洋15-124

「ジョン・ウィック」
    

              2015(平成27)年10月25日鑑賞<TOHOシネマズ西宮OS>

監督:チャド・スタエルスキ
ジョン・ウィック(伝説の殺し屋)/キアヌ・リーブス
マーカス(ジョンの旧友、凄腕暗殺者)/ウィレム・デフォー
オーレリオ(カタギの車修理店主)/ジョン・レグイザモ
ウィンストン(裏社会の影の帝王)/イアン・マクシェーン
ヴィゴ・タラソフ(ロシアンマフィアのボス)/ミカエル・ニクヴィスト
ヨセフ・タラソフ(ヴィゴの息子)/アルフィー・アレン
ミス・パーキンス(女性殺し屋)/エイドリアンヌ・パリッキ
ヘレン(病に倒れたジョンの愛妻)/ブリジット・モイナハン
アヴィ(マフィアの敏腕弁護士)/ディーン・ウィンタース
チャーリー(殺し屋対応専門の裏掃除屋)/デヴィッド・パトリック・ケリー
フランシス(クラブ“レッド・サークル”のセキュリティ)/ケヴィン・ナッシュ
2014年・アメリカ映画・101分
配給/ポニーキャニオン

<俳優キアヌ・リーブスのメイン・イメージは?>
 キアヌ・リーブスの代表作は何と言っても『マトリックス』シリーズ(99年、03年)。私は同作をあまり好きではないが、『マットリックス』シリーズ以外で私が観た、『ディアボロス/悪魔の扉』(97年)での弁護士役、『コンスタンティン』(05年)(『シネマルーム7』42頁参照)での魔術師役、『イルマーレ』(06年)(『シネマルーム12』96頁参照)での建築家役、『50歳の恋愛白書』(09年)(『シネマルーム24』130頁参照)での35歳のダメ男役、『47RONIN』(13年)(『シネマルーム32』246頁参照)での浪人役など、彼が幅広い役柄をこなす俳優であることがよくわかる。
 しかし、一般的には『マトリクッス』シリーズが大人気だから、彼には「ハリウッドを代表するアクションスター!」のイメージがつきまとっている。そんな認識の下(?)、キアヌ・リーブスを主役とし、彼のキャラクラーと彼のアクションの魅力だけで一本の映画をつくるべく、『マトリックス』のキャストとスタッフが再び結集して作ったのが本作だ。

<キアヌ・リーブスが「伝説の殺し屋」として完全復活!>
 キアヌ・リーブスは1964年生まれだから既に50歳を超えたが、本作に見るひげを伸ばした顔立ちと、鍛え上げられた肉体は精悍そのものだ。そんな映画には複雑なストーリーは不要。かつて「伝説の殺し屋」と恐れられたジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)も今は引退し一人静かな生活を送っていたが、ある日ロシアンマフィアのボス、ヴィゴ・タラソフ(ミカエル・ニクヴィスト)のバカ息子ヨセフ・タラソフ(アルフィー・アレン)がジョンの愛車である69年式フォード・マスタングを強奪するとともに、ジョンが亡き妻からプレゼントされた愛犬デイジーを殺してしまうと、俄然ジョンは完全復活!
 いくら伝説の殺し屋でも、一匹狼としてヴィゴが支配するマフィアの組織に挑み、ヨセフへの復讐を遂げるのは至難の業と思えるのだが、それを完遂しなければジョンの完全復活はなし!さあ、そんな本作に見るノンストップ・キリングアクションに注目!

