洋15-107

「しあわせへのまわり道」
    

                2015(平成27)年8月29日鑑賞<TOHOシネマズ西宮OS>

監督:イサベル・コイシェ
ウェンディ(売れっ子書評家)/パトリシア・クラークソン
ダルワーン・シン・トゥール(インド人のタクシー運転手)/ベン・キングズレー
テッド(ウェンディの夫)/ジェイク・ウェバー
ターシャ(ウェンディの娘)/グレース・ガマー
ジャスリーン(ダルワーンの妻)/サリター・チョウドリー
プリート/アヴィ・ナッシュ
デビー/サマンサ・ビー
ピーター/マット・サリンジャー
マータ/ダニエラ・ラベンダー
2014年・アメリカ映画・90分
配給/ロングライド

<ニューヨークを舞台に、普通はありえない男女の接点が!>
 ニューヨークを舞台にした映画は『ギャング・オブ・ニューヨーク』(02年)(『シネマルーム2』49頁参照)をはじめとして、『パワー・ゲーム』(12年)(『シネマルーム33』未掲載)、『ニューヨーク、恋人たちの2日間』(12年)(『シネマルーム31』72頁参照)、『ニューヨークの巴里夫(パリジャン)』(13年)(『シネマルーム35』137頁参照)等たくさんある。そんな映画で押さえておかなければならないのは、ニューヨークの地図と地域による特徴、すなわち、『パワー・ゲーム』で徹底的に描かれていたように「ブルックリン橋を挟んで『こちら側』と『あちら側』では、同じ白人でも全然人種が違う」ということだ。さらに、『ニューヨークの巴里夫(パリジャン)』ではブルックリン橋を渡った東にあるブルックリン地区のチャイナタウンが描かれていた。
 本作で売れっ子書評家として成功している女性ウェンディ(パトリシア・クラークソン)が住むのは、マンハッタンのアッパー・ウエストサイド地区にある広々とした一戸建て。他方、アメリカ国籍は取得しているものの、インドからアメリカにやってきた敬虔なシク教徒であるタクシー運転手のダルワーン・シン・トゥール(ベン・キングズレー)が、甥っ子(妹の息子)と一緒に住んでいるのはクイーンズ地区。
 アッパー・ウエストサイド地区に住むウェンディとクイーンズ地区に住むダルワーンとは本来何の接点もないはずだが、ある日ダルワーンのタクシーに残した忘れ物をわざわざダルワーンがウェンディの自宅に届けたことによって、普通はありえない男女の接点が!

<離婚事情アレコレ。この夫婦は?>
 弁護士を40年間もやっていると、離婚事情アレコレが分かってくるが、本作のケースはかなり珍しい。日本でもいわゆる「熟年離婚」が流行っているが、その典型はBS朝日のテレビドラマで渡哲也と松坂慶子が共演した『熟年離婚』のケース。つまり、妻が長年持ち続けている不満に夫が何も気づいていないケースだ。ところが本作に見るウェンディと21年連れ添った夫のテッド(ジェイク・ウェバー)の場合はそれと正反対で、ウェンディは順風満帆な売れっ子書評家生活を続けステップアップを続けてきたものの、その間テッドがずっと持ち続けてきたウェンディに対する不満に何も気づいていなかったというケースだ。表面だけをみれば、テッドが浮気相手の女を選び、ウェンディとの離婚を決意したわけだから、「離婚原因は浮気したテッドにあり」ということもできるが、さて、法的に争った場合、真の離婚原因は?そして、有責配偶者はどちら?
 それはともかく、本作ではあくまで知的なウェンディが夫のテッドから切り出された別居話、離婚話にとまどい、怒り、パニックに陥るサマが面白い。テッドのお相手の女性がこともあろうに自分のお気に入りの女流作家だと知るとウェンディの怒りは頂点に達したが、他方、夫がそんな女のもとへ去ったのは自分の「性的サービス」が不足していたためと反省するや、なりふりかまわず「あるサービス」に及ぶシーンがかわいいもの。もっとも、今更そんなことをされても、男は余計うっとうしいだけだ。弁護士を通じた話し合いになっていくと、さすがに理知的な女性だけに、ウェンディは広大な自宅の明け渡しと小さなアパートへの転居、そして離婚手続等々を粛々と受け入れることに・・・。

