洋15-105

「ふたつの名前を持つ少年」
    

                      2015(平成27)年8月23日鑑賞<テアトル梅田>

監督:ぺぺ・ダンカート
原作:ウーリー・オルレブ『走れ、走って逃げろ』(岩波書店刊)
スルリック(ユダヤ人の8歳の少年)
ユレク・スタニャク(スルリックのポーランド人としての名前)
ヤンチック夫人(行き倒れとなったスルリックを助けた女性)/エリザベス・デューダ
モシェ・フレンケル/イテー・ティラン
フリードマン氏/ジニュー・ザマチョースキー
ヘルマン夫人(戦争で不在の主に代わって農場を仕切る女性)/ジャネット・ハイン
パヴェル/ルカッツ・ギャジス
SS(親衛隊)の将校/ライナー・ボック
2013年・ドイツ、フランス映画・108分
配給/東北新社

<日本が「戦後70年」ならユダヤは?>
 「戦後70年」の節目の年となった今年の8月15日、日本では各メディアが「あの戦争」の生き残りたちの証言を集めようと総力を結集した。他方、日本が「戦後70年」なら、イスラエルやユダヤ人だって、2015年は「アウシュビッツ収容所解放70年」の節目の年。そんな年に、ナチス・ドイツからホロコーストの大迫害を受けたユダヤ人の生き残りたちは?
 『あの日 あの時 愛の記憶』(11年)は「アウシュビッツ収容所からの男女2人の脱走とその後の波乱、そして32年後の2人の運命の再会、という信じられないような実話を基にした映画」だった(『シネマルーム29』148頁参照)。他方、『縞模様のパジャマの少年』(08年)は2人の8歳の少年を主人公とした、シェイクスピアの四大悲劇以上の悲劇を描いたものだった(『シネマルーム23』101頁参照)。
 それと同じように、本作は冒頭からたった一人でゲットーから逃走してきたユダヤ人の少年スルリック(カミル・トカチ、アンジェイ・トカチ)が1人雪の中をさまよい歩くシーンで始まるから、その辛さを思うだけで胸が締め付けられてくる。『人間の條件』(59~61年)全6部作のラスト『人間の條件 完結篇(第5・第6部)』(61年)では、梶上等兵が妻・美千子の名前を呼びながら雪の中で死んでいくシーンが描かれたが、ひょっとしてスルリックはこのまま雪の中で息絶えてしまうの・・・?

<ユダヤ人?ポーランド人?その区別はどこで?>
 ユダヤ人がナチス・ドイツからひどい迫害を受けたことは周知の事実だが、1939年9月1日のナチス・ドイツによるポーランド侵攻からわずか1ヶ月後にポーランドは西部はドイツの、東部はソ連の支配下に入れられた。そして、ナチス・ドイツ支配下のポーランド西部では、ユダヤ人と共にポーランド人に対する大迫害が・・・。
 アンジェイ・ワイダ監督の『カティンの森』(07年)で、私ははじめて「カティンの森での大虐殺事件」を知り、すごいショックを受けた(『シネマルーム24』44頁参照)。そして、アグニェシュカ・ホランド監督の『ソハの地下水道』(11年)の舞台も、ナチス・ドイツが支配する1943年のポーランドだった(『シネマルーム29』141頁参照)。
 私たち日本人はユダヤ人とポーランド人の区別はつかないし、ヒトラーがユダヤ人とポーランド人をどのように区別していたのかもよくわからない。しかし、本作を観れば、あの時代にユダヤ人とポーランド人はこのように違っていたのだということが少しわかってくる。ところで、ユダヤ人とポーランド人はどうやって区別するの?それには男性に限ってのことだが、ユダヤ人男性特有の儀式としての「割礼」の有無を調べれば一発だが、さてその意味は?

