洋15-118 (ショートコメント)

「ヴェルサイユの宮廷庭師」
    

                     2015(平成27)年10月17日鑑賞<テアトル梅田>

監督:アラン・リックマン
サビーヌ・ド・バラ(田園地方の庭園でひとりで生きる女性庭師)/ケイト・ウィンスレット
アンドレ・ル・ノートル(国王の庭園建設家、サビーヌに造園を任せた師匠)/マティアス・スーナールツ
フィリップ1世、オルレアン公(ルイ14世の弟)/スタンリー・トゥッチ
マダム・ル・ノートル(アンドレの妻)/ヘレン・マックロリー
ティエリー・デュラス/スティーブン・ウォディントン
モンテスパン侯爵夫人/ジェニファー・イーリー
ルイ14世(王宮の庭園建設を計画するフランス国王)/アラン・リックマン
2015年・イギリス映画・117分
配給/KADOKAWA

◆ルイ14世、ベルサイユ宮殿と言えばフランスの代名詞だが、なぜか、堂々とした体格と胸の豊かさでは誰にも引けを取らないイギリス人の大女優、ケイト・ウィンスレットが英語のセリフで宮廷庭師としてそんな時代に殴り込み!
 一世を風靡した「ベルばら」こと「ベルサイユのばら」は同じベルサイユ宮殿が舞台だったが、それはルイ16世とマリー・アントワネットの時代で、1770年代のこと。それに対して「太陽王」と呼ばれたルイ14世が、ベルサイユ宮殿とその庭園である「舞踏の間」の造営をスタートさせたのは、彼の絶頂期である1670年代だ。
 物語はフランスの田園地方で造園師という天職に就き、日夜、土や草木と格闘していた女性、サビーヌ・ド・バラ(ケイト・ウィンスレット)に対して、ルイ14世からコンペの参加要請が舞い込むところからスタートする。コンペのシステムは昔も今も曖昧だが、審査委員長である、マスターと呼ばれる、国王の庭園建設家アンドレ・ル・ノートル(マティアス・スーナールツ)と、ただ一人の女性庭師サビーヌ・ド・バラとの面接は、意見が対立したままわずか数分。これでは落選まちがいなしかと思ったが、結果は意外にも・・・。

◆私は、フランスのベルサイユ宮殿は見学したことがないが、イギリスのバッキンガム宮殿は少しだけ見学したし、中国の北京にある頤和園は2度見学した。多分、ベルサイユ宮殿もその規模の壮大さでは頤和園と同じだろうが、そのうちアンドレ・ル・ノートルから造園を任された「舞踏の間」は噴水がテーマ。そして、硅石とアフリカやマダガスカルの貝を階段状に積み上げるデザインがサビーヌ・ド・バラの狙いだ。しかし、ベルサイユは水なき地であったため、水を引き、滝を作る作業は困難を極めたらしい。更に自分は好き勝手に浮気三昧の生活をしているアンドレ・ル・ノートルの妻、マダム・ル・ノートル(ヘレン・マックロリー)が造園の仕事を通じて次第に接近度を深めていくアンドレ・ル・ノートルとサビーヌ・ド・バラの関係を嫉妬したため、ある邪悪で露骨な妨害活動も・・・。
 アンドレ・ル・ノートルが目指すのは伝統と秩序の重視だが、サビーヌ・ド・バラが目指すのはほんの小さな無秩序。そんな相反する価値観の衝突から、より斬新で素晴らしい成果が出ればいいが、さて、ときどき視察に訪れるルイ14世の弟、フィリップ1世(スタンリー・トゥッチ)や当のルイ14世の評価は?

◆本作では、何よりも当時珍しい、男に頼らず庭師という職業で自立して生きている女性、サビーヌ・ド・バラの魅了が際立っている。そして、それはドレス姿で土、泥、草木、水と格闘する日々のルーティン活動のみならず①アンドレ・ル・ノートルとの会話②フランスの「大奥」とも言うべき、ルイ14世の寵姫たちとの会話、そして③ルイ14世との会話においても、その魅力が遺憾なく発揮されている。あの当時、所詮女はお飾り的存在だったはずだが、庭園作りの方針について、堂々とアンドレ・ル・ノートルと議論を交わし、はじめて入った宮殿の中でも全然臆することなく、たくさんの寵姫たちや、国王その人と会話を交わすことができるサビーヌ・ド・バラの能力と度胸は大したものだ。
 ただ大変だと思うのは、これといった重機もないまま、人間の力だけで土を盛り上げていく作業。日本では16~17世紀には天守閣を含む、お城を造る技術がかなり進んでいたが、本作を観ていると17世紀のフランスの造園技術はイマイチだということがよくわかる。そんな状況下、ドレス姿で土や草木と格闘すれば、手や腕は傷つき、お肌はボロボロになってしまうはずだが、本作ではそんなこんなの大変さをすべてクリアしたケイト・ウィンスレットの魅力をたっぷりと。

◆宝塚歌劇で一世を風靡した『ベルサイユのばら』も、ミュージカルで大ヒットした『レ・ミゼラブル』も、最大のポイントは王制による圧政からの民衆の解放=フランス革命。したがって、歴史上の事実として、1789年に起きたフランス革命を知っている私たち観客は、本作に見る1670年代から始まったルイ14世の命令によるベルサイユ宮殿の建設や、舞踏の間の造園がいかに上っ面だけのことであったかをあらためて確認することができる。
 当時のフランスは王を頂点とし、貴族、僧侶、平民という厳しい身分秩序が日本の徳川時代における士農工商という厳しい身分秩序と同じように存在していた。したがって本作に見るベルサイユ宮殿で生活する王や貴族たちの豪華絢爛たる衣裳、髪型(カツラ)等はほんの一部の上っ面だけで、貧しい平民はベルサイユのばらやレ・ミゼラブルで見たような悲惨な状況だったわけだ。サビーヌ・ド・バラの魅力的な生き方に焦点を当てた本作ではそこまでの問題提起はないが、ベルばらやレ・ミゼラブルと対比しながら、ぜひあの時代の社会システムの問題点も十分考えてもらいたい。

◆17世紀のフランスにサビーヌ・ド・バラのような職業婦人が存在していたことはあくまで架空の話しらしいが、サビーヌ・ド・バラの仕事面での自己主張は極めてハッキリしている。しかし、それと同時に、冒頭に見るド派手な帽子をかぶって面接に赴くシーンを観れば、それなりの配慮も結構したたかなことがわかる。
 他方、本作ではサビーヌ・ド・バラの「悲しい過去の私生活」も描かれるから、そこから立ち直るにはやはり男女の愛が必要なことが、ストーリー展開の随所で示唆される。しかして、舞踏の間の造園という寝食を忘れた共同作業に突き進む中、急速に男女の愛も進展していくサビーヌ・ド・バラとアンドレ・ル・ノートルとの、その結末は?
 こんな男女の愛は舞踏の間の造園というプロジェクトが終了すればジ・エンドになるものだが、さてサビーヌ・ド・バラとアンドレ・ル・ノートルの場合は・・・?
                                  2015(平成27)年10月23日記