<動機の物語は少し単純すぎ?>
 本作冒頭部では、瀕死の重傷を負ったジョンが車の中から這い出してくる姿が「紹介」されるが、その後は大きなお屋敷に一人で住み、69年式フォード・マスタングを操りながら規則正しい生活を送るジョンの姿が描かれる。もっとも、この男の愛車の操り方は尋常ではないし、終始孤独で無口、そして完全に社会と遮断された生き方を貫いているようだから、この男は一体何者・・・?
 そんなジョンがガソリンスタンドで給油している時、同じくスタンドにやってきたのが取り巻きに囲まれたヨセフだ。ジョンの愛車を一目で気に入ったヨセフは、いきなり「おっさん、この車を譲ってくれ」だから、礼儀作法をわきまえない、虎の威を借るバカ息子であることは明らかだが、それに対するジョンの対応もイマイチ・・・。これで頭にきたヨセフはある夜自宅で眠っているジョンを襲い、愛犬デイジーを殺したうえ愛車を奪って逃亡。これが本作のメインストーリーとなるジョンの復讐劇の動機の物語だが、これはちょっと単純すぎるのでは?
 しかも、この導入部で目立つのは、いかに伝説の殺し屋でも一人で眠っている家を襲われたらどうしようもないという現実だ。以降、復讐の鬼と化したジョンが単身でヴィゴの組織に挑み、ヨセフを血祭りにあげるべく伝説の殺し屋ぶりを発揮するストーリーが展開していくことになる。しかし、導入部でのジョンの「弱さ」が目に焼き付いているためか、ヴィゴがジョンを恐れれば恐れるほど、ヴィゴの組織力をもってすれば一人で動いているジョンを暗殺するくらいのことは容易なのでは?そんな現実的な考えが浮かんでくるから、そんな視点からも、復讐劇の動機となる物語は少し単純すぎるのでは?

<暗黒街で生きる殺し屋コミュニティーに注目!>
 ロバート・ロドリゲス&フランク・ミラー監督の『シン・シティ』(05年)(『シネマルーム9』340頁参照)、『シン・シティ 復讐の女神』(14年)(『シネマルーム35』115頁参照)は面白い、ハードボイルドタッチの劇画劇だった。その主人公は個性豊かな3人の中年男だが、そのシン・シティ(犯罪の街)という架空の街には、貧民街や娼婦街などそれぞれの別個の世界が存在していた。それと同じように、本作でもジョンが一人静かに生きている現実の世界や、ロシアンマフィアが活躍するヤクザの世界とは別に、「暗黒街で生きる殺し屋コミュニティー」が登場するので、それに注目!
 ヴィゴがヨセフを烈火の如く怒ったのは、バカ息子が他人の車を強奪したことではなく、その相手がこともあろうに伝説の殺し屋ジョンだったこと。日本でもいったん親分子分の盃を交わしてヤクザの世界に入ったら、足を洗うのは至難のワザだが、それはロシアンマフィアの世界でも同じ。したがって、ヴィゴの下で伝説の殺し屋として大活躍していたジョンが、妻の死をきっかけに殺し屋稼業から足を洗うについては、かなりの犠牲を払ったらしい。ヴィゴが恐れたのは、こともあろうにそんな男にそんな仕打ちをすれば、ジョンは伝説の殺し屋として完全復活するのではないか、ということだ。したがって、バカ息子からの報告を聞いたヴィゴが直接ジョンに電話をかけ、下手に出る姿を見ているとその姿勢に納得できるだけに、ここでもジョンの対応はいかがなもの・・・?弁護士の私の目から見れば、ここでもジョンに何らかの対応(和解案)があってもいいのではないかと思うのだが・・・。
 しかして、ヴィゴがジョンの自宅に送り込んだ襲撃部隊に対するジョンの対応は、導入部に見た弱さとは全く異質のものすごさだから、それに注目!そして、襲撃部隊を見事返り討ちにしたジョンが依頼したのが、「暗黒街で生きる殺し屋コミュニティー」の清掃作業だ。さすが、昔とった杵柄。伝説の殺し屋として復活したジョンの頼みとあれば何でもOKらしいが、ホントにこんなコミュニティーってあるの・・・?