<インド人は神秘的?ましてシク教徒ともなれば・・・>
 本作のテーマは、21年間連れ添った夫との離婚危機の中、妻のウェンディがいかに新しい生き方を見い出せるかということ。90分というシンプルな物語の中でそのお相手を務めるのは、頭にターバンを巻き、あごに口ひげをたくわえたインド人の男ダルワーンだ。ダルワーンがニューヨークの町で堂々とこんな恰好をしているのは、自分のアイデンティティを見失わないためだが、彼のタクシーに乗り込むニューヨーク市民は少し違和感を持つのでは・・・?もっとも、タクシー運転手がいかに大変な仕事であるかは、逃げるようにダルワーンのタクシーに乗り込んできたテッドにウェンディがしがみつき、強引にタクシーに乗り込むやいなや、後部座席で始まった夫婦ゲンカのののしりあいを否応なく聞かされる冒頭のシーンを観ればよくわかる。タクシー代金はちゃんと払ってくれたからまだましだが、「◯◯で停めろ」「△△に向かえ」の指示だって、どちらに従えばいいのか運転手は困るはずだ。テッドを降ろした後、無事ウェンディを自宅まで送り届けることができたのはラッキーとしか言いようがない。
 そんな場合、代金を払おうとするウェンディに対して「今日は大変な迷惑を受けたので二重に頂きます」と言ってもいいところだが、敬虔なシク教徒であるダルワーンは正直に「お代はご主人から頂いております」と断ったから立派なもの。しかも、あのどさくさの中でウェンディが車の中に残していった忘れ物をわざわざ自宅まで届けてやったうえ、お礼のお金さえ受け取りを拒否するのだから立派なもの。そこらが並みのアメリカ人とインド人との違いだが・・・?

<運転免許の必要性は?その取得方法は?その教え方は?>
 私は2001年に大阪市北区内の事務所と自宅の職住近接を果たしてからは、マイカーを売払い一切運転していない。しかし、郊外の一戸建てに住んでいた時は運転免許は不可欠だったし、北海道苫小牧への出張に出かけると、苫小牧市民は全員運転免許が不可欠だと思ってしまう。しかして、ウェンディの場合は、当然テッドがアッシー君を務めてくれていたから運転免許は不要だったし、夫が去った後も広大な自宅を売払い、それなりのマンションに住めば女一人の書評家生活に車は要らないはずだ。しかし、そこでウェンディの一人娘であるターシャ(グレース・ガマー)が急に野性に目覚め(?)、彼氏と共に田舎生活に入ると宣言したため、ターシャのもとに行くには車が不可欠。こりゃ、一念発起して車の運転免許を取らなきゃ。ウェンディがそう思った時に目に入ったのが、ダルワーンのタクシーの上についていた「5時間講習」の看板だ。
 自動車教習所で嫌な思いを体験したであろう多くの日本人には、5時間の講習で運転免許が取れるというニューヨークのシステムはうらやましい。ニューヨークでの運転免許取得方法は、パンフレットの「ニューヨークでの免許取得方法」を読めば、よく分かる。もっとも、ウェンディが運転免許を取ろうと決意したのはターシャと会えるようにするためだから、「ある事情」でそれが一変してしまうと・・・?また、車の運転に性格的に向き不向きがあるのかどうかは知らないが、もしあるとすれば、ウェンディは明らかに向かないタイプ。そんなウェンディに対してダルワーンはいかなる教え方で5時間講習に臨むのだろうか?ちなみに、本作の原題は邦題とは全く違う、『Learning to Drive』だから、それが本作のテーマ・・・?

<この説教臭さは好き?それとも嫌い?>
 本作でダルワーンを演じたベン・キングズレーは、インド人医師の父とイギリス人モデル・女優の母のもとで育ち、『ガンジー』(82年)でインド独立運動の指導者マハトマ・ガンジーを演じ、アカデミー賞主演男優賞などを総ナメにした俳優。そんなベン・キングズレーが本作では、いかにも敬虔なシク教徒らしい、誠実だがある意味非常に説教臭い男性像を味わい深く演じている。本作は全編を通してダルワーンのウェンディに対する説教臭さが際立っているが、本来説教などクソくらえで、アメリカナイズされた生活にどっぷり浸かっているウェンデイには、逆にそれが新鮮だったらしい。そのため、ダルワーンから「5時間講習」を受けている間に、ウェンディとダルワーンの信頼関係は盤石のものに・・・。
 他方、ダルワーンの妹の世話によってダルワーンと見合い結婚をするべく、インドからやって来た花嫁ジャスリーン(サリター・チョウドリー)は、英語がサッパリ読めないこともありダルワーンの説教臭さはどうにも耐えられないものだったらしい。そのため、新婚であるにもかかわらず、ダルワーンとジャスリーンの仲には亀裂らしきものが・・・。もっとも、ジャスリーンのイライラはある日思い切って外に出かけ、たくさんのおしゃべり友達を得ることによって解消したが、さてダルワーンとウェンディの仲はどこまで深まっていくの・・・?
 そう思っていると、彼氏に振られてしまったことによって娘のターシャの田舎暮らしの計画が急遽中止となったため、路上テストで散々な結果となって自信喪失したウェンディは、「私に車の運転は向かない。運転免許を取るのはあきらめた」とダルワーンに宣言したから、これにてダルワーンとウェンディの関係もジ・エンド・・・?いやいや、それでは『しあわせへのまわり道』という邦題がつくはずはないから、本作はきっと「どんでん返し」に向けてもう一波乱が・・・。
                                  2015(平成27)年9月2日記