日15-120

「岸辺の旅」
    

                     2015(平成27)年10月24日鑑賞<テアトル梅田>

監督:黒沢清
原作:湯本香樹実『岸辺の旅』(文春文庫刊)
瑞希(3年前に夫が失踪したピアノ教師)/深津絵里
優介(3年前に失踪した瑞希の夫)/浅野忠信
松崎朋子(瑞希と対峙する優介の過去の秘密を知る女性)/蒼井優
島影(孤独な初老の新聞配達員)/小松政夫
星谷(優介を先生と慕う農家の男性)/柄本明
フジエ(食堂の妻)/村岡希美
薫(タカシの妻)/奥貫薫
タカシ(薫の夫)/赤堀雅秋
/千葉哲也
/藤野大輝
2015年・日本映画・128分
配給/ショウゲート

<カンヌで日本人初の、「ある視点」部門監督賞を受賞!>
 黒沢清監督が、2015年の第68回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で日本人初の監督賞を受賞!その原作になったのは、湯本香樹実氏の同名の小説だ。夫の優介(浅野忠信)が失踪してから3年。今なお喪失感を抱えながらピアノ教師の仕事で細々と生計を立てている妻の瑞希(深津絵里)が、ある日夫の好物だったしらたまを作っていると、ふと人間の気配が・・・。突然部屋の中に現われ、瑞希から勧められるままにしらたまを食べた優介は、淡々と「俺、死んだよ」と・・・。
 そんなシークエンスではじまる本作は、『悪人』(10年)(『シネマルーム25』210頁参照)で第34回モントリオール世界映画祭最優秀女優賞を受賞した深津絵里と、『私の男』(14年)(『シネマルーム33』62頁参照)で第36回モスクワ国際映画祭最優秀男優賞を受賞した浅野忠信という2人の実力派俳優のしっとりとした演技によって、冒頭から観客の集中力を誘っていく。
 シェイクスピアの『ハムレット』では、王子ハムレットと亡霊としてハムレットの前に登場する先王との対話シーンは大舞台に映えるように堂々としていたが、本作では死者・優介と生者・瑞希の対話は意外なほど静かで自然。ひょっとして、そこらあたりの演出がカンヌの観客から本作が大きく支持され、公式上映終了後に2度にわたる熱いスタンディングオベーションが続いた理由かも・・・?

<「彼岸」でも「此岸」でもなく、なぜ「岸辺」の旅に?>
 旅行の好きな人は自分でガイド本を見ながら研究を重ね計画を立てる人が多いが、旅をするパターンはそれだけではない。『モーターサイクル・ダイアリーズ』(04年)で見た若き日のチェ・ゲバラは一人でバイクに乗った旅に出かけた(『シネマルーム7』218頁参照)し、日本に渡って仏教を広めて欲しいと懇願された鑑真和上は何度も日本への渡航を咎められたり、失敗しながら6度目にしてやっと日本への旅を成功させた。
 他方、突然瑞希の前に現われた優介は、死後瑞希のもとに戻るために長い旅を続けてきたらしい。そして今、優介が瑞希に切り出した「提案」は、自分が旅してきたきれいな場所を瑞希と共に再訪したいから、「いっしょに来ないか」ということ。瑞希にしてみれば、優介と一緒に行くそれらの地がこの世のものかあの世のものか自体サッパリわからないから不安でいっぱいだが、せっかく失ったと思っていた夫の優介が急に現われてそう提案してくれた以上、一緒に行くしかない。ロードムービーと言われる範疇の映画は多いが、死者が突然生者の前に現われ、死者が旅してきたきれいな場所をこれから両者で共に訪れていくというロードムービーは、きっと本作がはじめてだろう。
 ところで、「彼岸」とか「此岸」という言葉ではなく「岸辺」と聞くと、思わず昔大ヒットしたTVドラマ『岸辺のアルバム』を思い出してしまうが、原作も本作もタイトルを「岸辺」の旅としたのは、さてどうして・・・?

