日15-127

「3泊4日、5時の鐘」
    

                      2015(平成27)年11月1日鑑賞<シネ・ヌーヴォ>

監督・脚本:三澤拓哉
エグゼクティブプロデューサー:杉野希妃
アシスタントプロデューサー:福島珠理、加藤芽生、夏都愛未、中崎敏
花梨(真紀の会社の後輩)/小篠恵奈
真紀(花梨の会社の先輩)/杉野希妃
理沙(茅ヶ崎館の長女、花梨と真紀の元同僚)/堀夏子
知春(茅ヶ崎館でバイトする大学生)/中崎敏
宏太(理沙の弟)/栁俊太郎
彩子(知春を密かに思う大学生)/福島珠理
近藤(大学教授)/二階堂智
2014年・日本・タイ映画・89分
配給/和エンタテインメント・オムロ

<交通事故を乗り越え、見事に復活!>
 『シネマルーム35』では、「新人監督賞、杉野希妃2作」と題して、『欲動(TAKSU)』(14年)(193頁参照)と『禁忌(sala)』(14年)(198頁参照)の2作を収録したが、女優兼プロデューサーとしての杉野希妃の近時の活躍ぶりはすごい。しかし、「好事魔多し」のことわざのとおり、2015年の第10回おおさかシネマフェスティバルで新人監督賞の受賞が決まり、3月1日の授賞式への出席を予定していた彼女は、今年1月のロッテルダム国際映画祭での舞台あいさつ後、思いもがけない交通事故にあい、両足骨折という重傷を負うことに。新聞記事によると、入院中「最悪の事態も覚悟した」そうだ。しかし、オランダと日本で計7度手術を受け、1年間は動けないと言われたにもかかわらず、故郷・広島の病院での治療とリハビリのおかげで、歩けるようになったそうだ。そんな彼女は、「人はもろいが強い。心身ともに再生能力がすごくて」、「今、生き直している感覚なんです」と語っているから、すごい。
 私事ながら、実は私も今年8月中旬に直腸ガンが発見され、9月中旬から2週間余り入院し摘出手術を受けた。幸い転移もなく順調に回復しているが、食事に気をつけフィットネスでの運動を続ける中、「ひょっとして俺は100歳まで生きるのでは?」と思っていた矢先のハプニングだった。もちろん、これは66年間生きて来た私の人生の最大の危機。それを乗り越える中で私自身の死生観も多少修正されたが、彼女も「人前に出られなくなるかもしれない。それでも私は光を探していくと思う。誰もが死とは隣り合わせ。だからやりたいことをやらなきゃ」と考えたらしい。しかして、今は製作を延期していた、故郷で撮影する新作『雪女』を準備中だが、そこでは「今回の経験で感じた死生観を織り込みます」との意欲をみせているから楽しみだ。本作に見る杉野希妃の人間観察力は相変わらずだが、「事故を乗り越えた末の死生観」という新たな視点が加われば、彼女の人間観察力は更にスケールアップするはずだから、大いにそれを期待したい。

<杉野希妃の下には、若い才能が次々と!その1>
 杉野希妃と深田晃司監督は『ほとりの朔子』(13年)では「二階堂ふみ」というビッグネームを起用した(『シネマルーム32』115頁参照)。しかし、製作費を安く上げるためにも、可能な限り無名で芸達者な俳優を集めるのが杉野希妃流のやり方だ。慶応大学在学中に留学先の韓国で女優デビューしたことからはじまる杉野希妃の活躍ぶりは今や有名だが、本作を脚本・監督した27歳の三澤拓哉監督や、本作で新人女優兼アシスタントプロデューサーとしてデビューした福島珠理は、その杉野の才能に惹かれて結集した若き才能らしい。
 本作のパンフレットには、映画評論家で日本映画大学の学長を務める佐藤忠男氏の「生き生きした感情の流れ」というコラムがある。そこでは、日本映画大学の学生である三澤拓哉が、大学の講師として来た杉野にお願いをして製作スタッフに入れてもらい、さまざまな共同作業を続ける中で本作の脚本と監督に抜擢されたことが記されている。「この作品の撮影と、その後の世界各地への映画祭への招待旅行などで、しばらく授業は休んだので卒業は一年延びた」そうだが、その留年は遊び呆けての留年とは大違いだから、大いに価値がある。