<本作最大の見モノは、超絶ガン・フー!>
 本作のオフィシャルサイトには、ギンティ小林氏(男の墓場プロ所属ライター)の「ガン・フーの系譜」という面白いコラムがある。それによると、最初に「ガン・フー」スタイルを提示したのは、『男たちの挽歌』(86年)からはじまるジョン・ウー監督らしい。これは、格闘技と射撃を融合させた独特な戦闘スタイルで、実戦的にはまちがいだけど、映画的にはカッコいい銃撃戦が最大の見モノだった。それをさらに進化させた映画が『リベリオン』(02年)で、そこではカンフーや空手などの武術と銃撃を融合させ、相手と接近して撃ち合うガン=カタと呼ばれる映画オリジナルの格闘技が登場したらしい。以降、このガン=カタを超えるガン・フーは10年以上生まれることはなかったが、そんなガン・フー映画界に新風を巻き起こしたのが本作だ。
 その詳しい解説は同コラムを読んでもらいたいが、ジョンがスクリーン上で炸裂させるガン・フーとは、要するに柔道やロシアの軍隊式格闘技システマ等の武術を駆使しながら、近い距離で1丁の銃を撃つスタイル。映画に見る銃撃戦では、ジョン・ウェインの西部劇の時代から、敵のライフルの弾は当たらず、こちらの拳銃の弾は当たるものと相場が決まっていたが、なるほどこれなら狙いを外すことはありえない・・・。もっとも、このスタイルではあくまで1対1の対決が基本だから、一人で数十人の敵と対決するのは相当疲れるし、敵の反撃で傷つくこともありそうだが、それがかえってリアルさを増すことに。

<法的視点からジョンの復讐劇を検討してみると?>
 本作はあくまで『マトリックス』シリーズのキャストとスタッフによるハリウッドのアクションスター、キアヌ・リーブスの完全復活を目指す映画。そう割り切れば、ジョンが伝説の殺し屋として復活し、ガン・フーを駆使して、憎きヴィゴのバカ息子ヨセフに復讐を遂げるストーリーは、それなりに完結しているし、男の美学も充満している。しかし、弁護士の目で法的視点からジョンの復讐劇を検討してみると、法的に認められない自力救済を堂々とやっている問題点はさておいても、ジョンの行為はあきらかにやりすぎだ。
 「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為」は「正当防衛」(刑法36条1項)で、違法性が阻却されて無罪だが、「過剰防衛」(刑法36条2項)が違法になるのは刑法の常識だ。つまりバカ息子のヨセフがジョンに対してなした犯罪は、ジョンへの傷害と車の強奪、愛犬殺しの3つだから、ジョンが自力救済的にそれに対して制裁を加えるにしても、それと同程度にとどめるべきが法的バランスというものだ。ところが本作に見るジョンの復讐劇は、ヴィゴがヨセフを守っているためとはいえ、ヨセフを殺すためだけではなく、ヴィゴを含む組織の構成員全員を殺す行動になっているから明らかに過剰、と言わざるをえない。このように、ジョンの復讐劇は法的視点からは問題ありだが、映画なら何でもOK・・・?

<復讐完了後のラストの描き方は?>
 本作は復讐劇を遂げた後のラストの描き方についても、鶴田浩二、高倉健、高橋英樹らが主演した日本の(古典的な)ヤクザ映画に見る「ラストの美学」とは大きく異なることに注目!日本の(古典的な)ヤクザ映画の場合は、敵の組織からの理不尽な圧力に対し、犠牲を重ねる中で我慢に我慢を重ね、ついに堪忍袋の緒が切れた段階で、親分が単身で敵陣に斬り込み、無事本懐を遂げた後はいさぎよく刀を捨て、お上のお縄を頂戴するというラストが定番になっている。それに対して、本作はあれほどの傷を受けたジョンがなお不死身のように歩き出す点は映画だから仕方なしとしても、あれほど大量の殺人行為をしたことについての反省や償いは何もない。いくら伝説の殺し屋といっても、「007」ことジェームズ・ボンドのように国家から「殺しのライセンス」をもらっているわけでないから、ジョンに対してはお上による何らかの裁きが不可欠だが、本作ではその気配は全くない。それどころか、ジョンがデイジーに代わる新たな愛犬を入手するシーンが最後に登場するから、ジョンはこの愛犬と共に一人静かな生活をまた始めるの?いや、いや、いくらなんでもそれはありえないと思うのだが・・・。
 本作は好評につき既に続編の制作が決定していると言うから、少なくとも本作のガン・フーにみる大量殺人によってジョンが死刑や無期懲役の判決を受けることはなかったようだ。映画を鑑賞するについて、そんなことはどうでもいいのかもしれないが、少しはそんな視点も必要では・・・?
                                  2015(平成27)年10月29日記