<少年はなぜふたつの名前を?>
 飢えと寒さのため、行き倒れ状態となっていたユダヤ人の少年スルリックを温かい家に迎えて救ったのは一人暮らしの女性ヤンチック夫人(エリザベス・デューダ)。彼女はポーランド人で、夫と2人の息子はパルチザンとしてナチスと戦っているらしい。『007』シリーズでジェームズ・ボンド役を演じたダニエル・クレイグが主演した『ディファイアンス』(08年)は、ベラルーシの森の中に隠れ、パルチザンとしてナチス・ドイツに抵抗を続ける「ユダヤ人3兄弟」を描いた興味深い映画だった(『シネマルーム22』109頁参照)。そこでは、ソ連赤軍がパルチザンとして描かれていたが、本作でヤンチック夫人が説明するように、多くのポーランド人の男たちも反ナチスのパルチザンとして活動していたわけだ。
 本作でスルリックは「ユレク・スタニャク」と名乗っているが、これは父親と(死に)別れる際、「ユダヤ人であることを忘れるな」、「しかし、決してユダヤ人であることを人に見せるな」と言われ、知り合いのお店のおばさんの姓である「スタニャク」と、ケンカ相手のポーランド人の男の子の名前である「ユレク」をくっつけた「ユレク・スタニャク」という姓名を名乗ることに。
 本作では、ヤンチック夫人の下でしばらく続いた平穏な生活の後、ヤンチック夫人に教えられたとおり、ポーランド人孤児ユレク・スタニャクとしてでっち上げた作り話をもっともらしく語ることによって大人たちの同情を買い、仕事と食事にありついていく8歳の少年の姿が描かれていく。まさにこれが8歳のユダヤ人少年スルリックの生きザマだったわけだ。しかし、一緒に森に隠れていたポーランド人の子供たちが殺されたり、森の中に一緒に逃げた無二の親友だった犬も殺されてしまう中、なぜユレクだけが生き長らえることができたの?それが本作の最大のポイントだ。

<脱走時8歳の男の子は今どこに?>

 映画の撮影技術の進歩はすごいもので、本作の主人公ユレクは何とアンジェイ・トカチとカミル・トカチという双子の兄弟が演じているらしい。しかも本作の後半では、右腕を完全に失ってしまったユレクが登場してくるが、そんなシーンは一体どうやって撮影したの?
 それはともかく、本作を監督した1955年生まれのドイツ人、ぺぺ・ダンカート監督は原作の映画化権を買い取ってまもなくの2011年に、今も実在している人物ヨラム・フリードマン氏に会い、インタビューをしたそうだ。パンフレットによれば、その最初の質問は「あなたにあれほどの危害を与えたドイツという国の監督が、あなたの人生を映画化することをどう思いますか」というものだったそうだが、さてそれに対する彼の回答は・・・?
 本作では、飢えと寒さのため今にも息絶えそうになったスルリックは運良くヤンチック夫人に助けられたばかりか、あの厳しい時代をたくましく生き抜いていく。本作が描くストーリーはまさに8歳の少年スルリックがユレク・スタニャクとして生き抜くための「ロードムービー」だが、原作のタイトルは『RUN BOY RUN』。パンフレットによれば、脱走時8歳だったスルリックは、無事生き長らえてナチス・ドイツの敗戦の日を迎えたばかりか、今ではイスラエルで妻と2人の子供そして6人の孫に囲まれて暮らしているらしい。その実在の人物の名前はヨラム・フリードマン。彼の自叙伝ともいえるものが本作の原作となり、17カ国でベストセラーとなったわけだ。さあ、あの苛酷な状況下で「生き残りの証人」スルリックが語る「RUN BOY RUN」とは?

<まさに「禍福は糾える縄の如し」!>
 
スルリックが生き抜くことができたのは、当然「絶対に生き延びるんだ」という父親との固い約束を守り抜こうとするユレクとしての強い意志と、「禍福は糾える縄の如し」ということわざの通り、大人たちとの数々の出会いにおける幸運と不運があった。張藝謀(チャン・イーモウ)監督の『活きる』(94年)は激動する中国の現代史の中で「禍福は糾える縄の如し」を地で行くように生き抜いた夫婦の姿を描いた名作(『シネマルーム2』25頁、『シネマルーム5』111頁参照)だが、それは本作も同じだ。
 ヤンチック夫人との出会いも、それに続くある農家でのおじさんとの出会いもユレクの幸運。しかし、森から出たユレクがナチスにユダヤ人を差し出して報酬をもらうポーランド人のおばさんに騙されたのは不運。また、隙をついて脱走したSS将校(ライナー・ボック)の妻であるヘルマン夫人(ジャネット・ハイン)が仕切る農場で、働くことができたのは幸運だったが、そこで脱穀機によって大怪我をしたのは不運。また、その手術の担当医から「ユダヤ人の手術はしない」と宣言されたのは不運だったが、その後、病院長の医師によって右腕は切断されながらも命だけは助かったのは幸運だった。さらに、病院を逃げ出して東へ東へと向かい、ロシア軍の戦車に見とれていた時、鍛冶屋を営む少女の家族に迎え入れられたのは大きな幸運だった。
 このように、1942年の夏から始まったスルリックの逃亡生活は今や1945年の夏を迎え3年を経っていたが、そこに登場してくるスーツ姿のユダヤ人モシェ・フレンケル(イテー・ティラン)がもたらす試練は、スルリックにとって幸運?それとも不運?
                                  2015(平成27)年8月25日記

アンジェイ・トカチ、カミル・トカチ 
]