<杉野希妃の下には、若い才能が次々と!その2>
 他方、本作のパンフレットにある、福島珠理の「私と彩子のChigasaki Story」も面白い。それを読めば、宝塚歌劇の受験に失敗して一般の女子大に進学し、民間企業への就職が内定していた彼女が、杉野に惹かれて本作のオーディションを受けたことによって本作の彩子役に抜擢されたこと、さらにアシスタントプロデューサーを兼ねることでその責任が倍になったこと等が、彼女の生の言葉で語られている。杉野との出会いが人生のターニングポイントになったわけだ。そんな彼女は今、内定を辞退して東京藝術大学大学院映像研究科修士課程映画専攻に入学し、プロデュースの勉強をしているらしい。そして、来年の夏は自分のやりたい役を作り、プロデュースしたい・・・と企画を構想中であるというから、こちらもすごい。
 本作で杉野希妃演じる真紀と火花を散らすのは、会社の後輩の花梨(小篠恵奈)と元同僚で結婚式を控えている茅ヶ崎館の長女・理沙(堀夏子)だが、小篠恵奈も堀夏子も『ほとりの朔子』に脇役で出演していた女優。ちなみに『欲動(TAKSU)』で大きな存在感を見せていた美人女優・三津谷葉子も本作に登場しているが、彼女は今回は7人のメインキャストにはなっていない。このように、私が才女と認め、個人的にも少し親交をもっている杉野の下には、今や若い才能が次々と!

<北京電影学院の大ホールでの三澤拓哉監督は?>
 本作のパンフレットには、本作の脚本を書き監督した1987年生まれの三澤拓哉監督の「出会いの場から再会の場へ~映画祭をまわって~」というコラムがある。それによると、本作は8つの映画祭に招待され、彼はそのうち5つに出席したそうだ。そして、映画祭での観客とのやりとりは毎回、刺激的で発見のあるものだが、その中でも特に北京国際映画祭でのQ&Aが興味深かったらしい。
 本作は、北京国際映画祭の注目未来部門という、新人監督によるコンペティション部門に招待され、北京電影学院内にある800人収容の大ホールで上映された。そして、上映後のQ&Aの時間になると、映画制作者を目指す学生たちから、かなりつっこんだ質問や意見が投げかけられたらしい。そして結果的に本作は同映画祭で脚本賞を受賞したというからすばらしい。

<私と北京電影学院、4つの深い縁!>
 かくいう私も、実は北京電影学院とはかなり密接な縁がある。第1は2007年10月10日に、北京電影学院の美術学部の学生約40名を前に『坂和的中国電影論』というテーマで講演をしたこと。第2は、その時お世話をしていただいた劉旭光教授の娘さんである劉茜懿氏がその後早稲田大学に留学し、卒業後は映画監督の道に進んだこともあって、劉旭光教授たち御一行様が2014年7月30日に来阪した時、私の事務所と自宅で大歓迎会をやったこと。第3は、その席で私を主席スポンサーとする北京電影学院学生総合映画製作作業新視覚賞の創設が決まり、2015年6月29日には現実に北京电影学院“实验电影”学院奖获奖影片放映暨頒奖典礼が北京電影学院内の某ホールで開催されたこと。私はその北京电影学院“实验电影”学院奖获奖影片放映暨頒奖典礼に评审委员会主席として出席して、大役をこなすとともに、2日間にわたる夜の宴会で大歓迎を受けた。第4は劉茜懿氏が監督する『鑑真を尋ねよ』に2014年9月に500万円を出資し、現在その製作が進んでいることだ。
 北京電影学院での教授たちとのやりとりはもちろん、学生たちとのやりとりは私にとっても大きな刺激であっただけに、若き三澤監督が北京電影学院でそんな体験をし、そんな中で北京国際映画祭注目未来部門最優秀脚本賞を受賞したことは彼にとって大きな財産になるはずだ。日本で活躍している若き才能、劉茜懿監督と同じように、三澤監督には今後も国際的な活躍を続け、広げてもらいたいものだ。

