタートさせることになる。そこで、本作のラストは英題のとおり『Margarita,With A Straw』となるのだが、なぜか邦題は『マルガリータで乾杯を!』。マルガリータとはテキーラのジュース割りのことで、ニューヨークでハヌムから勧められてライラがはじめて挑戦するお酒だが、ライラがそれをストローで飲んでいるのが印象的だった。しかして、ニューヨークには戻らずハヌムと別れてインドで生きていく決意をしたライラが今飲んでいるのがマルガリータだが、本作はそれで誰かと乾杯するのではなく、ライラが一人それをストローですするシーンで終わる。この余韻を残した終わり方をタイトルで表現するについては、『マルガリータで乾杯を!』という邦題に異議あり。やはり、英題の『Margarita,With A Straw』でないとダメなのでは・・・。
                                  2015(平成27)年11月6日記