<死者と生者の共存とは?その実態は?>
 128分の本作には優介と瑞希以外にも個性的な登場人物が登場するが、基本ストーリーはすべて優介と瑞希の対話だけで構成されている。しかも、その基本ストーリーの舞台は大きく次の3つに分かれているから、本作のロードムービーはわかりやすい。第1は、ひとりで新聞配達をしている初老の男・島影(小松政夫)の住む小さな町。第2は、気のいい夫婦が営む小さな食堂。そこでは妻のフジエ(村岡希美)が大切に残しているピアノを巡って、死んでしまった妹を巡るあるストーリーが・・・。そして第3は、塾を開いていたという「優介先生」を暖かく迎えた老人・星谷(柄本明)たちが住む、山奥の農村。そこでは星谷が2年前に亡くした息子のタカシ(赤堀雅秋)とその妻・薫(奥貫薫)との間にちょっとややこしいあるストーリーが・・・。
 この3つの舞台で展開される3つのストーリーに共通するテーマは、死者と生者の共存だ。幽霊は普通足がないから、生者と明確に区別できる。そう割り切れば簡単だが、本作に登場する死者は優介をはじめとして少なくとも見かけは普通の生者と変わらないから、その区別は難しい。優介はその区別ができるらしいが、瑞希にはとてもそれは無理。第2のストーリーで突如ピアノの前に登場してくるフジエの妹が死者であることや、第3のストーリーに登場してくる薫の夫タカシが死者であることは観客にもすぐにわかるが、さて第1のストーリーに登場してくる島影は生者?それとも死者?
 瑞希自身は優介と共に歩む「岸辺の旅」を通して少しずつ死者とのつき合い方のコツをつかんでいくようだが、観客はそれが難しい。したがって、本作ではこちら側の世界(=生者)とあちら側の世界(=死者)との共存をどう理解するかが最大のテーマとなる。その結果、そんなややこしいことを考えるのが楽しいと思える人は本作を秀作と思うはずだし、そんなことはうっとうしいと思う人は本作は苦手かも・・・。

<いかに「愛の物語」でも、浮気の追及は別モノ!>
 チラシによると、カンヌ国際映画祭で上がった賞賛の声は「最高のメロドラマ!」「夫婦愛を純粋に描いた、美しいラブストーリーだ!」「夫は妻を『見守り』、妻は夫を『見おくる』。死を越えた愛の物語が誕生した。」「黒沢清監督が男女の究極の愛を大いなる自然を背景に描いてみせた。」というものだが、歯科医師をしていたという優介にも実は浮気歴があったらしい。そんな問題が急浮上したのは、2つの場所を共に旅した2人が、3つ目の場所に向かうバスの中だ。
 優介がバスの酔い止めの薬を瑞希のバックの中で探していた時、ふと見つけたのが、生前優介の浮気相手だった女性・松崎朋子(蒼井優)からのハガキ。瑞希はそれも失踪した優介を捜すための手がかりの1つとして活用したわけだが、そこからわかってきた優介の浮気の実態に瑞希は唖然・・・?女はそんな1枚のハガキをしつこく手元に置いておく動物。「とっくに終わってることだ」と言い張る優介に腹を立てた瑞希は、これから東京に戻り、朋子に会いに行くと言い始めたから、さあ大変だ。本作で朋子を演ずる蒼井優が登場するのは、女同士が静かに火花を散らす瑞希との数分の対話シーンだけだが、清純感、透明感いっぱいの蒼井優が朋子を演じているだけに、朋子と瑞希との静かな対決シーンは本作の大いなる見どころになっている。
 本作が夫婦の「愛の物語」であることはまちがいないが、いかにそうであっても、浮気の追及はそれとは別モノであることをあらためて痛感!

<ラブシーンは苦手?本作のそれをどう見る?>
 カンヌで日本人初の「ある視点」部門監督賞を受賞した本作についての新聞評は多い。その内容はすべてが好意的だが、本作のラストに登場する「ラブシーン」についての評論は少ない。優介が突然瑞希の前に現われ一緒に「岸辺の旅」に出ることを決めるまでの2人の会話を聞いていると、互いに身体には触れることができても、セックスはできないことが生者と死者が交わる上でのルールだということがわかる。その結果、なぜか瑞希はそれに安心し、観客もそれに同調しながらスクリーンを見つめことになるが、ラストに近づくにつれて、どうもそのルールが破られそうになっていくので、それに注目!
 本作についての朝日新聞編集委員・石飛徳樹氏の評論「『死者が存在する』世界観に感銘」には、「終盤、夫婦の性愛が濃密に描かれる。黒沢映画にしては珍しく、生々しいラブシーンだ。」と書かれている。私は事前にこれを読んで本作終盤のラブシーンに期待したが、さてその実態は・・・?同氏はさらにそれをフォローするかのように、「僕、苦手なんですよ。プロデューサーがどうしても入れてくれ、と(笑)。『弱ったな』と頭を悩ませた結果、2人が服を脱ぐ過程を省略せずに撮ることにしました。全然自信はありませんが、もし生々しく見えたとしたら、激しくもつれ合うのではなく、一枚一枚繊細に脱いでいったからでしょうか」と書かれているが、ちょっとこれは誇大表現にすぎるのでは・・・?ハリウッド映画では、どんな純愛ドラマでも概ねそれなりのベッドシーンが見どころとして配置されている(?)が、さて本作のそれは?私には期待外れとしか思えなかったが、さてあなたの見方は?本作のラブシーンはこれくらいでちょうどいい?それとも・・・?
                                  2015(平成27)年10月27日記