<4人の女、3人の男たちの「絡み」をしっかりと!>
 本作は巨匠・小津安二郎監督が『東京物語』(53年)等の脚本を書くために長期滞在したという茅ヶ崎館を舞台とした青春群像劇。しかし、私が中学生時代に読み、日活映画でたくさん観た、石坂洋次郎原作の『青い山脈』『若い人』『あいつと私』『陽のあたる坂道』等々の青春群像劇とは大きく違って、杉野希妃流のいかにも女らしい人間観察眼が随所に光り、かなり皮肉っぽい青春群像劇になっている。
 かつて、バブルが始まる1986年には明石家さんまが主演した『男女7人夏物語』が大ヒットしたが、それと同じように本作の主要キャストは女4人、男3人の計7人だ。ここではその詳しい説明はしないが、導入部では理沙とその弟の宏太(栁俊太郎)の実家である茅ヶ崎館にやってきた、同じ会社に勤める先輩の真紀と後輩の花梨との女同志のバトルが面白い。2人は寿退社した先輩・理沙がここで行う結婚披露パーティーに出席するために観光を兼ねてやってきたわけだが、元々これだけタイプが合わない先輩、後輩だったら、旅館代をケチらず、最初から別室にした方が良かったのでは・・・?
 他方、真紀と花梨より先に茅ヶ崎館に到着したのは、近藤(二階堂智)を指導教授とする考古学ゼミのゼミ合宿に参加する彩子(福島珠理)をゼミ長とするたくさんの学生たち。たまたまゼミ生の一人である知春(中崎敏)が茅ヶ崎館でバイトをしていたため、知春は仕事とゼミの掛け持ちだが、そんな知春は、「男の1人でもひっかけなきゃ」と公言する花梨からさまざまなアプローチ(ちょっかい?)を受けたから、うぶな知春は右往左往することに・・・。しかも、彩子はもともと知春に対して好意を抱いていたから、たちまちその三角関係(?)をめぐって冷たい戦争が勃発・・・?


<大学教授は教育と研究に専念を!>
 今年9月には司法試験制度をめぐって日本国中に衝撃が走った。それは、司法試験の考査委員である明治大学法科大学院で憲法を教える青柳幸一教授が、教え子の女性に試験の問題を漏洩したこと。この2人が「親密な関係」にあったことは明らかだが、茅ヶ崎館で偶然出くわした真紀が近藤教授のゼミの第1期生のゼミ長であり、しかも「親密な関係」(不適切な関係)にあったとは!
 茅ヶ崎館に到着したとたん、花梨の奔放な行動にイライラし通しで、ヒステリー的爆発を見せていた真紀も、8年ぶりの近藤教授との再会によって急に浮き浮きし始めたから女ゴコロはわからない。今や花梨など目じゃないとばかりに放ったらかし、自らゼミ活動に参加し、遺跡の発掘作業にも汗を流し始めたからアレレ・・・。他方、ゼミ合宿ともなれば、昼間だけではなく夜の食事はもちろん、花火に卓球、その他のイベントもあれば、酒を飲む機会も多い。さらに、2人だけでゆっくり語り合う時間も・・・。今ドキの学生は異性に対して自分から積極的に行動を起こすのは苦手なくせに、その手の雰囲気には敏感だから、真紀と近藤教授との親密な雰囲気は宿泊者全員に伝播したはずだ。
 そんな中、いかにも杉野希妃流のあっと驚く大事件が起き、女同士のものすごい対決シーンが登場するのでそれに注目!本作のパンフレットには、五所純子氏(文筆家)の「古い器、原状回復、擬制の音」というクソ難しいコラムがある。そのコラムでは、そのシーンについて①「もうひとつ鮮やかなのは、真紀と理沙の関係だ。恋愛に憧れながら窃視者の機能にとどめられる真紀、すべての登場人物を把握する唯一の人である理沙」、②「白いシャツと赤いワンピースの間に置かれたのが赤ワインだった瞬間に、ふたりの力関係は決まった。」、③「赤い布に赤い液体が浴びせられたところで、痛くも痒くない。意外なしぶとさを見せた女は破片たちを寄せ集めた新婦、隠れた狂言回しだったと驚かされる。」、④「それに比べて、白い布に浮かび上がった赤い液体は、見るからに派手な傷である。ここに災難がいるのだと、みずから大声で触れ回っているみたいだ。」と書かれている。その意味するものについては、あなた自身の目でしっかりと!
 それにしても、こんな青春群像劇でこんな修羅場がハイライトになるのは、ゼミを主催する近藤教授が教育と研究に専念せず、毎年のように(?)ゼミ生の誰かにちょっかいを出しているため。やはり大学教授は教育と研究に専念を!

<湘南の海の魅力もしっかりと!>
 私は司法試験に合格した直後に、一度だけ古都鎌倉を訪れたことがあり、湘南海岸も見学した。湘南、茅ヶ崎といえば、私たち世代は桑田佳祐、サザンオールスターズ、サーフィンと結びつけてしまうが、一昔前の世代は巨匠・小津安二郎監督らしい。三澤監督がここを舞台として選んだ理由の1つは、彼自身が茅ヶ崎の出身で、茅ヶ崎に詳しかったためだが、さて彼は小津安二郎監督のことをどれ位勉強しているの?本作導入部では、バイト従業員である知春が真紀と花梨に語る茅ヶ崎館の沿革の中で、小津安二郎監督のことが詳しく語られるので、それに注目!
 私の出身地である松山市には、電車で約30分のところに梅津寺という海水浴場があり、小学生や中高生の頃はそこによく海水浴に行っていた。そのため、そこには茅ヶ崎のようなサーフィンはなかったが、海水浴場の雰囲気はよく知っている。本作のタイトルになっている、『3泊4日、5時の鐘』のうち、「3泊4日」は真紀や花梨の、そしてまたゼミ合宿の学生たちの日程だが、さて5時の鐘とは?本作は明確に1日目、2日目、3日目と日にちを指定して描いていないが、夕方になると茅ヶ崎の海水浴場にはその日の営業の終了を示す鐘が鳴り、あるメロディが流れるのが印象的。本作の撮影監督はベテランが務めているが、それが三澤監督の演出とうまくマッチして、とりわけ海水浴場の夕刻のシーンの映し方が美しく、雰囲気がある。本作は1時間29分と比較的短いが、男女7人の青春群像劇の面白さの中にあっと驚く刺激的な物語があるうえ、とりわけ5時の鐘が鳴る頃の美しい茅ヶ崎の風景もタップリ楽しむことができるので、その魅力もタップリと!

<ラストシーンをどう読み解く?これはすべて欺瞞?>
 ニューヨークで生きるイタリア・マフィアたちの世界を描いて大ヒットした、フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』(72年)では、血で血を争う欲望の世界や凄惨な殺し合いの世界がリアルだった。しかし、他方でマーロン・ブランド扮するヴィトー・コルレオーネの屋敷で行われた末娘コニーの結婚式に、ファミリーが集まるシーンは、全員が幸せいっぱいで、固い「家族の絆」を確信している姿が印象的だった。それと同じように(?)本作でも、ラストはちょっと風変わりな新郎(?)が茅ヶ崎館に戻り、湘南海岸を望むステージを囲んで、家族や親しい友人が集まる結婚披露パーティーのシーンとなる。
 その規模が、ヴィトー・コルレオーネ家のそれに遠く及ばないのは財力と権力の点において仕方ないが、それ以上に気がかりなのは、参加者たちの結婚を祝う気持ちの程度と、結婚披露パーティーへの集中の程度。この日のために準備したハワイアンの踊りや、多分誰もあまり聞いていないであろうオペラのアリアのような歌はそれなりのスケジュールの中でこなされていったが、わざわざこのために茅ヶ崎館まで3泊4日の宿泊つきでやってきた新婦の友人である真紀も花梨も何となく手持無沙汰の様子だ。ゼミの学生たちや何かとお騒がせな近藤教授たちは結婚披露パーティーには出席せず、一足先に茅ヶ崎館を後にしたが、新郎と並んで幸せそうに座っている新婦の理沙の心に今、行き来するものは一体ナニ?また、ダンスタイムとなった今、互いにパートナーが見つからずアブれてしまった真紀と花梨は、女同士で腕をからませながら踊り始めたが、さてこの女たちの心境は?
 前述した五所純子氏のコラムでは、①「7つの破片の組み合わせが音を立てて崩れていくかのように見えて、いよいよ結末では、冒頭に提示されたとおりの関係に戻っている。エンディングの人物たちが擬いものに見えたのはそのせいだ。」、②「彼ら彼女たちは、みずから露呈した破錠を忘れたかのように、元あった自分たちに擬態して終わるのだ。」と書かれているが、さてその意味は?それはあなた自身の目でしっかりと!
                                  2015(平成27)年11月5日記